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2.さようなら倫理観、こんにちは地獄絵図

「貴方、わたくしのものになりなさい」


 聖女はその金色の瞳で真正面からそう言った。


「は?」


「代わりに貴方の存在はわたくしが承認してあげますわ。それなら心置きなくこちらに来れるでしょう?」


 怖かった。自分の言っていることが正しいのだと信じて何一つ疑わないその目が、ひどく怖かった。


「何で俺がそんな提案をのむと思ったんだ? のむわけがないだろう」


「あらあら、そんなことを言っていいのかしら? わたくしが否定するだけで貴方の存在は消えてしまうというのに」


「何を馬鹿なことをい……」


 何を馬鹿なことを言っているんだ。そう言おうとして言葉が詰まる。

 今俺の存在を承認しているリアは半分異世界人だ。

 半分は異世界の血が流れている人間の肯定と純粋なこの世界の人間の否定、どちらが優先されるのだろう。


「さあさあ、もうどうするべきか分かったでしょう、異世界人?」


 そんなもの決まっている。俺は消えたくない。

 でも、消えたくないからってこの女の配下につくことをよしとするのか。そうなってしまえば俺の存在は、この女の気分次第で消えてしまうような今よりさらに曖昧なものになってしまうんじゃないのか。

 そもそもこの女は異世界人が嫌いだったのではないか。

 そんな人間が用事がすんだ後も俺を生かしておいてくれるだろうか。


 それだけじゃない。リアのことはどうする?

 この女はきっとリアを殺すだろう。ひょっとすると俺がリアを手にかけることになるかもしれない。

 恩義ある彼女に仇なすのか。

 そんなことが許されるのだろうか。


「早く返事をなさい、異世界人」


「ああ、取引を受け入れよう」


 結果的に俺は自分の身の保身を取った。あれだけリアに感謝を述べたこの口で、彼女を裏切ったのだ。

 口では何とでも言えるという良い例ではないか。


「賢い選択ですわ。異世界人は物分かりがいいものが多くて助かります。ああ、楽しみですわ。信じた仲間が敵として現れたとき、あの淫売はどんな顔をするのかしら」


 恍惚な表情を浮かべる聖女に対して、俺は苦渋を舐めたような顔で歯を食いしばった。

 俺は最低だ。道徳観や倫理観なんてあったものじゃない。

 こんなとき俺がもっと強い人間であったのなら、自分の消失も厭わずに聖女の提案を一蹴しただろう。


 そんな俺を見てなのか、聖女は心底楽しそうな笑顔を浮かべたまま言った。


「あんまり自分を責めないほうがよろしくてよ。ただでさえ貴方達は、自己否定だけで揺らぐほど曖昧な存在なのだから。今、消えられるのは面白くありませんわ」


「うるさい」


「素直じゃありませんこと。まぁいいでしょう、貴方の存在を承認します」


 そう言い残して、聖女は部屋から出て行った。

 俺はそこから動く気もしなかったのでその場に転がっていた。


 リアは無事だろうか。とそんなことを考えては、俺はもうあの子を心配する権利もないのかもしれないなとすぐそれを打ち消した。

 何もする気にはなれない。何だかなぁ、と思う。

 生きるためにリアを裏切ったのに、生きる気力が沸いてこない。

 でも、消えてしまうのは怖い。


 こんなに臆病なのにリアを逃がすための殿になったのは何故だろう。

 カッコつけたかったのかな、俺。初対面で地面に這いつくばって泣き叫んでいるなんていう、これ以上ないほどみっともない姿を見られたのに。

 まだいいところを見せようなんてことを心の奥では思っていたのかな。


 そういったことばかりを考えながら過ごした。すぐに俺を連れてリアを殺しに行かないだけ、聖女のやつも案外いいとこあるのかもな。いや、ないか。足手まといになるから置いて行っているだけか。


 途中で誰かが拘束具を外してくれたみたいだけど、あんまり覚えていない。

 そんな状態でも運ばれてきた食事は食べていたらしい。気がついたら空になった皿が側に重なっていた。

 食欲はあるみたいだ。

 情けない。

 情けない、情けない、情けない。



 リュウトと聖女に呼ばれていた男が部屋に入ってきたのはそれから二日経った日のことだった。


「やぁ、元気か?」


 初めてその男の顔をはっきりと見た。

 頬に切り傷の跡がはっきりとのこっており、左耳も耳たぶが欠損している。首からは火傷の跡のようなものがのぞいており、眉間には深い皺が刻まれていた。


 でも、それだけだ。

 あの場で戦った時は俺よりずっと歳をとっているのかと思っていた。だけど、今見た限り俺とそう変わらないように見える。

 こいつは俺と同じただの異世界人だ。一人では生きていくことさえできない弱い人間だ。


「そう見えるのか?」


「いや、悪い。そういうつもりで言ったつもりじゃなかったんだ」


 額のあたりをさすりながら男が苦笑いをする。

 髪をあげると心なしか額が広いように見えた。もしかしたら後退を始めているかもしれない、その生え際にも傷が残っている。


「なぁ、あんたは何で傷を治さないんだ?」


「傷? 傷なんてないが」


「いや、傷跡だよ。沢山あるじゃないか、そこらかしこに」


「ああ、これは無くならないんだ。お前は傷跡も残らないで怪我が完治するみたいだが」


 そう言って男が腕をまくると、無数の傷と縛られた跡のような黒いあざが姿を現した。


「そんなことないだろ」


「そんなことあるんだよ。アイシャに聞いたんだが……ああ、アイシャっていうのはあの聖女の元の名前だ。お前の性質は、僕よりもはるかに存在が希薄だからこそできるものだったらしい」


「なんだよ、それ。じゃあもう使えないってことかよ」


 俺はさっき、聖女に承認された。それは俺の存在が目の前にいるこの男と同格にまで引き上げられたことを意味している。

 この男の話が事実ならば、俺はもう何かになることが出来ないということになってしまう。


「おいおい、そんな顔をするなよ。逆に言えば存在が安定したってことだぞ。お前、結構危うい状態だったんだからな」


「でもそれは、俺がこの世界で生きていく術を失ったことを意味している」


「まだ残ってるだろ、この世界に来たときに得た異能が」


「異能? お前が言っていた、かみさまからもらったちーとってやつか? ねぇよ、そんなモン」


「お前、本当に分かっていないのか? まぁ、いいか。ならさあ、日本での話でもするとしようか?」


 男がニカッと笑ってそう言った。

 だけど俺にはその記憶が残ってない。今はそんな話はしたくないが、したくなってもできないのだ。


「あんた何しに来たんだよ?」


「おいおいつれねぇな。同郷のやつを殺さず済んだのなんて久しぶりなんだよ。正直言って、少し嬉しいんだ。いいじゃないか。しようぜ、僕達の故郷での話をさ」


「久しぶり、だと」


 どうでもいいことのように吐き出された言葉が俺には聞き逃せることではなかった。

 この男は言ったのだ。同郷のやつを殺さずに済んだのは久しぶりだと。

 聖女に承認されている男なのだ。それぐらいのことはしているだろうと分かってたはずだ。

 だけどやっぱり直接聞くとくるものがある。


 この世界で生きてくのが大変なことぐらい俺だってよく分かっている。

 自分を承認してくれているやつに命令されたら絶対に逆らえないなんてことは容易に想像できる。自分が生きるため仕方なくやっていることなのかもしれない。


 だけどそれは本当に仕方ないことなのか?

 確かにこの世界では命の価値なんてものは、たいしたことがないものだ。はっきり言ってしまえば安い。

 この男が殺さなくても俺達みたいな異世界人はふとしたはずみに消えてしまうし、死んでしまう。それを少し早送りされただけなのかもしれない。

 でも、しかし、だからといってだ。


 自分が生きるために多くの他人を踏み台にするのは、許されることなのか?


「お前、青いなぁ」


 黙っている俺の内心を察してか、男はそんなことをぽつりと口からもらした。


「自分の痛みには慣れるくせに、他人を殺すことには慣れていないのか。まぁいいさ、どうせ直に何も感じなくなる。もうお前には僕らと来る以外の選択肢はないんだからな」


 そうだな、その通りだ。俺だってリアを見捨てた。

 でも仕方なかったんだ。分かるだろう、俺? 

 あそこで聖女の提案に了承していなかったら、俺は消えてしまっていたんだ。


――なんだ、俺だって自分のために他人を踏み台にしているじゃないか。


 ゴミ屑みたいなやつだ。自分で自分をそう思う。自分のことを棚に上げて他人の批判をするなんて。

 あぁ、何でかな、リア。ひどく君に会いたくないのに、それ以上に君に会いたい。

 きっと明日からにでも俺は、命令されれば君を殺すために聖女と一緒に探しに行くのだろう。

 それでも君に会いたいと思ってしまうのは、きっと俺が酷いやつだからだ。ゴミ屑みたいなやつだからだ。


 そんなゴミ屑な俺だけど、リア、君が一日でも長く生きられたらいいなと祈るよ。

 いいだろう?

 ゴミ屑だって祈るぐらいは自由なんだから。それくらいは許してくれよ。


「なぁ、あんたもそうやって慣れて言ったのか、リュウト?」


 俺は男の方をぼんやりと見て、初めて名を呼んだ。

 どんなに嫌でも俺達はもう仲間なんだから。仲間になってしまったのだから。

 リュウトはちょっとの間バカみたいに固まった後で、何がおかしいのかクックッと笑った。きっとこいつは性格が悪い。


「あぁ、そうだな。そうだよ」


 その返答に俺は満足して、ごめんな、と一人呟いた。何に謝ったのかは分からない。

 もしかしたら、自分自身にかもしれなかった。


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