どうやら僕は攻略対象らしい。
「遅れてごめん、姫宮さん」
僕は屋上温室から急いで来たため若干上がった息を整えながら、ベンチに座り携帯端末を片手に、退屈そうに足をぶらつかせていた待たせ人に声を掛けた。
僕の待たせ人である彼女が空けてくれていたベンチのスペースに腰かける前に、軽く深呼吸をして上がった息を整える。
――ふぅ……こんな程度で息が上がる己の体力の無さが恨めしい。
やっぱり華摘さんの言うようにお肉でも食べて体力つけた方がいいのかな――。
「白雪先輩!いえ、そんなに待ってませんから。それに事前に連絡をもらってましたし。」
近づいてくる足音で僕だと分かっていたのだろう彼女は、振り向くなり手にしていた携帯端末を掲げ、遅れた僕に対してフォローしてくれる。
さらに彼女は立ち上がり僕をベンチへと誘導してくれた。
つくづく彼女の気の回りようには頭が下がる。
「それにしても、お昼休みまで拘束するなんて非常識な人たちですね」
――この気遣いが、僕が遅れる原因となった連中に対しては一切向けらることがないどころか、笑顔で刺々しい避難の声を発する辺り、なんとも言えないけど……――。
「もうすぐ体育祭だからね。各委員会への仕事の割り振りだとか、東校舎との兼ね合いだとか、色々あるんだ。」
僕は、ようやくベンチに座り一息吐いたところで彼女の話に乗った。
確かに昼休みくらい自由にさせて欲しいという願望はあるけど、この時期はどうしても忙しいというのも事実だ。
何かと行事ごとの多いこの学園は、新入生もようやく学園の生活に溶け込み始めたこの時期、新入生との交流を目的とした行事が多く設けられている。
その行事の中でも、東校舎と合同で行われる体育祭はなかなか厄介な代物だ。
様々な委員会が同時に仕事をし、時には東校舎と連携をとらなくてはならない場面もでてくる。
その東校舎――僕が普段学園生活を送っている西校舎と対をなす形で建っている、別名「女子校舎」――との兼ね合いが一番厄介だったりするのだ、これが……。
「この学園は他の学校に比べて生徒会を中心に各委員会の活動が活発なんですよね?でも、お昼休みまで削られるなんてあんまりじゃありませんか」
――ふふっ。
自分のことでもないのに、少しむくれたように言うこの後輩が、可愛くて仕方がない――。
この学園は基本的に、委員会を中心に運営されていて、体育祭などの学園行事においても活躍している。
全くもって面倒なことに、黒井家である僕は――いや、“力持ち”の黒井家に力を持って生まれた僕は、委員会に入らなければならず、必然的に各委員会に回ってくる仕事(という名の雑用)をこなさなければならない。
“力持ち”が委員会に入ることはこの学園での暗黙のルールであり、力に固執する古い考えを持っている者が、“力持ちの家”の者の大半を占めるので、必然的に各委員会の委員長は“力持ちの家”の者がなることになる。
所詮学生の身分では任される仕事も大したことはなく、やれることもたかが知れている。
活動内容は行事のチラシを作ったり、司会進行を任されたりだとか、まさしくそういった雑用がメインだ。
当然、学園の予算を動かすようなことはしないし、生徒会や委員会に特別な権限なんてものもない。
――だから、委員会の長だなどと言っても、本当に形だけの役職なのだけれど……。
古くから続く家というものは、どうしてこうも体裁や地位に、執着と言ってもいいくらいこだわるのだろう――?
「まぁ、僕が最近スカイガーデンから出て、お昼をどこかに食べに行っているのが珍しかったらしくて……。ネコ…いや、音乎くんに問い詰められそうになったっていう理由もあるんだけどね。だから追求される前に逃げてきたんだ」
猫田音乎。
僕より一つ下の2年生、文化委員会委員長にして好奇心の化身。
彼は何にでも興味を持ち首を突っ込みたがる。
それでいて飽きっぽく、常日頃から平気でウソを吐くという悪癖の持ち主。
正直僕の苦手なタイプだけど、“力持ちの家”同士でもあり、無下にはできないのがなんとも歯がゆいところだ。
「あぁ、“ウソつき”さんですか。あの人は好奇心に従って生きているようなものですからね。」
姫宮さんは彼を“ウソつき”と呼び、実際その呼び名は彼を端的に表している。
彼女は決して西校舎の委員会委員長たち――“力持ち”の彼らを名前で呼ぼうとはしない。
まるで、彼らを否定するかのように、彼らを自分の内側に入れまいとしているかのように。
カテゴリーとしては僕も含まれるけれど、僕は彼女にとって例外的存在であり、彼女の協力者だ。
僕たちはベンチに座って雑談をしながらも、昼食を膝の上に広げ、食べる準備を整えた。
「それじゃあ、時間も押していることだし、今日までの報告とこれからの方針について話し合おうか――」
そして今日も西校舎と東校舎の間にひっそりと置かれたベンチに腰掛け、この青鳥学園――通称青学――を舞台とした乙女ゲーム「FAIRY TALE LOVERS(フェアリー テイル ラバーズ)」の攻略対象達の動向と、彼女――姫宮明日鳥の姉、伊原夜夢の失踪事件の手掛かりについての会議が始まった。
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始まりは、些細な引っ掛かりだった。
僕はその日、緑花委員会として入学式に使用した飾りの花などの片付けに駆り出され、足りなくなったごみ袋を貰いに、用務員室に続く廊下を歩いていた。
この青鳥学園――青学は、毎年入学式が行われる日と次の日の午前中は、式の準備と後片付けの為に各委員会の委員が駆り出される。
委員会に入っていない生徒は、当日は式に参加し、次の日は新入生との交流を目的としたオリエンテーションを、新入生と共に行うことになっている。
つまり入学式の次の日は、委員会の委員が入学式の片付けをしている間に、新入生は在校生から学園の決まりや授業内容、校内設備に怒らせてはいけない先生などなど、これからこの学園で生活していく上で知っておかなくてはならないことの説明を受けている、筈なのだ……。
ちなみに、僕にとっての怒らせてはいけない先生ナンバーワンは、僕の叔母でもある保健室の養護教諭の華摘さんだ。
本題に戻ろう……。
僕は、その時間その廊下にいるはずのない新入生を発見してしまったのである。
まぁ、簡潔に言えば、入学早々新入生のサボり現場を目撃してしまったわけだ。
いつもならそんな生徒にわざわざ関わるようなことはしない。
反抗されたら面倒だし、サボるのは本人の自由だ。
そして何より、僕もたまに体調不良を理由に教室を抜け出すのだから、人様に注意をできた義理じゃない。
ので、その時も気づかなかったフリをして、少し遠回りになるけど別の廊下を行こうとした。
上級生で、しかも委員会活動中なので左腕に緑花委員会の腕章をつけている僕に見付かったのでは、おちおちサボることも出来ないからね。
廊下を曲がろうとして、ほんの些細な引っ掛かりが僕の思考を掠めた。
それは小さな違和感だったけれど、考えれば考えるほど奇妙なことに思えてきたのだ。
――はて、“彼女”は“生徒会室”に、何をしにいくのだろう?――
そう一般的な共学の高校で言えば、何とはなく聞こえるかもしれないが、ここは青鳥学園である。
そして彼女はお世辞にも上手いとは言い難い、男装中の女子生徒だった。
何故分かったのかと問われれば直感としか言いようがないのだけれど……。
とにかく、“女生徒”が“西校舎”から“東校舎との連絡通路の真ん中に位置する特別生徒会室へ行く”などということは、普通ならあり得ないことなのだ。
この学園には創立当初、といってもほんの10年前から、西校舎と東校舎の間には大きな溝――確執と言ってもいい――が存在する。
詳しくは知らないが、それはこの学園の創立前、まだ青学が2つの男子校と女子校だった頃からある、“力持ちの家”に関する、大きな大きな溝、なのだ。
――それはさておき、どうしたものか。
このままでは、片付けに追われ校内を走り回る生徒会か委員会の委員に、彼女は見つかってしまうだろう。
すると西校舎と東校舎のさらなる軋轢を生むことになるなぁ。
別にそのこと事態はどうでもいい。
寧ろ“力持ちの家”の者は、そういう方向に仕向ける傾向にあるくらいだ。
けれど、僕は積極的にそういうことをするつもりはないし、何よりそうなれば、この先行われる東校舎との合同行事がやりにくくて仕方がない――。
そう考えた僕は、彼女に穏便かつ迅速に東校舎へ帰ってもらう、もしくはこの場を立ち去ってもらうため、話しかけることにした。
他の生徒に見つからなければどうということはない。
ただ彼女がいる廊下の先には委員会の部屋と特別生徒会室のある連絡通路に続く扉しかないため、他の生徒、特に委員会の委員に見つかる可能性が高い。
僕は、様子を伺うように曲がり角から顔を出し、どこからどう見ても不審としか言い様がないほど頭をキョロキョロと動かしていた彼女の背後に近づき、声をかけた。
――今思えば、これが失敗だったんだろう……。
この僕の行動によって、青学入学時から、いや、生まれたときから隠してきた、“僕が女である”という秘密を、初対面の、しかも男装をして西校舎に潜り込み、生徒会長と委員会委員長について探っている、東校舎の女子生徒にバレるなんて――。
「君、サボりはいけないな」
人に言えた義理じゃないとは思いつつも、彼女との距離をあと数歩まで詰めたところで立ち止まり言った。
そして彼女は、
「うわぁぁあああああ!!」
叫び声をあげ、振り返り、キュッと目を瞑って全力疾走で逃げようとした。
もし誰かに見つかったときの逃走ルートはイメージ済みだったのだろう。
確かに僕のいる方向をまっすぐ行ったところにある階段を駆け降り、そのまま行くとある非常口を出れば、連絡通路の真下に出られる。
そこからの東校舎への帰還は容易いだろう。
しかし、しかしだ……。
そのルート上に僕がいた場合、僕が障害になることは容易に想像がつく。
女である僕に、全力で走るため踏み出した女子高生を支えきれた筈もなく、その勢いのまま廊下に倒れ込んだ、までは、まだよかった。
「うぅ……」
床にしたたか尻と腰を打った痛みに耐える僕より、彼女のほうが状況を把握するのは早かった。
彼女は、僕が冷静な思考を取り戻す前に立ち上がり、再び逃走を図ろうとした。
――それが……彼女が立ち上がるために、手が、その……最近やっとアルファベットの2番目を堂々と名乗れるくらいにまで膨らみ始めたソコに手をつかれ、体重をかけられたらもう、……うわぁぁああああ!!こっちが叫びたかったよ!
一般高校生男子なら、さぞや見事な胸筋をお持ちだっただろうけど、僕は違う。
えぇ、悲しいことに――。
「ふぇ!?」
これが僕の口から漏れた声だとは死んでも認めたくない。
「え……?アナタも、おん、なのこ……!!?」
彼女の顔にはありありと「驚愕」の2文字が書かれていた。
それはそうだろう。
男装をして西校舎にいる女子生徒が、自分の他に、しかも目の前にいるのだから。
僕はその時、彼女の浮かべた驚愕の色はそういう考えから来ているものだと思った。
しかし、その後に呟かれたのは、「だって“黒井白雪”は“攻略対象”のはず……」という不可解な言葉。
“攻略対象”とは何なのか、それよりなにより、何故新入生の彼女が僕の名前を知っているのか――という疑問が僕の中に生まれる前に、彼女は自分の中で一つの仮説を建て、僕に尋ねた。
「もしかしてアナタも、“前世の記憶”を持っているの?」
あの時、あまりにも必死に、今にも泣き出しそうな瞳ですがり付きながら、何かを懇願するように聞いてくる彼女を、誰が邪険に扱うことが出来ただろうか。
それから感情が高まりポロポロと泣き出してしまった彼女をなだめ、僕が女だと知る養護教諭――黒井華摘のいる保健室へと連れていった。
丁度華摘さんが留守を任せたい、と言ったのをいいことに、保健室で2人、華摘さんが用意してくれた緑茶を飲みつつ、彼女から事の次第を聞くことになった。
曰く、彼女は姫宮明日鳥と言い、元は“力持ちの家”である伊原家の者であるということ。
曰く、彼女の姉は伊原夜夢と言い、あの2年前の失踪事件を起こした人物であるということ。
曰く、彼女はその姉が失踪した原因を探るために男装をして西校舎に潜り込んだということ。
曰く、彼女は前世の記憶を持っており、ここは前世で流行った乙女ゲーム「FAIRY TALE LOVERS(フェアリー テイル ラバーズ)」の舞台である青鳥学園であるということ。
曰く、その「FAIRY TALE LOVERS」の攻略対象は西校舎の生徒会長と委員会委員長たちであるということ。
つまり――
――どうやら僕は攻略対象らしい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
感想を頂けたら幸いです。
反響の具合によっては連載にするかもしれません。