The birth of innocence
世界中の恋人達に愛で溢れる未来が訪れることを祈って。
僕は彼女を愛していなかった。思えば、僕のしたことは若さ故の勢い任せな愚行であった。
子供ができたとだけ聞くととてもめでたいが、実際のところ僕と彼女は結婚しておらず、お互いに「結婚してもいい相手」という妥協し合った末の恋人関係であった。「恋人は要らないが家庭は欲しい」という、がっさがさに擦れた寂しい者同士、子供ができてもいいという考えであったから性行為をするにも都合がよく、避妊における是非の口論もなかった。
しかし、何かが違った。
子供を作っておきながら「違った」なんて宣うのは倫理的に如何なものかとも思うが、「結婚」と「家庭」が目の前に迫りきて、僕はそれらに対する責任と犠牲の重さに気が滅入りそうだった。そう。それ程までに僕は幼く、子供を作るということに関して甘い考えしか持ち合わせていなかったのだ。
金もそうだが、時間も犠牲にしなければならない。少し、気が引けた。いや、正直に平たく言うならば、まだ遊びたかった。
そもそも何故結婚をするのか、なんて、子供がいる男が考えるようなことではないとわかっていながら頭を巡らせてしまうのも難だが、僕は一人の時間を得る度に後悔にも似た不思議な疑念に覆われていた。
何故結婚をし、子供を作るのか。家庭に身を収める心の整理はできつつあったものの、純粋な疑問として心に引っかかっていたのだ。
愛
なんて言われてもピンとこない。結婚には政略的価値が問われていたし、子供が働き手として量産された時代もある。結婚したり子供ができたりしたらそれなりに情が湧いて、それこそ「家族」という絆が生まれるということもわかる。しかし、その過程に本当に愛はあるのか。むしろ、愛があるから何だというのか。
今のご時世、晩婚化や少子化なんて聞くけれど、それは社会が結婚や出産を必要とする社会ではなくなっているからではないのか。政略結婚も、働き手の量産も今では殆どない。それどころか所帯を持たないと信用されない、なんていう世間体を気にした風潮さえもはや古いとされている。結婚を強制する者がいなくなったなら、当然、僕のような若者は時間や金銭的束縛、ついでに家庭を守らねばならない重責からは逃げようとする。
押されなければ結婚しない、というより、結婚の価値が「愛の獲得」でしかなくなったことが何よりの問題であると思う。
結婚したからと潰れかけた工場を立て直せるわけでもなければ、子供を生んだからと畑仕事を任せられるわけでもない。世間体が特別よくなるわけでもないし、何より、男女共に性に奔放になりつつある。ともなると、結婚する最大のメリットは、「支え合える愛しいパートナーを得る」ことに限られる。玉の輿、なんて言葉があるが、そんなの一握りの人間で、どんなに経済面を重視しようとも結局のところ「身の丈に合った相手」に落ち着くだろう。なんだかんだと難しい恋愛観や理想論を口にしようと、誰しもが結婚に「愛」を求めざるを得なくなるのだ。
だが、実際のところどうだろう。僕に至っては彼女を愛してはいなかった。今は結婚してもいいような気持ちではあるが、それはまさしく妥協であって決して愛故の覚悟なんてものではない。簡単に言えば、仕方なしに結婚する。
結婚のきっかけとなったのは彼女の妊娠だ。
彼女は疑い深く慎重な方だ。そんな彼女が「自分の子供か心配なら、DNA検査でもする?」と自分から言ってきた。これは、「あなたの子供だという絶対的確信が私にはあります」という自信の表れだ。それに対して、僕は何を疑う必要もない。
そもそも、そんなことを彼女に言わせてしまう僕の人間性の方が疑わしいではないか。まるで彼女を鼻から疑う無責任な男であるような……しかし、疑われるべきが僕の人間性ではなく、彼女の男性遍歴にあるのだと気付いて、僕は変に安堵してしまう。
彼女には、結婚や妊娠から目を逸らそうとする男と付き合った経歴があるらしい。いや、結婚に対して後ろめたさを感じる僕が言えたことではないのだが、彼女と子供に責任を持つべく心構えができたのだから「そんな男達とは違う」と格好をつけさせて欲しい。
子供が僕の子供である限り、僕は子供の父親だ。今ここで彼女と別れようとも、その事実だけは変わらない。我が子には申し訳ないが、僕の子供は「愛の結晶」ではなく「結婚のきっかけ」であったことは否めない。結婚の消極化において、子供ができるというのは最も有効なきっかけになるのだと身を持って思った。
子供ができたならもっと父親としての自覚が湧いて何かと頑張れる気がしていたのだが、実際は全くの無自覚。妊娠しているのは彼女で、僕ではない。彼女が「動いたよ」と言っても、僕の目には少し膨らんだ彼女の腹部しか映らないのだ。僕の気持ちを置き去りに、子供がどんどん大きくなるのが少し恐ろしくも感じた。「そんな男達とは違う」なんて先程言ったが、もう心が折れそうだ。僕は「そんな男達」となんら変わりなく、むしろ最も罪深く愚かな存在であるように思えてならない。考え無しに家庭に憧れ、子供を作り、責任の重大さと自身の欲望に板挟みにされて。単純に、僕は、父親になるには早かった。
聞いたところによると、もうすぐ男同士でも子供が作れるそうじゃないか。そうなると、女と子を成す必要性が薄れる。同性による婚姻が一般的になるなら「愛の在り方」はもっと掘り下げて考えられ、結婚における価値観も変わるだろう。
更に、いつか人は死ななくなるというではないか。そうなると子供を作る必要がなくなり、結婚も意味を成さなくなる。ついに、愛は歴史上の幻となって人は生死の束縛から解放され、生きる意味や死ぬ意味を考えずに済むようになる。そして新たに「在り方」について頭を抱えるのだろう。すると、自分の存在を認めてくれる相手が欲しくなる。愛が幻となったその時、求めるのはきっと、「死なない自分とは一線を画す死ぬ人間」だ。こうして死なない人はまた人を生み出し、生み出された死ぬ人間は生き抜くために人を生み出し、「愛」を求め、「愛」を宣って生きてゆく。
と、なると……僕は結局、「愛」を求めて生きる上で、人一人を作ったことになる。
「何ぼーっとしてるの?」
はっと我に返ると、彼女が僕の顔を覗き込んでいた。夕日が差し込むリビングで、僕は小さく微笑んだ。
「何でもないよ」
僕はそう言って、テーブルの上の婚姻届に印鑑を押した。彼女は嬉しそうに婚姻届を見つめ、笑う。
大安の今日、僕達は結婚する。
婚姻届と戸籍謄本を確認して、彼女は鞄にしまう。そして、僕の手を掴んで引っ張った。
「早く行こう、今ならまだ窓口で出せるよ」
「わかったわかった。ちょっと待って、車の鍵……」
パタパタと玄関に向かう彼女。僕は棚に置いていた鍵を手に、彼女を追う。一歩、一歩、僕は新しい明日に近づく。家庭という重責と曖昧過ぎる「愛」に近づく。
「ねぇねぇ、」
シートベルトを締めていると、彼女が身を乗り出して僕に言った。
「私、もうすぐあなたと同じ姓になるのね」
「そうだね」
「とても嬉しい。今すごく幸せな気持ち。あなたは今、どんな気持ち?」
自由と引き換えに、疑問で溢れた契約を僕は結ぶ。
「君と同じ気持ちだよ。明日が待ち遠しい」
そう言って車を走らせると、彼女はそれはまた嬉しそうに笑うのだった。
結婚して、子供が生まれたら、僕は彼女達が愛しくて仕方なくなるだろう。それはきっと激しくもなく穏やかで、熱くもなく温かで。結婚に対する疑問には何の答も出せないとわかっていながらも、一緒にいることに意味を感じては幸せな気持ちになるのだろう。
何故結婚するのか、何故子供を作るのか、僕の口では到底上手く説明できそうにない。それなのに、婚姻届を出しに行くというだけでどうしてこんなにも、間違ったことをしていないという自信と、希望に溢れるのか……
不思議だが、それはやはり、僕が「愛」を求め、「愛」を宣う「死ぬ人間」だからなのだろう。
今日、極めて幸福な祝福を胸に、僕は結婚する。
ーーーーーーThe birth of innocence、Fin.
読んで頂き、ありがとうございました。
この物語の詳細は活動報告にて書かせて頂きます。大した詳細ではありませんが、興味を持たれた方は是非ご覧ください。
結婚、おめでとうございます。