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私の王子様

 私にとって、まさしく家は牢獄だった。

 夫は仕事が忙しいのだと言って毎日帰りが遅いけれど、本当は他の女のところに行っているのを知っている。けれど、夫と別れたら行くところのない私はそれを責めることも出来ずひたすら気付かないふりをするしかない。

 何の目的も目標もなく、無為に過ぎていく日常。退屈に押し潰されそうになろうとも、私にはどうすることもできない。


 そんな私にも楽しみはある。

 それは小さな庭に咲く花たちの世話をすることと、友人たちとお茶を飲みながらお喋りすること。

 そして…


(ああ、あの人だわ…!)


 目立たぬようこっそりと外を伺う。

 そこには爽やかな顔立ちとすらっとした長身の最近よく見かける男性だった。

 彼の姿をそっと見つめること。それが、私の今一番の楽しみ。

 本当はもっと近づきたい。声が聞きたい。親しくなりたい。けど、それらは過ぎた願い。

 そう、遠くから見つめているだけでいい。それが、私の幸せ…




 だけど、あの人は突然、私の元にやってきた。

 ああ、神様!これを奇跡と言わずになんというのかしら。

 私はケーキやお茶を用意してできる限りあの人を持て成した。私が自分へのご褒美としてこっそり買っておいたチーズケーキはあの人も気に入ってくれたようで、満面の笑みを浮かべて美味しいと言ってくれた。

 胸の高鳴りが収まらない。まさかこんなことが起こるだなんて。

 それから、私はあの人とたくさんお話をした。あの人はこんなつまらない女の話にも耳を傾けてくれて真摯に付き合ってくれて、思っていた通り、誠実で優しい人。

 けれど、楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまった。

 私はもう少しあの人とお話ししたかったけれど、あの人はこれ以上は旦那さんにも悪いからと言って行ってしまった。どうせ主人は今日も帰ってこないのに。

 けれど、あの人はまた来ると言ってくれた。それに、素敵な贈り物まで渡してくれたのだから、、私はあの人の言葉を信じ、いつ来てもいいように準備をしておくことにした。


 けれど、待てど暮らせどあの人は来てくれない。

 最初は、毎日胸を高鳴らせていたけれど、今は待つのが辛くてしかたがない。

 どうして?どうしてきてくれないの?

 前は姿が見られるだけでいいと思っていたけれど、今はもう無理。あの人に会いたい。あの人の傍にいられるんなら、なんだってするのに…


 今日もあの人は来てくれなかった。

買い物袋を下げながら私は小さくため息をついた。

 あの人はどうして来てくれないのだろう?仕事が忙しいのだろうか?それとも、体の具合が良くないのかもしれない。いや、他にも何か理由が…

 私はそんなことを考えながら歩いていると、不意に「それじゃあ、また」という声が聞こえた。その声は間違いなくあの人のものだ。

 慌てて階段を駆け下りるとあの人の背中が見えた。久しぶりの姿の心が躍るけれど、それよりも気になることがあった。あの人は今、どこから出てきたのだろう?


「あら、こんなところで何をやっているの、佐藤さん?」

「中村さん…」


 声をかけてきたのは中村さんだった。私は、この人が好きじゃない。噂好きであることないこと喋って、そのくせ自分のことは棚に上げて人の悪口や陰口ばかり言う。私もこの人には根も葉もない噂を流された。


「あの…さっきの人は……」

「ああ、私のところでお茶したのよ」

「中村さんのところで?」


 信じられない。なんでよりによってこんな人のところに。


「そうよ。すっごく話が盛り上がっちゃってね、また遊びに来てくれるって」

「えぇ!?」


 自慢げに告げる中村さんに私の頭は真っ白になる。そんな、私のところに来てくれるって言ったのに!!


「最初はあなたに用事があったみたいだけど、留守にしてたでしょ?それで私が声をかけて家に誘ったのよ」

「そ、そんな!!」


 ああ、なんてことだろう!こんなことならあの人が来るまでずっと家にいればよかった!!


「あ、あの、あの人が来たら私のところに来てくれるように言ってもらえませんか?」

「それはいいけど、行ったところであなたのところに行くかしらね」

「え?」

「あの人って結構顔がいいし、口もうまいから、引く手あまたでしょうね。なんの面白みのないつまらない人より私と一緒にいた方が楽しいわよ」


 そういって笑う中村さんに私は頭が真っ白になる。

 そんな。あの人は、私の全てなのに…!


「ひどい…ひどいわ……」

「あら、元はと言えばあなたが留守にしてるのが悪いんでしょ。ま、元々縁がなかったと思って諦めるのね」


 そういって中村さんは私に背を向けて家に戻ろうとする。

 どうしてこの人にこんなことを言われなくてはいけないんだろう。


 そうだ。全部、全部この人が悪いんだ。この人が私のいない間にあの人をとったからいけないんだ。あまつさえ次の約束までして、私がどれだけ待っていたと思ってるんだろう。どれだけ待ちわびていたことだろう。私がどれだけあの人を愛していると思っているんだろう。許さない、あの人との仲を邪魔するなんて。私からあの人を奪うだなんて。きっと、この人さえいなければあの人はきっと私のところに戻ってくる。そして、いつかここから連れ出してくれる。そして私はあの人と新しい生活を始めるのだ。それはきっと幸せな毎日に違いない。そうだ、この人さえいなくなれば。


 気付けば、中村さんは階段の下で血を流して倒れていた。白目をむき、顔の穴という穴から血が出ている。もう息はないだろう。

 さて、早く家に戻らないと。誰か来てしまう。そして、あの人が来るのを待つのだ。

 幸い、私と中村さんは近所だから、来ればすぐわかるはず。訪れたところで私が声をかけて家に招けばいい。そして何十分も並んで買ったケーキと紅茶を出そう。たくさんお話もしたい。

 ああ、今から待ち遠しくてたまらない!!






「どうだ、最近の調子は?」

「上々です。昨日も商品を買ってもらいました」


 笑顔の後輩に「ほー、そりゃよかったな」と声をかけた。

 こいつは新入社員の中でも有望株だ。

 誰にでも人見知りせず接し、常に笑顔で、トークスキルも高い。そして何より、イケメンなのは訪問販売員として大いな強みだ。

 実際にこいつが来てからうちの部署の業績は向上している。


「あー、だけどちょっと困ったことがあって…」

「ん?なんだ、どうした?」

「大したことじゃあないんですけど…今言ってる団地の奥さんで俺に気があるみたいな人がいて」

「へえ、いくつぐらいだ?」

「多分、四十か五十ぐらいですね」

「うわぁ…そりゃきついな」


 まさか自分の母親ぐらいのおばさんに言い寄られるとは、美形も大変だ。


「なんかやたらとお茶やらお菓子やらで俺を引き留めようとするし、聞いてもいないのにべらべらいろんなこと喋るし、俺愛想笑いを浮かべるしかなかったですよ。でも、一応商品を買ってくれたし他にもいろいろ買ってくれそうだからまた行こうかなとは思ってたんですけどね。なかなか気が進まなくて…」


 こいつはあまり愚痴を漏らさない性質だが次から次へ言葉が出てくる。うーん、こりゃ本当に嫌だったんだろうな。


「それで行ってないのか?」

「いや、昨日行ってきたんですけど留守だったんで代わりに近所の奥さんに商品を買ってもらいました。こっちの奥さんは話しやすくてよかったです」


 今日からは違うところに向かうつもりだと話す後輩にそれがいいと俺は賛成した。

 こいつならわざわざそんな厄介な客がいるところに行かなくても他にいくらでも行く宛はできるだろうしな。


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