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聖女ミスリア巡礼紀行  作者: 甲姫
第五章:常しえに安らかなれ
53/67

53.

 周辺の魔物退治もあらかた片付いて、軽食をとろうと火を焚いたところだった。

 肌が無数の針に刺され続けているかのような寒さだというのに、青年は焚火を睨むだけで、傍に行こうとしない。肌だけではない。氷点下の乾いた空気を鼻から吸うだけで、肺が激痛に苛まれる。

 それでも彼には彼なりの理由があり意地があった。

「感じ悪いですね。同伴するのが嫌みたいに見えますよ。我々はともかく、聖女さまに対して失礼ではありませんか」

 青年の胸中を知らず、不審に思ったらしい旅の連れの一人が、口を出した。

 その男は切り株に腰を下ろしていた。額や耳を覆う毛糸の幅広いヘッドバンド(はちまき)は温かそうである。マフラー越しに発せられた言葉はハキハキとしていて、くぐもっていながらも聴き取りやすい。

「悪かったな。どうせ俺は協調性がねーよ」

 素直に火に近付かない理由を語ればいいのに、棘には棘で返してしまうのが性分だ。青年の卑屈に、切り株に座した黒髪の男――ディアクラ・ハリドはフンと鼻をならした。

「全くです。聖女さまはなにゆえ、貴方のような者を供にしたがったのか」

 本人がすぐ近くに居るのをわざと意識した声量で、ディアクラが不平を漏らす。話題の聖女、カタリア・ノイラートは携帯式の鍋を火で熱するのに夢中でこちらを見向きしない。ふんふんと楽しそうに鼻唄を歌っている彼女の隣で、黒髪の若い女がため息をついた。

「兄さま。たとえ本当のことでも、今のは言い過ぎですわ」

「本当のことって……お前フォローする気ねえだろ」

 青年は稀に見る美女、イリュサ・ハリドを一瞥する。波打つ黒髪はカタリアのゆるやかに流れる巻き毛と比べて、倍のボリュームを持っている。肩にも届かない長さなのに横の広がりがあって、頭の細かい動きに合わせて揺れている。見ていてどうも鬱陶しい。

「あら、わたしは貴方の味方ではなく平和の味方です。聖女さまが快適に旅していられますよう、面倒ですけれど喧嘩はできるだけ止めますわ。面倒ですけれど」

 イリュサは兄とお揃いのヘアバンドの下から漏れる前髪を、指先でいじった。

「……いちいち繰り返すな」

 この兄妹は、言動がネチネチしていて苦手だ。青年には当たりがきついのに反し、聖女カタリアには傾倒している様子なのも面白くない。

 だが魔物狩り師としての腕や、チームワークの高度さには文句のつけようが無いのである。連携に青年や聖女カタリアを追加しても狂わないどころか更に進化を見せた点も、実に見事である。認めるしかなかった。

「卑屈なのは、自分に不満や不足を感じてるからで。それを感じられるのは、向上心の表れでもありますよね」

 ふと、よく通る澄んだ声が夜の空気を震わせる。

 三人は未だに鍋につきっきりの聖女カタリアに注目した。話を聞いていないと見せかけて、実際はちゃんと耳に入れていたらしい。

「素晴らしいことではありませんか」

 茶色の双眸が鍋から外れて、青年を真っ直ぐに見つめた。

「……そういう見方もできるのか」

 目が覚めたような、くすぐったいような、後ろめたいような。モヤッとした想いで、青年は苦笑いした。この聖女は自分を買い被りすぎている、そんな気もしている。

「それで」

「なんだよ」

「教えてくださいませんか。どうしてそんなに離れているのですか?」

 カタリアのこれは純粋に知りたがっている目だ。抗いがたいものを感じ、青年は他の三人に聴こえないくらい小さく舌打ちした。

「俺は火が嫌いなんだよ。んなもんに世話になるぐらいなら、凍え死んだ方がマシってんだ。食事に関してはどうしようも無いけど、蝋燭も松明だってできれば使いたくない」

「この極寒の季節に何を馬鹿げたことを。どうやって越冬をしているのですか。湯も沸かさず、まさか寒中水泳をしているとでも」

 信じられなそうにディアクラが眉間に皴を寄せた。

「そりゃ――まあ……」

 青年は言い淀んだ。

「本当にそんなことを? 心臓止まりますわよ」

 呆れとも心配とも取れる声でイリュサが訊ねる。

「いつもじゃねぇって。行水もする」

「大して変わらないでしょう」

 ディアクラはため息混じりにこめかみに指を当てた。そんな風に呟かれても譲れないものは譲れないのである。

「寒中水泳って、気持ちいいですか」

 カタリアが無邪気に訊ねた。

「……俺にどう言えってんだ」

 青年はハリド兄妹の微妙な視線を受けつつ、世間知らずの聖女に向けて引きつった笑みを向けた。屋外での寒中水泳も行水も、最初の衝撃には確かに一種のカタルシスを得られる。しかしその快感は命の危険と引き離すことのできない類のものだ。気を抜けば、クソ寒いだけである。

 結局「勧められない」と簡潔に答えると、彼女はあっさり「そうですか」と言って引き下がった。

「それで」

「今度はなんだ」

「どうして、火が嫌いなんですか」

 カタリアの表情に茶化す様子はまるで無く、ただ歩み寄ろうとする者の真剣さがあった。目に見える距離は二十歩も開いているのに、妙に近くに存在を感じる。

 青年はたじろいだ。隠すような話ではない。それでも口が重くなってしまうのは、心の折り合いをつけていない証かもしれない。

「――――奪うからだ」

 やっとの思いで搾り出せた声は、震えていた。

 瞬けば、遠い日の光景がまなうらに蘇りそうで怖い。青年は無意識に首の後ろに手を触れていた――思い出すだけでいちいち古傷が疼く。

「わかりました。これで暖を取ってください」

 ざく、と乾いた枝葉の上を渡る足音。視界の中であっという間に聖女の姿が大きくなる。抗議をする間もなく、毛皮のマントが背中に回された。

 突如として覆い被さってきた女特有の甘い残り香と温もりに、青年は一瞬硬直した。目を大きく見開いて、今一度状況を確認する。目の前で背伸びをする少女が小さく震えた――

「あんたが風邪引いたらどうすんだ。返す」

 青年は即座にマントを脱いでカタリアの肩に戻した。

「私は大丈夫ですよ」

「んなわけあるか。早く炎の傍に戻れ、でないと俺がアイツらにどやされる」

 カタリアの向こうでは、ハリド兄妹が殺意と同等の凄みをもって青年を睥睨している。

「心配してくださるんですか。お優しいんですね」

「違う。そっちが非常識なんだ」

 青年はうんざりしたように答えたが、この陽だまりみたいな笑顔を前にして、本気で怒れるわけがなかった。

「ふふ、では煮上がったら貴方の分を持ってきます」

「おー。あんま気ぃ遣わなくていいぜ」

 ひらひらと追い払うように手を振ると、カタリアは何故か楽しそうに走り去った。


_______


 ある黄期日の午後、ミスリア・ノイラートは市立図書館の中庭で大理石のベンチに座していた。

 ここはウフレ=ザンダという国の首都である。記憶障害者の男性、シュエギと出会った町もウフレ=ザンダの領土内に位置しているが、今ではもうその地点より北北西に十五マイルほど進んだ場所に居る。

 書物を片手に、ミスリアは自らの護衛の一人である眉目秀麗の青年、リーデン・ユラスと他愛の無い話をしていた。

「兄さんと旅に出てからもう一年経ったよね」

 ふいにそんな話題になった。

「言われてみればそうですね」

 リーデンの一言をきっかけに、ミスリアは処刑台の前まで駆けた時のことを思い返した。

 あのやたらと空気が乾いていた日――神々への供物のように磔にされ、真昼の陽射しを肌に浴びた青年を見上げて――何を想ったか。胸の内に転がった淡い期待と感動の粒をどう押し退けて、声を出したのだったか。第一声は「待ってください」だった気がする。

 そしてこちらが近付いたのと同時に、ゲズゥは包帯に隠れていなかった右目を開いた。

 その折、黒い瞳が映し出したあまりもの空虚さに、心が捩れたように苦しかったのを憶えている。それを拭い去ろうとして、ミスリアは微笑んだのだった。そして、青年の無表情が崩れた。ほんの僅かではあったが、確かな驚きを見せた――

(ああ、きっと私は)

 カサリ、と涼やかな風が頭上の枝を揺らす。手元に落ちた影の形が踊り、木漏れ日の温もりが膝の上へと逃げてゆく。

(私はあの時から……)

 ゲズゥが感情の起伏を表す瞬間が、好きだ。それを引き出せたのが自分だってわかると、特に嬉しい。

 最近では笑いかけてもらえる時もある。

 その度に目に見えない場所をくすぐられたみたいに、ふわっと暖かい心持ちになる。それと何故か同じくらいに苦しくなって、気持ちの落としどころがわからない。

「もう一年、まだ一年。生誕を祝う余裕も無かったんだろうし、せっかくだから全員分パーッと祝っちゃおうか」

 新しく提供された話題の方向性によって、思考の渦から呼び戻された。

「それはいいですね。皆さんいつ生まれですか? 私は春です」

「僕は冬で、兄さんが真夏だよ。みんなイメージぴったりだね」

「ではイマリナさんは?」

「マリちゃんは自分でも憶えてないそうだよ。僕があの子を拾ったのが冬だから、冬生まれってことで」

「なるほど。どういう祝い方がいいでしょうか。贈り物交換か、お菓子かそれとも――」

 他愛も無い、実にのんびりとした午後のひと時だった。

 それが瞬く間に空気がピリッと緊張に震えた。

 ――とん。

 見知らぬ通行人。

 一人の小柄な若者が自然な足取りでミスリアたちの座るベンチに近寄り、よろけて、すれ違う際に肘をリーデンの肩にぶつけそうになったのである。普通ならば一言の謝罪が添えられればそのまま通り過ぎてしまうはずだった。

 それを、リーデンの方が許さなかった。ように、見えた。実際に聴こえた音は、若者の手首を、リーデンが掴み取った音である。

 若者が息を呑んだ。シャッ、っと何かが鋭く飛び出す音が続く。

「何の真似かなぁ?」

 絶世の美青年は凄絶な笑みを見せた。彼の長い袖の中では、鉄の煌めきが今か今かと出番を窺っている。

「仕込み刀って、セコイな。暗殺者かよ」

「すれ違いざまに人を刺そうとした子に言われたくはないね。拳を開いてごらん? オニーサン怒らないからさー」

「――っ」

 若者は舌打ちした。それが合図だったかのように、他にも何人かが木陰から進み出てきた。あっという間に音も無くベンチを取り囲まれる。

 午後の太陽にちょうど雲がかかった。

 この陰りの中で複数に襲われては、誰にも気づかれる間もなく消されるのではないか――そんな危険な予感が脳裏を過ぎった。

 中庭に居る他の図書館の利用者とはほど良い距離を取っていた。しかも皆真剣に読書や論議に取り組んでいて、他人のことなど気にかけない。

(どうしよう)

 ミスリアの右方から、フードを被った少年が詰め寄ってきた。悪意に満ちた笑みにぞっとする。無意識に恐怖に身をよじった。

 ザッ、と木の葉が擦れる音――

 少年は横に跳んで、危機を逃れた。木の上から落ちてきたゲズゥという、大いなる危機を。

(寝てたんじゃないのね)

 深い安堵が身体中を流れていくのがわかる。

 兄弟は言葉に出さない意図を交わすように、目を合わせる。

 次には、不思議な行動に出た。

彼ららしくも無く、素人目にも明らかなほど、無駄の多い動きで立ち回り始めたのである。

 リーデンは掴んだ若者の手を放し、優雅に宙返りをした。近くの敵に向けて中段・上段・下段・中段、と素早い蹴り技を連続で出してから、また舞うように距離を取った。

 一方ゲズゥは助走で勢いをつけて跳び蹴り、次に側転、回し蹴り、踵落とし、と大振りな動きに徹底した。真上の木の枝を掴んで振り子の勢いを交じえた攻撃も加え、木の葉をぱらぱらと視界に撒き散らす。果てには鞘を外さずに大剣を振り回し始めたのである。

 対する襲撃者四人は最低限の動きをもって兄弟の攻撃を避けたりいなしたりしている。

 どういうつもりなのか、まるでゲズゥたちは攻撃を当てる気が無いようだった。

 仕上げにリーデンは路上パフォーマンスを終えた芸人が如く、袖を翻して一礼した。

 疎らな拍手が耳に届く。

 ハッとなって周りを見回すと、中庭の他の人々がこちらに注目していた。図書館内の利用者も窓辺によって庭の様子を気にしている。

 そこでようやっと、襲撃者たちは肩から力を抜いた。四人はそれぞれフードを下ろし、観衆に手を振ったりする。

「お代は結構。ただの予行演習だよ。騒がせたなら、ゴメンね?」

 リーデンがウィンクをしてベンチに戻った。観客の興味の視線はそうして払われたが、四人の若者は立ち去らない。

 ミスリアは手持ちの資料を折り畳んで懐に仕舞い、姿勢を正した。背後ではゲズゥがベンチの真後ろに立った気配がある。

 四人の若者がゆっくりと歩み寄ってきた。少年が二人、少女が一人、そして最後の一人は他よりも年上の青年に見える。

(先制攻撃による不意打ちが完全に潰された今なら、強気に出られる)

 気を取り直して、ミスリアは改めて彼らを見やった。

「弁明や、ご用件があるなら聞きましょう」

 険を含んだ口調で声をかけると、四人が顔を見合わせた。年長者の青年が何と答えようか吟味する素振りを見せる。

 なかなか、返答がない。

「君たちの狙いは僕を殺して死体ごと持ち去ることだったのかなー」

 背もたれにリーデンが悠然と肘を乗せて、長い脚を組み替える。

(殺す?)

 ミスリアはぎゅっと眉根を寄せた。真実であれば聞き捨てならない。

 青年は長い茶髪を揺らして頷いた。

「そうです。やってくれましたね。あなたがたは派手に人目を集めて己の存在を印象付けた。こうなっては、我々があなたがたの中の一人を誰にも気付かれずに消し、立ち去るのは困難でしょう」

 確かに今ならこの樹の下から一人減ったとして、周囲の誰かが気付くかもしれない。

「倒すよりは、穏便に『お話し』したかったからねー」

 と、何気なく笑うリーデン。

「お前、ちょっと顔がいいからって調子に乗んな。ウゼエ」

 紅一点の少女が噛み付きそうな表情で唸る。最初に通行人を装って接触してきたのが、彼女だろう。旅装のような動きやすそうな麻ズボンを穿き、黒い外套を羽織っている。

(私だったらウザいなんて言われたらすごく落ち込むのに)

 言われた当人は、ふふふふふ、と鼻で笑っている。

「ウザい、か。その言葉そっくりお返しするよー? 某組織のお若い構成員さんたち」

「――――な」

 彼らが怯んだ。同様にミスリアも驚いた。反応からして図星なはずだ。しかし一行の服装はばらばらで、以前出会った二人組のような濃いパイングリーン色のマントを身に着けていない。

「どうしてそれを」

「ツメが甘いね。本気で正体隠して近付きたかったなら、ソレも隠さないと」

 青年の問いに応じ、小麦色の長い指が隣の少女の首元を指した。鎖骨辺りに刻まれた刺青が外套の下からのぞいている――両刃斧の真上に禍々しく見開かれた目。斧は少ししかその輪郭を確認できないけれど、間違いない。

「気付いた時点で僕は兄さんに『なんか注目集まりそうなことして』って頼んだワケ」

 得意げなリーデンに毒気を抜かれたのか、髪をかき上げて、青年はため息を吐いた。

「彼女の人となりは以前から噂で聞き及んでいましたので。噂にあった護衛の姿が無かったのは引っ掛かりましたが、それなら尚のこと『やれそうだな』と判断しました」

 所々要点をぼかしている所為で青年の話は要領を得ない。ミスリアはこの騒動の首謀者らしき彼を見据えた。

「貴方がたの組織とは話を付けたつもりでいたのですが」

「具体的にはどういうことです?」

 青年の問いに対し、ミスリアは一から説明をした。ゲズゥが立てさせられた「不殺」の誓いと――その代わりに旅が終わるまでは組織側からは「関与しない」との約束をもらったこと。

「そんな話は初耳ですね」

 青年が顎に手を当てて考え込む。他の三人もまるで心当たりが無さそうに疑問符を飛ばしている。

「君たちが下っ端すぎて知らされてないだけでしょ」

 リーデンが小ばかにするように上目遣いに笑った。

「てめぇ、ケンカ売ってんのか!」

 少女が早速がなる。間髪入れずに中庭の他の人々から非難の視線が集まってきた。それを意識する風に、リーデンがスッと立ち上がる。

「そうだねぇ。今なら九割引でお安くするよ。お買い得だよ、お嬢さん」

 憤慨する少女に対して、投げキス。少女に続いて二人の少年も剣呑な表情になる。

 火に油を注ぐのが好きな絶世の美青年を、止めようとは思わなかった。相手が違えば諌める気も起きただろうに、元より組織に対する好感度はあまり高くない。

「挑発にいちいち食ってかかるな! 口先で敵わないなら黙っていなさい」

 青年が腕を挙げて仲間を制した。

「とにかく、お引き取り下さい」

 ミスリアは仁王立ちになって相対する。

「その前に一つお聞きしたい。その取引をした成員の名は、なんでしたか?」

「女性の方は、ゆ――……えっと、家名はダーシェンだったと思います。男性は確か、フォルトへ、と名乗りました」

 必死に記憶を探ってあの二人組の詳細を引き起こした。彼らの外見や使用していた武器なども伝える。

「フォルトへ・ブリュガンドですか。なんと」

 面貌に明らかな狼狽を出して、青年が訊き返す。

「なんだよー。知ってるヤツかぁ?」

 少年の一人が退屈そうに伸びをしている。青年は眉を吊り上げてまくし立てた。

「当然だ。ダーシェンなどどこにでもいる野蛮な大女に過ぎないが、その相方は違う。ダーシェンに拾われる以前は荒事と無縁な生活をしていたどころか、運動すらろくにしていなかったという。それが短期間で着実に力を付けて、今では成員の中で上位の実力者になった。潜在能力では他の追随を許さない、尊敬に値すべき逸材だ」

「そ、そうだったんですか」

 ミスリアは返答に詰まった。そういえばフォルトへ自身が、上司に出逢ってから職種が劇的に変わったことを語っていた気もするけれど、一度や二度会ったきりだったので詳しくは憶えていない。ここまで評価されている人だったとは知る由も無い。

「彼の名に免じて引くとしましょう。また、いずれ」

 往生際が良く、青年が背を向ける。少女は渋々と彼に従い、残る少年たち二人も大きな青目をきょろきょろさせながらも、足を動かす。

「できれば二度と現れないで下さい」

 強めの語気でミスリアは応えた。

「なあなあ」ふと、少年たちが肩から振り返った。「なんか勘違いしてるみたいだけど、おれたち別に悪人狩りが目的であんたらに近付いたんじゃねーよ? 指名手配犯の中でもトップランクのヤツを、おれたちだけでこっそりヤれるかどうか試したかったんだぜ」

「度胸試しってゆーか、腕試しってゆーか、ね」

 少年二人が代わる代わる補足した。

 刹那、ミスリアの胸奥で警告が鳴り響いた。この感覚は、まるで「混じり物」の双子に感じた気味悪さに似ている。無邪気さと残忍さがない交ぜになった彼らのいびつな道徳観――

 しかし何も声に出せない内に、四人は去っていた。

 彼らの視線を最後に引き寄せたゲズゥは何も反応しない。

 なんとなくミスリアは傍らの青年、もう一人の護衛を見上げた。こちらに気付き、どうしたのと緑色の瞳が問う。

 なんでもないと頭を振った。

 ジュリノイの四人は彼とも、あの双子とも少し違う。正確に何が違うのかまではわからない。むーっと口元を引き結んだまま、ミスリアは荷物をまとめた。

「邪魔が入っちゃったね。資料から何かわかった?」

 資料とは、過去のニュース記事の模写コピーを指している。図書館の係員に頼んで書き写してもらったのだった。

「あまり……。数年前に慰問に訪れた聖女の記録はありましたけど、名前までは残ってません。首都に長居したわけではないようです」

「しょうがないか。次は、連合に行くよね」

「はい」

 近隣の連合同士の情報網なら、ハリドきょうだいのことくらいは探れるのではないかと考えてのことだ。三人は魔物狩り師連合拠点に向かって歩き出した。

「教団の方は、申請が通るまでどのくらいかかるんだろうね」

「わかりません。早くても一月かと」

 姉のカタリアがこの国のどこかから送ったらしい報告書には、すぐに目を通すことはできない。

 聖人・聖女個人からの旅路の報告書は任意で提出されるもので、保管場所である教団本部からは持ち出せないルールとなっている。それも、実際に本部へ足を運んだとしても読めるようにまでには手続きが必要だ。

 人手が足りない教団のことだ。手続きだけで数週間はかかる。

 ひとまずはこの町の教会を伝って閲覧申請を出した。一月半ほど待って本部を訪れれば、ちょうどいい頃合になっているだろう。


_______


「ハリドきょうだい……ハリド? ああ! 知ってるよ」

「本当ですか!?」

 待合室のソファの上で、ミスリアは上体を乗り出した。

 拠点の名簿に二人の名が無かったからと、手当たり次第に訊ねて回って八人目。やっと当たりが出た。

 向かいのソファの男性が思い出すように視線をさまよわせて、腕を組む。

「首都の籍じゃなくて辺鄙な町の話さ」

 なんでも彼は元はその町に住んでいた時期が長かったと言う。

「あそこは魔物出没率の高い町で、それでいつの間にか魔物狩り師が集まってたんだ。懐かしいなぁ。兄貴はぶっきらぼうだけど根はいい奴で、めっぽう強かった。妹さんは女の子なのに構わずにどんどん任務に出てくしさ。どんなに傷だらけになっても、いつ見てもとんでもない美人だったよ」

 男性は瞼を下ろしてうんうんと頷く。

「すごく優秀だったから、聖女さまの護衛に抜擢されたってな。最後に聞いたのはそれだけだよ。あいつらが戻る前に、おれは首都に移住したからどうなったかは知らんな」

「彼らの一行にはもう一人、護衛が居たと思います。ご存知ないでしょうか」

「居たかなぁ。おまえ、おぼえてる?」

 彼は隣に座していた仲間の男性に問いかける。

「居た居た、いっつも機嫌悪そうな奴。なんて名前だったかな。なんか母音で始まって母音で終わってた気がする」

「あ、あー……どんなだっけ」

「赤茶の髪の若造。そいつは確か、ヤシュレの出身――だったか? 忘れた。会ったのは一回だけだったしな」

「そん時、おれ居た?」

「い、た……ような居なかったような。聖女さんは一週間くらい、ハリド兄妹連れて拠点に何度も出入りしてたから。三人目の護衛はたまにしか一緒に居なかった」

 二人の男性は互いの記憶を引き出し合おうとしている。その間、ミスリアは黙っていた。

「似た感じの奴なら薄っすらおぼえてるぞ」

「フリーの魔物狩り師だったよな」

「ん? おれがおぼえてる奴は拠点所属の魔物狩り師だったよ。聖女さまと一緒なのは見たことなかったけど、赤髪の口の悪い若造なら居た」

 同一人物でしょうか、とミスリアが問いかけると、二人は顔を見合わせた。

「どうだろな。依頼人と揉め事起こしてすぐ連合追い出されたっつーから、そんなによくは知らない」

「じゃあ聖女さんの護衛に選ばれたってのは無理があるんじゃないか? 別人だろ」

 二人はああでもないこうでもないと論じ合うも、話は停滞していた。

 ミスリアは自らの右隣にて静止している青年を振り仰いだ。目が合うや否や、確定的な情報ではない、と答えるようにゲズゥは肩を竦める。

(不機嫌そうとか口が悪い感じはしなかったけど、シュエギさんは記憶喪失者だから性格の話も当てにならないのかな。髪色も違うし)

 手がかりとしてはやはり行き止まりなのだろう。最後にもう一度だけ、姉について訊ねた。

「その聖女の足取りはわかりませんか」

「ゴメンな、これ以上は知らない。けど町まで行けばわかるだろ」

 男性は首都からの行き方を記した地図を描いた。距離を示す数値が無くても、それがかなり遠いのだということはわかった。しかし何もわからないよりはずっと良い。

 彼らにしっかりと謝礼の言葉を伝えてから、ミスリアとゲズゥは連合拠点を後にした。

 外に出ると、真っ赤に染まった空が二人を迎える。

「すごい色ですね」

 帯のような分厚い雲が何本か空を横切り、かなりの速度でうねりながら通り過ぎている。その隙間から漏れる赤は、見え隠れすればするほど深みを増すばかりだ。

 リーデンとイマリナが待つ宿までの帰り道は、短くて真っすぐだった。すぐに着いてしまうのが何故か名残惜しくて、足取りは遅くなってしまう。ゲズゥは特に文句を言わずに、黒いコートのポケットに手を突っ込んだまま、歩幅を合わせてくれる。

「空がいかってる。まるで血塗れだな」

「え」

 残酷なイメージとはいえ、彼がそのような詩的な感想を言うのが意外だった。今一度、夕焼けを見上げた。

「私には、悲しんでいるように見えます」

 血のように赤い道筋は、涙筋にも見える。美しく、恐ろしく、またひどくもの悲しい絵図だ。目が逸らせなかった。

 夏の夕暮れは遅い。

 自分たち含め、既に大半の民は夕食を終えている。各々の夜の過ごし方が始まっているのだろう、近くの酒場からは盛り上がる声や音楽が漏れている。

 今日はいつもの祈祷の後に何をしようかな、と呑気に考えていた、その時――

 悪寒が後ろ肩を撫でた。たとえるならばそれは、濡れそぼった枕がずしんと乗っかってきたような気持ち悪さだ。

 視界が歪む。赤い絵図がぼやける。ミスリアはたたらを踏んで、胸元の布をぎゅっと握った。足元を見下ろしているはずなのに、小石の一つも見えない。ぞわぞわと足の指から上ってくる不快感だけが確かだった。

「どうした」

 腕を掴まれた。無機質な響きの中に、心配の色が含まれている。なんとか答えようと、懸命に息を吸う。

「…………が、近くで」

 唇の隙間から漏れる言葉がどういう意味を成しているのか、遠い出来事のように感じられた。

「?」

「……魔物が発生しました。それまで何の気配も無かったのに」

 この辺りは先ほど散策したのである。瘴気の濃い場所など無かった、はず。少なくとも、ミスリアに感じ取れるような濃さには満ちていなかった。

「人が近くで、死んだのだと思います。たった今」

 握った手の関節はすっかり白くなっていた。これほどの気配に変じたなら、人が「ただ」死んだのではあるまい――。

「行きましょう」

 その一言を絞り出した途端に走り出していた。通り過ぎる景色や建物の並びに一切注意を割かない。

(どこ……どこなの)

 もうほとんど距離は縮め切ったはずなのに、特定できずにいた。息が切れ切れになるまで走り回り、やっと別の可能性に思い当たる。

「地下! 地下への入り口を探してください」

 指示しながらも自分も周囲を見回した。すっかり陽が落ちてしまって視界は闇に浸食されている。建物の傍に四角い出入口を求めるが、みつからない。

 ふいに手を引かれた。

「向こうの廃屋の裏庭はどうだ」

 夜目の利くゲズゥが先導する。確かに、手入れの行き届いていない小さな草原の端には植物の生えていない箇所があった。

 木の戸に古びた取っ手がある。両手で掴んで引き上げてみたが、内から鍵がかけられているのか、けたたましい音を立てるだけでびくともしない。

「――っ」

 ミスリアは汚れるのも厭わずに戸に耳を当てる。

 すると、奥からは獣の慟哭みたいなものが響いてくるではないか。肺の深いところに鉛を落とすような痛切な音だった。

「ここで間違いありません!」

「どいていろ」

 端的な言葉に素直に応じた。瞬く間に青年は高く跳び上がり、体重に落下の勢いを加えて戸を蹴り破いた。

 破片を手早く退けてから、二人は地下へ続く階段を下りる。そこから先の会話は全て、囁く程度の音量でこなした。

「灯りが無い」

「火で照らすのは控えましょう。ちょっと邪道ですが、聖気を少しだけ使います」

 ミスリアは黄金の燐光を微かに纏って、歩を進める。階段は二十段前後あった。二人並んで通っても余裕が残るくらいに広い。

 息を潜めて歩く。

 階下からは複数の笑い声がした。いつの間にか慟哭はぱたりと止んでしまっている。残る音は――

 ――泣き声だ。

「たす……た、すけて」

「やーだね」

 若々しい笑い声が必死な命乞いをはねのける。

「ひっ! たすけ……たすけてください! もうしません! もう、うっ。うあああああ」

 耳をつんざく絶叫。

 たまらなくなってミスリアは残る数段を駆け下りた。下には血の臭いが充満していた。

 燭台がじんわりと照らし出す光景、それは。

 地を這う男性、群がる人影。その内の一人がこちらに目を向けた。髪をかき上げる仕草が妙にさまになっていて、暗がりの中でも、見覚えがあるとハッキリわかる青年。

 誰何するまでもなく、昼間出会った四人組だ。彼らは男性を踏みにじり、随所に剣を刺して身動きを封じ、蹂躙していた。もはや虫の息である。

(何をしてるの。なにを、してるの)

 言葉が舌から転がり落ちることは無かった。

 断末魔は産声となる。

 肉体から命が失われ、なのに魂の方は去ることができずに魔に変質する。変容は、新たな死体をも巻き込んでいった。

 全身から鳥肌が立った。おぞましい。なんて、おぞましい。

「大きな音はあなたがたでしたか。思ったより早い再会ですね」

「やーいやーい、見つかっちった」

「ずらかるぜー」

「おい、さっさと行くぞバカども」

 魔物の悲鳴にかき消され、四人の言葉はミスリアの耳に入らなかった。

 強大過ぎる怒りの感情に、身体が押し潰される。

 初めてだ。こんなに、誰かを、許せないと思ったのは。激情のあまりに、四肢が痙攣しかけた。

 遠くで――ではなく、近くで呼ぶ声がする。冷水のように落ち着いた声が、たしなめるように命じた。

「ミスリア。呼吸」

「……わ、かってます」

 燭台だけ残して、四人の姿はもう何処にも無かった。奥に別の出入口があるのかもしれない。取り逃がしたのは、己の失態だ。しかし彼らを追うよりもすべきことはあった。

 前方で、唸りながら影がぎこちなく起き上がっている。この空間内には彼の他にも、まだ気配を感じる。

「斬るぞ」

 ゲズゥが行動する前に告げた。深呼吸の後、答える。

「お願いします」

 せめて早々に楽にしてあげねばならない。

 数秒だけ、周りを一瞥する為の時間を使った。

 おそらくこれは竜巻という天災が多発しやすい土地でよく見られる、地下避難所であろう。廃屋の傍だとしてもこの避難所は今でも使われているのか、日持ちの良い食物や飲み水の貯まった樽が壁にびっしりと並べられ、藁の枕などが積んであった。二十人、或いは四、五家族分の備えだ。

 人命を守るのを本来の目的とする場所が、拷問に利用されていた。

 信じられない所業である。

 壁際にも、無数の槍を刺されて動けなくなっている人が居た。

 ――否。人では、ない。

 初見では見分けがつかないくらいに人の形をしている。ただし首は前後百八十度に捩れ、あちこちの関節が外れていた。身体を地面に縫い付ける槍の束縛から逃れたくてひとしきり暴れた後、力尽きてしまったのだと考えられよう。

(むごい…………)

 いたたまれなくなり、ミスリアは手をかざした。

 黄金の輝きが異形のモノを銀粒子へと還す瞬間、残留思念のようなものが脳裏に閃く。

 その者は、窃盗を繰り返して生活していた。「稼ぐ」際に被害者と揉めて、暴力沙汰に発展することもあった。一つ一つの罪はそれほど重くなくても、彼は幾度となく首都の警察から逃れた。それでジュリノイの指名手配犯リストに載るに至ったようだ。

 罪に対して罰の方が重すぎたのである。

 あの四人組に捕まり、非を認め罪を告白するまでいたぶられ、それでも解放されることなく死に追いやられた。

 絶望はそこで終わらない。元々背負っていた業に彼自身の世界を憎む負の感情などが重なり、窃盗犯は魔物に転じた。

 対象が魔物となっても、少年たちの暴行は止まるどころかエスカレートした。むしろ彼らは、それを期待して待っていた。要するに、罪人の魔物化を促したのである。

(懲罰なんかじゃない。折檻という枠にすら収まらない。ただの拷問だわ)

 ミスリアは左手で口元を押さえ、嗚咽を押し殺した。飲み込まれてはいけない。集中が乱れてしまえば正しく彼の魂を救済することは叶わないのだから。

 まるで呪縛のように「快楽殺人」の概念が、その場に漂っていた。

 思えば少年たちは逃げはしても、言い訳は述べなかった。抵抗したからやむなく殺した、みたいな嘘の一つすらなく。彼らは全てわかっていて行為に及んだのである。

 沸々と喉の奥に溜まる澱が、憤りが、ミスリアを蝕んだ。

 ――ガッ!

 衝撃音で、我に返る。

 足元の闇が残らず銀色の燐光になったことを認め、ミスリアは踵を返した。音は階段の方からだ。地上に逃げようとする魔物を、ゲズゥが追っている。二つの影はあっという間に見えなくなった。

 追いかけて、階段を駆け上がる。

 女性の悲鳴が夜を裂いた。

(しまった、人が!?)

 急いで階段を上りきると、想像していた最悪の事態とは違う場面に遭遇した。

 人間と見間違うような小柄な魔物が、胴体らしき部分と下半身らしき部分をすっぱりと切り離されて、どす黒い液体を傷口から噴いている。勿論、それは大剣を振り下ろした青年の仕業であった。

 その体液をまともに浴びせられているうら若い女性が一人。恐怖のあまりに硬直している。

(何か言わなきゃ)

 と思うのに、ミスリアは金縛りにあったように何もできなかった。

 二分にぶんされた魔物は呻いている。ゲズゥは再び剣を振り上げた。

「ひとごろしっ」

 女性は呟くような小声で吐き捨てた。けれども鋭い非難を無視して、剣は軌道を辿り切る。ドロドロとした液体がまた散った。

「ひいいいい」

 叫びながらも女性はその場に腰が抜けた。それでも這って離れようとしている。

「待ってください! 違うんです」

 やっと声を取り戻せたミスリアが呼び止める。思わず腕を伸ばし――そして女性の向こうの闇から、すうっと松明を持った背の高い男性が現れるのを見た。

 厳かそうな、彫りの深い顔立ち。白と青銅色の混じった髪の上には茜色の丸い帽子カロッタを被っている。男性は状況を把握せんと、ぐるりと辺りを瞥見した。

「猊下!」

「何事です」

 女性は跪いた体勢で年配の男性に縋った。男性は聖職者特有の、裾の長い黒装束を身に纏っている。

「あの男が! その者を真っ二つにぃ! ひっ、ひと、人殺しです。お逃げください!」

「なんと」

 猊下と呼ばれた男性の碧眼に強い警戒が宿る。女性を庇い、彼は力強い足取りで前に進み出た。

 よく見ると、黒装束に茜色の絹の帯が巻かれていた。

 高位の聖職者だけが身に纏う衣装。彼が何者であるかを認めて、ミスリアは青ざめた。

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