6「亡国の姫君」
「ガロン、何」
「名前じゃなく隊長と呼べ」
「タイチョウ、何」
ガロンの目の前の少女は首を傾げる。
「報告書だ。これじゃ読めん」
少女に書類を突き返す。書類の文字はユーリドット帝国の物では無かった。
彼女の名前はアマリエ、一年前海に飲み込まれ無くなった国の、ただ一人生き残ったお姫様だった。
「ユーリドット文字、書けない」
「半月前は書けていただろう」
「使わない、忘れる」
「…………」
アマリエがガロンの部隊に入隊した時ユーリドットの言葉も知らず意思疎通の出来ない彼女に言葉と文字を教えたのはガロンだった。亡国のお姫様は頭は良かったが人見知りをする為に言葉使いも上達せず、今に至る。文字に至っては忘れてしまったらしい。
アマリエは世界的にも貴重な魔術師だったが16歳という若さと魔術の師匠が居ない事が災いし、上手く力を奮えず、頻繁に魔術を暴走させ器物破損を繰り返した。本人に悪気が無いのは分かっていたが今回みたいに建物全壊という規模が大きい事案だとフォローも難しい。なんせガロンの部隊は問題児の寄せ集めで、振り分けられる部隊運営の予算も少なかった。
「俺が書くから内容を読め」
「**ー、**********、」
「待て。そのまま読むんじゃない、ユーリドットの言葉に直して読むんだ」
「…ユーリドットに直す、難しい、?クミチョウ」
「組長じゃない、隊長だ」
アマリエとのこんな通じ合わないやり取りはいつもの事だった。ガロンは怒りもせずに根気強く付き合う。
『ねえ、お父さんアマリエちゃんに〈こんにゃく・こんにゃく〉をあげてみたら?』
「何だその蒟蒻は」
〈こんにゃく・こんにゃく〉名前だけみたらただの蒟蒻だった。もちろんそれは〈異界堂〉の商品で、言葉の通じない相手に食べさせると勝手に翻訳され、意思の疎通が可能になるアイテムだと魔剣は語る。ちなみに魔剣の声はガロンにしか聞こえず、ガロンが魔剣に話し掛ける声も魔剣にしか聞こえない仕様になっているらしい。
「必要無い」
『なんで?よく分からないんだけど?お父さん困っているのに、使えば仕事もはかどるよ』
「…彼女の為にならないからだ」
『?よく分からない』
魔剣には便利なアイテムを使わない理由が分からなかった。
「…出来た」
アマリエと簡単に文字の復習をし、新たに報告書を作成し終わったのは夜だった。
「上出来だ。少し待っていろ、食事を頼んでくる」
ガロンの言葉にアマリエはこくりと頷き、書類作成で散らかった部屋を掃除し始めた。数分後ガロンが帰って来た頃には執務室は綺麗に整頓されていた。
「お待たせしました~」
のんびりとした口調で現れたのは侍女のアニエスだった。ワゴンには一人分の食事と二人分のグラスが載っていた。アニエスはアマリエの前に食事を並べ、オレンジジュースをグラスに注いだ。ガロンにも同様に注ぎ、兜の隙間から飲みやすい様ストローを差す。
「ありがとう」
「いいええ~」
「…?ガロン、何故食べない」
「夜はいつも食べないんだ」
「変。ご飯、夜一番大事、体作る」
「俺は充分育っているから大丈夫だ。冷めないうちに食べろ」
アマリエは納得いかない様子だったが空腹には勝てず、アニエスの用意したホットケーキを食べ始めた。
「仲良しさんねえ~」
「言葉の練習をしている。一向に上達せんがな」
アマリエは単語で意思を伝えるだけで喋るというにはお粗末な言葉使いだった。
『お父さん!アニエスちゃんに教育を頼んでみたら?このままじゃ上達してもお父さんみたいな無骨な喋り方になったら可哀想だよ〜』
「…………」
魔剣のいう事も一理あった。アマリエには女性らしい言葉使いの欠片もない。正しい言葉使いを教えるにあたって教師役がアニエスという事に不安はあったが、ガロンの言葉使いよりはマシだろう。
アニエスに教師役を頼むと快く了承してくれたが
「嫌」
アマリエが拒否をした。
「理由を言ってくれ」
「ガロン、いい。教える」
「あらまあ!」
「…………」
アニエスは意味ありげな視線をガロンに向けた。拒否された事に対してショックは受けてない様にみえガロンは安心する。むしろ何だか楽しそうな雰囲気だ。
「…明日から訓練はここでしろ、言葉使いも一緒に練習する」
もしかしたらアマリエの魔術の暴走は魔剣と鎧で抑えられるかもしれないし、これ以上被害を出せば彼女は騎士の位を剥奪され路頭に迷う事になるだろう。幸いアニエスやロゼッタが執務室に居る為二人きりにはならないし、好奇心旺盛なアニエスはアマリエを構い倒すだろう。彼女は嫌がるだろうが触れ合ううちに打ち解ける事もあるかもしれないとガロンは考えた。
これで平和になればいい、ガロンはそう思ったが、問題児はアマリエだけではなかった為にそれは叶わぬ夢だった。