六話「休憩と昔話」
螺旋状に曲がりくねった階段を降り、モトイとイリアは次の層へと向かう。
タミアの事も気になっていたが短気な上司は待ってくれない様で、先に進めと命令を下した。
角灯を持ち、灯りのない無い段々の通路を無言で歩く、次の層を示す碑文も未だ見つからない。
「隊長」
「何よ。黙って歩きなさい」
「……」
迷宮に入って五時間ほど、イリアの機嫌はこの上なく悪かった。むしろ良い日の方が珍しいと言ってもいいだろう。
「休みませんか?」
「……」
捜索をはじめてから休憩を取っておらず、歩きっぱなしだった為に駄目もとで声を掛けてみた。
「嫌、と言ったら?」
「先に進みます」
モトイはイリアに意見はするものの、彼女の意思を無視してまで己の考えを通そうとはしない。昔からそうだった。
「あんた、そんなだから他人から私の忠犬とか下僕とか言われるのよ」
「何ですか、その不名誉な呼び名は!?」
そんな事を言いながらイリアは石の階段に腰を下ろす。
モトイもイリアに携帯食料と飲み物を渡してから二段下に座った。ほとんど味の無い小麦粉にミルクを混ぜて焼いただけの食事とは言いがたい固形を水で無理矢理流し込み、空腹を紛らわす。
イリアも文句を言わずに黙々と食べていた。
「ねえ、あんた副隊長辞めたいんですって」
「どこからそれを…」
「マリオ・ルイージ」
「……」
モトイは二年ほど前から仕事を辞めて、以前より行っていた古代魔法の研究に集中したいと思っていた。しかし副隊長職を譲ろうと複数の隊員に話を持ちかけたが、皆の答えは不承知ばかりだった。
マリオ・ルイージは一番はじめに役職を押し付けようと持ちかけた人物で、光の速さで断られたのを二年前の出来事ながら覚えていた。
「古代魔法の研究に集中したくて」
「そんな古ぼけた魔術、どこに需要があるのよ」
「分かってます。収入もほとんど見込めないでしょう」
一応普段から月一で行っている魔術雑誌で魔術書の評論を執筆する内職もしているし、その伝で論文を雑誌に掲載して貰う約束も取り付けていた。
しかしながらその収入だけでは今もらっている給料の三分の一以下で、とても暮らしてはいけないだろう。
そうなった場合はギルドで仕事を請け負い、その日暮らしでもすればいいと考えていた。両親は兄夫婦が面倒を見ると言っているのでその辺の心配もなかった。
「そんな事して、モテないわよ」
「いいんです。結婚は諦めてますから」
「……」
モトイは六年前に起こった悲劇を思い出し、苦い表情を浮かべた。
****
6年前、モトイが20歳の時、お見合いの話が持ち込まれた。
日々の仕事で疲弊していく弟をかわいそうに思った兄が妻に頼み込んで独身の女性を紹介してもらい、見合いが行われた。
多忙を極めていたモトイは見合いを適当に進め、結婚の話はとんとん拍子で決まる。
結婚式を一ヵ月後に控えたある日、モトイは結婚式の招待状をイリアと付き合いの長いマリオ・ルイージ、同期のドー・シェパーの三名に渡し、当日を迎える事となる。
少数の魔術部隊員達は全員挙式には参加出来ない為、隊長が不在なのを良い事に祝いの宴会を開こうと計画していた。
しかしながらその楽しい計画も頓挫に終わり、モトイとマリオ・ルイージ、ドー・シェパー以外魔術部隊は<帝都マグリオン>の地下深くにある水脈に全員揃って仲良く集合していた。
「最悪ね」
「……」
帝都マグリオンの地下水脈は作られた当初より精霊が棲んでいた。その水の管理は王族による契約に縛られた精霊が行っていたが、数日前にその精霊が居なくなるという事態が発生する。
精霊の制御が無くなったことにより水位が上昇し、地上まで水が上がって来るもの時間の問題だという。
そしてイリアの言う通り水脈は最悪な状況になっていて、精霊との契約の魔方陣が描かれた壁にひびが入り、そこから水がじわじわとにじみ出ていた。
「総員、封印魔術の準備!魔力はあるだけ全部使いなさい」
この場所が決壊すれば帝都は一瞬で水の中に沈むと宰相は震える声で隊員達に伝えた。それ位の膨大な水の量が壁の中にはあるらしい。
「カージ!ここにいる役立たずを退避させなさい!」
「り、了解!!」
作業をはじめてから二時間程、壁の魔方陣は剥がれ落ち、溢れ出る水を力づくで押し留めているという事態にまで迫られていた。
はらはらと見ているだけの宰相や大臣の避難を一番若い部下に命じ、イリア自身も魔方陣に魔力を込め始める。
「あとここにいない三馬鹿も引きずってでも連れてくるように!」
「ーー隊長、モトイ副隊長は本日結婚式です!!」
「は?誰の結婚式に出てるのよ」
「副隊長のです!」
「……」
「モトイ、招待状隊長にも渡していましたよね?」
「まさかまた話を聞いてなかったとか?」
「隊長?」
「連れて来なさい」
「え?」
「連 れ て き な さ い 」
「は、はい!」
大臣らを引き連れて退避を命じた隊員は入り口へと繋がる水路を走っていく。
「誰!?こんなちんけな魔術を展開したの、防ぎきれてないじゃない!魔力の無駄だわ。このままじゃ三時間と保たないわよ」
自分は防御の魔術を使えない事をはるか彼方にある棚に上げて、部下達を叱咤する。
「あれを使いなさいよ、数年前にミヤンガ村の川の決壊を封じたメンドクサ魔術を」
「ーー隊長、あれはモっさんの古代魔術です」
「それが何!?」
「メンドクサ魔術、じゃなくて古代魔術はモトイしか使えないですよ」
「はあああ!?」
古代魔術とは何千年にも昔の魔術師が使った魔法で、大人数で巨大な魔方陣を組み精霊への祈りを捧げる儀式めいたものだった。
現代魔術が個人の詠唱と魔力によって瞬時に生まれるものに対し、古代魔術は沢山の苦労と時間を要する為、時代が進むことによって廃れていったという。
そんな古代の遺産を復活させ研究をしていたのがモトイ・セリシールで、彼は魔方陣の組み換えと魔力の籠もった塗料を使う事により単独での古代魔術の使用に成功し、成果を収めていた。
「あんな面倒くさい魔術を使いこなす変態はモっさんだけです」
「私も彼の論文を読んで何度も試してみましたが、一度も成功しませんでした」
「……」
イリアは奥歯を噛み締め舌打ちをする。この事態を解決する為には変態魔術師の手がどうしても必要だった。
******
「くっしゅん!」
教会の扉を前にモトイは暢気にくしゃみをしていた。その様子を花嫁は怪訝な顔で睨みつける。
彼の兄が紹介してくれた女性は非常に気の強い人で、女性特有の理不尽さはイリアで慣れているので大丈夫だろうと思っていたが、結婚初日からこれでは先が思いやられるとモトイはひっそりと思った。
教会の二枚扉が開かれ、赤い絨毯を進む。
モトイの居た地域では新郎は中で待ち、花嫁と父親が外から入ってくるという文化があった為に、習慣の違いに驚いていたが、式に集中しろとばかりに年下の新妻に手の甲を抓られ我にかえる。
祭壇の前には聖職者が居て、たどり着いた新郎新婦の為に神前の宣誓を読み上げていた。
「レーナ・セリシール、病める時も健やかなる時も、モトイ・セリシールを愛し、これを敬い、助け、固く節操を守ることを誓いますか?」
「誓います」
花嫁は神父の言葉に頷き、その場に膝を着く。
モトイはそんな作法があるのかと、花嫁を横目で見つつ前日に母親から聞いた挙式の説明を全く聞いてなかったのだなと深く反省した。
「モトイ・セリシール」
今度は自分の番だと気合を入れなおす。
「結婚とは悪魔との契約だ」
部隊の既婚者が言っていたのを思い出しモトイはそうかもしれないと思った。両親と兄夫妻を安心させたかったという思いがあったからこの結婚に応じたが、そこに妻となる人への愛情も無く、誰もが経験する通過儀礼なのだと無理矢理にも納得させた。
本当に心の中にある人とは結婚など出来るはずも無い。そもそもその思いこそまやかしなのだと解っていたので諦める事も容易かった。
「…誓いますか?」
花嫁にふくらはぎをグーで殴られ本日二度目の旅行から帰還をする。
「誓い…」
「すみません!!」
誓いの言葉を口にしようとしたその時、勢い良く教会の扉が開き一人の男が現れ、式に待ったをかける。
ーー花嫁の元彼か!?
教会にいた誰もがそう思った。出席者側からは逆光になって男の顔は判別できない。
「誰?」
「知りませんわ!」
花嫁は本気で侵入して来た人物に心当たりは無いようで、忌々しげに親指の爪を白いグローブ越しに噛んでいる。
ざわざわと騒がしい祭壇へと連なるバージンロードを、突如現れた男は新郎新婦の居る方へと一心不乱に駆け寄って行く。
「僕と一緒に来てください!!」
「え?」
花嫁泥棒だと思われた男はモトイの腕を掴み、一緒に来てくれと懇願する。
「あれ、カージ…」
良く見ればその男は魔術部隊の新人隊員で、カージ・ジャーン、今年で18歳になるという青年だった。
「大変なんです、隊長が」
「……」
隊長が大変だと耳元でカージが囁く。膝をつく花嫁を見れば鬼の形相でモトイを睨んでいた。
「あなたの上司が大変ですって?」
「……」
「そんな茶番、許しませんわよ?」
「……」
カージは涙を流しながら懇願をする。結婚と仕事、地獄耳の妻と結婚式の日に呼びつける鬼畜隊長、天秤にかけた時重くなるのはモトイの中で決まっていた。
「レーナ、ごめん」
「ーーえ?」
モトイはカージの背中を叩きイリアの居る場所へと案内を頼んだ。バージンロードを戻りながら参加者席に居るマリオとドーにもついて来る様目配せをする。
*****
カージが地上へ戻ってから一時間経っていた。数人の隊員は魔力をほとんど使い果たし、血を吐いて倒れている。
「もう待てないわ」
「?」
待てないとイリアは言い、腰のベルトからナイフを取り出した。
「隊長、何を…?」
「目玉を抉って封印の礎にするのよ」
狂気に満ちた表情で隊員達に告げる。
「じ、自分達の目玉を、ひっ…一つずつ献上しても、14個…とても礎になるとは」
「誰があんた達の目玉を抉るといったのよ」
「ヒイィ!…え?」
「使うのは私の左目だけ。曲がりにも魔眼よ?少し位保つはずだわ」
「なりません!モトイを待ちましょう!!」
「ーーあんた達、死ぬわよ」
「……」
イリアの言う通り隊員達の魔力は限界で、壁の決壊も目の前だった。 イリアは部下達に背を向けると左目にナイフを向け、迷い無く白めの部分に突きつける。
「危なッ!!」
「!!」
イリアの腕を掴むのは婚礼衣装に身を包んだ、来る筈も無い部下の物だった。
「あんた…」
マリオ・ルイージの空間転移術で直接来たモトイは腕に装着していた腕輪を外し、隊員達が組んだ魔法陣の中心に打ち込む。
その瞬間に決壊を防ぐ魔術は安定し、常に魔力の供給を続けていた隊員達は膝を着き、安堵の息を吐いた。
「あれは!?」
「貰い物です。それよりも現状の説明を!恐らくあの魔法陣も長くは保たない」
モトイが魔術の安定の為に使ったのは父親から貰った腕輪だった。曽祖父の代から魔力を貯め、父から子へと4代に渡って受け継がれた魔道具だったが、イリア同様に躊躇いもせずに使ってしまった。
「ーーという危機的な状況です」
比較的元気な隊員がモトイに説明をする。
「分かりました、今から研究所に行って塗料を取ってきます」
「待ちなさい。魔力を含んだ液体ならそこに沢山あるじゃない」
イリアが指差すのは先ほど吐血した魔術師達だった。
「……」
「何、嫌なの?彼らの死を無駄にしてはいけないわ!」
「た、隊長、生きて、ます。まだ…」
血まみれの隊員が手を挙げて生存を主張した。
どのみち一秒でも時間が惜しい状況だった為にモトイは仲間達の吐いた血で魔方陣を書き始めた。
「カージはまた地上に行って怪我人の救助を依頼に行きなさい。マリオとドーは重傷者を地上へ!!残りはモトイを信じて!ーーもしもの時は私と一緒に死になさい!!」
イリアは高々と部下達に向かって命令する。
モトイはイリアを見上げながら自分の判断は間違ってなかったと胸を撫で下ろした。
****
そして、なんとか決壊を止めたモトイ達に待っていたのは、上からのきつい口止めだった。
地下水脈を通じて発展をしたユーリドット帝国の今回の事件は、威厳を揺るがす大問題だと宰相は言う。
仕方ないと魔術部隊の隊員達は苦笑いしていたが、モトイだけはそんな事を言っている場合では無かった。
血まみれの婚礼衣装のまま教会に戻れば妻となった女性、レーナがモトイを待ち構えていた。
「ーー言いたいことはありまして?」
「いいえ」
その後、衣装の血がモトイのものかと聞かれ、否定したのちに強烈な張り手と三行半を突きつけられてしまう。
そんなモトイに残ったのは戸籍のバツ印と結婚式の日に男と逃げたという不名誉な噂話だった。
*****
「あったわね、そんな事が」
「……」
事件があった数年間は城に勤める女性からの冷たい視線に晒されたりと辛い日々を過ごして来た。
「まあ、そんな訳で結婚は無いと」
「…そう、ね」
珍しく歯切れの悪い返事を返すイリアを見上げ、もしかして罪悪感でも感じているのではと思ったが、角灯が照らしていたのはいつもの不遜な顔をした彼の上司だった。




