四話「第二層・仄暗き鬼と獣の棲み処」
「セリカさん、先ほどから気になっていたのですが」
「?」
モトイは先頭を歩くタミアに話しかける。
「ナンでしょウカ?」
「驚くほど軽装に見えるんですが、武器とか持ってますか?」
「??」
タミアはモトイに装備について突っ込まれると、腰や背中の武器を収納するベルトの確認を始めた。
「ハテ…?」
六ヶ所ある武器のホルダーには何も収まっておらず、中身は空だったようで、困った顔をモトイに向けている。
「……」
頭上に沢山の?を浮かべるタミアを見て、ガロン・ガッパードの言っていた帝国最強の騎士の「落し物をする癖」の真なる意味を理解して、モトイは盛大なため息をつく。
「すみません、ポケットの中身も全部出してもらえますか?」
「ハイ」
数分前にスキル眼鏡を通して見た所持物情報の中で、気になる物があったモトイはタミアにそれを出せと指示を出す。
タミアは何の疑問を持つ事も無く、素直にポケットの中の物を取り出した。草むらには小瓶が四つ並べられ、その瓶のラベルには親切な事に髑髏だったりバツ印だったりと、不穏な絵が描かれていた。
「……これは?」
「毒デス」
「……」
タミアは正直者で嘘はつかない。モトイの質問にも悪びれも無く答えた。
「ーーこれは魔物に使うものですか?」
「イエ、魔物には効果はありまセン」
じゃ、何者に使うのか!?という突っ込みをぐっと飲み込んだ。そしてモトイは背後に佇む上司を振り返ったが、<我関せず焉>といったところだろうか、外方を向いて会話にすら入ろうとしていなかった。
「……それは、俺が預かる事は可能でしょうか?」
「ハイ、どウゾ」
あっさりと毒物はモトイの手に渡り、ガロンから預かった武器が収納されたベルトと交換をする事となった。
こうしてひと悶着あった後、迷宮の捜索は再開される。
タミアの言う通りの場所に行けば石の扉が存在し、開いた扉の中を覗き込めば階段が下の層へと続いている。
イリアは顎の先でタミアに先に行けと無言で指示を出し、モトイも後に続いた。
入り口から連なる階段同様に、壁には様々な文字が刻まれている。
ーーふりむけば、仄暗き鬼と獣の棲み処。帰りたくば己の人肉を捧げよ
穏やかでは無い言葉が並び、モトイは息を呑む。
「何て書いてあったの?」
「…この先は鬼と獣の棲み処だと」
「鬼?」
<鬼>とはモトイが生まれた国に伝わる架空の生き物だった。その事をイリアに説明するも興味が湧かなかったのか、気のない返事が返ってくる。
「ーーとにかく、御伽噺の中の存在とはいえ本当に実在すれば、人を喰らうという怖ろしい生き物なので用心してくださいね」
「分カりまシタ」
「……」
協調性の無い仲間達に不安を覚えるモトイだったが、前に進むしか道は無いと諦め、民家の戸口の様な迷宮の入り口の扉を開いた。
内部は建物になっていて、窓一つ無い室内は暗く不気味だった。歩く度に木製の床がぎしぎしと軋み、5m毎に置かれた行灯からは何かの動物の脂を火の種としているのか、鼻につく匂いを発している。
<鬼>に詳しいから、という理由でモトイが先頭を歩かされていたが、その角から突然金棒を持った鬼が出てきたら、包丁を持った鬼婆が出てきたら、そんな事を考えると正直気が気でなかった。
長い廊下を歩き角を曲がる、そんな無人の一本道を進んでいたが、先を進むにつれ行灯の数も少なくなっていった。
ついには50mほどある廊下に一つの行灯となり、角灯に火を点そうとしたが、何故か火はかき消され使い物にならなかった。
こうして角灯相手に数分の間健闘するも空しく、ほとんど暗闇状態という中での捜索を余儀なくされる。
それから三十分、暗い屋敷をひたすら進んでいたが、モトイは精神的に追い詰められていた。こんなに歩いて何も居ないとなると、奥にすごい<鬼>が居るのではないかと勘繰ってしまう。
--悪い<鬼>が人を喰らい村を絶滅に追い込む話
--遭難した旅人を暖かく迎えた老婆が実は<鬼>で、旅人を喰ってしまう話
--異世界から呼ばれ美しい<鬼>の娘に囚われてしまい、鬼の集落に永住し、自らも<鬼>へとなってしまう不幸な青年の話
幼い頃に読んだ<鬼>の御伽噺は怖ろしいものばかりだった。
考えてはいけないと思いつつも、静かな空間で頭の中に浮かぶのは絵本の中のおぞましい挿絵の<鬼>ばかりだ。
そして何度目か分からない角を曲がると、通路の途中から一筋の光が漏れていた。
廊下にはシャリ、シャリ、という金属を削るような音が響いている。近づくとそこには二枚の襖障子があり、2cmほど開いていてそこから光が漏れていたようだと認識する。
モトイは手のひらに防御の魔方陣をなぞり、きつく握り締める。いつ敵に遭遇してもいいように準備をして意を決し、襖の中を覗き込んだ。
「ーーッ!!」
部屋の中に居たのは包丁を研ぐ白装束の老婆だった。幸い後ろを向いていたので目が合う事は無かったが、異様な光景にモトイは息を呑む。
何故か包丁研ぎから目を離せずにいると、老婆は包丁を頭上にかざし、刃の輝きの確認をし始める。かざした刃には老婆の金の瞳と額の左右に生えた鋭い角が映った。
「ーーはッ」
モトイは怖ろしい鬼婆の姿に驚いて後退するも背後は壁で、背中を強打してしまう。
「隊長!」
そして後に続くイリアに声をかけようとしたが、暗い廊下には誰もいなかった。
気付けばモトイは廊下を全力疾走していた。何故一人なのか、いつから単独行動していたのか、疑問は尽きなかったが、冷静に考える余裕など無い。
漸くたどり着いた突き当たりにあった引き戸を躊躇いもせずに開いた、が。
ーー扉の先に居たのは一匹の白い虎だった。
絶望を胸に抱きモトイは膝から崩れ落ちる。手のひらに書いた魔術はタミアやイリアの協力があって初めて使える代物だった。
心臓はドクドクと早鐘を打ったように激しく鳴り、息が詰まり視界もぼやける。遺跡の入り口へと繋がる転移の指輪に触れたが、イリアやタミアを置いて自分だけ脱出するなど愚かの極みだと思い、そのまま手を離した。
そんな緊迫した状況の中、驚くほど場にそぐわない声がモトイに掛けられる。
『あっれ~大丈夫~?』
少年のような陽気な声が聞こえモトイは顔を上げる、しかし部屋には虎しか居ない。絶望のあまり幻聴でも聞こえたのかと思ったが、その杞憂はすぐに吹き飛ぶ。
『具合悪いの?』
「……虎が、喋った」
『うん。<あやかし>だし』
「<あやかし>…?」
妖怪の一種だろうかとモトイはスキル眼鏡を掛けた。
◇虎宮火
火を吐く虎の<あやかし>。色素が薄いほど高位の存在と言える。
LV:56
HP7000/7000
MP4000/4000
見慣れぬ響きの妖怪に戸惑ったが、相手からは敵意を感じなかったので一先ず息を整えた。
『お兄さんも異世界からの迷い人?』
「まあ…迷ってはいるけれど」
『そっか~』
「他に連れがいるんだけど見てないよね…」
『お兄さん以外見てないよ~』
「……」
イリアたちはここを通ってないという事は、来た道を後に戻るしかない。そう思い入って来た戸を引いたがビクともしなかった。
「あれ?」
『お兄さん、ここは一方通行だから後には戻れないよ~』
「え?」
『出口まで案内しようか?』
目の前の虎を信じて良いものかと思ったが、悪い気配を感じなかったので、提案に乗る事にした。
白い虎の後に続き長い廊下を進んでいると何者かの悲鳴が聞こえ、思わず虎と顔を見合わせる。
『あの声は…!』
心当たりがあったのか虎は走り出す。置いていかれたら困るのでモトイも走って追いかける。突き当たりには扉が存在し、中から悲鳴が聞こえていた。
『ぎゃあああああああ!!!!こーわーいいいいい』
「良い子だからこっちにおいで」
叫び声には聞き覚えが無かったが、もう片方の声には覚えがあった。
「隊長!」
扉を開くとそこにはしゃがみ込んだイリアと距離をとる小さな白い獣がいた。
『たっ、助けてくださいいいい』
『…どうしたの?』
『何か知らないけどこの人怖いんです!!!!』
ーー何か知らないけど怖い。イリアに対する言葉にモトイは大いに頷く。
「失礼ね。ちょっとコロコロしてやろうかと思ってただけなのに」
「いや、十分怖いですよ」
「ーー何か言った!?」
「いえ…」
またしても出て来た<コロコロ>にモトイは首を傾げたが、その意味を聞く勇気などなかった。
『お兄さん、ここをまっすぐ行ったら出口だよ』
「ありがとう」
『いいえ~』
虎のいった通りまっすぐいけば石の出口にぶつかり、下の層へ続く階段があった。
「何も収穫はありませんでしたが、被害も無くて良かったですね」
「…そうね」
この時のモトイはタミアの不在に気付いて無く、下の層に行ってから気が付き、己を責める事となる。
<戦果>
無し
<おまけ>
小話『魔術部隊の日常Ⅱ』
「どうした?思いつめた顔、しています」
アマリエはこの世の不幸を背負い込んだ様な表情を浮かべる魔術部隊隊員、コリー・ボーダーに声を掛けた。
アマリエの言葉を聞くなりコリーは瞳に涙を浮かべ、口を開こうとしたが、言葉が出て来ない。
コリー・ボーダー。彼は魔術部隊に五年間所属をしている18歳の青年だ。真面目で正義感が強く、隊員の模範となる人物だった。
そんなコリーの異変にアマリエは気がつき声を掛けたが、思っていた以上に深刻な問題を抱え込んでいるのではと判断をした。
「コリー、マリオ・ルイージに相談しましょう。困ったことがあれば相談するといいってモトイが言ってたから」
そう言いながら自分よりも年上の青年の手を引き、アマリエはマリオ・ルイージの研究室へと行く事となった。
マリオ・ルイージとは魔術部隊に一番長く所属する隊員で、今年で67歳になるという。
皆からの信頼も厚く、困った時は頼れとマリオ自身も普段から口癖のように言っていた。
「…で、どうしたんだ?」
書物や魔道具が隙間無く置かれた机の何処に飲み物を置こうかアマリエは迷ったが、マリオは茶の載った盆を受け取ると本の上に置き、コリーにカップを差し出す。
紅茶を口に含み落ち着いた様子のコリーを確認して、アマリエは退室しようとしたが、マリオに止められ椅子に座れと命令されてしまう。
「お前も聞いていけ。どうせいずれはぶつかる問題だ」
「?」
コリーは重たい口を静かに動かす。
勤勉な彼は出勤時間より一時間の早く職場へ来る様にしていた。部屋の掃除をしたり、書類を整えたりとする事が沢山あった為の行動だった。
しかしそんなコリーよりも早く出勤する者がいた、魔術部隊副隊長モトイ・セリシールだ。
コリーは仕事熱心な副隊長を尊敬し崇めていたが、モトイは自分の事は棚に上げて、早く出勤して来る真面目な隊員の心配ばかりしていたという。
「そして今日、副隊長は僕に<魔術部隊の副隊長にならないか?>と聞いて来たんです」
まさかの提案にコリーは即座に断りを入れた。自分になど勤まる筈は無いと。
しかしながらモトイも簡単には引き下がら無い。頭を深く下げ「頼めるのはコリーしか居ない!」と熱く訴えた。
「副隊長は退職して古代魔術の研究に力を入れたいと仰っていました…しかし!」
「ああ、分かるよ。お前には無理だーーいや、出来るかもしれんが今の隊長の下では無理だな」
「……」
気まずい沈黙が部屋を支配する。マリオは部屋の奥から壷を持ってきて、コリーの目の前に置いた。
「これは…?」
「中を覗いて見ろ。いつもの隊長とモトイの様子を見せてやる」
「え?」
戸惑うコリーを無視して、マリオは赤い宝石を壷の中へと落とした。すると水面から魔術部隊・隊長の執務室の映像が浮かび出てきて、イリアとモトイの声が聞こえてくる。
*****
部屋に帰ってくるなりイリアは手にしていた書類を激しく執務机に叩きつけた。その衝撃で元から机の上にあった書類が数枚床に落ちてしまう。
見て分かるようにイリアの機嫌は悪く、誰も近づけない状態にまで悪化していた。
そんなイリアを尻目にモトイは落ちた書類を膝をつきながら無言で拾う。
拾い上げた書類の中に提出の期日を過ぎたものを発見し、ぎょっとしたがそれを指摘出来る雰囲気では無い。
そしてその問題以上に先ほどから気になっている事がモトイにはあった。しゃがんだ体勢のまま勇気をふり絞って聞いてみる。
「ーー隊長、さっきから俺の手、踏んでます…」
イリアはモトイがしゃがんだ瞬間に書類を取ろうと出した手を踏みつけた。足先に力は入って無かったが、不幸な事にイリアは雪国帰りだった為、ブーツの本底には滑り止めの目的で鋲が複数打ち込まれていた。
「そう」
返事をするものの一向に足を退かそうとしないイリアにモトイはため息をつく。
何故こんなにも機嫌が悪い方向に爆発していたかといえば、宰相がイリアにと持って来たお見合い話が原因だった。
相手はルティーナ大国の宰相ハイラス・ララ。精霊の末裔の一家で驚くほど美しい人物だったのをモトイも覚えている。
宰相が話を進める度に不機嫌になっていったが、止めの一言で爆発してしまったのだ。
「いやはや、ハイラス殿は数年前に婚約者に逃げられたようで、わが国の嫁きおくれとお似合いですな!はは」
宰相的には冗談のつもりだったのだろうが、相手はイリア・サーフ。通じる筈も無い。
その後の宰相の行方は聞くも涙、語るも涙、な状況だったがあまりにも辛い思い出なのでモトイは記憶に蓋を締め、鍵を掛けた。
そして怒りが収まらないイリアがモトイの手の甲を踏みつけ、ストレスの発散に務めている場面へと戻る。
「ーーモトイよモトイ。世界で一番美しいのは誰かしら?」
「は?何言ってるんで、痛ってえ!!」
反抗的な態度を見せるモトイの手をイリアは踏みしだく。
「美しいのは、誰 か し ら?」
「…隊長です」
「隊長は沢山いるわ」
「世界で一番、<お美しい>のは我らが部隊長、イリア・サーフ様です…」
「そう。では何故その〈お美しい〉イリア様は独身なのかしら?」
「…ええ、と。長年お国の為だけに尽くされた結果だと」
「そうね」
その言葉に満足したのかイリアは足を退かし、鼻歌を交えつつ執務を始めた。
*****
「どうだ、コリー、お前にこれが出来るか?」
「……いいえ」
「怖ろしいだろう?」
「はい」
「イカれてるのは隊長だけじゃない。モトイもだ」
「ーーえ?」
再びコリーは視線を壷の中へと戻す。
*****
「…べつにこんな事して無理矢理言わせなくても隊長は美人ですし、独身の理由も理解してますよ」
「……」
*****
「強制されなくてもモトイは隊長に向かってこんな事が言えるんだ。イカれてるだろう?」
「…何故?イリア隊長は美人で間違い無い」
モトイの発言を聞いて青ざめるコリーとは裏腹にアマリエがマリオに問う。
「隊長はいわば茎にはびっしりと隙間無く棘が生えていて、花びらには毒を含む薔薇だと思えばいい。そりゃ遠くからみれば美しいと感じるだろう。しかしその花を目の前にした時、手に取ろうと思うか?美しいと改めて思うだろうか?」
「思わ、ない…」
「そんな花、怖ろしいと思います」
「ーーそれが、イリア・サーフという人間だ」
再び部屋の中は沈黙が落とされた。
「副隊長がイカれてるっていうのは?」
「ああ、あいつの理性は隊長の魅力の魔眼で焼ききられているのだろう。でなければ十年も傍で仕事なんざできねえさ。本人も冗談まじりに言ってることだが」
「……」
「……」
できれば知りたくなかった怖ろしい話を聞き、コリーは翌日副隊長の指名を丁重に断りに行ったという。
END




