15「タミア、死ねばいいのに」
「良かった間に合って…」
ライの騎士服の裾を握るのは若い侍女、エリカだった。走って来た為か頬は紅潮し、息も荒い。
「あのマキシードの丘に行く話を聞いて…ごめんなさい、お父様になんとかお願いして作戦を変更してもらえないか相談したんだけど」
「お前の親父は何様なんだよ」
「宰相様よ…」
「は?」
「本当なの、でも駄目だって」
俯くエリカをライは無表情に見つめた。
「だからこれを…」
スカートを少しだけ捲り太ももに巻いたベルトに差してある一振りの短剣を取り出し、ライに差し出す。
「お前出してから来いよ…」
「あ、慌ててたのよ!」
紅潮した頬をさらに赤く染め、腕組みをするライの腕の中に無理矢理短剣を押し込んだ。
ライは押し付けられた短剣を手に取り品定めをする様に真剣な眼差しを向けた。
「これは…」
「お父様が御祖母様に頂いた品なの、大切な物で誰にも見せるなって」
ライは短剣を鞘から抜きもせずに懐に仕舞いエリカを人気の無い場所に連れ込んだ。
「ち、ちょっと何すんのよ」
「静かにしろ」
中庭の大きな木の影にしゃがみ込んだライはエリカの手を引き彼女にも座る様促す。
「他の人間にこれを見せた事があるか?」
「な、ないわよ…」
ライの顔はエリカの至近距離にあった。息も整った筈なのに彼女の頬は赤い。
「この紋章何かしっているか?」
短剣の鞘に彫ってあるのは二本の剣と鷹だった。その紋章を見てエリカは首を振った。
「これはアゼルン王家の家紋だ」
「なんですって?」
アゼルン国はユーリドットから船で一週間程南に行った場所にある小さな国だ。
しかし過激な活動をする事があり、以前ユーリドットにも攻め入って来るのでは?という噂が流れた事もあった。
当時傭兵をしていたライは起こるかもしれない戦争に収入を期待していた。
他の傭兵も同じで、粗野な戦士が集まる酒場にはアルゼン王家の家紋が貼られ傭兵達はその家紋に向かって乾杯をしていたのを忌々しい記憶と共に思い出す。
結局戦争は起こらず傭兵達に臨時収入が入らなかったばかりか、他国との戦争を警戒した国の方針により強化された騎士団に仕事を奪われ、傭兵という職業は危険なだけの実入りの少ない仕事となった。
嫌な過去を思い出し、払拭するかの様に頭を振る。そんな彼を少女は不安げに見つめていた。
今は目の前の問題をどうにかしなくては、ライはエリカに向き直り、話を進めた。
「お前の親父はいつからこの国にいる?」
「…お父様はラツィオ家の三男で家督が継げないからヴァルフォーレ家の一人娘だったお母様のもとに婿入りしたのよ、王家の人間のはずがない、わ」
しかし家紋の入った品を使えるのは基本的にその家の人間のみで王家の紋章ならば尚更その縛りも強くなる、という事は常識だった。
「貴族の名前などいくらでもお金で買える」
「…………」
事実ユーリドットの貴族の貧富の差は激しい。困窮した名家に取引を持ち出しお金と引き換えに養子となり、貴族の名前を手に入れる者も少なくなかった。
「その短剣は神様を呼び出す事が出来るっていう伝説があるの、もう神頼みしかないかなって思って持ってきたのよ」
「……」
ライは再び短剣を懐に仕舞い立ち上がる。
「あの、私…」
「父親には何も聞くな」
「でも」
「帰ってきたら色々調べるのに協力してやるから」
「え?…嘘」
エリカの返事をまともに聞かないままライは去って行った。
宰相レキシス・ヴァルフォーレは各要人に配られた作戦指示書を読み、安堵のため息をついた。指示書にはきちんと〈タミア・セリカ〉の名前が刻まれている。これで安心して眠る事が出来るのだと宰相は静かに笑った。
レキシスはアルゼン王家の第四王子で継承権こそ無かったものの兄弟の中で一番賢く、狡猾だった。
そんな彼に与えられた仕事はユーリドット帝国に潜入し内部に潜り込んだのち要職に就き、情報をアルゼンに流すという任務だった。
しかし計算外な事が起こる。
利用する為に結婚した相手を本気で愛してしまい、生まれ育った貧しいアルゼンよりも豊かなユーリドットを気に入ってしまったのだ。
17年程はごまかしながら偽の報告書を送って凌いでいたがそう長い間誤魔化せる訳も無く、ある日レキシスの元に暗殺者が送られて来た。
レキシスが寝室で覚醒した時には首筋にナイフが当てられ、少しでも力を入れたならば頸動脈を裂かれ出血死するだろう状態だった。しかし暗殺者は動かない。レキシスは恐怖から身動きも取れず、額には脂汗が滲んでいた。
その時、騎士団の警報の音が屋敷に鳴り響き暗殺者は窓から脱出して行ってしまう。
どうやら同じ日に他の要職についていた人間も殺されたらしく騎士団が犯人を追っていたらしい。
ところが殺された要人の名を見てみれば自分がアルゼンから連れて来た人間ばかりで、彼らもまた祖国を裏切る仲間でもあった。
殺される―レキシスは焦燥感に襲われた。妻は三年前に亡くなり心残りは一人娘だった。が、幸運な事に娘エリカはチェシャベルカ公爵家の子息に気に入られ婚約も成立した。
あとは静かに殺されるのを待つばかりだった。
そんなレキシスに二度目の幸運が訪れる。皇姫の叫び声が聞こえ窓から中庭にある皇宮の入り口を覗いてみれば、大地に膝をつき土下座をする様な格好を取る騎士の姿があった。
その体勢はアルゼン国を守護する神鳥アーキクァクトへの祈りを捧げるものだった。
何故アルゼンの者が?レキシスは動揺を押し隠し皇宮の門番について調べた。
彼の名は〈タミア・セリカ〉アルゼン王家に仕える暗殺一家セリカ家の最後の一人だった。
偽名を使って無い事に違和感を覚えたがあの黒髪はセリカ家の人間だという事の証明だろう。
彼さえ居なくなればもう少し生き長らえる事が出来る、レキシスは歓喜に震えていた。今のアルゼン国にはセリカ家以上の優秀な暗殺者など居ないだろう。さらに良いアイデアが浮かび笑みを深める。マキシードの丘の竜だ。
ただの討伐に見せかけて竜に始末してもらおう。タミア・セリカが所属する部隊には色々と問題を抱える人間が詰め込まれていた筈だ。誰も反対などしないだろう。
そんな私欲にまみれた勝手は作戦は驚く程簡単に受理されガロンの部隊へ届けられた。




