14「ライ、死ねばいいのに」
暗い部屋に一人の男が居た。歳は20位で長く美しい銀髪は皇族の血が流れている事を意味し、秀麗だと称される顔は何故か苦痛に歪んでいた。男の名はカイリ・チェシャベルカという。公爵家の一人息子で欲しい物が手に入らない事は無く、本物の皇太子以上に周りから持て囃され育って来た。
そんな彼が唯一手に入れる事が出来なかったのが婚約者だったエリカ・ヴァルフォーレという伯爵家の令嬢だった。
「エリカ、何故あんな男にまとわりつくんだ、しかしそれも明日で…」
先ほど総隊長がガロン・ガッパードの部隊へ出した報告書の写しを見つめながら一人微笑んでいた。
エリカ・ヴァルフォーレとカイリ・チェシャベルカの婚約は親同士が決めた事になっていた。しかし事実は違っていてエリカとの結婚を裏で決めたていたのはカイリ本人だった。
はじめてカイリがエリカに出会ったのは皇宮の廊下だった。
皇妃を見送る為壁側に立ち頭を垂れている侍女が何故だか気になり、目を離す事が出来なかった。
顔を上げた侍女はさらに魅力的で、凜とした立ち姿や溌剌とした雰囲気、猫を思わせる愛嬌のある容姿は他の貴族の娘とは一線を画している。まだ十代の娘らしく未完成な美しさではあったが、他の者には無い華やかさがあった。
何としてでも手に入れたい、カイリははじめての衝動に駆られる。
エリカは週に一度カイリが休みの際に公爵家を訪れる。たわいのない話をしたり、乗馬をしたりして過ごしカイリにとって掛け替えのない時間だった。
ある日仕事が早く終わりエリカを食事に誘おうと彼女の職場を初めて訪れた。
しかしカイリが見つけたエリカはいつもの淑やかな猫の様な姿では無く、目つきの悪く背の高い騎士に対して激しく詰め寄る姿だった。
振る舞いや言葉使いを見る限り目つきの悪い騎士が平民である事は伺えた。エリカは激しく騎士に対して言葉をぶつけていたが、彼に貴族の考えなど理解出来るわけが無い。カイリはエリカと騎士の間に割って入り、エリカを優しくたしなめたつもりだった。
しかし予想外の反撃をカイリは受けてしまう。エリカは目つきの悪い騎士ではなく婚約者の頬を叩き、きつく睨んでいる。そして庇った筈のカイリに向かって「馬鹿なの?」と発言した。
何のつもりか、何がいいたいのか、何一つ彼女の行動が理解出来なかった。問いつめれば臆する事無く語った。
貴族だから分かるとか平民だから分からない、そんな話はしていないと、人として間違った行為だったから注意をしていたとエリカは言う。
彼女の真っ直ぐな瞳が好きだった。カイリを〈公爵家の人間〉としてではなく、ただの〈カイリ・チェシャベルカ〉として接してくれる所が好きだった。
彼女の長所は今違う形でカイリに向けられた。
まさか愛しい婚約者に頬を叩かれ馬鹿かと言われ諭される事になるとは夢にも思わず、冷静さを失っていた。気がつけば婚約の解消を言い渡し返事も聞かぬ間にその場を去ってしまった。彼女はきっとすぐに追いかけてくる、そう思いながら
しかしエリカはカイリの後を追いかけなかった。そしてカイリが休みの日に公爵家を訪れる事は無く、ただただ時間だけが過ぎ去って行った。
3ヶ月。自分でもよく我慢したと思う。会えばまた心無い言葉をぶつけてしまう事は分かっていたので冷静さを取り戻すのに時間がかかってしまった。
謝りに行こう、素直に自分の否を認めこれまで以上に寛大になろう、カイリはそう思いながら再びエリカの働く場所へ赴いた。
カイリ・チェシャベルカは本当に運の悪い男だった。
彼が見つけた婚約者はまたしてもあの目つきの悪い騎士と共に居た。しかも籠に入ったお菓子を差し出し、頬を染めている様にも見えた。お菓子は手作りだろう。可愛らしくラッピングされているのはクッキーとマフィンだ。公爵家を訪れる際街で売っているお菓子を手土産に持って来る事はあったが、手作りのお菓子など持ってきた事など一度も無かった。
エリカは籠の中のお菓子を開け騎士の口元へと運んだが騎士拒み顔を逸らす。その反応にエリカは怒り無理やり口にお菓子を詰め込んだ。そんな二人の様子は仲のよい恋人同士の様に見えた。
気がついた時には剣を抜き、エリカへの危険も考えず騎士へ斬りかかっていた。
目つきの悪い騎士はカイリの剣を受け止め弾き返した。エリカがカイリの名を非難するかの様に呼ぶ。その隙をついて足払いをした。
カイリはエリカの悲痛な表情に動揺し、受け身も取らず地面に叩きつけられてしまった。
エリカは目つきの悪い騎士の背中にしがみつきカイリの様子を窺おうともしない。騎士はエリカを背中から引き剥がしここから離れる様促した。
騎士は立ち上がらないカイリに近づくと何かを低く呟き去って行った。
「殺してやる」
カイリ・チェシャベルカは物騒な言葉を吐き捨てた。




