10「傭兵上がりの粗野な騎士」
「ガロン君ガロン君!水しか出ないよ」
風呂から聞こえて来るのは女性の甘いものでは無く、男性の声だった。悪夢だ、ガロンはそう思いながら浴室へ急ぐ。
アレスキス・ミタイナルと一緒の部屋で生活し始めて3日目、彼は本当に何も知らず、何も出来なかった。ガロンは頭を抱え逃げ出したくなったが、持ち前の根気強さを総動員してアレスキスの世話をした。幸い覚えは良く一度教えた事は忘れる事は無い。
「ここは朝、水しか出ない」
「そうか…寝汗をかいたからシャワーを浴びたかったんだけど水はきついな」
「…今お湯を沸かす。それで体を拭けばいい」
「済まないね」
「…………」
何故かアレスキスはガロンと一緒に部屋を出る。出来れば時間を置いて出てきて欲しかった。既に数回他の部隊の隊長と部屋の前で鉢合わせをしてしまい、すごい顔で見られてしまった。ガロンは他人から見られる事に慣れているからいい、アレスキスは…そう思って顔を覗き込めば不思議そうな顔をして首を傾げるだけで、まるで気がついていなかった。
疲労と共に誤解まで受けてしまい体、精神的共に限界だった。人つきあいとはこんなに消耗する物なのか、自分からまとまりの無い隊員達へ歩み寄ろうと思ったのは間違いだったのか、ガロンは考える。きっかけは執務室付きの侍女、アニエスとロゼッタがガロンを一人の人間として接してくれた事が始まりだった。人と関わる事で物事が円滑になる素晴らしさ、居心地の良さ、全てが悪い事では無かった。しかし何故だろうか、ガロンの部隊の隊員に関われば関わる程苦労と疲労は増えた。…世の中はまだわからない事ばかりだと無理矢理答えを出す事になった。
「うっせえブス!」
「だ、誰がブスですって?私のどこが醜いのかしら!?あなた騎士の風上にも置けないわ!」
ここにもガロンを悩ませる騎士が一人いた。
「お前の部屋の鏡は曇っているみてえだな」
「な…!今、私の美醜なんて関係ないわ!私が言いたいのはその泥の付いた靴で絨毯を歩かないで欲しいと」
「うるせえ、邪魔だ、どけ」
「きゃあ!」
目つきの悪い騎士は侍女を押しのけ、ドカドカと廊下を進んで行った。
「大丈夫かい」
「あ、はい…」
壁に手をつき、先を行く騎士を睨んでいた侍女にアレスキスは手を貸した。流石王宮で見本にしたい紳士第一位と称される男だった。仕草に気障らしさや、嫌みが全く無い。
「…あれは俺の部隊の隊員だ、部下にかわって謝罪させてくれ」
「いえ、いつもの事なので…」
『お父さん…またお説教しなきゃね』
ガロンは窓の外のどしゃ降りする雨を眺めながら「今日は洗濯物は乾かないな…」と現実逃避をした。
「なんだよ…」
先ほど侍女と喧嘩をしていた騎士、ライ・マークを呼び出した。もちろん何故呼び出されたか理解出来ていない様で不機嫌な顔でガロンの前に立つ。
騎士の多くは貴族出身の者ばかりだったが彼、ライ・マークは傭兵団に所属していた平民出身者で、騎士の、貴族の考えが合わないとしきりに問題を起こす男だった。
そもそも何故傭兵から騎士になったかといえば、完全に金銭絡みだった。下っ端騎士でも傭兵の危険な仕事と同じ位給金が出る。 試験を受け苦労の末騎士になってみれば、彼に待っていたのは貴族達の理解出来ないしきたりや考え、庶民の出であるライへの侮蔑のこもった視線、差別的な扱い、仲間達からの陰湿ないじめ…
騎士隊に所属してから数年ですっかり大の貴族嫌いになり、快活だった性格もスレてしまった。
侍女エリカ・ヴァルフォーレ、彼女は貴族出身であるにも関わらず庶民だから、貴族だから、という考えは無く乱暴なライが間違った事をすれば指摘をし、正そうとする珍しい娘だった。しかし貴族嫌いなライは反感を抱き、エリカにもきつく当たる。唯一の救いといえばエリカ・ヴァルフォーレは非常に打たれ強い娘でいくらライに酷い言葉をぶつけられてもあまり落ち込み事は無く、果敢にライに挑む勇敢な性格である事位だった。
ライの出自や騎士になってからの出来事を纏められた書類を見て、初めてガロンはライについて知った。彼はただの粗野な騎士では無かったのだ。
「…………」
ライを呼び出しておいてガロンは彼にかける言葉が無かった。
「用がねえなら帰るぞ」
「待て。…先ほどの侍女への態度だが彼女は間違った事は言って無かった。それに突き飛ばすのもやり過ぎだ」
「うるせえな」
『お父さん、もう手遅れなんだよ…今から信頼してもらうのは難しいよ』
それでも今のままではいけなかった。何か解決する手立てがあるのでは、ガロンは思う。
「…あの侍女に謝るんだ、彼女はお前の為を思い注意をしてくれた」
「ただ汚れるのが嫌なだけだろ」
そうかもしれない。仕事が増えるからエリカはライに注意するのかもしれない。
「だがあの侍女は何度もお前の行動を正してくれたのだろう?普通侍女は直接騎士に関わる事は無い、問題を起こせば直接上司に注意がいくものだ」
ライが貴族じゃないとか、粗野な性格だからとか関係無く、エリカの正義感だけが彼女を動かすだけだった。
「お前に最初で最後の命令をする。あの侍女にだけは礼を持って接するんだ」
ライはガロンの言葉に返事を返さずに勝手に部屋から出で行ってしまった。
「まあ!何ですって」
「だからうるせえって」
「…………」
『ライ君…またエリカちゃんと喧嘩してる』
魔物の討伐から帰って来たガロンはまたもや偶然言い合いをするライとエリカを目撃してしまった。そこへ一人の騎士がエリカとライのもとへ近づいて来る。
「エリカ、アレに関わるのはやめるんだ」
現れた騎士はエリカの腕を引きライを忌々しげに睨んだ。
「アレは平民出身なんだ。教養が無いから僕達の考えを分かって貰う事は難しいんだよ」
騎士の男の言葉にライは顔をしかめる。剣の柄を握り締め、今にも斬りかかりそうだった。
『お父さん、ライ君を止めなきゃ!あの騎士のお兄さん危ないよ』
「…………」
ガロンがライを止めようとした時、頬を叩く音が響き渡った。
「カイリ、あなた馬鹿なの?」
エリカはカイリと呼ぶ騎士の男の頬を思いっきり叩いていた。
「エリカ、何を言っているんだ…?」
「関係ないのよ、貴族だからとか、平民だからとか」
「何を…?」
「私が気になった事だから注意をするの。それにマーク様、口は悪いけれど一度言った事は聞いてくれるのよ」
「…………」
カイリはエリカを離し、叩かれた頬を撫でた。
「お前達、出来ているのか?」
「はあ?」
「カイリ、何を」
「平民の男なんかにたぶらかされるとはエリカ、お前はチャシャベルカ家の婚約者に相応しくない!」
「何を言って…」
エリカの言葉を聞かないままカイリは去って行った。
通路にはライとエリカ、二人だけ残された。ライは気まずいのか視線を泳がせたまま落ち着かない。
「追いかけねえのかよ」
「何か、馬鹿らしくて…」
エリカは去りゆく婚約者に視線すら向ける事は無かった。
「…すまなかった」
「え?」
ライはエリカの返事を聞く事無くその場から去って行った。その後ろ姿をエリカは驚いた顔で見つめていた。
『ら、ライ君が侍女ちゃんに謝ったよ!凄い事だ』
ガロンは握っていた剣の柄を離し、執務室へ戻った。




