7 「パパって呼んで!」
池は湖ほどは大きくなく、でも池というには大きかった。
そこにすべてを脱いで飛び込む。
≪御子様。≫
プカ・・っと水面に水色の髪が広がり、青い瞳の精霊が顔を出した。
気配で解っていたからびっくりはしなかったが、冷静に考えれば、怖いよ。
だって水面だよ? 髪が徐々に広がって人の顔が浮かぶんだよ? どこの怪談だよって話でしょ? 以前の私だったら速攻攻撃してるって・・。アブなっ。
≪なぁに?≫
って返せるけどね、今は。
≪主人がきます。≫
さっきの鍛錬について話していると、アーリーが質問してきた。なぜ、魔法ではなかったのか、と。
≪う~ん・・・だって多分、ううん絶対被害が甚大そうだったから。≫
そう言うと、あぁ・・と深く肯きながらアーリーは微笑んだ。
肯定しますか。
≪あの時はひどかったですからね・・・。≫
フォローもなしですか。
≪オーズの結界が割れたのを私は初めて見ましたよ。ガードに回ったアルファが慌てたのもね。≫
何気に追い打ちですか。 ひどいです。
≪≪な・・・何なんですか・・・これは。≫≫
アルファと反対側に回って修復を行っているアーリーがそう呟いた声は、今ここにいる王たち皆の心の声だった。
【解放】
詠星が異世界の言葉であり、彼女の母国語でそう呟いた途端だった。自分たちでさえ目を開けていられないほどの光が満ち、激流のような力がオーズが万が一と言って張った結界の中を覆い尽くした。 そして・・・。
≪・・・ヤバい。もたないぞ。≫
ため息に似たオーズの声が聞こえて、そっちを見た時だった。ピキピキッと亀裂の入る音がして結界にひびが入り始めたのだ。
≪マジかっ!≫
横でユファが叫び、対のアルファと共に結界の外に飛び出すとオーズの結界の更に外側から二神の結界を掛ける。瞬間、パーンという甲高い音でオーズの結界が割れて中心にいる詠星に光が降り注いだ。
≪ガイアス。≫
うっとりとした詠星の声が聞こえる。驚異的な速さで学んだ精霊語が。
≪何だい、娘。≫
≪湧き上がってくるこの力の源は何だ?≫
輝きを増す詠星が呟いて中に浮かぶガイアスを見上げる。
≪あなたの力だ。そしてそれは我の力でもある。≫
精霊の力を使う前に、その力を身体に馴染ませるためにも一度解放した方がいいとガイアスが言ったので、オーズが万が一に、と結界を張った中での解放になった。人間として育った詠星には必要ではなかった力に、こちらの世界からはガイアスが向こうの世界では龍神が、それぞれ詠星に呪を掛けて守ってきた力。それが今枷が外れ、結界の中渦を巻くように暴れている。それはまさに歓喜と言っていい。
その歓喜の渦の中、クセッ毛の髪を靡かせて、細い身体から信じられないほどの力を放出させながら詠星は微笑んでいた。
正直、こちらへと詠星が運ばれて来てから、無表情な顔以外見たことがなかったからドキッとしたことは秘密だ。
≪これは・・・、気持ちがいいな。自分が広がる気がする。≫
ギシギシと、嫌な音がする。
それはユファとアルファの結界が軋む音。ガイアス・・と意識を向けると、彼は肯いて、
≪詠星・・・溢れる力を自覚できるか?≫
そう詠星に問いかける。
≪うん。解るよ。貴方と同じ真っ白だ。≫
うっとりと詠星は答える。夢見心地な声で。
≪その力を小さく纏める様な感じで、丸めてあなたの前に・・・。≫
いうと、圧倒的な力が弱まり凝縮された感じで詠星の前に光り輝く珠が現れた。それは虹色の輝き眩しい光を放って、まるで詠星の魂そのもののようだった。
≪綺麗だな。コレが自分の力?≫
≪目に見える形で言うならば、ね。それを貴女は修めないといけない。取り込む、という方が解りやすいだろう。でないと、彼らのが持たないよ。聞こえる?悲鳴を上げている。≫
それまで、詠星はまったく目の前のことだけで、我らに気をやっていなかったので、その時始めて我らの状態が解ったらしかった。
吹っ飛ばされたオーズが結界の外の地面に寝転がっていることや、ユファとアルファが必死の形相で結界を保っていること。その結界を強化するために、あとの者が更にその外側に控えて力を分けていること。
常識的に考えてみれば、解ることだった。詠星はガイアスの娘。彼の力の塊であり、彼と性質を同じくする唯一の者。
”我らの創造主と同じ。”
であれば、我らより“上”。
たとえそれが我らから見れば小さな“人間”という形の中に納められてはいても、力の質は同じ。けして箱物の大きさが小さいからと言って力が小さいということはないのだ。それを完全に失念していた。
≪お前たちも、解ったな?≫
それは我らへの警告でもあった。
我らが気持ちの大小はあれど、少なからず詠星を軽く見ていたことをガイアスは気がついていた。そして、警告も教えることもせず、まずは力を解放させたのだ。また、それをしても”詠星”という器が壊れるということはないと解った上で。
“私の娘を甘く見るな”と。
≪ガイアス。ユファが・・・保たない。≫
≪あ~・・マズい!≫
大地のアークの叫び声と詠星の声が聞こえた途端だった。
ズシ・・・ンと大地と空気が震えた。身体のない我らたちが、地面の叩きつけられたような大気の圧力と共に詠星を中心として圧縮された力が爆発した。
外側へと吹き飛ばされる意識にブレーキを掛け、我らを受け止めたのはガイアスの力だった。
≪詠星≫
たった一言。
詠星は圧力の中心にいた。まだ放出される力に振り回されながらもガイアスの方を見上げる。
≪詠星≫
もう一度ガイアスが言うと、こっくりとそちらへ肯いて瞳を閉じる。
真っ白に覆われていた視界がだんだんと収まっていき、内側から力の放出、外側からはガイアスの結界に挟まれて悲鳴を上げていた意識が楽になった頃、中心にいた詠星は。
≪あれは・・何?≫
エンヤがそう呟いた。
後から聞いた詠星の話ではそれは座禅という座り方らしく、その座り方をした詠星が拡散された力を傍に寄せつつ、それを分散させていた。
≪我らだ。・・・彼女は凄い。≫
アークがうっとりと呟く。
詠星の周りを縦横無尽に飛び回る手のひら大の珠は、赤・黒・白・金・茶・青・緑。そして動かず額の前に輝く虹色。
それは我らとガイアスの色だ。
それがやがて一つずつ詠星の身体に吸い込まれていくたびに圧力が減っていく。
最後に額へと虹色が吸い込まれると、一気に通常に戻った。
≪あぁ・・解った。≫
【修復・復元】
その小さな口が呟くと、見る見るうちにクレーター状に押し潰されていた大地が元のように盛り上がり、吹き飛ばされて跡形も無くなった木々が何倍という速さで成長した。木々の下に咲いていた花々すらも。
≪・・・。へえ、うん、やってみる。≫
言うと、詠星は徐に立ち上がり、倒れ込んでいたオーズの傍まで来ると彼の身体に手を翳した。すると完全に意識を途切れさせていたオーズが元の状態へと戻っていった。
≪もう・・いい。≫
≪うん。・・・・・ガイアス父上。じぶ・・・私は貴女の娘としてこの世界で生きていこうと思う。いい?≫
すっと立った詠星はガイアスの方を見上げてそう言った。
漆黒に輝く瞳はきらきらと内から虹色を宿し、まるでガイアスと同じように肌は内側から白く発光している。
≪あぁ。≫
ガイアスの嬉しそうな声が返事をした。
≪ありがとう。≫
≪こちらこそありがとう。今まで守ってくれたこと。そして生んでくれたこと。呼んでくれ、た・・・っぐぇ・・。≫
小動物の潰れたような声がしたと思ったら、ガイアスが人型になって詠星を抱き潰していた。
≪パパって呼んで!≫
≪≪ガイアス!≫≫
遠い目をした我にブチブチと愚痴を零す。
≪アーリーたちだってさ、まるで仕返しみたいに扱いたろ?オアイコだよ。≫
と。
水の上に身体を投げ出すようにして浮かんでいる姿は、まるで我を全面的に信用して安心して頼ってくれている感じがして嬉しくなる。
そんな気持ちは、おそらく詠星には解らないだろう。
ガイアスの娘だというのなら、我らにとってもまた娘同然。仲間であるという意識は急速に我らの中で庇護欲を膨らませていった。
≪仕返しとは心外な。我らはただ詠星が困ったことにならぬよう鍛えただけの話。貴女の爺様と同じだろう。≫
≪・・・っぐぅ。≫
・・・の音も出ないといった感じで詠星は唸ると水底に沈んでいった。
≪オーズは我よりも気が短いぞ。≫
そう呟くと、大気の塊が揺れた。
(ん?)
水辺に座って新しく生まれたばかりの精霊と遊んでいた詠星が気配を察知して振り返ると、そこにはミハイルが立っていた。
「ミハ。」
「ソナタ・・・。」
驚きで固まっているミハイルを置いて、「あぁごめんね。」と言いながら薄絹単衣を纏っただけの詠星が
【乾燥・装着】
呟くと、池に潜って濡れていた全身を風が纏い瞬間渇いてしまうと、横に置いていた服を着た状態で立っていた。
「用事だった?」
「・・い、いや、なかなか戻ってこぬから、そのまま神殿へ帰ったのかと思っておったのだが・・・。オルセル殿が探していたのでまさかまだと思って来たのだ。」
「ふぅん・・・何だろ。」
解った、と言って詠星は神殿の方へと踵を返す。
「そなたは・・・おん、いや女性、なのか?」
やはり気が付いていないまま対戦していたのだな、と思った。“風神のミハ”は、女性にはめっぽう弱いと噂だからおかしいなとは思ったのだが、もしかして知っていても只者ではない者と対戦することに喜びを感じてそっちを優先させたのかと。それと言うのもミハイルは女性には弱いが、好敵手を見つけるとその喜びで剣を震わせる、とミハイルについている精霊が言っていたからだ。
「・・・女性か男性かということで聞かれれば、女性かな。」
≪何でそこで疑問形なのだ。≫
つい突っ込んでしまうが。
≪だって、ガイアスの娘であるわけだから、どうなの?精霊って性別があるの?≫
思考で詠星から返事が返ってくる。
(なるほど。)
それが頭にあるわけか。
「その前に“お前は人間なのか?”と聞かれるかと思ったよ、ミハ。優しいね。・・・じゃまた遊び行くけど、普通にね。普通に。」
背を向けてしまうと詠星はさっさと脚を進めて神殿へと歩き出す。
≪見られた!見られちゃったよ・・・アリスと戯れてた間抜けな顔。恥ずかしぃ~!≫
(気にするところはそこか?詠星・・・。ほぼ真っ裸を見られたというのに。・・・残念な奴だな。)
アーリーは人間のようなため息をついた。
青=水の監視者=アーリー
茶=大地の監視者=アーク
やっとみんな・・・。




