24 「選べ。生きるか?」
閉じ込められた部屋は、塔の最上階。
しかしそこは捕虜というか賊を閉じ込めるには、立派すぎる様な部屋だった。
確かに城にある部屋よりは小さい気はするが、それでもクローゼットも椅子もベッドだって統一されていて、しかも結構いい作りだ。飴色の家具、フカフカのジュータンに大きな窓。
(さすがに窓には術が掛けてあるが。)
そう言えば、そんな事を言ってから消えたな、と思う。
「兄上、怒ってたよな?」
口に出して言ってみると、同じ部屋に閉じ込められているロバートが答えた。
「・・・恐ろしいほどのお怒りようでした。貴方のいいところは素直でいらっしゃるところですが、女癖が悪い割に女に弱く騙されやすくていらっしゃる。だからあんな女に騙されるんですよ、コロッとね。」
辛辣な物言いだな。
「正直だな。」
「もう帰れない、と言われまして。元々こうなんですよ、王宮勤めなぞしていたので毎日肩が凝って仕方ありませんでしたよ。貴方も帰れそうにありませんし、後は殺されるだけでしょうから。今更・・・。」
「殺さない。王はそうはご命じになられてない。」
部屋には一応監視で近衛隊長が付いていた。
扉の前に立っているだけだが。
「油断していると知りませんよ?」
「構わない。俺が倒れたとしたって、どうせこの部屋からは出られない。そう言っていらっしゃったでしょう?貴方がどれほどの魔術師かは知らないが、あの方には敵わない。いや、貴方が、ではなく誰もですね。・・・そうでしょう?テリアス様。」
俺たちと話していたのに、急に空中を見つめてそう言う彼の目の前に、あの女と王が立っていた。
「お前のは虹色なのだな。」
「うん。だって父と同じだから。」
「あぁ…確かに。で、報告してくれ。どうなった?」
王は気さくにガタガタと椅子を引っ張って来てそれに座ると、俺たちにすらソファを勧めた。
「ここに座るか?」
王は微笑んで、自分の膝の上を叩いた。
「・・・ダン、ちょっと剣貸して?」
「駄目ですよ、まだいるんですよ、その方は。」
「・・・お前も言うね、ダン。」
「貴方に遠慮していたら、話が進みませんでしょう?王。」
・・・・緊張感がないな。余程俺たちは脅威ではないのか、それとも馬鹿なのか。
「馬鹿なのはお前。それより・・リーリィの腹には生命の芽を根付かせておいた。お前が馬鹿女に唆されて仕出かした尻拭いを、はからずしも私がした事になった訳だが・・・。」
言われて今更ながらに思い知る。
自分の仕出かした不始末、いや罪。
次期王妃であるリーリィに対する不敬。兄に対する不敬。何より人としてやってはならないことだと何故その時思わなかったのか。思い上がっていたと言われればそれまでなのだが。
(馬鹿か。確かにな。)
合わせる顔どころか、生きて謝罪することすらおこがましいだろう。
「じゃぁ死ぬか? 死んでそれで謝罪になるとでも? それを誰が望む? お前はこの期に及んで自分が楽になりたいだけだろう? 死んで詫びればお前の気は済むだろうが、残された者はどういう気持ちを抱いていかなければならないと思う? リーリィは? あの子は優しいから、ずっと後悔し続けるだろうね。確かにひどい目にあったがお前は夫の弟だ。それを死なせてしまったと。兄は? 夫としては正しい判断だったが兄としては?自分の発言で弟を死なせてしまったと。 父親は?母親は? 正しく育て損なったのは自分たちの罪だと、そのせいで息子を死なせてしまったと。みなに罪の意識を植え付けて自分だけ楽になりたいか?」
今の自分にはきつい言葉だった。でもおそらく彼らはそう思いながら生きていくことになるだろうことは想像できた。基本、優しい人たちなのだ。
「では・・・。」
「生きよ。 生きて恥を曝して、それを贖罪と思え。 消える事のない罪をきちんと自分で背負え。一つの命を摘んだ罪を悔いて生きよ。」
ぎっちりと身体の中心に何かを打ち込まれた気がした。
ピンと背が張り俯く事を許さない瞳。
(瞳・・・。瞳が!)
「あぁ、忘れていた。元のままだったな。まぁいいか。」
瞳が漆黒だった。星を散らしたような輝き。切れ長二重の大きな瞳はそれだけが女・・彼女が見た目通りの子供ではない事を教えていた。
「せっかく同じ色だったというのに。」
「え? ダグと合わせた訳じゃないぞ。ドレスと合わせたつもりだったんだが・・・。」
「そこは嘘でも“俺と”って言っとけ。」
「何でだよ。・・・変な奴。」
どうやら王の女だと思ったのは間違いらしい。そんな甘い雰囲気はまるでなかった。
「・・・子? ガイ・・・の愛し子様? まさか?本当に?」
見ていた俺の横でロバートがぶつぶつ小さな声で言っていたのが聞こえて来た。彼らにも聞こえたらしく、
「だから敵わないと言ったろう? 我は父と同じ力を持つ者。どんなにお前たちが強い力を持っていたとて、例えば精霊付きだったとしても、我には勝てんよ。精霊は我を攻撃できない。彼らの王たちがそれを許さない。父は怒るだろう。その時は終わりの時だからね。」
お前の王子としての地位は抹消されたよ、とテリアス(という名前らしい)は言った。
兄たちの婚儀が終わった後、2人の兄と両親に会いに戻ったテリアスは、こう彼らに伝えたのだそうだ。
『ヒースの王子としての地位を剥奪せよ。彼には1から生き直してもらう。それが命を奪った代償だ。』と。
『お前たちが個人的に接触する事も罷りならん。ヒースにはこの国の籍も抜かせる。あれは独りで立ち直ってゆかねばならん。彼の為、皆の為、そしてこの国の為だ。』と。
「ルーシィは泣いていたがな。母親だからな。」
何時も優しかった母を想う。父が王だから、と厳しく育てられてきた中で、唯一甘える事が出来た存在だった。それでも3番目だった俺は、比較的緩く育てられたと思う。兄たちは、特に1番目の兄は次期国王として立つ事が生まれた時から決まっていた分、厳しさも半端ないほどだったと聞いていた。
そんな兄の希望を奪った。テリアスが治してくれたからといっても、それは消える訳ではない。
兄がどれほどリーリィの事を欲していたか、知っていたはずだったのに。
「お前は一介の騎士としての身分だけを与える。貴族でも王族でもない、ただの市井の民だ。国籍はここに置く。ダグが引き受けてくれた。後見人はなし。お前の所属は街の警邏隊だ。話は付けてある。隊長はケイソン。彼の下で働け。勿論特別待遇などはない。ただの騎士として、街と国の民の為に働け。給金をもらい、それを糧に生きてゆくのだ。お前が今まで気にした事もない民が納める税をお前も払い、小さな寮の部屋で安い酒を飲み、友と語りあい鍛錬に明け暮れ・・そうして生きてゆけ。それが我がお前に与える生き直しだ。出来ぬというなら、その命返せ。世界に。」
ビーンと空気が張った。
軽口を叩いていた王さえ黙って彼女の言葉を聞いていた。
「ヒース・クリスト。それがお前のこれから先名乗る名前だ。」
『辞令だ。』と王は一枚の紙を手渡して来た。そこには王命で警邏隊の一員として入隊を許可すること。警邏隊の寮に入ること。階級と給金の額が書かれてあった。
この世界は統一通貨だ。昔は色々と分かれていたらしいが、今はどこでも通用する様に統一されている。その単位は、自分が今まで見た事のない少ない額だった。その額で人が暮らせていけるものだということすら、自分は知らなかった事に驚く。
(何も知らないのだな。世界も国の事も、民の生活の事すらも。)
今まで想像すらした事はなかった。
「ヒース。」
名を呼ばれ、顔を上げる。何時の間には俯いてしまっていた。
「選べ。生きるか?」
それとも・・と続けられるであろう言葉を遮る。
「生きます。生き直しをさせてください。」
初めて人に頭を下げた。
王子・・・いやヒースはすっきりとした顔で、部屋を出て行った。今から近衛隊長の紹介によって警邏隊の隊長に引き合わされるらしい。
あの甘えた王子が一介の騎士として、民に混ざって暮らしてゆけるかどうか・・・。
「人の心配より、自分の心配をした方がいいよ、ロバート。」
王子が出て行った扉を見つめていた俺に声が掛る。
(愛し子。世界の神の子。)
愛し子が現れたと聞いたのはついこの間の事だ。“漆黒の色を持つ唯一の子”だと。
それが目の前にいる。立って息をしている。
「お前が今回の手柄を盾にしようとしていた事だが・・・あれは無理だ。もし王子が再興させると言ったところで、出来はしない。」
「何故ですか? どうして、だって・・・!」
立ち上がり叫びかける俺に、愛し子は座るよう視線で促す。
「お前、自身が誰の子か知っているのか?」
愛し子の言葉に皆が俺を見る。
「母、と・・。」
「あぁそれは知っているのか。では、なぜグラン伯爵が黙っていると思う?」
「それは!・・・それは自分の妻の不貞が・・。」
恥ずかしいからではないか、と言いかけると、ため息をつかれた。
「馬鹿だなぁ。よく考えてもみろ。お前の母親は嫁入りした時にはもう子を身ごもっていたんだぞ? それをなぜグランが恥じる必要がある?むしろ激怒して結婚を止めるだろう?お前の母親とグランは親の決めた婚約者だったが、家の釣り合い的にはグランの家の方が上だ。止めることも出来たのに、結局没落した家の娘を嫁に迎えた。何のメリットもないのに、だ。 その上、腹の子は自分の子でもないしな。」
言われて今更、そうだと思う。
確かに父に何ら非もなければメリットもない。お荷物を抱え込んで恥をかいただけだ。
優しい父。母に甘く、そう我儘を言う母でもないが、全身全霊母を愛しているのは見える。
「では、なぜ父は・・。」
「お前の母親を、クリスティーナを愛しているからだ。愛する人の子だから、お前が誰の子であっても愛せると引き取った。人に笑われようが構わないと思った。」
グランとクリスティーナは元々幼馴染の関係で会った。親同士が仲が良くお互いの子が年齢的にも釣りあうならば、利害云々ではなく婚約させようと決めていたほどに。
今はもう没落したクリスティーナの家にはグランと同じ歳のクリスティーナの兄がいた。
加護付きではない魔術師だったが、何かとグランと張り合っては、しかし仲は悪くはなかった。3つ下にクリスティーナが生まれてからは3人仲良く過ごしていた。親たちはそれをいつも微笑ましく見つめていたのだ。
クリスティーナの家が傾き出したのはその頃だった。父親は金策に奔走し母親はそれを子供たちに悟らせないよう努めて家では明るく振舞っていた。グラン家でも協力はしていたが、結局は焼け石に水だった。
それは後に発覚するある貴族の画策によるものだったのだが、心労で母親は倒れ帰らぬ人となった。その時初めて子供たちは事実を知ったがその身はグラン家預かりとなった後だった。クリスティーナは婚約者であったし兄にしたって友人で、グラン家にとっては何の疑問もなくそうしただけだったのだが、兄の方はグラン家を出た。
自分が家を再興すると、それを自分のプライドの拠り所として。
自分の家を嵌めた相手を探り出し、その証拠を集めている兄の元へ、クリスティーナは通った。年頃の娘が供も付けずに出歩く事をグラン家では危ないからと諭したが、兄が気にするからとクリスティーナは供を拒んだ。せめて馬車を、と使っていたのだが、ある日クリスティーナの帰りが遅くなった。そして帰って来た日から一歩も外に出ようとせず、食事も喉を通らずその内吐き気を催し、日に日に痩せていった。
友人に相談をしようとグランが友が暮らす家へと出向いたその日、事件は起きた。
「まさか!」
「調べても解らなかったろう? これは秘密裏に処理された事件だ。クリティーナの兄、お前の伯父であるクレオが起こした事件、いや復讐か? “サンカ男爵一家殺害事件”だ。屋敷は崩壊、一家の遺体すら跡形もなかったぞ。残されていたのは一家がクレオの家を嵌めた証拠と血痕だけだ。その惨劇の場にクレオはいた。全ての力を出しつくして、廃人となってな。そこに駆け付けたグランにクレオが言ったのは、“クリスティーナの子を殺せ”だった。“腹の中にいる子は親の敵だ”とね。」
それだけを呟いて泣くクレオをグランは茫然と見つめた。
暗いぃ・・・こんなはずでは・・・。




