2 「ここは、どこ?」
廊下から人の気配が近づいてくる。とは言っても実際聞こえるわけではなく、気配だ。これはある人(人と言っていいのかわからんが。)から貰った力だが、意識しさえすれば扉や壁などを問題とせず、自分が知りたいものを探れるらしい。人の心も、らしい。身の危険があったらいけないので、とくれたものだが、もちろん探れないようにもできるらしい。でないとただの覗き魔だもんね。犯罪です。ちなみにさっきから“らしい”とやたらと付いているのは、初めて力を使っているからです。
窓の外に向けていた視線を扉へと当てた時、ノックもなしに扉が開いた。
人の顔を見るなりほっとしたかのように、また残念だとでもいうかのようにどっちとも取れるため息をついて、部屋の中へ入ってくる。
【とまれ。】
つぶやくと彼はくっと足が床に縫い付けられたかのように、歩いていた動作のままその場に止まった。
「で?」
驚愕に固まる顔へ向けてそう声を掛けると、彼は緑色の瞳をこっちへ向ける。
「先ほどの言葉は? 私は一体…。なぜ拘束が解けないのですか?」
なかなかいいお声ですね。空きっ腹に響きます。さっき下を向いてぶつぶつ言っていたのはその拘束を解くための呪文でも唱えてましたか。さすが魔術師です。ですが・・・。
不意に彼の薄緑色の髪が風にあおられたかのように靡く。風の出所は自分だ。
風にあおられた髪がふわふわと顔の横に降りてくる間、ずっと目の前の彼を見続けていた。印象的で人目を引くのは、黒い髪と同じ色の瞳。この世界にも黒い髪の人間はいるが瞳となるといないから。身長は低めだしその細い身体つきを考えると、まだ子供の領域だろうか。だが、それに反して表情は落ち着いている。見知らぬ人間に見知らぬところへ連れてこられたのに、だ。
「誰か来たね。」
「神官長です。」
答えた途端、拘束が解けてその場に座り込んだ。そして開けたままだった扉から神官長の・・・・、
「ランバード神官長。」
彼の声に入ってきた人物は、びしりと自分の横で固まった。今だ座り込んだままで目の前の彼を見る。
「まさか神官長にまでっ…!」
「控えなさい。」
言いかけた言葉はその神官長に遮られた。
「愛し子様。お初に…いえ、私の代で御会いできるとは光栄に存じます。ウィル・セレン・ランバード、第326代中央神殿神官長でございます。」
「うん、最初に貴方に会うようにと言われたんだよ、・・・父に。“母の如き慈愛のセレン・道を示す雄々しきウィル”受け止める覚悟はあるか?」
それはランバードのことかと神官長を見れば、ランバードは静かに彼の前3メル(1メル=50センチくらい)ほど前に膝をついて腕を胸の前で交差させて彼を見上げている。ランバードは拘束されてはいないらしい。彼はそれまでの無表情が嘘のように、にっこりと魅了するような笑顔をして自分の胸の前に両手を合わせる。するとその手が眩しいほどに光を放ち一瞬目を閉じて開けると、彼の細い白い手が開かれその中、いや手の上に浮いているような形で赤いものが光を放っていた。
彼はそれを指で摘み、一歩二歩とランバードの近くへ寄ると赤いものをランバードの額に押しつけた。一瞬ランバードの身体が震えたようにざわめいたが、彼は気にした様子もなく依然そのままの姿勢で口を開いた。
「“ガイアスの代弁者 パウロ・ウィル・セレン・ランバード”あなたに父の祝福と恐ろしき枷を。愛し子なる我の手によって授けよう。」
ズズッ・・と音が聞こえ、その赤いものはランバードの額に埋まっていった。するとランバードの額に赤い文様が浮かび上がる。それは蔦が絡まるような文様で、そして彼が身体を屈め額に唇で触れると肌に溶け込むように消えていった。
「神殿守護第一部隊副隊長 エセル・ソード。」
彼の声が威圧感を持って自分の名を呼ぶと思わず立ち上がる。ランバードが振り返った。
「また後日お披露目はあるかと思うけど・・。彼は今この時より、名を“パウロ・ウィル・セレン・ランバード”と名乗ることになる。あなたには証人になってもらう。これ決定事項だから。拒否なし、質問なしでね。」
あぁ~疲れた。部屋のソファにすとん、と座って目を閉じて天井へ顔を向ける。
「いかがなされた愛し子様。」
ランバードの声に目を開けると、彼とエセルが目の前に立っていた。エセルの方はいまだ釈然としない顔をしているが、ランバードの態度が恭しさを醸し出しているせいで自分には何も言えないらしい。
「お腹が空いたよ、パウロ。」
そういうとランバードは声を出して笑った。
私用だという部屋に通されて待っていると、エセルの指揮の下食事が運ばれてきた。見目はいい。怪しそうな色も形もない。運んできたのはいずれも美形の三人。水色の髪を後ろで一つに束ねた少し肌の黒い人はまだ若い男性。赤いうねり髪の美女はこれでもか、と主張するバストの持ち主。そしてグレイの髪の・・・。
「クリス。」
名を呼ぶとびくっと身体が震え、ギギギッと音が聞こえるゼンマイ仕掛けの人形のようにこちらを見る。その瞳は真っ青だった。エセルが何事かと身構えるのが解ったが、そんなことには構わない。
「こっちへ、クリス。」
ダイニングのイスを少し後ろへ引き体を横に向けると、手招きをしてクリスを呼ぶ。クリスは一度エセルの方を振り替えるようにして見ていたが、もう一度名を呼ぶと怖々ながら自分の方へと歩いてきた。どんだけ怖がられてんだ。ショックだよ、少し。
目の前にやってきたクリスの手を掴む。小さな手だ。明らかに自分より年下だろう。
「そのままでいいと思ってる?それで自分を守れると?」
びくっとその小さな手が引かれようとするのを力を入れて離さない。視線はその青い瞳からそらさない。
「なにをっ・・・。」
言ってこちらへ来るエセルを無視したまま、なおもクリスへと問いかける。どうせ邪魔はできない。
「護ってくれているものに悪いとは思わないか?君が受けた傷は大きいだろう。だが、それでも生きてこられたのは彼がいたからだろう?このままにしておくと消えてしまうよ?」
“消える”と聞いてクリスがびっくりした顔をする。
「彼はそんなことも教えてなかったかい?よほど君が気に入ってるんだね。自分が消えてもいいと思うくらい。でもね、彼が生まれたのは意味がある。そしてクリス、君が生まれたのにもね。痛みを抱えるのは悪いことじゃない、でもその痛みに囚われて歩き出さないのはいけないことだよ。生きていれば辛いことは沢山ある。君よりきつい命を生きてる人だっている。何より君を彼が護っているのは意味があるからだ。それを無視して生きていくのは許さないよ。それくらいなら、彼を解放しなさい。消える前に父へ返せ。」
少しきつく言ってみると、抗議するように影が揺らいだ。自分以外の人間が唖然としてその影を見つめている。
≪それ以上は…≫
≪言ってくれるな、と?いつまで甘やかすつもりだ。それが逆にクリスの立ち直りを妨げているのが解らないか?それとも自分なしでは生きていけないようにする気かい?それを父が許すとでも思っているのか?クリスが幼いというのならお前が導いてやらねばこの子は一生このままだぞ。今はいい、お前がいるからね。でもお前が消えたらどうする気だ。≫
影は人型をとって項垂れるように膝をついて自分を見上げている。ワンコがいる、と悶えたが、今は自重。皆はそれを信じられないように見つめていた。
≪御子様。≫
「クリス。」
「っはい。」
急に名を呼ばれて不安そうにしていたクリスは、裏返った声で返事をした。それに少し笑った。
「お前が自分の道を歩き出さないというのなら、彼は自分が引き取ろう。エセル、あなたなら解るだろう?」
“何が“と説明しなくてもエセルは肯いた。
「消えかかっている。彼はもう…。」
エセルの言葉にクリスは慌てたようにいつも自分の傍にいたであろう彼を見た。精霊だから透けて見えるのではない。もうはっきりと姿を現わせないほどに彼は摩耗しているのだ。霊力が。
「そんな…僕の、せい、ですか?」
きゅっとクリスの手を握る。
「そうだ、とも言えるし、また彼自身のせいでもある。彼は君を可愛く思うが故に必要以上に甘やかした。君が歩きだすために背を押さなかった。これは彼の罪だ。精霊と加護持ちは表裏一体。歩き出さない君に加護はいらないだろう?神殿で十分守ってもらっているのだから。」
きついだろう言葉を投げかける。まだ幼い少年に将来を決めろと、歩き出せと急かしているのは解っている。でも、自分は精霊側のヒトなのだ。彼が消えるのを見ているわけにはいかないのだ。
ウィンが“主”と呼んだ、王に当たる人(精霊王?)は、眩しい光の中威厳を持って佇んで・・・・
≪詠星!! やっと会えたぁ!≫
「・・・っなん・・・ぐぇ。」
・・・佇んでいなかった。抱きついてきたよ、そりゃもう思いっきり。危うく首が絞まって天国の扉をくぐるところでした。叩こうが蹴ろうが離れない身体をどうにかして引き剥がさないと死ぬと思った時、すさまじい力で自分の身体が後ろへ引かれ、精霊王も反対に引っ張られて、やっと離れた。温かく柔らかいものに包まれるように受け止められているのに気がついて周囲を見回すと、7人(7体?)が立っていて、そのうちの緑の人に抱き留められていた。
≪邪魔をするな。我の詠星を返せ。≫
そんな駄々っ子みたいな言葉を言う時ですら、威厳のある声。しかし内容は全く、だったが。
≪ガイアス。詠星は死にかけてたぞ。人間なんだ、手加減しろ。半分は。≫
水色の人がそう言って自分の頬に触れる。この人は冷たい。
≪そうだったの?ごめんね詠星!感激のあまり、つい…。≫
くねくねしながら謝られてもなぁ・・・。
≪感激度は解らないでもないが、まずは説明、だろう?ガイアス。≫
そういったのは赤い人。
≪そうですね。座りましょうか?詠星。≫
促してくれたのは、空気椅子に座るように浮かんでいた茶色の人。
同じようにすると、まるでそこに椅子があるように座ることができた。高級な空気椅子はちゃんと身体を半分沈みこむように包んでくれた。
自分、緑の人、赤い人、茶色の人、水色の人、ガイアス、金色の人、黒い人、白い人。円陣を組むように丸くなって浮かんでいた。
≪詠星。何でも答えよう。聞くがいい。≫
黒い人の問いかけに、とりあえず、一番聞きたかった人ことを吐き出した。
「ここ、どこですか?」
主人公・・・斎木 詠星大学1年生で19歳です。
身長が低いだの、細いだのと言われておりましたが、172センチ。
この世界の人たちがでかいのです。




