16 「お前が王だ。諦めよ。」
横で執務の手伝いをしていたランドがいきなり立ち上がって俺の前に背を向けて立ち塞がった。
その後すぐだった。
部屋の空気が重く圧し掛かり濃度が濃くなった途端、目の前に空間が光り輝きその中から人が現れた。
「リーヴェ・クリストフ。ランド・フォール。テント・フォール。」
光が収まった時、そこに立っていたのは漆黒の髪と瞳を持つ人物だった。
背中の真ん中あたりで遊んでいる髪は軽くうねり、真っ白な肌に大きな濡れたように光る黒い瞳。まだ少年か少女かという身長であるがその圧倒的な力はとても常人では考えられないほどの圧迫感を与えていた。
≪御子様。≫
自分たちに付いている精霊が姿を現し精霊語を使って話すと、自分たちの目の前で彼(?)に平伏した。
「愛し子様、か?」
噂には聞いていた。俺はランドから聞いたのだが、自分が元いた国に“神の愛し子様が現れた“と。その時はもうすでに俺はこの国にいたから、本当に噂だけだが。
ランドの震える声には答えず、彼はテントを見る。
「テント、腕は必要か?」
と。
何を言われているのか一瞬分からなかったが、それがどういう意味なのか理解出来た時、
「いいえ。これは勲章だと思っておりますので。」
テントがそう言って床に片膝をついた。
「フ・・・カッコつけだな、“鬼神のテント”。では軍人であるお前に相応しいものを代わりに贈る事にしよう。剣を。」
彼が言うと、テントは自分の剣を差し出して掲げる。
それについっと手を伸ばして彼が触れると、剣は浮き上がり彼の両手の間に収まる。その数多の傷の付いた剣を「いい剣だな。」と彼はさすって全体を検分しながら何事か唱えた。と、急速に光が膨れ上がったと思ったら、それがまるで剣に吸収されるかのように収まって、あとには今しがた磨き上げられたばかりのような輝きを放つ剣が残っていた。
真紅に輝く真新しい剣は、テントの手に下ろされる。が、彼はテントの手を掴んでこう言った。
「間違った使い方をすれば、それはお前自身を切り裂く剣となろう。・・・あぁ、間違った使い方と言うのは、別にお前が何時もやっているようなナイフ代わりにしたり、木の実を取ったりと言う事じゃないぞ。」
「見・・・・。」
慌てて真っ赤になるテントに、
「罪なき者、弱き者を貶め、斬る時、救える力がありながら救わぬ時、その剣はお前に刃を向ける。覚えておけ。」
一瞬おどけたように見せた顔を引き締め、彼はそう言ってテントの手を放した。テントはすっとその剣を収めると深く頭を下げた。
「ランド。正しく精霊を使っているな。ミランがよく成長している。」
ランドの精霊はランドを離れ彼に擦り寄っていてその手に口づけている。
「ただ、疲れを溜めたな。ミランが心配している。忙しいのも解るが、精霊の言う事は聞いておけ。夜中に書類を引っ張り出してみるな。お前が少々サボったところで、下の者は文句は言わんぞ。いい人材を集めたな、いい目だ。」
とランドの顔に手を伸ばしその瞳に軽く触れると、ランドの色が濃くなった。その途端にランドの精霊が一回り大きく成長した。
「リーヴェ・クリストフ。」
「はっ。」
自然と床に膝をつき頭が下がる。
「リーヴェ・クリストフ・コンドルト。」
“コンドルト“
それは皆が言いだした、国の名前。新しい国の。
この国の言葉で“コンドルト“とは、“気高い”“貴い”という意味で・・・。それは・・・。
「そ・・。」
「お前が王だ。諦めよ。」
王などと正直面倒なことはしたくないのだと言って、就任を遅らせている事を言っているのか。
「しかし、私は学もないし兵上がりです。他国に人間だし獣人だし・・。」
「そんな事は百も承知で、皆それでもお前にと言っている。それにお前の名はもう他国にも広まっている。・・・何より、父が認めている。お前が王だ。」
“父”と。あの唯一神が“父”と。
「あなたは・・。」
「“零”だ。先程ランドが言ったろう? 正直私だってこの荷は重い。が、それが私の役目だし、嫌々やっている訳でもない。何より、私は父が創ったこの世界が好きだ。お前は違うか?」
世界を背負う役をしている彼から、荷が重いが世界が好きでやっていると言われて、「俺は嫌です。」と言える人間が果たしているのか。
この国が好きだ。妻の里帰りについて来る度温かく獣人である自分を迎えてくれた人々が。圧政に苦しめられても、逞しく生きていたこの国の人々が。だからこそ、兵を辞しても守りたいと思った。自分一人ででも。
「私で務まりますか?」
結局はそこに行きつく。どう理由をつけようとも、自信がないのだ。敵を倒すのとは訳が違う。机上で議論を交わしつつ裏を探るなんて技が俺に出来るとは思えない。
「何の為にランドがいる。奴はそういうの得意だぞ。そしてランドの下に集められた執務官たちは優秀だ。軍はテントに任せろ。テントは教えるのが好きだし巧いぞ。その内ミハイルと肩を並べるほどの使い手になる。片腕でもな。そしてそれたちがみなお前を慕ってついて来ているんだ。お前を王にと望んでいるんだ。これほど嬉しく頼もしい事はあるまい?」
王にと望んでもらっている、と言われて皆を振り返る。いつの間にか執務室には多くの人間たちが入り込んでいて、入りきれない人間たちは扉から中を覗っている。
「みんな・・・俺で・・?」
「いいと言っている!お前がいいんだ。何時でも正直で真っすぐで。確かにその性格は王には向かないという奴もいるだろうが、そんな王がいたっていいじゃないか。芝居くらい打てるように仕込んでやる。」
後にもやいのやいのと皆口々に言っては、笑っている。
「では、新しい王の誕生に、私から贈り物をしよう。・・まずはチェス。おいで。」
彼は俺の精霊を呼んでその長い髪を撫でる。
≪御子様。≫
≪お前の主はこれから沢山の困難な局面に携わっていくだろう。お前は常に主に寄り添って生きていかなければならない。今まで以上に力が必要になる。受ける覚悟はあるか?≫
≪あります。私はリーヴェと共に。≫
≪では、授けよう。少し痛むよ。≫
二人は話し、そして彼は俺に手招きをする。
「リーヴェ。痛みには強いか?」
「は?」
返事をする前に彼は両手を天に翳しその掌を握りしめる。するとそれが光り、目の前で開かれた掌には真っ赤に燃えているかのように光る宝石のようなものが浮かんでいた。
彼はそれを俺とチェスの前に翳し、瞳を閉じる。
「これは我の血、我の力。彼らを正しく導く手助けをするもの。・・・この証石を持って、彼らが我の加護する者と認める。彼らが道を踏み外す時、我の手でもってその命を狩ることを誓う。我の証を受ける者、リーヴェ・クリストフ・コンドルト。」
膝をついたままの俺の額にその石を押し付けると、ぐぐっとめり込むのが解った。
「・・・・っ。」
痛いというより、熱い。焼印を押されているかのように熱くて、身じろぎをするのを我慢するので精一杯だった。
ズズズッと音がして、それは額に吸い込まれて消えた。すると熱いのが消えて、ふっと身体に入っていた力が抜ける。
「火の監視者 エンヤの眷属でありリーヴェの加護精霊チェス。」
チェスの額にも、同じものが押し込まれてゆく。
音のない部屋の中に、ふっと彼が息をついた。
「終わり。・・・相談でも困った事でもあったら呼べ。ただし、私は食費がかかるから、覚悟して呼べよ。」
ヘラリと彼は笑って、何という事はないという顔をして言った。
「街角にある“ヘリオス”の丸ケーキ2つ、買ってきて?お金は払うよ、もちろん。」
「あぁ、忘れてた。これ、預かって来た。」
ひらりと紙を出して、リーヴェに渡す。
(どこから出した?)
右手には大皿、左手にはフォークを持っているにも拘らず、確かに紙は手渡された。いやそれ以前に何も持ていなかったはずだ。
「ランドォ~。考えても無駄無駄。・・・それよりゾーイ頂戴。」
私の方を向いてにっこり笑う。怖いです、何でかその笑顔が。
「皇太子が来る、と?」
その言葉にリーヴェの方を見る。
リーヴェは紙を手にその内容を読み上げた。サージェスの皇太子が国の代表としてこの国を正式に訪問、軍を率いて残党処理と街の復興の手助けをしたい、と。
「うん、やっとあの馬鹿皇子が目覚めたからね。大変じゃなかったけど、なんせ馬鹿だから、現実を見せて完膚なきまで思い知らせてやりました。」
(現実を・・・?)
「この国の腐敗に関わった王族や貴族はね、死んではいないんだ。」
あっち…と彼はフォークで私たちがいる仮の城の後ろ、森の奥、かつて王宮があった場所を指す。
「あそこにはね、時の牢獄がある。正確には時を止められた牢獄がね。死ぬ事も出る事もなくテスの許しがあるその日までけして開く事のない牢獄が。そこにね、閉じ込められている。テスの愛し子を殺した罪を全員で払ってもらう。・・考えた事はなかった? 加護付きの中にユファとアルファの加護付きが同時に存在しないこと。」
(・・・確かに。)
昼と夜の加護付きは、どちらかが存在する時は片方はいない。そして存在する方が亡くなった時、もう片方の加護付きが生まれる。
「止められるの、ですか?時間を。」
「二人揃えば、ね。彼らにしかない力だ。王宮内にため込んだ食料が尽きた時、その瞬間を狙って時を止めた。君たちには見えないだろうが向こう側からはこちらは見えている。街の人々の笑顔や復興の様子が。明るく楽しげな声までね。しかし、向こうのはこちらには見えないし聞こえない。実際どこにあるか解らないだろう?目隠ししてあるからね。」
「許しは来るのですか?」
そしていつか、彼らがまた出てきて圧政をする日が?また戦う日々が?
「さぁね。許す前に忘れてしまうかもしれないよ。これはテスの制裁だ、私たちが口を出す権利はない。ただ、時を止められた牢獄は解けた瞬間、止められた時間が一気に流れる。許しがずっとなかった場合その瞬間に死ぬだろうね。」
しん・・となった。
「覚えておけ。私たちは優しい訳ではない。戦争などはお前たちの領分でそれに加護付きが加わるのは人間として仕方がない事だろう、が加護付きが死ねば付いている精霊もまた消滅する。帰ってくる訳ではないのだ。王たちは二重に子を失う苦しみに晒される。だからこそ意味もなく理由もなく子を殺されると、王たちの怒りは深い。人間とて同じだろう?何しろ、お前たちを創った父は精霊王たちをも創ったのだから、基本は変わらん。ただ人間と違って死なぬ。それは悲しみが続くと言うことだ。記憶が無くなる事もない、それこそサージェスが出来たことだって昨日のようなものなんだぞ。あそこ建国538年だろ?」
そんな空間はきっと生き地獄だろう。
それを見せた、と。どうやってかは知らないが、きっと連れて行ってだろうから。目の前で。
「ば・・・馬鹿皇子って・・・。」
「だって馬鹿だろ? でも馬鹿じゃ王は務まらない。馬鹿が上に立つとまたリンドルのような国が出来上がるぞ。そしたら加護付きがまた失われる。私はそれが嫌だ。だから、荒療治をして目覚めてもらった。リーヴェ。」
(二つ目・・・。一体どこに入っていくんだ。見てるこっちが胸やけしそうだ。)
「はい。」
「こき使ってやれ。あの国には北部の代償と私を王宮に呼び付けた代償を払ってもらう約束だ。あとエセルとパウロを虐めたからな。それとランド、クリフォードに言って王妃の故郷のシンガルドから植物の種と果実の木、植物の苗を早急にこっちに運び込んでもらうよう確約を取っている。ほぼ同時くらいにやって来るから受け入れを急がせろよ。」
聞いてガタン、と立ち上がる。
「早く言って下さいよ。どれほどの量なんですか?」
「え~? とりあえず500ギル(1ギル=約1トン)位?」
「ア・ナ・タ・も当然手伝っていただけるんですよ、ね? 愛し子様。」
踵を返して、彼の襟首をひっ捕まえた。
処理できる訳ないじゃないですか!
「代償は?」
(・・って! このっ・・・このっ!)
「あと二つ買ってあげますよ。私の奢りでね。」
「ん~・・・。」
引きずりながら。皆はハラハラして見ているようだが、知った事ではない。
「ゾーイをつけましょう。それともゾーイのお酒がいいですか?」
「やった! やるやる! パウロはくれなかったんだよねぇ、お酒。」
そうと決まれば、ほら行くよ、と彼は私を追い越して歩いて行った。
神よ。貴女は愛し子をどう育てたんですか・・・。
愛し子、喰い気に負ける。




