15 「馬鹿皇子。」
月が昇っている。
地球で見るよりかなり大きめの月は、銀色に輝いていて世界を白っぽく染めているように見える。
【綺麗だな。】
心から美しいと思う。ガイアスの作ったこの世界は、その隅々まで美しい。(例外はあるよ、ゾーイとかゾーイとかゾーイとか・・・。)
魔法がある分科学というものはなくって、高いビルや車や電子機器はない。けど、不便ではない。
自然や精霊が人々を包みこんで、優しい世界になっていると思う。
≪パパ。≫
≪詠星。≫
人型になったガイアスが横に並び立つ。その姿は神々しいままに輝いて、月ですら霞む。
なのに、あんまり“パパ”の名称に固執するから、こっちが折れてしまってこの通りだ。いろいろ失くしていってる気がするけど、まぁほら“パパ”という言葉自体は間違ってないというか否定しようがないので、親孝行と思って、色々飲みこんでマス。
≪あなたの気持ちが伝わってくるよ・・・この世界が好きなんだね。とっても愛しているんだね。≫
≪うん、愛してるよ。人も精霊も、そしてあなたも、詠星。≫
この歳になって頭を撫で撫でされるのは実はとても恥ずかしいけど、嫌な気持ちではないから、誰も見てはいないから今は甘えておこう。
優しい手、優しい気配。その眼差しも心も。
≪私も、好きだよ。だから視てみる。そしてパパの守りたいものを私も育てたい。人や精霊、パパであるガイアスを、私も愛してるから。≫
素直にそう思えることこそが、私がガイアスの娘である証でもあると思う。何の反感もなく、そう感じてしまう。 美しいと、好きだという気持ちが溢れてきてしまう。
ギュッと、いつもより多少加減した抱擁をされる。いつもは息が止まるほどで、王たちが仲に入って止めるから。
≪我はいつも見ている。我が淋しくならないように何時でも呼んで欲しい。≫
その言い方自体が、思いやりに溢れている。
やめていい、と言わない。辛くなったらやめなさい、と。
全てを任せてくれる。気の済むまで好きにしたらいい、と突き放すのではなく見守ってくれる。
≪うん淋しくなったら、呼ぶから会いに来て。≫
だから私もそう答えた。
窓から吹き込む風が、頬にかかる髪を僅かに揺らした。
その風が何故か花の匂いを纏っている気がして、やっと顔を上げる。と、
「馬鹿皇子、目は冷めたか?」
彼だった。声は。
「愛し子様・・か?」
と問うたのは、余りにも外見が違っていたから。
「大きく・・。」
「・・・なった。昨日な。ところで何時まで呆けているつもりだ。」
あれからもう数日が経ったというのに。と意味合いを含んで言われる。
ショックだった。
『お前が殺ししたんだ。』と言われた惨劇。事態を軽んじていたこと。
“馬鹿だ”と言われた事に怒った自分は本当に間抜けだったこと。
皇太子だという身分に甘え、何時の間にか自分自身が偉くなったつもりで何かを成している気になり、必要な友人や人々を疎んじ、よりによって出世のことしか考えていない人間ばかりを徴用していた。心地いい言葉によって、結局は大きくことを見れていなかった。
「俺は・・・このままでいいのでしょうか?」
「何だ?じゃあ辞めるか?皇太子を。そんな事が出来ると思っているのか?お前は、本当に馬鹿だな。」
そう言われても、言い返す気力もない。
それは本当に自分が愚かであったと思い知ったから。
パウロがいなければ、この国もああなっていたかもしれないということすら考えなかった。
自分の足元しか見えてなくて、他の国の情勢や出方を探る事もせず、結局はこの国も他の国も軽んじていたこと。
もっとちゃんと進言に耳を傾けて、耳の痛い言葉にも心を開ききちんと周囲を見てさえいれば・・・。
ふわり、と花が舞うようにベッドに項垂れていた俺の前に、愛し子が椅子を持てって来て座った。
「本来であれば、執政を少し遠くから見られる今だからこそ、周囲の状況や王としてのクリフォードの手腕を学ばなければならない時だ。何を優先し何を切り捨てるのか。それが成功しても失敗しても全ては王の責になるという事も。いいか、馬鹿皇子・・・王とはそうやってすべてを自分一人で背負うからこそ尊敬され、敬愛されるもの。どんなに周囲が煩かろうとも静かだろうとも、反対されようが賛成されようが、結局判断する時は自分一人だ。そして失敗すれば一人でそれら全ての罪を負わなくてはならない。お前に父母がいる様にお前の家臣にだって父や母、妻、子がいる。皆お前の為に働くのではない、その守るべき家族の為にお前に賭けるのだ。それはお前が王になるからだ。それはけして逃げられない運命と知れ。」
それを父は、現サージェス王たるクリフォードは15で背負った。
どんなにか心細かっただろう、辛かっただろう。しかしそれを零す場所はなかったのだ。今の自分よりもっと下だった父は、何を思ってそれに耐えたのか。
もっともっと、見るべきものがあるだろう、と言われ頭を上げる。
逃げられないなら、立ち向かうしかない。そうしなければならない身分であると知れ、と。
「お前が王として立つ時、どれほど信用できる人間を周囲に集める事が出来る? クリフォードは今はまだ健在だが、それがいつまで続くと思っている?人はいつか老いる。老いたら死ぬ。その事を考えた事はあるか?今のお前では王として立った時、周囲に貪られるだけ貪られて終わるぞ。そしてこの国も民も皆終わりだ。馬鹿な王を立てたからだと言われるのだぞ。・・・では“信用”とは何か?“信用するに値するもの”とは何か?金か?権力か?それ以外の何が?・・・お前が考えなければならない事は多いんだぞ。こんな部屋で落ち込んでいる暇はないんだ。」
ゴツンと拳で頭を殴られる。
「私は助言しかせん。一つの国に肩入れは出来ぬ身分だから。ただ父が人が好きであるように私とて嫌いではない。だからこそ滅ぼしたくはないのだ、だから助言はする。あとはお前たちが考え進んでいかなければならない。良いか、心からの叫びや助けは精霊が届ける。それは精霊が付いている付いていないに関わる事ではない。確かに付いてないなら声が聞き取りにくいが、その為に神殿があるだろう?あそこは精霊王たちの家の入口みたいなものだ。家の前で叫んでいれば嫌でも聞こえるわ。」
その言い方に少し笑うと、ふっと愛し子の声が柔らかくなった。
「精霊は敵ではない、敵に回すものではない。彼らは人間が好きだ。愚かで小賢しい人間がな。お前たちは愛されていると知れ。だから自分たちにとって大切なものは精霊たちにとっても大切であると知れ。それを知っている人間を大切にしろ。」
そう言われ、エセルが思い浮かんだ。
何時も俺を情けないような目で見ていた彼を。あれは皇太子のくせに勉強が出来ないとかで蔑んでいたのではなく、こういう事だったんだと。
精霊を信じれなくて蔑ろに考えていた自分を残念に思っていたのだと。
視えないから信じられないと考えていた俺は、じゃあ何が見えていた?
何も見えていなかった。目の前の人たちのことすら。
「アッシュフォード。お前のすべきことは何だ?」
「何をなさった?」
ミハがやってきて開口一番そう言って仁王立ち。
「・・・。」
言い返さず笑っていると、ため息をついて横にすとんと座った。
「近衛隊隊長にエセルが引き抜かれました。」
と言いながら、名簿らしきものを手渡される。それには本日付のアッシュフォードの命で、エセルが近衛隊に配属替えになることと、神殿第一第二部隊の一部を派遣する旨が記されていた。隣国リンドルへ。
その責任者代表として名が上がっているのは・・・。
「危険です。」
アッシュフォードだった。
(極端な奴だな・・。)
単純思考。
でも嫌いじゃない。
くくく・・・と笑う私に、ミハは苦虫を噛み潰したような表情を向ける。
「では聞くが・・・誰なら適任だと言う? お前か?ミハイル。 同期のよしみで許してくれるとでも?」
「そ・・・それは・・。」
「忘れるな。あっちはすでに国の英雄と讃えられ、次期王になる身だぞ。 出だしで出遅れているこの国が取り返すにはこれでも足りんくらいだ。 足りない分もおそらくは考えているんだろうがな。ミハイル。」
もう眠れる獅子と言われる時期は過ぎたぞ、と視線で問えば、大きくため息をついた。
「・・・解っております。」
「あと一つもな。」
「そっちは今夕にでも。」
王からの代償は、早急なる北部の復興。
住むべき人間たちは死してしまっているが、人は呼べばいい。ただ呼ぶには街並を整え、その地を治めるに相応しい人材を置き、惨劇があった記憶を残しながらももう二度と起こさないと確信させなければならない、それだけの街づくりをしなくてはならない。
それを最優先に予算を組み、煩い貴族を黙らせ(これは私がデバッたことで文句を言う貴族は出なかったが。)、残党への警戒を含め兵を編成させた一次部隊をもうすでに出立させてある。
かなりの出費である事は覚悟してもらったが、それでも民への説明をすることで、反感は免れた。
ミハは、何とか及第点。“女に甘い”と言うより、“ヘタレ”だった。まぁ、メアリー限定だろうけど。
「行かれるのですか?」
クリスがやってきて泣きそうな声で聞いて来る。
「あぁ。他の国も視なくては。」
そう言うと、
「僕は・・・神官になります。」
決心しました、という意気ごみで口を開いた。
「クリス。」
「はい。」
真っ直ぐな瞳で一言も聞き洩らさないとでも言うように、クリスは私の顔を見上げる。
「目指すなら高みを目指せ。目標は高ければ高いほどいい。その高みに必死で手を伸ばして目指せ。・・・いい見本が目の前にいるだろう?」
“誰か解るか?“と問えば、パウロの方を振り返って見つめ、しっかり肯いた。
「人を怨むな、とは言わん。目の前で両親を友を殺されたお前にはそれはまだ無理からぬとこだ。ただな、広く視て心を開け。お前の両親を殺した人間たちだって、普通の人間だった。彼らだって逃げ出したかったのだ。では何から?誰から? “そこ”を考えろ。考えながら学んでいきなさい。完璧な人間になどならなくてもいい。人を愛する事の出来る人間になりなさい。」
「・・・。」
「小さなクリス。そのうち解る。お前がだんだんと大人になってくればね。」
サラサラの髪を撫でる。
≪リィン。しっかり育てるのだぞ。お前の主は幼い、しかし考える力はあるのだから、囲い込むな。間違えるなよ。次はないからな。≫
精霊語で言えば、クリスの横にリィンが現れ、深く頭を下げた。
さて、どこに行こう。




