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彼方の地から  作者: 竜胆
12/34

12  「”王”とは?」

 落ちくぼんだ目、痩せて骨と皮だらけになった腕や首。着替えや風呂などといった余裕があるはずもなく、汚れ皺だらけになり、よれよれになったドレスや服。そんな姿でまるで生きた屍のようにゆっくりうろつく姿。

「カイロス様・・恨みますわ・・・。」

そう呟きながらへたり込んでいるのは、比較的まだ綺麗な格好をしているカイロスの妻であった女だ。それでも謁見に来た時とは比べ物にならないくらい疲れきっている。

「愛し子様、あの赤子はいかがなされたのです。」

そう言えば、と思い出す。取り出して掌に浮かんでいたあの赤子。弟王子との子だと言っていた哀れな子。

「腹の中に返した、成長することはないがな。時が止まっているんだから。・・・しかしおそらくはもたないだろうね。ユリアは遠からず狂うよ。」

恐ろしいほどに彼は冷静だった。自分や他の人間は目の前の光景に動揺し、恐れ慄いて、一つところへ縮こまってしまっているというのに。

「あの愚かな男は、輪廻の輪から外れた。魂を浄化するどころか生まれ変わって償いをする機会も謝る機会も何もかもを奪われ、今は虚無の海に漂っている。あの男の頭上では、生まれ変わりの魂の列が進んでいる。それを下から見上げながら永遠に苦しみもがく。そこには知った顔も通りかかるかもしれないが、男は一人だ。たった一人真っ暗な波のない底のない海に浮かんでいる。意識を失うこともなく死ぬこともなく、ただただあるはずのない許しを請いながらな。」

静かな声にその光景を想像をする。おそらく皆がそうしているであろう。「哀れな。」と小さく呟いたのは誰の声だったか。

「どうすれば、許される?」

カイロスの遺体に視線を投げたままアッシュフォードが呟いた。

『悔い改めて、祈れ。』

『心からの祈りを捧げよ。』

『俺たちに届くのは心からの真実の気持のみ。』

ユファ神とアルファ神が口々にそう言った。

「精霊は嘘が”視える”んだ。だから、本心から悔い改めねば嘘の言葉になる。嘘の気持ちと言葉を並べたところで、人間ならば騙せても精霊は騙せん。」

それを難しいと思う人間は、悔い改める気がないんだろうね、と。

城の中から物を壊す騒々しい音が聞こえてくる。

『馬鹿皇子だ。癇癪を起してる。そろそろ来るよ。』

ユファが言うと、剣を携えたノースが血走った眼つきでぶるぶる震えながらやってくると、兄であるカイロスの遺体に斬りつける。凶器に取りつかれたその行動は何度も繰り返される。「あんたが・・・あんたのせいで・・・!」と呟きながら。

そしてぎらついた目がユリアを捉えるとつかつかと歩いて来て、その細い手首を掴んで引きずるように部屋へ戻ろうとしている。

「嫌!ノース、いやっ!・・・はなし・・・。」

「黙れ!股を開くしか能がないだろうが。来るんだ、そして啼いてろ。」

本当に引きずられてユリアは城の中に戻されて行った。叫び声だけが聞こえてくる。でもそれはユリアだけでなくあちこちから、男の声も女の声も。

そこには救いはないように見えた。透明な壁一つ挟んだ街が眩しいだけに余計にそう見えた。


 街の様子はすっかり立ち直っていた。

3年も経っているのだと改めて思う。

かつては、”通りの真ん中は貴族専用”とか法律のあった石畳の立派な通りは、今は両脇に小さな店が立ち並び、人々が明るい顔で買い物をしたり立ち話をしたりしている。

「来るぞ。」

彼の指さす先を見る。そこに現れたのは3人ほどの男たちだった。

他の街人と何ら変わらない、普通の格好をした、しかし屈強な身体つき。ミハイル隊長が3人といった感じか。

「あれは・・・リーヴェ副官?」

マーカスの声に王がそうだと小さく言った。

「リーヴェ・クリストフ。今や新しいこの国の英雄だ。お前らは惜しい人材を逃したな。なぁ、マイルズ?」

彼が振り返ってマイルズ公爵を見た。


自分が副官になる前、その地位にいたのは今目の前で人々と親しく話をし、手を貸し街を一緒に復興しているリーヴェだった。

リーヴェは獣人の父と人間の母親を持つ獣人で(父親が獣人の場合、母親が誰であっても必ず生まれてくるのは獣人だ)、ミハイル隊長が格闘系に特化しているのとは違い、俊敏性に特化した身体つきと瞳に縦に伸びる瞳孔が特徴だ。

「隣にいるのはザクト国の魔術師ランド、テスの加護付きだ。反対のはランドの双子の弟であるテイル。3年前に彼らはここで出会い、気持ちを重ね合わせ、街と人を守るために先頭に立って戦った。テイルの片腕がないのはその時負傷したためだ。彼らに賛同し、各国からかなりの人材がやってきた。皆仕事を辞め、彼らと共に戦っている。かなりの人間が犠牲となり、また負傷した。リーヴェは妻の家族がここ出身だった。どうか助けを出してほしいと訴えた時、マイルズお前は何と言った?」






 「何故態々首を突っ込まなければいけないのです。それよりはむしろ逃げ出してくる難民を入らせないよう国境を固めるべきです。あの国はなるべくしてああなった。救う必要はない。」

謁見の間に木霊するほど厳しい声がした。

「そうだ。以前からあの者たちの態度は目に余った。結果、どこの国も助けに入らないではないか。」

そう同意したのは王太子である俺だった。

その後すぐ、リーヴェが騎士団を辞めたと聞いたが、何とも思わなかった。いや、馬鹿な奴だと思った。

「確かにリンドル王室の人間は腐っていた。が、それが民を見捨てる理由になるか?むしろそんな奴らに苦しめられているのを助けようとは思わなかったか? お前たちは知らないだろうがな、他国はさっさと助けに入ったのだよ。あからさまに国旗を掲げて入ると国と国との戦いになる故、”傭兵”という立場でしか入ることは出来なかったが、それでも正規軍がかなりの数入っていた。皆罪のない民を救う為に他国の為に。お前たちが王宮で”救う必要はない”と断罪した国のために戦っていたのだ。サージェスの北部が狙われたのは、その時お前たちが参加していなかったからだ。あの国ならば易々と入れると思われたからだ。他の国は絶対に許さないという意気で戦っていたから、報復が怖くて襲われなかったのだ。つまりは・・北部の虐殺はお前のせいだよ、アッシュフォード。北部の人間が何人死んだと思う?クリス一人しか残らないほどの虐殺を許したのはお前がパウロの忠告を王に伝えなかったからだ。”そんな事があるか?””その話に信憑性はあるのか?”と他国の介入の話を調べもせずに一笑したお前が、北部の人間たちを、殺したんだ。アッシュフォード。」


一言一言を切るようにして述べられる自分の罪に、足が立っていられず崩れ落ちる。石畳だと思った地面は、元の王城の裏の丘に戻っていた。

「お前がつまらぬ嫉妬をしてエセルを遠ざけていなければ、学友時代に腹を割って友人になってさえいれば、こんなことはなかったんだ。」

”エセル”? 何故?

「加護付きには、同じ属性の精霊の声が聞こえる。エセルはテスの加護付きだ。殺された赤子と同じ属性だからな。いち早く察知出来ていた。だから進言しにきたろう? リンドルにテスの加護付きが他に一人もいなかったとは考えられない。だったら更に多くの声が聞こえたはずだ。それこそ魘される位な。何度も訴えたはずだぞ、エセルは。それをつまらぬ嫉妬心から相手にしなかったろう? お前は愚か者だ。馬鹿だ。甘やかされるばかりで、努力をすることもなく他人を羨んで遠ざける大馬鹿者だ。」

「俺・・・は、・・お、れ・・は・・。」






 茫然として自身を失っているアッシュフォードをそのまま部屋へと転送し、貴族たちには散々静かに脅したのち帰らせ、そして執務室へ帰ってきた。

「愛し子様。・・・あれは、私たちの罪でもある。」

かなりの精神を疲労したであろう妊婦の妃は部屋に返した。今いるのは私とマーカス、王とエセルだ。

「そうだよ。お前たちの責任でもある。甘やかして育てた馬鹿がつく親だったお前たちのな。・・・それでも矯正する機会はいくらでもあった。子は成長する生き物だ。そこでリセットさせれば良かったのに、付いた教官がマイルズではな。王、お前の人を見る目が甘かったのだ。確かにサージェスは平和が長く続いていたから油断もあったろうが、例え他の者がそうであっても王とその側近だけはそれでは駄目なんだ。」

彼は息をつき、窓の外を見ながら夕陽を背負って話し続ける。


「”王”とは何だ? クリフォード。」


「民と国を導く者、です。絶対的な力を行使し、国を守るものです。私はそう習いました。」

クリフォードの答えは一応及第点だろう。”王”を知らない私が言うのもなんだけど。

「自分はね、”すべてを背負う者”だと思っている。」

一人称を“我”から“自分”に変えることで、少し肩の力を抜く。元々人間の私にとっては、さっきの光景はかなりショックだったんだ。一応女の子ですからね。現代人だから、戦争も知らないし。かなり身体が強張っていたんだ。

皆が座ったのを確認して、自分も出窓のスペースに座る。行儀悪いけど。

「”背負う者”ですか?」

マーカスが問いかける。

「うん。情勢が不安定で国が定かでない時は、先頭に立って雄々しく戦う王の方が民衆は安心するだろうけど、平和になった場合、そんな王では逆に不安になる。”また戦争をするんじゃないか?”とね。考えてもみろ。兵は元々民だろう?家族を戦争に取られて嬉しがる人間がどこにいる。」

”あっ”と三人が今気がついたという様子で息を飲む。そこが駄目なんだって。

「最前線に行かされるのは、精鋭部隊と大抵民出身の兵だ。王族は出ないし、貴族どもは安全な後方にばかりいる。それで”戦え”と旗を振られてもな。皆家族がいて死にたくはないんだから。だから平和な時に入ったら、王は引っ込むのがいいと思うんだ。皆を国ごと背負いながら、後方で”好きなようにやってごらん”と見守るのが王の仕事だと思っている。出しゃばって、“俺が””俺の為に”とか“俺のモノ”だとかいらないんだ。静かに見守りながらちゃんと人を見て選んで、良き人材をあった場所に使うよう手配する。いったん対国となった時には、力強い王として出しゃばってゆく。それが王だと、ね。貧乏くじだと思うだろうが、そのために立派すぎる城に住んで、多くの税金を使わせてもらっているのだろう?国は王の為にあるんじゃないよ。民の為にあるんだ。どんなに“自分が王だ”と叫んで威張ったところで、民が一人もいない土地を“国”とは呼ばないだろう? クリフォードが言ったが”絶対的な力”を“自分”の為じゃなく“民”の為に行使するのが王だと思うよ。理想論かもしれないが、平和だからこそ理想論が語られるべきだろう?」

と語ってみた。キャラじゃないけど、必要だと思うんだ。民側の意見って。

だって絶対王政なんだもん。周りは貴族ばかりだし、一般市民の声なんて聞こえやしない。






 「精霊王たちは怒っていらっしゃるのですか?」

この国が助けに入らなかったことを・・と、陛下が問うと、

「彼らは基本的に人間たちがすることに関知しない。視ているだけだ。でもそこに加護付きが巻き込まれれば、そうはいかない。言ったろう?加護付きが死ねばそれに付いている精霊もまた消滅する。それは仲間が消えるということだ。君たちは目の前で仲間や家族が殺されるのを黙って見ていられるか?答えは”否”だろ?」

彼はそう返した。

皆が肯くと、

「そういうことだよ。命とは精霊であっても人間であっても同じくらいに貴いものだ。しかし、それをすぐに忘れるのは人間の悪いところだ。”個”の命は誰のものでもない、その”個”のものだ。国のものでも、ましてや王のものでもないんだ。クリフォード、忘れるな。それを忘れた時、この国は大きな厄災を喰うことになる。」

許されることはないんだ、と彼は呟いた。


「神、とは・・。」

エセルの呟きはマーカスに引き継がれる。

「厳しい方だということだ。優しさだけを受け取るのではなく、その厳しさもまた贈り物、ですか。」

「そういうことだ。」


「・・・さて、代償を払って貰おうか、クリフォード。」


く…暗かった。

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