10 「お前のだ。」
「ば・・馬鹿な!」
結果を目の当たりにし、驚愕に慄いているのは二人を除いたその場の人間たち。
二人、とは愛し子とエセルだ。愛し子は澄ました顔をして、言ったのに・・と言い、エセルの方はまるで日常とでも言いたげな表情をしていた。
「お前とお前、鍛錬をして居らんな、精霊が弱っている。取り上げるぞ。それと、この中で一番筋がいいのは白のお前だ。精霊の成長が著しい。鍛錬を増やせ。・・・衛兵に至っては、ミハが泣くぞ。何だその鈍らな剣は。それじゃ誰も守れん。」
彼は一人一人にそう言いながら視線を投げる。
「それと我に攻撃するな。危険だからな、お前たちが。」
バタバタと足音がして警護の人数が3倍ほどになった。
転がっている仲間を見て、さっと身構える。
『やめろ!』・・・そう叫ぶはずの声は誰にも届かなかった。比喩でも何でもなく、事実、声が喉からでなかったのだ。口は開くがパクパクと馬鹿みたいに開くばかりで、声が一言も漏れないのだ。
「エセル。素手でな。できるか?」
「やれます。が、魔術師は?」
「何も出来ん。我が封じた。術を繰り出すどころか指一本動かん。・・・参る!」
二人の声だけが鮮明に聞こえて、二人が目の前で背を向け合う。
「我が5人。エセルはそっちのな。」
言いながら、にやりと楽しそうに口許だけで笑った彼は、斬りかかって来た衛兵を視線に捕えた途端すっと無表情になってその懐に飛び込んだ。その速さについて行けず、長剣を振るうことが出来なくなった衛兵の足の甲を思いっきり踏みつけ、上体が落ちた相手の顎下に拳を突き上げる。
「私の方が少ないのでは?」
エセルの方も剣をすれすれで避け、素早く衛兵の背後に回ると、その首の後ろを掌刀でたたく。これで二人沈んだ。
「遠慮しろよ、久しぶりに暴れてるん、だ!」
と”だ”のところで、その長い脚を利用しての回し蹴り。衛兵は部屋の隅まで吹っ飛んだ。
背を向ける形になった彼に隙ありとばかりに斬りかかった相手に、彼は振り向きざま拳を顔面にめり込ませ、倒れかかる身体を殴り倒した。流れる様な体術で、次の相手を視界に捕えた時、見たこともない技にびっくりする。そのまま背負って投げたのだ。彼より遥かに大きい相手を、容易く、その細い背に背負い足を引っ掛けて投げ飛ばした。もう一人・・・、
「何だお終いか?不甲斐ない。楽しくない。」
彼が構えていた腕を下ろしてそう言った先には、剣をぶるぶる震わせているだけの新人が立っていた。もちろん、エセルの方も終わっている。
王の執務室には、衛兵たちの呻き声とノビた身体、落とした剣が散乱していた。
「・・・えらくご歓迎だな、クリフォード。それとも、この国では招いた客を切りかかってもてなすのか?」
冷えた声が響いた。
「そん・・・。」
言いかけると、今度は声が出た。
「我は最初に言ったろう?”呼び付けた”と。”用は何だ?”とも言った。クリフォードも“愛し子殿”と言ったな。だったら我の身分は解っていてこのもてなしなのだろう?」
怒っているのか、と顔を見ても至って無表情で感情が読めない。
「しかし、いきなり・・・。」
「我以外で、それが出来る人間がこの世界にいるか?考えれば自ずと解ることだろう?」
馬鹿にされた、とかっとなった。
「不敬は不敬だろう!ここは王の執務室であり、こちらにいるのはこの国の王だぞ。」
叫んだ。
その時、入ってきたマーカスが、まずそうな顔をした。
「”不敬”か? 我はこの国の人間じゃなし、家来でも下僕でもない。なぜ敬意を払わねばならん。”王の執務室”とは言うが、こんな穴だらけの結界に何の意味がある。それに我は呼ばれたから来た。日にちや時間の指定はなかったから、暇を見てきただけだが? あぁマーカス、久しいな。」
王太子である自分をスルーして宰相のマーカスに微笑みかける。
「お久しぶりでございます、愛し子様。お越し頂けて嬉しく思います。これはこちらの手落ち。申し訳ございません。」
深々とまるで王にでも頭を下げる様子でマーカスは礼を取ると、倒れている部下たちを運び出すように指示をする。王である父は、やっと驚いた表情を顔から剥がして彼にソファを勧めている。自らが立ち上がり、頭を下げている。
「クリフォード。パウロから預かり物があるぞ。妃にだがな。採れたての果物だ、身体にいいと。」
どこから取り出したのか、さっきまでまるで手ぶらだったのに、その手には袋が持たれていた。
エセルが彼の斜め後ろにそっと影のように立つ。
「父上!」
「控えろ、私が呼んで来て戴いたのだ。あまりの展開の速さについて行けなかったが、こちらが悪い。お前も頭を下げよ。」
よりによって自分に頭を下げろ、と? 王太子である自分が?
あんまりな言葉に、憤って部屋を出て行こうとした。
「殿下!」「アッシュフォード。」
マーカスと父の声が重なった。
「思い上がるなよ?」
静かに彼の声が響き、振り返って思いつく言葉をそのまま口から零れさせた。
「俺は王太子だ。何故どこの誰とも解らん怪しい奴に頭を下げなきゃいけない? そもそも愛し子など、神殿の作り話じゃないのか?あの神官長は少し思い上がっているんじゃないか? 見えない精霊など信じられるか!うそくさい。 大体精霊に何が出来る! 父上も父上だ、ちょっと母上の身体の調子がおかしいからって気弱になってこんな奴を頼ろうなどと。」
「クリフォード。妃をここへ運ぶぞ。」
彼が立ち上がって父上の了解を取る前に、ベッドごと母上が執務室に現れた。母上は知っていたのか、慌てずベッドから降りて彼に頭を下げようと・・・。
「フローレンス、いい、そのままで。・・・あぁ絡まっているな。それでは腹の子もお前も苦しかろう。我が取ってやるから。」
そう言いながら、母上の身体に触れるかどうかという感じの距離感で手を動かす。その動きを見ていると、何やら細い紐らしきものが母上の身体に絡まっているようでそれを手繰っているという感じだった。それを何度か繰り返すうち、不意に彼の手の中に黒い紐が現れた。
「それは?」
「これか?これはな、情念だ。嫉妬やねたみ、羨望といったモノの塊だな。妃が苦しくて熱を出していたのは、これが身体中に絡まっているからだ。腹の子にもな。消滅させることもできるが・・・面白いものを見せてやろうと思ってな。わざわざ手繰っている。」
しばらく待てと言いながら彼が手繰っていると、どんどん母上の顔色が良くなっていく。
「楽になって・・・。」
「そうだろ? 良かったな。確かにこれは人間の医者では治せんな。 フローレンス。」
彼が紐を束ねているのとは逆の手で緩やかに母上の頬を撫でる。
「その子を大事に育てよ。出来れば教育係はマーカスがいいが、出来ぬだろうからマーカスが選んだ相手をつけよ。ただし身分を問うな、貴族から選ぶ場合は十分吟味しろ、その子は重要な子となる。 育て損なうと、この国はなくなることになるぞ。隣のようにな。甘やかすな、上に立つ者として何を行えばいいのか解る子に育てよ。思い上がらせるな、間違わせるな。我がこの国を消したくなるような子に育てるな。解ったな、フローレンス、クリフォード、マーカス。」
「「「はい。」」」
と3人は頭を下げた。
「それと医者だが・・・今いるカリストは外せ。あれは出世欲ばかりで役には立たん。頭はいいが応用が効かない。あぁ悪い、お前の同級生だったな、エセル。・・・引退したガゼブが一番良かったんだが、今は孫に囲まれて幸せに暮らしているしな・・・マルセーヌ・ルシフォーがいい。」
出て来た名前にピクリと反応してしまう。彼女は・・。
「北部で夫が死亡したから、帰ってきている。たった1年ほどの結婚生活だったな。・・・・で、これだが・・・。」
ついっと引くと、廊下からがたがたと引きずられてくる音がする。
それはどんどん大きな音となって、しまいには扉のすぐ外で打ち付けられるようになっていた。扉にぶつかっているのだ。そして声。
彼がふっと指を動かすと、扉が開かれ入ってというか引きずられてきたのは・・・。
「カリスト。それに・・・。」
妾妃のイメルダ、イメルダの侍女の女官。
「いったい・・・あの・・・。」
何で自分たちがここにいるのか解らないといった顔をして、3人は茫然としている。当たり前だ、こちらとて驚いている。
「これが・・・。」
と彼が一本の紐を強く引く。すると、グンッとイメルダが傾いだ。
「彼女のだ。いわゆる嫉妬だな。立場上いたしかたない感情だろうが…元々クリフォードは乗り気ではなかったろ?この際下がらせてはどうだ?彼女ならば今だ若いし美しい。嫁の行き手はあるだろう。侍女は、まぁあれだな。主が不遇なのは王妃のせいだと思っているのだ、ねたみだな。王太子以降長く子が出来なかったのに、自分の主が来た途端の妊娠、王の渡りは一度もない。主大事の気持ちゆえ、だな。カリストはこの機に一気に頂点に上り詰める気ででもあったのだろう? 王妃の主治医として他の医者を出し抜いてな。彼にとっては王妃やその腹の子は金の成る木な訳だ。しかも名誉も地位も引っさげて来る。」
彼の言葉に、3人はそれぞれの反応を見せる。
俯く者、無礼だと叫ぶ者、真っ赤になって怒っている者。が、
【浄化・削除】
彼が凛とした声で聞いたこともない言葉を唱えた途端に3人はその場に倒れ込んだ。
「・・・っ。」
「気を失っただけだ。誰か運んでやれ。」
彼の腕にはイメルダが、エセルの腕には侍女が抱き留められていた。カリストは倒れるままに放置だったらしい。男女差が激しいな。
マーカスの指示で3人それぞれに運ばれてゆくのを見送った父上が母上に「すまなかったな。」と謝っている声が聞こえてきた。配慮を怠った、と。「解っております。」と母上はいつもの優しい笑みで返している。
政略結婚であった二人は、それでも時間を掛けて話し合い解り合いの時を紡いで自分が生まれた。子の目から見ても、政略婚だとは思えないほどに仲がいい。
15で当時23の父に嫁ぎ17で自分を生んだ母は、38の今21年ぶりの妊娠中。
「カリストはともかくとして、イメルダを責めるなよ。あの娘は好きな男がいたのを父親の出世欲の為だけに嫁がされてきたのだ。侍女にしてもそれを知っていて、ただただ主を守りたい一心なのだ。少なくともイメルダはクリフォードの渡りがなくてほっとしている。」
「しかし下がらせるとなると・・・。」
マーカスは言いにくそうにしながらもこう言った。
「”王の下がり”としての肩書は付いて回ります。確かに姫は若く美しいでしょうが果たして結婚となると・・・。貴族社会の口さがない者たちの噂の餌食となりませんでしょうか・・・?」
尤もな意見だった。過去そういう噂が元で田舎にひっこんで一切出てこなくなった者、自害して果てた者などがいる。
「大丈夫だ。イメルダの想い人は案外近くにいる。そして王の渡りがなかったことも知っている。あらぬ誤解をすることはない。父親には叱られるだろうが、彼が申し出ることによって、二つ返事で嫁に出す。噂のついた娘の取り扱いに苦慮した父親はもろ手を挙げて今度こそ娘を彼に嫁がせる。愛する男が信じて傍にいてくれさえすれば、女はどんなことにも耐えられる強さは持っている。そうだろう?マーカス。」
それは、マーカスの家の事情も解っていると暗に言っているようなものだ。
「ご存知でしたか。」
エセルが言うと、
「”視える”からな。」
彼はそう返して、マーカスを見つめた。マーカスはふっと大きなため息をつくとにっこりと社交辞令ではない笑顔を浮かべ「すぐに手続きに入ります。」とだけ父上に伝えた。
「任せる。」
父上の言葉に、部下たちが動き出した。
「愛し子様、そのあと1本は・・・。」
そう、彼の手にはあと1本紐が握られている。母上の言葉に彼はついと自分を見た。
「これが一番愚かで厄介な人間のだ。」
言って思いっきりその紐を引いた。と・・・、ガクッと身体が揺れ、膝を床に着いた。
「アッシュフォード・フォン・デ・サージェス。お前のだ。」
次回、隣のあの国の惨状を目の当たりにします。




