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私のクリスマス・キャロル

作者: 吉野里

私は夢を見ていた。なぜ夢だとわかったかというと自分が小学生に戻っていたからだ。私は狭い庭の片隅に小さなスコップで穴を掘っている。目の前には祖父がいた。祖父は今年の夏、他界した。肺癌だった。さほど苦しまず眠るように亡くなったことがせめてもの慰めだった。でもおじいちゃん子だった私はしばらくは虚脱感にとらわれて高校三年生だというのに受験勉強に身が入らなかった。その後も祖父のことを思い出すたびに何か大切なことを忘れているような思いが心の片隅に引っ掛かっている。


今、目の前にいる祖父は心持ち若く体も一回り大きく見えた。それにしても私はどうして穴を掘っているのだろう。脳裏の記憶をたどるとこの光景には確かに心当たりがある。祖父の手には小さなビニール袋が握られていた。よく見るとその中には赤くて小さなものが入っている。そうだ、思い出した。私は金魚のお墓を作っているのだ。それは近くの神社の縁日で金魚すくいをしてもらって来た金魚で、うまくすくえなくてオマケにもらった一匹だった。環境が悪かったのか、それとも元々元気がなかったのか、残念ながらその金魚はわずか三日で死んでしまった。小さな命がはかなく消えたことは多感な少女だった私の心に大きな波風を立てた。自分のせいで金魚が死んでしまったと思った私はせめて立派なお墓を立ててあげようと決心したのだった。


私は祖父から受け取ったビニール袋の中の金魚を穴の中にポトリと落とすと丁寧に土を被せた。そして土の上には川原で拾ってきた白い石を置いた。石にはマジックで「金魚さんのおはか」と書いてある。

「ねえ、おじいちゃん。金魚さんも死んだら天国へ行くのかなぁ。」

無意識の内に私はあの日と同じ質問を祖父に向けていた。

「さあ、わしにはわからんよ。」

現実的というか、夢がないというか、祖父はそんな人だった。

「人間は死んだら天国で行くんでしょ。」

「わしは死んだことがないからな。何とも言えんよ。」

「先生に聞いてもわかんないかなぁ。」

「そりゃ無理じゃ。生きている人にはわからんことじゃろう。」

「死ぬまでわかんないのね。」

「わしは京子きょうこ(私のことだ)より早く死ぬからそれだけ早くわるというわけじゃ。その時は幽霊になって出てきて京子にだけコッソリ教えてやってもいいぞ。」

こんな変わったこともスラリと言う祖父だった。

「うん。でもビックリさせないように出てきてね。」

私も確かにその血を引いている。


その時わかった。祖父の死後胸につかえていたものの正体が。この約束が思い出せなかったのだ。私は少しほっとした。でもその約束がやはり夢物語だったという事実に対しては少しがっかりした。“あの頃は本気であんなことを考えていたけど、結局おじいちゃんが死んでから半年近く過ぎても何も起こらなかったな”と思った次の瞬間、「やっと思い出してくれたな。」後ろで声がした。振り向くと数ヵ月前と同じ祖父の姿があった。同時に回りの景色が急に変わった。私は高校三年生に戻り自分の部屋のベッドの上にいた。


「一ヵ月近くも待ったぞ。」

祖父の姿は床からわずかに浮かんでぼんやり青白く輝いている。

「おじいちゃん、本当に幽霊になったの。でもこれは夢よね。」

私は妙に冷静だった。

「いかにも、今わしは京子の夢の中におる。実は生身の人間と魂だけの存在である幽霊との会話はとても難しいんじゃよ。手っ取り早いのは相手が寝ている間の魂に直接語りかけ夢の中に現れることなんじゃ。つまり厳密には今お前さんの見ているわしは幽霊としてのわしではなく京子のイメージするわしということになる。わかるかのう。」

「何となくね。それにしても一ヵ月前から私に語りかけてたことには全然気付かなかったけど。」

「大切なのはその人が幽霊の存在を信じてくれるかどうかということなんじゃ。でなけりゃ特別霊感が強い人しかわしらに会うことはできんのじゃよ。まあ結果的にはクリスマスの夜に現れるために一ヵ月待ったと思えばロマンチックじゃろう。」

受験生にはクリスマスも正月もない。今年に限っては街の喧噪もうっとおしいだけであった。今日が一二月二五日であることは私にとってはどうでもいいことであった。私が黙っていると祖父はこう続けた。

「さしずめわしはディケンズのクリスマスキャロルに出て来る精霊ということになるかのう。」

「三人のゴーストね。でもあれはクリスマス・イヴじゃなかったっけ?」

「固いことは言うな。イタリアでは二五日も二六日も祝日じゃ。」

「本当?」

「本当じゃとも。わしはこの半年で世界中を回って来たんじゃからな。」

祖父は得意気に言った。生前は一度も飛行機に乗らずクリスマスを祝ったこともない人だったのに。

「それにしてもおじいちゃんがこうして来てくれたということは死後の世界はあるということなのね。」

「あるある、おおありじゃ。」

祖父はいたずらっ子のようにニヤニヤしている。

「さっきも言ったようにわしはこの半年、大急ぎで世界中を回って沢山のことを調べて来たぞ。京子にこの現実を話すまでは死んでも死に切れんという一念でな。おっとこれはわれながら上手い表現じゃな。」

「でもおじいちゃんには無限の時間があるんでしょ。急がなくったっていいじゃない。」

「いや、わしにはもう時間がないんじゃ。もしかしたら今日が本当に最後の機会だったのかもしれん。」

「どういうこと?」

「まあそれは後からゆっくり説明するとしてだな、順を追って話そうか。」

話は核心に入り、祖父の姿は輝きを増したようであった。


「死の直後、自分の肉体を離れた魂が自分自身の姿を見ているというよく聞く現象は本当じゃった。京子が涙をポロポロこぼしてくれたこともちゃんと見ておったぞ。その後誰かに引っ張られるように上へ上へと昇って行った。日本で言う“三途の川”もちゃんとあったぞ。具体的には電離層のようなものでそこを越えて更に昇って行くと簡単には下界へ下りられなくなるそうなんじゃよ。実はわしが自由に下界へ下りられるようになったのはほんの二ヵ月前なんじゃ。それまではある一定の高度を保って浮遊しているだけの状態じゃった。」

「宇宙まで出て行けないの?」

「良くも悪くも人の魂というものは地球の引力に縛られておる。わしらは死んでも地球を離れることはできんのじゃ。将来、宇宙探検の途中で死んでしまった人の魂はどうなるんじゃろうかのう。」

幽霊になってまでもそんな突拍子もないことを考えるのはいかにも祖父らしい。

「幽霊のわしがこんなことをいうのも変じゃが、下界に止まることは結構疲れるんじゃ。上空でフワフワしておる方がずっと楽なんじゃよ。だからずっと下界に止まっている魂は余程この世に未練を残している人のものなんじゃろうな。」

祖父の話題は脈絡もなくポンポン飛んだ。

「基本的に魂は電気のようなもんじゃから慣れて来るとそれこそ光の早さで移動できるようになる。これは結構面白いぞ。でも疲れてくると人の背中にくっついて移動するんじゃよ。こう表現すると何だか生々しいが足をあばら骨に引っ掛けるようにするとピッタリくっつくんじゃ。よく背後霊と呼ばれるのはこの状態じゃな。」

そして話題はまたすぐに変わる。

「結局、死後の世界といえども人間の社会なんじゃな。一番興味深かったのは死後の世界でも宗教があるということじゃ。死と宗教は密接に結び付いておるのでな。人は死後も宗教を引きずっておる場合が多い。天佑、天罰と呼ばれるものは結局幽霊の宗教活動の一環として行われていることなんじゃ。そういう意味では人為的なものじゃな。悪いことをした人間には確かに罰は下されるのじゃ。もっとも全員じゃないがな。」

「さっきおじいちゃんはもう時間がないって言ったけど魂は永遠じゃないの?」

「永遠ではない。人によって違うが確実に魂は滅びて行く。結局精神力の強弱によって決るようじゃな。これまでどれだけの人が死んだかを考えてみなさい。魂が永遠だったら地球は魂であふれてしまうじゃろうが。魂も時間と共にだんだんそのエネルギーを失っていくのじゃ。わしも指の先の方がだんだんぼやけてきておる。最後には人魂のような姿になるんじゃろうな。」

「それにしても今日、明日で消えるわけじゃないんでしょう?」

「魂が消えるにはもうひとつの道がある。転生、要するに生まれ変わりじゃな。生まれたばかりの赤ん坊に入り込むんじゃよ。わしももうじき生まれ変わるつもりなんじゃ。」

私はすぐに思い当たった。

「お姉ちゃんね。」


私には六歳年上の姉がいる。今は初めての子どもを妊娠中でちょうど今月末が出産予定なのだ。もう出産間近で三日前から母が病院で付き添っている。

「いかにも。わしはみやこ(姉の名前である)の子どもとして生まれ変わる決心をしたのじゃ。早ければ今夜にも生まれるじゃろう。」

「私も誰かの生まれ変わりなのかなぁ。」

「そうかもしれんよ。でも結局古い魂は新しい肉体の自我の目覚めによって消え行く運命なのじゃ。消えるというより吸収されると表現する方が的確かのう。物心ついたころにはすっかり前世のことは忘れておるはずじゃ。でも前世の魂も何らかの形で引き継がれて行くと思うぞ。いやそう信じていればこそ生まれ変わる決心をしたんじゃ。こうした転生が人類の発展を生んだとわしは確信しておる。」

「じゃあもう会えないのね。」

「いやいや。生まれ変わったわしに会いに来てくれ。新生児の自我が目覚めるまではわしが体を借りた形になる。世の中の赤ん坊を侮ってはいかんぞ。結構冷静に回りを見ておるのだぞ。」

「必ず会いに行くわ。わたしが話し掛けたらちゃんと返事をしてよ。」

「それは無理じゃ。精神は大人でも肉体は自由に動かん。」

「つまんないの。」


そんな会話で今まで笑っていた祖父が急に深刻そうな顔をしてこう言った。

「生まれ変わるに当たって実はひとつ悩みがあるんじゃ。」

「何?」

「都の母乳を飲むのに抵抗があるんじゃ。」

「いやだおじいちゃんったら。何を言うのかと思ったら。」

「笑うな。わしは真剣に悩んでおるんじゃぞ。」

そう言いながらおじいちゃんの顔は笑っていた。私はしかめっ面をしながらお姉ちゃんのおっぱいを飲む赤ん坊の姿を想像して吹き出してしまった。気がつくと祖父は寂しそうな表情をして私を見つめていた。

「もう行かなくては。」

「待って。まだ聞きたい事がいっぱいあるのよ。」

「さようなら京子。でもまたすぐに会える。」

「待っておじいちゃん!」


一二月二六日の朝。私は電話の呼び出し音で目覚めた。一瞬まだ回らない頭で夢と現実を区別しようとしたがすぐにあきらめた。それほど不思議な夢だった。私はパジャマの上にカーディガンを羽織ると部屋を出て電話機のあるリビングへ向かった。私には確信があった。それは姉の出産を知らせる母からの電話に違いなかった。

若かりしころ、好意を寄せていた女性のために書いた短編です。その女性の誕生日が一二月二六日でした。

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