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推して駄目だったので引くことにした

作者: 調彩雨

 潮時だな。

 実家からの手紙を見下ろして、わたしは息を吐いた。

 元々、六年間の在学中だけと言う約束で我儘を聞いて貰っていた。けれどその在学期間も、そろそろ半年を切ろうとしている。

 五年半、やりたいようにやらせて貰った。家のことを顧みず、思うまま、自分の好きなように。だが、猶予期間モラトリアムはもう終わり。好い加減、貴族の娘として、生まれ落ちた役目を果たさなければならない。

 ならばもう、腹を括ろう。

 今までは、返信の手紙と共に封も開けずに送り返していたそれ。縁談の釣書の束が入れられた小包の封に、わたしは初めて手を掛けた。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 シルヴァーナ・アスマントス。アスマントス公爵の三女。女ばかり五人姉妹の真ん中で、婿を取って家を継ぐ長姉、長姉のスペアとして家に残される次姉と異なり、誰かしら家の利になる家に嫁いで出て行くことを望まれた、まあ、姉二人に比べて重圧のない立場の娘だ。

 現在は聖ハイペリカム女学院の最終学年で、学院総代の役目を賜っている。と言っても総代の役目を与えられるのは、前総代に役目を譲られた一年後期から、今年で六年目なのだけれど。

 男子校だと年功序列が厳しくて、下級生が総代に着くことは少ないらしいが、聖ハイペリカム女学院の場合は地位こそ全て。王妹であるアスマントス公爵の娘に地位で敵う令嬢はいま学院にいないので、争いもなくわたしが総代と認められている。後期まで総代を務めたら、卒業前にこれまた争いもなく、現副総代である二つ年下の妹に、地位を譲ることになるのだろう。

 元王女の母の七光で得ただけの地位だ。なんの役にも立たず、そのくせ、地位に立つうちに学院生が不祥事でも起こせば汚点だけは付けられる。どちらかと言うと、足枷でしかない地位だ。体良く押し付けられているとも言えるだろう。

 それでも学院内では権力を持つことになるし、学院生はみな素直で従順で可愛い。不満はない。

 楽しい学院生活だった。迷いなく、宣言出来る。

 だから最後まで、胸を張って過ごさないと。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「なん……ですって?」

 家柄と地位に比べて気さくな副総代、そんな彼女からもたらされた情報に、その場が震撼する。

 場所は聖ハイペリカム女学院新聞部室。在学生と卒業生だけが購読可能な新聞を発行するこの部で、副総代は重要な部員である。新聞購読者たちがなにより求める、我らが麗しの総代についての記事。その、情報源として。

 副総代ほどではないが、総代もまた気さくで寛容な方だ。いつも華やかに微笑んでいて、誰に対しても穏やかに接する、聖ハイペリカム女学院の華。だがしかし彼女の周りは常と言って良いほどに取り巻きで囲まれていて、下級生はおいそれと近付けない。同じ学院にいながらも、決して手の届かない高嶺の花。それが総代なのだ。

 けれど実の妹であり副総代でもある彼女ならば、取り巻きの囲いもあっさり突破出来る上、家族として、他人では手に入らない情報も入手出来る。幼少期の絵姿や寛いだ家での様子なんて垂涎のネタも、提供してくれるのだ。本人も姉が愛されるのは悪いことではないと、とても協力的である。家や総代に不都合な情報は、意図的に伏せているようだが。

 だが、今回の情報は質が違う。もし、真実であれば学院が震撼するのみでなく、悲嘆して涙に暮れる在学生卒業生が、大勢発生するだろう。

「総代が、お見合い?」

「え、お相手は?」

「まだ候補段階なので」

 副総代は首を傾げながら言う。

「姉の選んだ数人と、母の勧める数人です。他国の王族や高位貴族がほとんどですね。いまの王家には王女がいませんから、王女代わりの政略の駒、と言ったところでしょうね」

 他国の、王族や高位貴族。つまり。

「では、その、お相手のなかに、」

「宰相子息はいませんね。なにせ宰相の姉君は国王陛下の正妃です。王女の娘なんて娶る必要がない」

 求める情報を的確に答える副総代。部室に、悲嘆の声が響く。

「どうして、そんな、いきなり」

「姉が突っぱねていただけで、話自体はずっとありましたよ。本人が受け入れないので、相手方の体面もありますし公にはされていませんが。今になって見合いなんてすることになったのは、在学期間も残り少ないので、姉も観念したからでしょう」

 姉妹でいちばん人気のある方なのでと、副総代は淡々と語る。

「姉が片付かないとわたしと妹にお鉢が回って来ませんし、わたしとしては、ようやくか、と言う気持ちですね」

「でも、総代は」

「自分勝手なようで、分別はある方ですからね。元々、在学中だけと言う約束で自由にしていたようですし、そもそも、本気だったのかすら怪しいところですね。それに」

 すい、と目を細める副総代は、なんだかんだ言っても、結局は姉君を愛しているのだろう。

「姉にあれだけ尽くされて、袖にし続けた男など、さっさと切り捨てた方が姉のためですよ。釣書はわたしも見ましたが、母と父が厳選しただけあって、誰に嫁いでも姉は大切にして貰えそうです」


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「おい、やばいやばいやばいやばい!」

 連休明けの朝。紙を握り締めて駆け込んで来た男の姿に、なにごとかと教室の視線が集まる。

「そんなに慌てて、どうした?」

「やばいって、これ!」

「だからなんだよ。新聞?」

「なにか大きな事件でもあったか?」

 まだ学生の身分とは言え、社会情勢を把握する必要はある。そのため、寮に新聞を届けさせている生徒も多く、そんな生徒は今朝読んだ朝刊の内容を思い起こす。

「いや、事件だけど事件じゃなくて。これ、市販の新聞じゃなくて、妹経由で入手した聖ハイペリカムの校内新聞だし」

「聖ハイペリカム?」

 にわかに、生徒たちが前のめりになる。

 聖ハイペリカム女学院と言えば、華のない男子校であるここ、セントローレルカレッジと唯一交流のある女子校。年に数回とは言え癒しと華やぎをくれる、女神たちの園である。生徒は美人揃いで品行方正、卒業生を妻にすればそれだけで一種のステータスになる、名門の女子教育機関だ。

「女神の園でなにかあったのか」

「なにかあったどころじゃないって、もう、連休中妹が泣き暮らしてて、ほんと大変だったんだから」

「お前の妹が被害者なのか?」

「いや、直接的には関係ないんだけどさ。これだよこれ」

 握り締めてくしゃくしゃになった新聞を、机の上に広げる。ところどころインクが滲んでいるのは、もしやくだんの妹の涙だろうか。

 新聞の持ち主が指差すのは、大見出しと、白黒ながら華やかな大判の絵姿。どれどれと覗き込んだひとりが、見出しの文字を読み上げる。

「『学院総代に縁談浮上、我らが総代を射止めるのはどの国か』って、え?総代って、総代だよな?あの、シルヴァーナ嬢?」

「そうだよ」

 読み上げてぎょっとした生徒に、新聞の持ち主が頷く。

「シルヴァーナ・アスマントス公爵令嬢が、他国の王族数人と見合いだって、妹は大泣きだ。どこかに嫁ぐのは仕方ない、国内であればまだお姿を見られる機会はあるだろうから諦めもついたが、国外に嫁ぐなんてあんまりだってな。周りの生徒たちもショックを受けて、連休前の聖ハイペリカムはお葬式みたいな空気だったらしい」

 聖ハイペリカム女学院の現学院総代と言えば、セントローレルカレッジで知らぬ者のいない女神中の女神。その華やかな笑みと穏やかな声で、愛され慕われる高嶺の花、麗しの銀の君である。

 異性のみならず同性をも魅了する彼女は、在学生卒業生問わずファンがいて、彼女が総代になってからの校内新聞の売り上げは、歴代一位を更新し続けていると言う噂。そんな生徒がついに見合いと聞けば、確かに悲鳴が上がるのは理解出来るが。

「いやいやいやいや、聖ハイペリカムの銀の君が見合い?だって、あの方は」

 ひとりの声を皮切りに、教室中の生徒の視線が一点に向かった。

 セントローレルカレッジ現総代、宰相子息にしてヴァージンバウアー侯爵継嗣、エイジア・ヴァージンバウアーへと。

 前のめりに新聞に殺到していた生徒たちには混じらず、黙って座っていたエイジアが、徐ろに顔を上げる。

「……情報の信頼性は?」

「妹いわく、聖ハイペリカム女学院新聞部には、学院総代の妹である副総代が所属していて、情報提供と記事内容の確認を行っているそうです。副総代の入部以来、総代に関する虚偽情報が新聞に載ったことは一度もないと」

「なるほどね」

 エイジアが息を吐き、寄越して、と手を差し出す。速やかに、しわくちゃの新聞がエイジアの手へと渡った。

 新聞を受け取ったエイジアが、黙って記事に目を通してから、ふたたび息を吐いた。

「なるほど?」

 それだけ呟き、ありがとうと持ち主へ新聞を返す。

 誰もなにも言えない、張り詰めた空気のなか、エイジアは目を細めた。

「複数人いることから見ても、あくまで候補段階のようだよ。見合いをして、実際の相性を確かめたり、互いの要望を擦り合わせたりして、最終的な嫁ぎ先を決めるのだろうね。彼女は王族ではないが、王妹の娘だ。政略の駒として、価値がある」

「でも」

「本人もそれは理解していて、だから見合い話に乗ったのだろう。家格から自動的に手に入る地位とは言え、聖ハイペリカムの学院総代を五年もまともに務めている人間だからね。無分別ではないよ」

 淡々と言うエイジアに、教室中が反論を口にしかけて、けれど伊達に総代の座を得ていないエイジアに、みなの口を突きかけている反論など、お見通しだった。

「なにせ表面上は僕に惚れているような振りをして、その実、僕自身に好意を告げたことはないからね、あの女。学院生活中に変な横槍を入れられないために、絶対に自分に靡かない相手を選んで虫除けにしていたとしか思えないよ、あれは」

「そんな、だって、あんなに」

「昨年後期から僕も総代になって、以来お互い総代同士として、あの女とは何度も顔を合わせる機会もあって、ときには、ふたりきりになる場面もあったわけだが」

 あくまで無感情に、エイジアは言葉を重ねる。

「あの女から言い寄られたことは、一度もない。あの女を信奉しているはずの聖ハイペリカム女学院の生徒に言い寄られたことなら、何度もあるがな」

「それじゃあ、銀の君は」

「僕のことを好きだなんて言うのは、ただの建前か、本音だとしても、政略結婚のために諦められる程度の思いでしかなかったってことだろ」

 エイジアは鼻で笑って吐き捨てる。

「そんな、なんでわざわざ」

「一途に誰かを想っていることが明らかな相手に、玉砕覚悟で想いを告げる度胸、お前らにあるか?」

 問われた言葉に、何人もがグッと詰まる。

 なにせ麗しの銀の君だ。憧れから、恋心を抱く者も多かった。しかし、大っぴらにエイジアへの恋心を示す銀の君に、みなそっと身を引いていたのだ。

「そう言うことだよ。断る前に諦めさせる。そのために、あの女は僕を利用してたんだ。狡賢いことにね」

 本当に?

 確かにエイジアの言葉は筋が通っている。それでも、エイジアを見つめる銀の君を見たことのある者は、彼女の想いがまやかしだなんて思えなかった。

 あの、愛しくて仕方がないと言いたげな、熱のこもった視線。あれがまったくの嘘だなんて、とても思えない。

「それなら」

 勇気ある生徒のひとりが、問い掛ける。

「エイジアはこのまま見過ごすのかい?あんなにもきみに好意を示していたシルヴァーナ嬢が、あっさり縁談を受けてほかの男に乗り換えるのを」

「さてね」

 エイジアは肩をすくめる。視線は誰もいない中空に向けられ、まるでここではないどこかを見ているかのようだった。

「ま、国益を考えるなら、どこか同盟国に嫁いで、関係を深めて貰うのが良いだろうね」


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 こちらを値踏みする視線を、笑顔で受け止める。

 気分の良いものではないが、相手を値踏みしているのはこちらも同じなのだから、お互いさまだ。

 煩わしいものだな。

 口を突きそうになるため息を押し込めて、わたしは笑みを深めた。

 血筋と美貌くらいしか取り柄のない自分に、高値を付けてくれると言うのだ。せいぜい値段を吊り上げて、最も高値を付けてくれる相手に買われよう。

「それにしても」

 ふと思い出したかのように、相手が話題を変える。

「まさか見合いの機会を貰えるとは、思っていませんでした」

「あら、わたくしと結婚なさるおつもりはなかったと?」

「とんでもない!選んで頂けるのならば、この上ない幸せと思っております。いまだって、どうすればほかの候補者より魅力的だと思って頂けるか、色良い返事を頂けるかと、必死に考えているところです。ただ」

 熱のこもった目で訴えたあとで、相手は視線をそらす。

「姫君には想う相手がいると、聞いておりましたので」

「まあ」

 口許を扇で隠して、くすくすと笑う。

「他国にまで、知られていましたの?お恥ずかしいわ」

「では、想う相手がいる、と言うのは」

 不躾な男だ。減点しておこう。

「さて、どうかしら?ご想像にお任せしますわ」

 首を傾げてはぐらかし、どちらにせよ、と続ける。

「夫とするなら過去の想いなど忘れさせると言えるくらい、自信のある殿方が理想ですわね。わたくしのことを、心より愛して下さる方が」

 大嘘だ。

 それでもにこにこと、愛想良く笑う。

 わたしに想い人がいたとして、だからなんだと言うのだろう。元より、結婚相手が思う通りになるなんて、露ほども思っていなかったと言うのに?

 幼少より、そう言うものだと教育を受けて来た。そんな役目など無視して、好いた相手と結婚するために臣籍に降り、公爵家を興した愚かな母の、幸せそうな姿を見ながら。

 母が、役目を果たさなかったから。

 だから娘であるわたしは、その二の舞を踏むわけには行かないのだ。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 自由な結婚は望めない。それはよくわかっていた。

 貴族の女なんて、結局は政治の駒。まして王女の娘なんて、王家に準ずる血筋なら、王女代わりに他国へ差し出されることなど、覚悟して然るべきもの。

 そのことにはもうとうに諦めが付いていて。

 それでも、物語のようなキラキラした思い出が、母のように、誰かに恋する時間が、自分にも欲しいと。

 ほんの少し、ほんの少しだけ、自分に我儘を許したかった。

 だから期限を切って、そのあいだだけは、自由にさせて欲しいと母に頼んだ。

 家の醜聞になるようなことはしないし、期間が過ぎれば、きちんと家の命じる相手と結婚するからと。

 自分が我を通したツケを子供に回したと、負い目を感じていたのだろう。

 母はわたしの我儘を受け入れ、全寮制の女学院である聖ハイペリカム女学院にいるあいだは、自由にして良いと言ってくれた。

 学院に入学したわたしは早速、"初恋の相手"に目星を付けた。後腐れなければべつに同性でも良かったが、なぜかそれだけはやめるようにと姉から止められたので、学院と交流のある男子校である、セントローレルカレッジの生徒から選ぶことにした。

 学院にいるあいだずっと想える相手が良いから、同じ学年の生徒が良いだろう。家の醜聞にはしない約束だから、家格の釣り合う相手。けれど、想いに応えられては困るので、絶対にわたしを選ばない相手。

 条件を付けて行けば、選べる相手なんてすぐ絞れてしまった。

 エイジア・ヴァージンバウアー侯爵子息。宰相の息子で、正妃の甥。家格は近いが、宰相閣下は母である、アスマントス公爵の政敵だから、話したことのない相手。けれど遠目に見た限り眉目秀麗な少年で、宰相譲りの優秀な人間との評判だったはず。顔は美しいが愚かな王女、それも親の政敵の娘など、絶対に好きにはならないだろう。

 丁度良い。なんてわたしに好都合な相手だろう。

 わたしは彼に恋をすることにして、早速、同級生に恋の相談をした。

 女の子はいつだって、恋の話が好き。それも、恋に生きた王女様の娘の恋。しかも、きっと報われない恋なんて、楽しくないはずがない。

 みんな喜んで話に乗って、わたしを応援すると言ってくれた。

 それからの学院生活は、楽しくて仕方がなかった。

 総代となってからは、セントローレルカレッジと関わる機会も増えて。そのたびに、ヴァージンバウアー侯爵子息の姿が見られた、目が合ったなどと、級友たちにはしゃいで見せて。

 まるで、そう、好きな舞台俳優に熱を上げるように、わたしは彼に恋をした。

 叶うことなど望んでいない、打算にまみれたごっこ遊びだったとしても、確かにわたしにとって、それは恋だった。

 予想した通り彼はほかの少年たちとは違い、わたしがどれだけ熱っぽく見詰めても、決して同じ熱を返すことはなくて。だからわたしは安心して、開けっぴろげに彼に恋していられた。

 わたしに感化されたのか、学院は恋が盛んで。

 そこかしこから聞こえるキラキラした恋の話は、ますますわたしを楽しい気持ちにさせた。

 楽しさは、わたしをより恋に夢中にさせて。

 母が約束を破って在学中に縁談を持って来るくらい、わたしはしっかり恋をして見せていた。それはきっといつか、眩しくも照れくさい気持ちで思い返すことになる、学院時代の思い出になる。

 その後の人生がどうなろうと、それだけでわたしはわたしの人生を愛せる。

 でも、それももうお終い。

 わたしはこの国の、王女の娘だから。

 我儘はやめて、もう大人にならないと。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 セントローレルカレッジと聖ハイペリカム女学院の合同行事は、いくつか存在する。

 年六回開催される舞踏会は、その最たるもののひとつだ。まだ幼い生徒たちにとっては、いずれ参加する正式な舞踏会の予行演習となり、結婚が身近になって来た生徒たちにとっては、異性に慣れる場と、未来の伴侶を探す場になる、重要な行事。パートナーこそ教師が無作為に割り振った相手となるが、その後の過ごし方は自分次第。当日が近付けば、誰も彼もがソワソワウキウキと、落ち着かなくなる。

 だが、一年生の前期から次期総代として生徒会に入れられていたわたしは、実はこの舞踏会に、一度もまともに参加したことがない。裏方は教師や職員の役目とは言え、手が足りない部分は生徒会が補佐することになるからだ。

 でも、それは正直なところ、ありがたかった。

 いずれ政略結婚の駒となる者として、下手な相手と踊るわけには行かないし、十中八九断られるとしても、ヴァージンバウアー侯爵子息をダンスに誘うわけにも行かないからだ。

 怪我人や、体調不良者の介抱をしながら、眩しい会場内でひときわ輝く想い人を見つめる。わたしには、それくらいが丁度良かった。

 それで、良かったのに。

「アスマントス公爵令嬢」

 なぜ、遠くから眺めていられれば良かったはずの想い人が、わたしの目の前に立っているのだろう。

「僕と踊って頂けませんか」

 なぜ、彼はそう言って、わたしに手を差し伸べているのだろう。

「お誘いは、大変嬉しいのですが」

 嬉しいものか。いままで、そんなことは一度もしなかったのに。だから、勝手に恋していられたのに。

「総代として、役目を疎かには出来ませんから」

 なぜ潮時と見切りを付けた今になって、わざわざ会場の外の救護室まで、わたしを誘いに来るのか。

 内心、戸惑いながらも、残念そうな表情を取り繕って、無難な断り文句を口にした。

「あら、良いわよ踊って来て。いまのところ、手は足りているもの。シルヴァーナさん、いつも裏方で踊れていなかったでしょう?一度くらい、踊っていらっしゃいな」

 だと言うのに、おっとりと微笑んだ校医が、せっかくの言い訳を台無しにする。

「ありがとうございます」

「え、いえ、ヴァージンバウアー侯爵子息も、お仕事があるはずでは?」

「友人たちが、快く肩代わりしてくれました。悔いの残らないようにと」

 持つべきものは友ですねなんて、ヴァージンバウアー侯爵子息はうそぶく。

「それは素敵なご友人をお待ちですね」

「ええ。ありがたいことです。それで?」

 ヴァージンバウアー侯爵子息は、座ったわたしへ身を屈めて問う。

「踊っては、頂けるでしょうか」

 小さな歓声を上げたのは、緊張で体調を崩して休んでいた女生徒と、靴擦れの手当に来ていた女生徒たちだ。きっと明日には、学校中にこの一件が広まっているのだろう。

 "わたしは彼に恋している"のだ。ここで、手を取らないのは不自然過ぎるし、彼にも彼の友人にも、泥を塗ることになってしまう。

「喜んで」

 わたしは微笑んで、差し出された手に手を乗せた。

「ありがとうございます。では、行きましょうか」

 彼に預けた手が握られ、引かれる。思いがけず強い力を掛けられて、どきりとする。

 彼のエスコートで会場に戻ったわたしを、目撃した生徒たちがどよめく、それが呼び水となってどよめきが広がり、会場中の注目が集まってしまう。

 なにせ、総代と総代が手を取り合って現れたのだ。なにごとかと思われるのも当然のこと。

「一曲踊るだけだから、気にしなくて良いのよ」

 いたたまれなくて、手近な生徒にそう伝える。

 なぜか感動した面持ちで、おめでとうございますと言われた。

 誰も彼もが道を譲ってくれるせいで、気付けば広間の真ん中に来ている。

 音楽すら気を遣われたのか、見計らったように新しい曲が始まる。

「てっきり、断られるかと思いました」

 断れない状況に持ち込んだくせに、いけしゃあしゃあとヴァージンバウアー侯爵子息が言う。

「総代として、役目がありますから」

「そうではなくて」

 無難にはぐらかそうとすれば、まるで深い海のような瞳がわたしを見据える。

「他国と縁談が、進んでいるようなので」

 知っていたのか。べつに隠してはいないので、知られていても不思議はないが。

「学院の行事ですもの、誰かと踊ったくらいで縁談に響きはしませんよ」

「そうですね。あなたには価値がある。誰かを熱心に想っていると噂になっても、縁談が殺到するほどに」

 もしや、苦情のために、わざわざダンスに誘ったのだろうか。

「ご迷惑、でしたでしょうか。勝手に恋して、騒いだりして」

「いえ?あなたはよそでは大っぴらに騒ぐ割に、僕には節度を待った、いえ、壁のある態度で接していましたから。あなたの想い人と言うことで、無駄に言い寄られることも少なくて済んだので、むしろありがたかったですよ」

 ありがたいと言う割に、その口調にはトゲがある。

「壁のある態度を取ったつもりはないのですが、申し訳ありません、緊張していたので、そのように思わせる態度に、」

「べつに、取り繕わなくても構いませんよ。あなたが僕に恋なんてしていないことは、わかっていましたから。あなたは恋愛ごっこがしたかっただけだ。その相手に都合が良かったから、僕を選んだだけ。本当は、誰でも良かった」

 誰でも良かったわけではないが、おおむね正解だった。

「そこまで、わかっていらしたなら、どうしてわたくしと踊ろうなどと?」

「さあ。どうしてでしょうね」

「言い訳にしか聞こえないでしょうが」

 たとえ、恋愛ごっこだったとしても。

「本気であなたに恋していましたよ。誰でも良かったわけではありません。わたくしが選んで、あなたに恋をしたのです」

「恋は選んでするものではありませんよ、ご令嬢」

「そうでしょうね。ですからこれはあなたの言う通り、恋愛ごっこです」

 自分の意思で造ったり壊したり出来るものは、きっと恋ではない。けれどわたしにとっては、紛れもなくこれが恋だったのだ。

「あなたが僕を選んだのは、僕ならあなたに靡かないと思ったからだ」

「ええ。その通りです。だってあなた、我儘で馬鹿な女は嫌いでしょう?」

 恋愛ごっこがしたいなんて理由で、自分の役目を放り出すような、愚かな女は嫌いなはずだ。

「そうですね。理性的でない相手とは関わり合いになりたくありません」

 曲が終わる。会話も、これで終わりだろう。

 わたしの恋も、ここで終わる。

 はずだった。

「でもね、ご令嬢、あなたにひとつ、忠告しましょう」

「え?」

 放そうとした手を強く握り込まれ、離れようとした腰をガッチリと引き寄せられる。離れられない。

 曲が始まる。次の、曲が。

 手を、腰を、引かれて、足が動く。

 踊る気なんてなかったから、ステップもなにもない。ただ、転ばないように足を動かしているだけ。それでも相手の腕が良いから、はたからは踊っているように見えるだろう。

「ヴァージンバウアー侯爵子息っ?」

 同じ相手と二曲踊る、その意味を知らないわけではないだろう。

「あなたは知っておくべきでした。男なんて、案外馬鹿な生き物なのだと」

「なにを、言って」

「あなたのような美人に熱っぽく見詰められて、落ちない男なんていないと言っているんですよ」

 え?

 ダンスなんて幼い時から、嫌と言うほど練習させられて来た。だからこそ、会話に気を取られれば気を取られるほど、身体は無意識に学んだ動きをしてしまう。

 踊ってはいけない二曲目のダンスを、リードされるまま踊ってしまう。

「わたくしと、あなたが、結婚しても、国に利は」

「そうですね。ありません。むしろ山ほど来ている縁談をすべて蹴ることになって、損失です。だからどうした」

 吐き捨てて、ヴァージンバウアー侯爵子息はにっこりと笑う。

「その程度、僕が埋め合わせて見せます。セントローレルカレッジの総代になれる男の技量を、甘く見ないで頂きたい。それに」

 わたしの腰をますます強く引き寄せて、彼は言う。

「美しい妻は外交上価値があります。まして聖ハイペリカム女学院で、六年間総代を務め、在学生にも卒業生にも人気のある卒業生と来れば、間違いなく国内で一目置かれる妻です。国に利益がなくとも、僕と家には利益がある」

 なにも心配はいりませんと、ヴァージンバウアー侯爵子息は優しげな声を出した。

「あなたは何もしなくて良い。すべて僕が根回しして、なにもかもお膳立てします。父の説得は済みました。アスマントス公爵と国王陛下も、僕が必ず頷かせて見せましょう。だから、ねぇ、ご令嬢?」

 いままで一度も彼から向けられたことのない熱が、はっきりと、わたしに向けられていた。

「諦めて、僕の妻になって下さい。政略結婚を受け入れていたのでしょう?誰の妻になろうとも、それがお役目だと。ならばその相手が僕でも、あなたは構わないはずです」

 潮時で、見切りを付けた、終わる恋、だったはずなのに。

 ああ、わたしは選んではいけないひとを、"初恋の相手"に選んでいたらしい。

 三曲目のダンスが、始まろうとしていた。

拙いお話をお読み頂きありがとうございました!


無自覚にやらかしちゃうヒロインと

やらかされてヤンデレ化するヒーローのお話が大好きです

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― 新着の感想 ―
何だかんだ言っても彼女が自分勝手な期間限定のおままごとに彼を一方的に引きずり込んだことには間違いなく相手が自分と同じ意思も感情もある生身の人間という事に目をつぶって6年近く好き勝手してきたんだからこれ…
あの女あの女、て貶めて鼻で笑って印象最悪なシーンばかりだったけどその男で本当に大丈夫? 価値を貶めて嘲笑ってやろうとしてる野郎じゃない?熱の籠もった視線は娘総代のマネしてやっただけだとか後で鼻で笑うん…
「その程度、僕が埋め合わせて見せます。セントローレルカレッジの総代になれる男の技量を、甘く見ないで頂きたい。」 かっこいい~~~~~!!! 新聞を見た時にしれーっとしてたのは「彼女は恋愛ごっこをして…
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