03
風の音がごおお、と響く。空気が厚く重なって、壁のように私の体を押し返してくる。体を蝕み黄泉へと誘う風の抱擁。私を守るマントが、無邪気にはためいていた。
頭から落ちる自由落下に目も喉も乾いて、焼けるように痛い。それでも、落下時になるべく受身が取れるように、目を見開き、必死に地面を探った。
遠くに人影が見える。
このままではぶつかってしまう。
今ほど魔法が使えたら良かったのに、と考えたことはない。そんなこと一度も思いつかないくらい、私は恵まれていたのだ。
窮地になって力を羨んだところで、手に入るはずもない。
今、風の魔法が使えたら、空だって自由に飛べたかもしれない。空を自由に飛べたら、人にぶつかる心配もしなくていい。できないのは、私に力がないから。
私に力が無いのは、なんで?
*
「――ああ。魔物の気配が濃いな。少し遅かっただろうか」
木々がざわめく。枝葉が擦れ合い、ひそひそ話をするように音を立てていた。空は青いが、決して爽やかとは言えない空気がそこにはある。
まだ黄昏には早い時間。
薄暗く深い緑の森に、佇む長身があった。身を包む青い外套を隙なく着こなしている姿は、場にそぐわない洗練された印象を受けるだろう。すれ違いざまに思わず立ち止まってしまうような美丈夫がそこにいた。
目を惹く鮮やかな赤い髪が風を受けて揺れる。炎が揺らめいているようだ。
金枝の神官の占いが彼へ届いたのは、ほんの数日前だった。
内容は、とある街の危機。迷宮が崩壊し魔物たちが街を襲うだろうとの予言。本来ならば、高位の神官であるドルイドの言には多くの者が動くところだが、今回はあまりにも時間が無かった。
そこで白羽の矢が立ったのが、彼である。
一騎当千の実力者である彼ならば、街を救えるかもしれない。そんな祈りを受けて出立したのが数時間前。
街と迷宮の間に広がる森を歩きながら、魔物の位置と進行方向を予測する。
「思っていたより数が多い。確かにこれは私向きの依頼だ」
彼の言葉へ反応するように木々が揺れた。風が吹き、影が蠢く。魔法による探知でおおよその数と場所を探れば、どれだけ深刻かがわかる。これは確かに緊急を要する案件だ。悠長にしていたら、日が落ちる頃には街が無くなってしまうだろう。
かすかに地鳴りが聞こえる。迷宮崩壊に影響されて、地形変動まで起きているようだ。近くで崖崩れでも起きたのだろう。状況は非常に悪い。
瞬時に悟って、魔物を討伐した後にまで思考を巡らせる。
今回崩壊したのは地下迷宮だ。最悪の場合、辺り一帯が崩れてもおかしくはない。後で調査を行わなければと考えた彼は、そこでふと、毛色の違う音を拾った。
人の声だ。誰かが叫ぶ声が聞こえる。
魔物に襲われているのかもしれないと耳を澄ませて、位置を探る。同時に魔法での探知を行い――
「――上?」
頭上を見上げて息を呑む。黒い影が風を受けて空を舞っていた。
「よけてくださあああああい!!」
彼に向かって一直線。まるで宇宙を泳ぐ彗星のように、一人の少女が空から落ちてきたのだ。