02
拝啓。
パパ、ママ、お元気ですか。
ローレンティアーナは今、絶体絶命の大ピンチです。
語ると長くなるので割愛し、現状だけお伝えします。
倒しても倒しても減らない魔物から逃げ続けた末に、私は今、崖っぷちに立っています。
「なんで! こっち! くるのーっ!」
群れの進行方向からは外れたのに、私に気付いた一匹だけがしつこく追いかけてくるのだ。
蜘蛛をそのまま大きくしたような魔物――そう、魔物だ。
根源的な恐怖。生理的嫌悪感。
生きとし生けるものはそれを受け入れられない。
魔物と呼ばれる怪物たちは、私たちの暮らしのそばにいる動植物と似た姿を持ちながら、その生態は常識では測れない。
異様に大きかったり、一部が肥大化していたり、魔法を使ったり……特殊な能力を持つものまでいる。
そして、人間と同程度の知性を備えたものを魔獣。魔獣と同じように知性を持ち、言葉を話す人型のものを魔人と呼ぶのだ。
ただの動植物と魔物たちの見分け方はいたって簡単。
魔物は光を反射しない。闇よりも暗くおぞましい体をしている。
そして、影が無い。
影を飲み込んでしまったように黒いから、己の影に喰われたものが魔物になる……なんて説もあるらしい。
神話的には世界の淀みだとか、被造物の罪だとか、そんなふうに言われている。
そして何より、一番大事なこと。
魔物は、魔物以外の全てを喰い尽くす災厄なのだ!
全てを侵害し、蹂躙し、喰い殺す。
出会ったが最後、殺るか殺られるか。デッドオアアライブってこと!
「ああ、ほらほら、ボスもむこうにいったよ? わたしたべてもおいしくないよ?」
声をかけても無視! 蜘蛛って音聞こえるのかな……? 魔物だから蜘蛛と生態違うのかな……わかんない!
じりじりとにじり寄ってくる、私の五倍は大きい蜘蛛、こわい!
矢筒に残った矢は三本。ここが崖じゃなければ逃げながら作ることもできたけど、崖っぷちでできることは少ない。この三本で仕留めなきゃ。
矢をつがえる。
他の個体と戦っていた時、体のどこもかしこも異常に硬くて矢が刺さらなかった。刺さるのは関節や目、口の中などの構造上柔らかくなる部分だけ。
今は丁寧に関節から潰していられるほどの余裕は無いから、目を狙い、隙ができたら口内を撃つでFA。
「よーし、やるぞ。モルモルシュー!」
一の矢を、ブレず反れずに一直線で放つ。大事なのは考える隙を与えないこと。気付かせないこと。目を穿つまでを待たず、二本の矢をつがえて、一気に放った。
失敗した時に備えて、弓から大振りなナイフへ持ち替え、魔物を見る。これで仕留められなかったらどうにかして矢を作るか、ナイフで応戦するか、の二択だ。
体が小さい分、次の動きが来るより先に動き出して、スピードでアドバンテージを取らないと。
一本目の矢が目に突き刺さる。狼狽えた魔物が開けた口へ二本目の矢。ダメ押しで放った三本目の矢は反対の目へ。
矢の刺さっていない六つの目がまだ動いている。失敗だ。
でも、矢に意識を取られて私のことを忘れている。今が好機だ。
母がよく、ティアーナは大人のエルフと変わらない身体能力があると言っていた。父にも、力は劣るけれど、動き方やスピード次第で通用するって教えられた。
エルフパワーを遺憾なく発揮してやろうじゃないか!
「おやすみのっ、じかん、だよっ!」
魔物には基本的に核がある。魂をぎゅっと濃縮したら、実態を持っちゃった! みたいな感じの物が体のどこかにあるのだ。
別にそれを潰さなくても、一般的な生命と同じように心臓や脳などの生命維持器官を潰せば倒せるのだけれど、今みたいに事を急いている場面では核を潰すのが一番速い。
足元に潜り込んだら比較的柔らかい腹部を狙ってナイフを刺す。力も刃渡りも足りない。そんなこと分かってる。
刺して切って引いて傷を付けて。
個体差はあれど、同じ種族なら核はだいたい同じ場所にある。足の付け根の中心を抉りながら、感触、振動、音で核を探る。
感覚は長いけれど、時間にして数秒。
土を掘り進めて石に当たったような、確かな手応えがあった。その一点に狙いを定めて穿つ。
高い金属音が響いた。
核を壊すと魔物は姿を失う。体を保てずに自壊していくのだ。解けるように影になって、跡形もなく消えていく。
「たすかったぁ……っ!」
無理をさせてしまったから、使ったナイフは後でしっかり手入れしないと。とは言え今この場でとはいかないので、ホルダーにしまって腰に佩いた。
それから、砕けた核を拾う。
体は消滅するのに、核は残るのだ。それを魔石と呼ぶ。あと、消滅前に剥いだ部位なんかも残る。
なので、特定の部位が欲しい時は先に落としておかなくてはならない。魔物討伐が集団戦なのは、そういうちょっとめんどくさいことをスムーズに進めるためでもある。それはそれで報酬の分配が面倒らしいけど。
「……光の中で眠れ」
母がいつも言っていた、鎮魂の言葉。どんな命も奪ったのなら敬意を払えという教え。
何だかちょっと、おねえさんになった気分だ。
「う〜ん、こんやはどんかつ…………おいしいものたーべよっ!」
疲れたので一旦座る。汚いけれど、戦闘で汚れているのだから今更だ。後で洗えばいい。
それに、この魔石を売ればちょっといいご飯も食べられるはずだ……とまで考えて、気付く。そのご飯を提供してくれる場所がなければ意味が無いのだ。
そもそも、なんで私がこんな目に遭っていたのか。
それはお小遣いを稼ぐため、迷宮に潜ったところから始まる。
ダンジョンとは読んで字のごとく迷宮のことで、魔物がたーっくさんいる上に、短時間で地形が変わるへんな場所。
ものすごく危険だけど、得られるものは大きい。まさにハイリスクハイリターンなのだ。
魔物の体や魔石は高く売れるし、地道に力を積んでいけば名声も得られる仕組みがある。だから少しでも腕に覚えがある者は迷宮に入りたがるのだ。
そしてまあ、私が入った迷宮が運悪く崩壊。命からがら逃げ出したはいいものの、溢れた魔物たちによるスタンピードにまで遭遇して逃げ回っていた。
魔物の集団暴走が起きている。
私の五倍ほどの体高がある蜘蛛型の魔物だけでなく、迷宮のボスまでもが群れとなって街へ向かっている。
私にどうにかする術はないけれど、頑張れば魔物の到着よりも先に街へ着けるはずだ。一刻も早く知らせなければ街の人たちに明日は無い。
「よしがんばる!」
まだ助かる! マダガスカル!
魔石をポーチにしまって、よーいドン。走り始めた一歩が思ったより沈んで、あれ? と足元を見た。
走るための足場が、私を支えていた地面が、バタークッキーのようにホロホロと崩れていく。地鳴りがひどい。なんで気付かなかったのだろう。
油断しちゃだめだって、勝った時が一番負けやすくて死に近いんだって、聞いてたのに。
崖から落ちることは免れない。けれど、土砂に巻き込まれないようにとなるべく遠くへ跳んだ。
木々の抵抗があれば致命傷を避けられるのではないかと考えた末の行動だったけれど、思いのほか遠くへ飛んでしまった。
知らなかった、私ってこんなに力が強かったんだ!
風を受けながら、なるようになれと見下ろした先に、人影が見えた。