67話 シスターの失態Ⅱ
ケーキとお茶が置かれた懺悔室。
壁を一枚隔てた向こう側にクラリッサはひたすら話を続けていた。
「ここ最近、手荒れがひどくて。ザイン様はやはりそのようなものとは無縁なのでしょうか。それとも特別な何かをお使いで? ああ、天使様が水仕事なんていたしませんよね。私ったら変な質問をしてしまって。てへ」
「こ、このクリームを使ってるぅ。以前に、グ、グランノーツが、お勧めだとくれた。フェリスも使ってて、すべすべになる」
小窓から差し出された小さな容器を受け取ったクラリッサは、蓋を開けて中のクリームを感動の表情で見つめた。それはまさしく天使の手から賜った至宝。そして、さらに彼女をときめかせたのは、あのフェリスも使用しているハンドクリームであった点だ。
クリームを指で掬ったクラリッサは、恐る恐る自身の手に塗りつける。
みるみる肌に艶が表れ、その箇所だけ時が舞い戻ったかのように、赤ん坊の肌のようなみずみずしさを取り戻していた。
ナニコレ。すんごくすべすべになるんですけど。ハンドクリームよね?
でも、顔や全身に塗ったら十才は若返りそうな。いけない。天使様がくださったものよ。本当なら使用どころか教会で厳重に保管すべき至宝。ああ、だけどなんて素敵なの。これさえあれば肌荒れとは、無縁の生活を送ることができる。
それによくよく考えれば、ザイン様は私にくださった。教会ではなく私に。
つまりこれは私のもの。女神様だってそうだって言ってくださるわ。うん。間違いない。お祈りの回数を増やしますので、どうかお許しを。などと心の中で早口で喋り続けるクラリッサは、深呼吸をしてから容器の蓋を閉じた。
「ちなみにどこかで販売を?」
「たぶん、グランノーツの、て、手作りだと思うぅ」
「ほうほう。つまりあの方に言えば手に入れられると。ですけどやはりお高いんでしょ?」
「ど、どど、銅貨五枚って言ってたような」
「銅貨五枚!? 安すぎます! 銀貨十枚、いえ、金貨三枚は取らないと!」
「た、ただの、ハンドクリームなのにぃい?」
「あ」
まずいとクラリッサは慌てて話題を逸らす。
作り手が真の価値に気づいていないからこそのお値段である。もし貴族に売れると知られれば、あっという間に高騰し、二度とクラリッサの手には入らなくなる。そう考えた彼女はうやむやにすることにした。
「そ、そういえば本日はどのようなご用件でしたっけ?」
「懺悔ぇぇえ」
「そうでしたね! 私ったらつい余計なお話を!」
応対を始めて一時間。
クラリッサは懺悔を聞くどころか、全く逆の自身の相談事や懺悔を行っていた。
彼女の額から汗が流れ落ちた。
なんて癒やし。なんて包容力。いつの間にか立場が逆に。
散々待たせても怒らないし、それどころか優しく接し相談事まで真剣に聞いてくれて、最高の解決方法まで提供してくれる。まさしく天使。神々の使徒。地上に降臨された尊き御方。
「それで告白したい罪というのは?」
「じ、実は、相談」
「かまいませんよ。ここはすでに相談所みたいなものですから……」
そう言いながらクラリッサは、乾いた笑みを浮かべた。
「む、むむむ、胸がドキドキしてぇ、病気かなぁって悩んでてぇ」
「動悸ですか? それは心配ですね。それはどんなときに起こりますか?」
「あ、あああ、ある人を見ると心臓が、どくんってすごく跳ねてぇ、苦しくなって、これ、病気ぃいい?」
「なるほど……病気ですね」
すっと瞳を閉じたクラリッサは、両手を組んで祈りの姿勢となった。
それはまさしく尊い時間。天使が初めて抱いた感情。初恋。
彼女は恋を知らずこれまで生きてきたのだ。その素晴らしき初物に、クラリッサは自然と涙を流し女神に感謝していた。
ああ、なんて尊く清らかで純粋なのか。
女神の信徒である自身すら薄汚れているように思えてしまう。女神様に感謝を。尊きこの瞬間を私にお与えくださりありがとうございます。はぁはぁ、うぶな天使様に私が指導を。たまりません。
「それは恋というものです。恋は盲目といわれるように、人から正常な判断を失わせる一種の病として扱われることも」
「こ、恋ぃ? あの男女に起きる?」
「ええ、ですが同性でも何ら不思議なことはありません。近頃は多様性が声高く叫ばれておりますからね。むしろ同性の方が私としては興奮す、いえ、なんでも」
「恋……これがぁぁ、恋ぃい」
まだ理解できないといった様子に、相談者はぼんやりと懺悔室の天井を見つめていた。
「なにかきっかけがあるはずです。思い出せますか?」
「うーん、出会った時からだからぁ、ずっとぉ」
だんっ、クラリッサはテーブルを拳で叩いた。
ひ、ひとめぼれぇぇえええ! きたぁぁああああああ!
私をキュン死にさせるつもりですかぁああ! ぬほぉお、こっちの心臓がやばい。キュンキュンしすぎて死ぬ。無理、三日ぐらいに分けて相談に乗らないと私の心臓が破裂する。
はぁあああああ、たまんない。興奮するわぁぁ。
懺悔室ではぁはぁ息を荒げるクラリッサは、なんとか顔を上げた。
「貴女はどうしたいですか?」
「?」
「あ、そうですね。では、その気持ちを大切にしてください。たとえその気持ちが薄れたとしても自分を責めないでください。それは消えることもあれば別の形になることもある儚く、そして、素晴らしいものなのです」
「た、たた、大切にする。それだけでいい?」
「はい。それだけでいいのです。私からは以上です」
「そ、相談聞いてくれてありがとぉお」
相談者は納得したのか懺悔室を出て行った。
残されたクラリッサは、いつでもお越しくださいと祈りを捧げた。
ら、来年もよろしくおねがいしますねぇ、へへ、うへへ(足をべろべろ)
それでは良いお年を!




