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愛の連続小説「おもてさん」第二部・第二話 教祖・久満子

【1】


「酒や女を売ってるようじゃ駄目だ。」


これが久満子が到達した、銀座ホステスの「経営哲学」だった。


新人ホステスだった頃は「体当たり営業」しかなかった。

つらいつらい、屈辱的な目にもあったが、あれはあれで良かったと思う。

客と「やれそうでやれない」微妙な距離感を保つ方法は「体で」覚えるしかないからだ。

いつまでたっても、それが身につかないホステスは、一時は店の売上ランキングに顔を出しても、やがてボロボロになって消えて行く。


客に本気で惚れて、心のバランスを崩してしまうホステスもいる。

久満子の店のママは厳しい人で、客に惚れ、隅の方で泣いているホステスを見つけると、問題を起こす前にクビにしてしまう。

いずれにせよ、銀座で働ける女じゃなくなったからだ。


「客が求めているものを売る」


どんな商売でも基本は同じだが、銀座で遊ぶ男たちが求めるものはと言うと、これが結構、見極めが難しい。


酒も女も、銀座より安く上げる方法、安く手に入る場所はいくらでもある。

愛人候補を見繕いに来るような男は銀座では相手にされない。

そもそも悪い噂や世間体を気にするタイプの男は、自宅でひっそり飲む。

特に絶賛売れっ子中の芸能人はガードが固い。「事務所を通さないと」何もできない仕組みになっている。


会社経営者と言い、大企業の重役と言い、マスコミ関係者と言い、文化人と言っても、銀座に来る時は「ただの男」だ。要は女遊びがしたいのである。ニーチェが言う所の「最も危険な遊び」をしたいのだ。


しかしながら、銀座は体を売る場所ではない。

特に社会的地位のある男は醜聞を嫌がる。

酒も飲みたい。いい女にちやほやもされたい。だが、客は「その先にあるもの」も求めている。


【2】


ホステスとしてのキャリアが、ある程度は積み上がった頃、久満子は「自分はどうも実業家や経済人とは肌が合わないようだ」と自覚した。日本経済新聞に目を通しても楽しいと思えないのである。


経済に詳しくなったついでに、株を始めたホステスもいる。

そういったホステスは、待機室では、ずっと短波ラジオを聞いている。

「株なんて心配事を買うようなものではないか」と久満子は思った。

身を傾けるなら、もっと別なものにしたい。


「日本経済新聞教」信者のホステスに、変わったのが一人いた。

政子と言う、クラブ・ホステスとは思えない源氏名の女である。

彼女は、今をときめく経済評論家や大学教授の「追っかけ」をするのだ。

出た本は片っ端から目を通すし、講演会や市民講座があると聞けば、休みを取ってでも聞きに行く。


男目当てではない。

純粋な向学心なのである。

と言っても、銀座の女の向学心だ。

資格取得の通信教育のと言った方向には行かない。

結局、「営業」になる。

政子の周囲にはエコノミストや本の虫たちのサロンができていた。

金のない連中だ。

政子の立て替えも相当なものらしいが、本人は気にもしていないようだった。


あまりの「男遊び」ぶりに、ママが注意した事もある。

他のホステスに悪い影響を与えかねないからだ。

政子は豪語したそうだ。


「あの男たちは私が育ててやってるのよ。あのうち一人でも売れっ子になれば、投資は回収できるじゃない。」


「これだ!」と久満子は思った。


【3】


かくて久満子も講演会巡りを始めた。

情報源は朝日新聞。

朝毎読の三大紙の中で、「広告の質の良さ」では朝日が突出しているからだ。

広告主の立場になってみれば分かる。

一紙分の広告予算しかない場合、三大紙のどれを選ぶか分かり切った話だろう。


わざわざ足を運んだ講演会だ。

聞きっ放しでは意味がない。詳細なメモを取る。

講演のネタは、講演者の新刊本の内容とカブッている事が多い。

買い込んでメモを補足する。


このメモが商売道具になるのは、ここから先の「工程」でだ。

客の誰それの顔を思い浮かべながら、相手が喜びそうな、抜き書きを作るのである。

小説編集者に国会情勢のメモを渡しても喜ばれない。

考古学者に芥川賞作家の話をしても嫌がられるだけだろう。

この作業は正に「誰々さんの顔を思い浮かべながら」なのである。


何に興味があるかは客が教えてくれる。

客の自慢話を目を輝かせて聴けばよい。

銀座ホステスに自分の話を傾聴されて、悪い気のする男はいない。


久満子の客は忙しいのばかりだ。

マスコミ関係者は仕事に追いまくられているし、大学の先生方は、意外や雑用雑用で、本業の研究の時間を圧迫されているほどだ。

ちょっと気になる講演会があっても、足を運ぶ時間はないのである。義理で顔を出さざるを得ない行事やパーティーはあっても。


だから久満子のメモは重宝された。

聞けば新刊本のガイドもしてくれる。

「私の読み古しで良ければお貸ししますよ」と言う。

頼むと、三日後には書き込みだらけ、折り皺だらけの本が郵送されて来る。

これを「失礼」と取るようでは久満子教の信者にはなれない。


そう。いつの間にか久満子は、街角の教祖さまみたいになっていたのだ。

「信者」たちは「自分たちは自分の意志で久満子に貢いでいる」と思っている。

マインド・コントロールされた者たちは、必ずそう言うのだ。


もう枕営業なんて言葉とは無縁だ。

そんなものは売上競争でしか自分の存在意義を感じられない、プライドの低い小娘がやることだ。


久満子はそう思っていた。

と言いつつ、つい枕をやってしまった。

今のダンナ、呉天童と店外デートを重ねる仲になって、ひと月目のことである。

2月は銀座の閑散期だ。売上を焦る気持ちが無かったと言えば嘘になる。

小娘みたいな純情な恋ができる年齢は、はるか昔に通過していた。

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