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 結局、雨に濡れてしまった。コテージに戻ってすぐにシャワーを浴びて、髪を乾かさないままでソファーに身を沈める。

 先ほどの杉森さんの態度は、どう捉えれば良いのだろう。言葉の意味が分からないほど、僕だって朴念仁という訳では無い。だが、彼女と自分とでは、あまりに生きている世界が違う。失恋旅行というからには、今まで居た恋人と別れたということだろう。恋人も居らず、ただひたすら毎日カンバスに向かっている僕とは、別の人種のようだ。

 これは、アプローチされていると考えて良いのだろうか。いやしかし、彼女は失恋したばかりでは無いのか。そんな疑問が、ぐるぐると脳内を駆け巡る。

 ダメだ、僕には女心なんて分からない。こんな時、八木先生ならば笑いながらアドバイスの一つでもしてくれるだろうか。


 杉森さんのことを考えていたはずなのに、気付けば八木先生のことを考えている。正直、八木先生に女性的な魅力は乏しい。着飾ることも無く、本人も恋愛には興味が無さそうだ。僕だって、そういう目で彼女を見ていた訳では無い……はずなのに。どうして、今僕は八木先生のことを考えているのだろう。自分の思考なのに、ロジックが分からない。今、八木先生は関係無いはずではないか。なら、どうして彼女の顔が過るんだ。


 頭を振って上半身を起こし、スマホに手を伸ばす。画面をタップすれば、すぐにニュースが表示された。雨はますます激しさを増して、一部川の近くには避難指示まで出ているようだ。

 こんな山の中にあるコテージでは、雨で客足が遠のくことも珍しくは無いのだろう。他のところならば死活問題かもしれないが、僕と八木先生となら、キャンセルが入ればこれ幸いとアトリエに籠もって制作に打ち込んでいるのかもしれない。その光景が想像出来て、一人だと言うのに、つい笑ってしまう。きっと完成するまでは互いに言葉も無く、作業に打ち込んでいるのだろう。描き上がったら、あるいは彫り終わったら、互いに見せ合って、感想なりアドバイスなり言い合えるだろうか。考えれば考えるほど、それは魅力的な生活に思えた。


 八木先生には考えると言ったものの、考える前から、僕の心は決まっているのではないか。就職するのに迷いが無ければ、そもそも先生の元を訪ねたりはしない。僕はきっと、芸術家として生きる彼女に、背中を押してほしかったのだ。そして、彼女は僕の前に道を示してくれた。今すぐにでも飛びついてしまいたい心を、何とか落ち着かせているのが現状だ。たとえ画家として生計を立てることが出来なくても、このコテージで八木先生と一緒に作品を作りながら働く。それだけで、十分に幸せなのではないか。つまるところ、僕は八木先生に憧れ、彼女と共に居られる道を選びたいのではないか。

 向き合えば向き合うほど、自分が不純な人間に思えてきた。ここで働けるなら、別に画家として芽が出なくても良いなぁなんて、そんなことまで考えてしまう。それでは結局、八木先生の優しさに甘えているだけではないか。確かに、このコテージを一人で切り盛りするのは大変そうだ。手が足りないだろう部分も、目にしている。だからと言って、彼女の申し出に飛びついて良いのだろうか。先生は、僕に同情して手を差し伸べてくれているのではないか。心の中でどれだけ問うても、答えは返っては来なかった。


 ふと、誰かの声が聞こえた気がした。外からは、いまだ止むことなく雨音が鳴り続けている。窓ガラスは叩き付ける雨で歪み、暗い外の景色は定かでは無い。

 気のせいだろうかと、スマホに視線を落とす。再び、何かが聞こえた気がした。意識を向けていた為か、今度は先ほどよりもハッキリと聞こえた。誰かの叫ぶ声だ。

 扉を開けて、外の様子を窺う。叩き付けるような雨の中、竹之下さんが傘も差さずに走ってくるのが目に入った。


「大変です、人が、人が殺されて……!」

「え……」


 激しい雨音の中、まるで現実感の無い言葉に、意味を理解するまで暫しの時間を要した。思考が纏まらず、言葉が出て来ない。


「あの、何を言って……」

「だから、人が死んでいるんです! 田上さんという方が、コテージで!」


 田上さんが、コテージで死んでいる。

 それだけの簡単な言葉なのに、僕の脳が理解を拒んでいる。小説家の田上雅也さん。有名な賞を受賞して、僕も文庫を買ったほどの著名人だ。実際に会ってみると、ちょっと付き合いづらいところは有りそうだが、話し好きなおじさんだった。


 彼が、死んだ? しかも、殺されたって――?

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