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 とりとめの無い会話は続く。サンドイッチの皿は空になったが、コーヒーなどのドリンクをいただきながら、三人でラウンジで寛いでいた。

 雨脚は一層強まり、窓の外からは叩き付けるような雨音が響いてくる。コテージに戻るのも大変そうだと小雨になるタイミングを窺ってはいるのだが、一向にその気配は無い。

 テレビ画面に目を向ければ、右上には十八時三十分と表示されていた。随分と長い間話し込んでしまったようだ。


「あっ」


 画面が切り替わり、地方ニュースが流れる。テロップにはこの大雨による被害が表示されていた。


「げ、近くの川が増水しているって」


 僕の声につられて画面を見た八木先生が、顔を顰めた。


「この山道にも、川が有りましたよね。大丈夫なんですか?」

「どうだろうなぁ。少し前にも、雨が降ったばかりだし」


 口にしてから、こんなこと八木先生に聞いても仕方が無いと後悔した。


「バイクはしばらく出せないかもしれません」

「僕も、バス停からここまで徒歩で来たので……」


 車とは違い、徒歩もバイクも天候の影響を強く受けてしまう。


「バス停までなら、私が送っていけるが……これ以上、降らなければ良いんだがなぁ」


 不安げに窓の外を眺めていれば、朧気な景色の中、人影が近付いてくるのが見えた。八木先生が腰を上げて、扉に近付いていく。扉を開けた先には、トレイを手にした竹之下さんの奥さんの姿があった。


「あ……あの、料理をいっぱい作ったので、もし良ければ皆さんもどうかと思って」

「あら、有難うございます」


 八木先生がトレイを受け取り、竹之下さんが傘を畳む。両手でトレイを持ちながら傘を差して歩いてくるのは、大変だっただろう。彼女の艶やかな髪は、すっかり雨に濡れていた。


「わ、美味しそう」


 杉森さんが料理を見て、目を輝かせた。皿には美味しそうなローストチキンやビーフステーキが並んでいる。サンドイッチは食べたものの、こってりとしたメイン料理を見ると、これもまた美味しそうと思ってしまう。


「お肉が色々とあったので、作り甲斐がありました」

「旦那さんと岩月さんの分は?」

「二人には、もう料理を届けて来ました。もしまだ夕食を済ませていない方が居たら、食べていただければと思って」

「ご飯は食べたけれど、欲しくなりますね」

「分かります」

「ふふ、どうぞ召し上がってください」


 食欲旺盛な僕と杉森さんの言葉に、竹之下さんが笑みを零す。


「二人のところに届けたんなら……夕食を食べていないのは、後は田上さんだけかな?」

「でしたら、その方のところにも差し入れて……突然料理を持っていっても、大丈夫でしょうか?」


 不安げな竹之下さんに、八木先生が笑いかける。


「大丈夫だと思いますよ。お喋り好きな人ですから」

「そうですね」


 田上さんなら、初対面の人だからと遠慮するようなことは無いだろう。ラウンジで居合わせただけの僕と長時間話し込んだ様子を思い出して、多少うんざりしながら頷いた。


「では、届けに行ってきます」

「はいはい、田上さんは確か四番コテージですね」


 四つのお皿が所狭しと並んだトレイから、二つの皿をラウンジのテーブルに下ろし、竹之下さんが再びトレイを持ち上げる。


「あの、良ければこれを持っていく間、どなたか傘を差していていただけると助かるのですが……」


 竹之下さんの視線が、僕と杉森さんに向く。


「あ、はい。そうですよね、外大雨ですし」


 僕より先に杉森さんが立ち上がり、二人は扉に向かっていった。


「これ、いただいて良いんですか?」

「ええ、どうぞ」


 僕の興味は、目の前の皿に向いていた。


「まだ食べられるなんて、若いねぇ」


 そう言いながら、八木先生がナイフとフォークを差し出す。


「全部いただくのは、流石に無理ですけれどね」

「いいじゃないか。私もいただこう」


 流石はコテージのオーナーと言うべきか、八木先生は慣れた手つきでローストチキンを取り分けてくれた。料理のレパートリーは無いと言っていたが、バーベキュー経験は豊富そうだ。自分のところで出来るんだから、当たり前か。不慣れなお客さんから聞かれることも多いのだろう。ここで働くなら、僕もバーベキューに詳しくなった方が良さそうだ。


「うん、美味しい」


 ローストチキンは程よいスパイスとローズマリーの香りが効いていた。


「こっちもいけるぞ」


 八木先生が頬張ったビーフステーキは、玉葱のソースが掛かっている。


「こういうところで食べる料理って、肉を焼いただけの、いかにも焼肉って感じだとばかり思っていました」

「人によるなぁ。普通のバーベキューと違って、コテージは調理器具も揃っているし。オーブンなんかもあるから、手の込んだ料理だって作れるんだ」

「へー」


 間の抜けた反応になってしまった。普段こういったところに来慣れて居ないのが丸分かりで、少し恥ずかしい。

 そうこうしている間に、二人が戻ってきた。だが、トレイの上には料理の入った皿が置かれたままだ。


「田上さん、もうお休みでした」

「チャイムを鳴らしても、出なかったんですか?」

「はい。ドアノブを回してみたら、鍵が開きっ放しで、奥の寝室が見えて……既にベッドでお休みになっているようでした」


 竹之下さんの言葉に、杉森さんも頷く。


「この分だと、料理が余ってしまいますね」

「きっと、夜中にお腹がすく人が大勢居ますよ。深夜にお菓子やカップ麺を買いにくるお客さんも多いですし」


 しょんぼりとした様子の竹之下さんに、八木先生が明るく言った。


「サンドイッチのパンがあるなら、これを挟んでも美味しいでしょうね」

「おお、それは良いアイデアだ」


 僕の思いつきに、ナイスとばかりに先生が頷く。


「ここに食欲旺盛な学生も居ますから。料理なんて、どれだけあっても困りませんって」

「頼もしいです」


 竹之下さんの笑顔に、こちらもつられるようにして笑みを浮かべる。

 杉森さんも綺麗な人だが、竹之下さんもまた違ったタイプの美しさを持つ人だ。柔らかなウェーブ髪は胸元まで伸びていて、正にお嬢様とか、お金持ちなイメージだ。事実若奥様なのだから、そう間違ってはいない。若奥様と思うと、途端に背徳的なイメージになってしまう。こんな奥さんと一緒に来ておいて、知り合いと会ったからとそちらで飲んでいる旦那さんは、なかなか薄情者だ。


「サンドイッチがあるんですか?」

「ええ、ここのラウンジで食べられますよ」


 僕が頷くと、竹之下さんが目を輝かせる。


「でしたら、私もいただいてよろしいですか?」

「良いですけど……簡単なサンドイッチしか作れませんよ」

「いやいや、美味しかったです」


 八木先生は竹之下さんの料理に気後れした様子だが、杉森さんが力説した。


「自分で作る料理だと、なんだか味気なくて」


 結局竹之下さんはサンドイッチを注文し、八木先生はまたも事務室に引っ込んで行った。


「さっきよりは、雨脚が弱まったみたいです」


 窓の外を眺めていた杉森さんが、ぽつりと呟く。


「今のうちにコテージに戻ろうかなぁ」


 僕もつられて、窓の外に視線を向けた。もう、外はかなり暗い。


「この傘、使って良いって話でしたよね」


 杉森さんが扉前にある傘立てから傘を一本取り出す。


「澤江さんは、どうします?」

「僕も、そろそろ戻ろうかな」

「でしたら、一緒に入っていきませんか」


 誘われて、ドキリと胸が高鳴る。これは、相合い傘というシチュエーションではないか。こんなことでときめいてしまう程に、女性に縁の無い自分の人生が憎い。


「良いんですか?」

「はい。また土砂降りになる前に、行きましょう」




 二人で肩を並べるには、一本の傘はあまりに狭い。肩が触れそうになる度に、心臓が雨音を掻き消すほどに、うるさく鳴り響く。


「肩、濡れていませんか?」

「大丈夫ですよ」


 右手で傘を持ちながら、つい杉森さんが濡れていないかを心配してしまう。そういう僕の左肩は、既にぐっしょりと濡れていてる。


「コテージにひさしでもあれば、濡れなくて済むんですけどね」

「でも、コテージの近くを通った方が、風はしのげますよ」

「確かに」


 話している間も、大粒の雨が傘を叩く。


「澤江さんのコテージって、どこですか?」

「僕は九番……一番左奥のところです」


 僕の言葉に合わせるように、杉森さんが身体の向きを変える。先に僕のコテージに寄ってから、彼女のコテージに向かってくれるようだ。


「山なら、綺麗な星が見られるかと思って来たのになぁ」


 杉森さんが残念そうに呟く。


「早く晴れると良いですね」

「本当。これじゃ何の為に来たのか、分かんない」


 兎の看板が掛かったコテージを曲がって、雨でぬかるんだ道を歩く。


「星を見に来たんですか?」

「それも有るし、バイクで気晴らしをしたかったってのも有るんだけど」


 杉森さんは、何やら小声で言い淀んでいる。


「……したんです」

「え?」


 彼女の言葉が聞き取れず、思わず首を傾げる。


「失恋、したんです」


 今度は、ハッキリと聞こえた。


「女一人でこんなところに来るなんて、やっぱりおかしいですよね」

「いえ、僕も一人で来ているので……」


 フォローは入れたものの、僕の場合は先生が居るコテージに来ただけなので、また事情が違ってくる。


「失恋旅行ですよ。パーっと嫌なことを忘れようと思って飛び出て来たのに、こんな雨だなんて、本当ついてない」

「あぁ……」


 掛ける言葉が見付からず、リスが彫られた看板を横目に眺めながら、歩を進める。

 彼女は何故、初対面の僕にこんな踏み込んだ話をしてくるのだろう。旅の恥は掻き捨てと言うことだろうか。それとも……色々な考えがぐるぐると脳を掻き回し、上手く言葉にならない。


「澤江さんは、良いですよね。内定は貰っているし、オーナーとも仲が良さそうで、順風満帆じゃないですか」

「え?」


 予想外の言葉に、間抜けな声が出た。


「違うんですか? 仕事も私生活も恋愛も、全部上手く行っているのかなって思っていたんですけど」

「いや、僕と先生は、そんな仲じゃ……」


 どうやら、彼女に誤解を与えてしまったらしい。

 八木先生のことは、確かに人間として好意を抱いている。し、尊敬もしている。だが、それはあくまで彫刻家、芸術家としての八木先生に対してのものだ。彼女を女性として意識したことなんて今までに無かったから、杉森さんの言葉は寝耳に水だ。

 僕が、八木先生と? とても想像が付かない。


「ふぅん」


 杉森さんはそんな僕を横目で見て、小さく笑った。


 九番コテージが近付いてきて、二人とも自然と足が止まる。

 同じ傘の下。肩が触れ合う程の距離で、杉森さんの大きな瞳が、じっと僕を見上げてた。


「そっか。澤江さん、今フリーなんだ」

「え……」


 その言葉の意味を図りかねて、暫し呆然とする。杉森さんは僕の手から傘を取ると、さっさと歩き始めてしまった。


「じゃ、おやすみなさい!」


 コテージの前で、僕は呆気にとられて杉森さんの姿を見送った。

 気のある素振りを見せたかと思えば、突然身を翻す。そんな杉森さんの態度に、僕は翻弄されてばかりだった。

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