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こうしてあなたは鬼になる  作者: 黒猫ている


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4

 いつしか窓から差し込む陽の光が陰り、山道を歩いていた時よりも、ぐんと涼しくなってきた。温かいコーヒーで暖を取っていれば、また車が停まって、新たな宿泊客が管理棟を訪れた。


「どうも」

「こちらに記入をお願いします」


 宿泊カードを差し出された男性が、すらすらとペンを走らせる。


「ご予約の、村井環様ですね」

「はい」

「お待ちしておりました、こちらの四番コテージをお使いください」


 八木先生が鍵を差し出し、男性が受け取る。

 環という名前は中性的だが、とてもがっしりとした大柄な男性だ。肩から鞄と一緒に、カメラの入ったケースを下げている。デジタルカメラでは無い、一眼レフの本格的なカメラだ。

 ふと目が合い、互いに軽く会釈をする。じっと見ていたことがバレてしまっただろうか。気まずい空気が流れる中、管理棟の扉が開いて、大きな声が響いた。


「女将、コテージを変えてくれ! 煙草臭くて敵わん!」


 やってきたのは、先ほどコテージに向かった田上さんだ。


「ええ、コテージ内は禁煙ってことになってはいるんですが……参ったなぁ」

「こんな時期だ、空いているコテージくらいあるだろう」

「そうですが、本日予約が入っていないコテージは、まだ清掃が終わっていない状態なんですよ」


 予約が入っているコテージだけ、清掃を終わらせてあるということか。僕の為に無理して誘ってくれたのかとも考えたが、人手が足りていないのは本当のようだ。


「俺のところを使うといい。どうせ、これからコテージに向かうところだ」


 そこへ村井さんが声を掛け、鍵を差し出した。田上さんが大仰に声を上げて、鍵を受け取る。


「それは助かる。君、煙草は平気かね?」

「自分も吸うから、気にならない」

「あの、煙草を吸われる時は、外かウッドデッキでお願いしますね」


 八木先生の言葉に頷いた村井さんは、田上さんから鍵を受け取って、コテージに向かった。田上さんも怒鳴り込んできた時とは打って変わっての上機嫌な様子で、管理棟を出て行く。


「騒がしい人ですねぇ」

「本当に」


 最初は田上さんの勢いに圧されたが、なんだかんだ憎めない人なのではって思えてきた。まぁ、再び長話に付き合わされることがあれば、それどころでは無いのかもしれないけれど。


「それにしても、本当に人手が足りていないんですね」

「そうなんだよなぁ。あまりここを長く空けていると、電話が掛かってきた時に困るし」

「携帯電話に転送すれば良いじゃないですか」

「設定するのが面倒で、すぐに忘れてしまうんだ」


 やれやれ、芸術家肌の人というのは、どうも別の方面では抜けている人が多いようだ。かくいう僕も、人のことは言えない訳だが。


「顔色は大分良くなったみたいだな」

「心配をおかけして、すみません」

「いや、突然あんな話をされたらなぁ」


 八木先生は、いまだ田上さんに怒っているようだ。


「ちょっと疲れたんで、コテージに戻って少し休んできます」

「ああ、そうするといい。私が起きている間はここで買い物が出来るから、いつでも来てくれよな」


 管理棟を出て、九番コテージに向かう。陽差しの強さに暑さを感じた昼頃とは一変して、空は灰色の雲に覆われていた。

 途中、最初にすれ違った夫婦連れの旦那さんが、見たことの無い男性と話し込んでいるのを見掛けた。僕がこのコテージに到着した時には既に車が二台停まっていたから、きっと連泊のお客さんなんだろう。親しげに話す様子から、二人が初対面では無く既知の仲だということが窺える。最初見た時は眉間の皺が印象的で、旦那さんには神経質そうな印象を抱いたものだが、こうして見ていると二人ともごく普通の社会人男性といった様子だ。

 軽く二人に会釈をして脇をすり抜け、九番コテージへ。鷲の看板が掛かった扉を開け、室内に入れば、すぐさま寝室のベッドに沈み込んだ。




 色々と考えを纏めたかったはずなのに、気付けば僕は深い眠りに落ちていた。外から響いてくるエンジン音で目が覚めたものの、一瞬ここがどこだか分からず、呆然と天井を見上げる。

 暫し呆けた後に、ようやく意識がハッキリとしてきた。自分がコテージに泊まりに来ていたんだと思い出し、身体を起こす。壁の時計は、四時四十分を指していた。まだ日が暮れるには早いが、窓の外は灰色だ。さぁさぁと、雨の音が響く。空を覆っていた厚い雲は、僕が眠っている間に雨雲へと変化していた。

 スマホをタップして、天気予報を確認する。二十四時間の予報は、傘のマークで埋め尽くされていた。雨なら雨で、仕方ない。早いうちに食料と飲み物を買い込んで、コテージでのんびりしていよう。そう自分に言い聞かせて、重い腰を上げる。

 コテージの扉を開いたら、雨の音と匂いが強くなった。濃灰色の空は森の景色と相まって、不気味な雰囲気を醸し出している。僕は鬼姥の森から視線を逸らすようにして、雨の中を管理棟へと走った。


 管理棟前の駐車場は、バイクが一台増えていた。先ほどのエンジン音は、このバイクが発したものだろう。

 管理棟に入ると、受付カウンターで若い女性が宿泊カードを記入していた。彼女の脇には、フルフェイスのヘルメットが置かれている。女性のライダーとは、珍しい。


「雨、降ってきちゃったねぇ」


 カウンターの中から、八木先生が声を掛けてきた。


「予報を見たらずっと雨みたいなんで、今のうちに買い出しに来ました」

「嫌だねぇ、昨日見た天気予報では、晴れの予報だったのに」

「数日前も雨でしたよね」

「そうそう。やっと晴れたと思ったのになぁ」


 宿帳カードを記入し終えた女性が、僕に軽く頭を下げる。バイクで来たからか、グレーのジャケットと黒のスラックスというシンプルな服装だが、モデルと言われれば納得するような美人さんだ。肩に掛かるくらいの、柔らかな栗色の髪。薄化粧で彩られた、白い肌。大きくてつぶらな瞳。その造形につい見蕩れてしまいそうになるものの、声を掛けるのは憚られた。


「では、杉森さんは七番コテージをお使いください」

「はい」


 女性は杉森さんと言うらしい。女性が一人でコテージに宿泊するなんて珍しいなとは思うけれど、詮索する訳にはいかない。


「大分濡れてしまったようですけれど、大丈夫ですか?」

「ええ、すぐにシャワーを浴びてきます」


 八木先生とのやりとりの後、杉森さんは荷物を持ってコテージに向かった。


「澤江君は、料理は出来るの?」

「一応、一人暮らしをしていますからね。簡単な物なら作れますよ」

「そっかぁ」


 ラウンジに併設された売店で食材を吟味する僕に、八木先生が声を掛けてきた。バーベキューを楽しむ人が多いからか、肉類が豊富だ。とはいえ、こんな雨の中でバーベキューを楽しむ気にはなれない。室内のキッチンで手軽に調理出来る物が良いだろう。

 食材を前に悩んでいると、ドアベルが鳴って管理棟の扉が開いた。入ってきたのは、長身の村井さんだ。チェックインの時に肩から提げていたカメラは、今は無い。


「ここで、何か食べられるんだったか?」

「トーストかサンドイッチといった、簡単な物ならご用意出来ます」

「なら、サンドイッチを貰おう」

「あ、僕もサンドイッチいただいて良いですか」


 せっかくなので、村井さんの注文に便乗することにした。


「はーい、ちょっと待っていてくださいね」


 明るく答えた八木先生が、事務室の奥へと引っ込んでいく。どうやら、中にキッチンがあるようだ。

 村井さんはラウンジのソファーに座り、僕はコーヒーメーカーでホットコーヒーを入れることにした。


「何か飲みますか?」

「じゃ、俺もコーヒーを」

「ホットで良いですか?」


 頷く村井さんの前にコーヒーを差し出し、自分もソファーに座る。


「雨、酷くなってきましたね」

「ああ。せっかく来たってのに」


 チェックイン時に感じた暑さはどこへやら、雨に濡れたせいか、今では肌寒ささえ感じてしまう。温かいコーヒーが、冷えた身体に染み渡る。


「そういえば、立派なカメラをお持ちでしたね。あれは、お仕事で?」

「ああ、風景写真を撮る仕事をしているんだ」

「へぇ、カメラマンさんなんですか」


 彫刻家のコテージに、小説家とカメラマンと画家の卵が集まった訳だ。自分を画家の卵と称するのも烏滸がましい気はするが、何とも奇遇なものだ。


「頼まれれば、何でも撮るけどな。最近は、旅先の施設やお店で依頼されることも多い。SNSで拡散する為の、良い材料になるんだろう」

「なるほど」


 確かに、今は動画やSNSで写真を目にする機会は多い。カメラマンと言うと小説家や彫刻家と同じくらいに食べていくのが大変な仕事というイメージだったが、案外安定して仕事が有るのかもしれない。


「この辺りで風景写真と言うと、鬼姥の森でしょうか」

「そのつもりで来たんだが、この分だとしばらく写真は撮れそうに無いな」


 村井さんと話をしていると、再び管理棟の扉が開いて、女性が入ってきた。最初にすれ違った、夫婦連れの奥さんの方だ。


「あの、オーナーさんは?」

「今料理を作っています。声を掛ければ、来てくれると思いますよ」

「そうですか」


 おどおどとした様子で話す女性に、僕は笑顔で答えた。年は二十代後半くらいだろうか、落ち着いた雰囲気の女性だった。ロングスカートと薄手のカーディガンを、品良く纏っている。


「食事の材料を買いに来ただけなので……選んでから、声を掛けることにします」


 そう言って、女性は食材を吟味し始めた。選び終える頃には、サンドイッチの入った皿を二つ手にした八木先生が事務室から顔を出した。


「はい、お待ちどおさま。そちらは、購入でいいですか?」

「お願いします」


 声を掛ける前に八木先生が現れたので、女性は受付カウンターに食材を並べた。

 僕はソファーから立ち上がり、サンドイッチの入った皿を受け取った。一皿を自分の前に、もう一皿を村井さんの前に置く。


「有難う、いただいていこう」


 村井さんがサンドイッチの皿を手に、立ち上がる。どうやらコテージに戻って食べるつもりのようだ。


「あ、お部屋で食べるなら、皿は後で持って来て貰えば良いですよ。あと、そこにある傘を使ってください」


 八木先生の声に頷き、村井さんが管理棟を出て行く。食材を買いに来た女性も会計を終え、コテージに戻って行った。


「やっぱり、一人だと色々と大変なんだよねぇ」

「忙しいのは、良いことじゃないですか」

「まぁね」


 一息吐いた様子の八木先生が、二杯のコーヒーを入れてソファーに座る。僕は皿に手を伸ばし、ツナフィリングとレタスのサンドイッチを頬張った。


「美味しい」

「だろう?」


 八木先生の得意げな笑顔が眩しい。料理としては、簡単な部類だろう。だが彼女のことだから、ハムとレタスを挟んだだけの、もっと簡単なサンドイッチが出てくると思っていた。皿の上にはツナとレタスのサンドイッチの他に、ベーコンレタスサンド、ゆで卵とマヨネーズを和えた卵サンドが乗っている。


「意外でした。先生って、料理出来るんですね」

「おいおい、君は私のことをどう思っているんだ」

「どうって……そのまんまですけれど」


 一言で言うなら、彫刻馬鹿。化粧っ気は無いし、髪の手入れもほとんどしていない。外見に気を使う様子は無く、好きなことをして、収入を得ている人。僕が理想とする生き方を体現しているのが、八木美夕璃という女性だ。


「失礼な話だ。私だって、これくらいは作れるんだぞ。まぁ、他のレパートリーは無いんだけど」


 どうやら、彼女が作れる料理はトーストとサンドイッチで打ち止めのようだ。もしここで働くことになったら、料理は僕が担当した方が良いのだろうか。そんな気がしてきた。


 サンドイッチと一緒に八木先生が入れてくれたコーヒーをいただいていると、今度はバイク乗りの女性――杉森さんがやってきた。


「サンドイッチもあるんですね」

「ご用意しましょうか?」

「はい、お願いします」


 八木先生は再び事務室のキッチンに向かい、かわりにドリンクディスペンサーで紅茶を入れた杉森さんが向かいのソファーに座る。シャワーを浴びると言っていた彼女から、ふわりとシャンプーの香りが漂った。


「テレビ、付けても良いですか? 天気予報が見たくって」

「どうぞ」


 僕が頷くと、杉森さんはテーブルの上に有るリモコンに手を伸ばした。テレビのスイッチを入れて、チャンネルを切り替える。右上に表示された時刻は、十七時十分を指していた。


「天気予報、やっていませんね……」

「そのうちやるんじゃないですか?」


 そんな話をしていると、再び夫婦連れの奥さんがやってきた。今度は旦那さんに頼まれて、お酒を買いに来たと言う。


「うちの主人、知り合いに会ってすっかり話し込んでしまって。一緒に飲むから、酒を買ってこいって言うんですよ」

「ははぁ、大変ですね」


 せっかく夫婦でコテージに泊まりに来たというのに、旦那さんだけ知り合いと酒を飲むのでは、寂しくは無いだろうか。


「私も好きな料理をして、一人でのんびり出来るから、良いんですけどね」

「そんなもんでしょうか」


 女性は高そうなワインを数本見繕い、事務室に声を掛けた。


「あら、竹之下さん」


 奥から、八木先生が顔を出す。どうやらこの夫婦は竹之下さんと言うらしい。


「こちらのワインをお願いします。あと、宿帳って見せていただけますか?」

「え、宿帳ですか? なんでまた」

「岩月さんのコテージがどこか、教えて欲しいんです。そこに、このワインを届けるようにと言われていまして」

「えぇと、岩月さんは……」


 受付カウンターで、二人が宿泊カードの綴られたファイルを覗き込む。


「三番のコテージですね」

「有難うございます」

「雨ですから、そこの傘を使ってください」


 会計を終えた竹之下さんは、ワインを手に再び雨の中へと戻っていった。窓の外に視線を向けると、大粒の雨で窓ガラスが歪んで外の景色が見えないほどに、雨は激しさを増していた。

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