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音羽刑事が寛文さんの手を後ろにして捻り上げ、拘束する。堤刑事は倒れた恵さんの元にしゃがみ込み、彼女の脈を確認した。元々白かった恵さんの肌はさらに青ざめ、血の気を失っていた。
「恵さんは、どうなんですか?」
僕の言葉に、堤刑事が首を振る。既に死んでいる――ということなのだろう。
恵さんの首には、手の痕がくっきりと残されていた。女性の手では無い、太く大きな男の指。寛文さんの手の痕だろう。
「オーナー、何か縛れるような物があれば、持ってきて貰えませんか」
音羽刑事が、寛文さんの手を掴んだままで声を上げる。寛文さんは黙り込んで、抵抗する様子は無い。
「先生?」
反応が無いことに気が付いて、八木先生の顔を覗き込む。眼鏡の奥の瞳は爛々と輝き、目を見開いたままで、彼女はじっと恵さんの顔を凝視していた。
「先生? 先生!」
「あ――」
耳元で大声を上げたことで、ようやく八木先生は我に返ったようだ。いまだぼんやりとした様子でこちらを向いて、不思議そうに僕を見上げる。
「音羽刑事が、何か縛る物を持ってきて欲しいそうです」
「分かりました」
僕の言葉で、ようやく八木先生が動き出す。この距離で、音羽刑事の声が聞こえないはずは無いのに。それほど、恵さんの死がショックだったのだろうか。
「恵が、恵が悪いんだ。あいつが、こんなことをしでかすから……」
寛文さんが、ぶつぶつと呟く。
「こんなことと言うのは、これまでの殺人のこと――でしょうか」
僕の言葉に、寛文さんの顎が小さく動く。
二人もの人を殺めた犯人は、その罪を自供することなく、こうして呆気なく死んでしまった。
八木先生が持ってきたロープで寛文さんを拘束した後、三番コテージの岩月さんにも声を掛け、僕達はまた管理棟に集まった。寛文さんが恵さんを殺害して拘束されたと聞いて、岩月さんは唖然としていた。それはそうだろう、寛文さんとずっと一緒に居た彼にとって、寛文さんだけは絶対に犯人では無いと言い切れる相手だったのだ。
「結局、何がどうなっていたんだ?」
訳が分からないと言った様子の岩月さんに、途中、四番コテージと六番コテージの看板が入れ替えられていたことを説明する。
「看板に彫られた彫刻が決め手だなんて、そんなの、見間違いとか君の記憶違いって可能性も有るんじゃないのか?」
「だから、犯人が確定するのは指紋採取とかそういった捜査が行われてからだと思っていたんですけどね」
岩月さんの疑問に答えながら、僕はため息を吐いた。恵さんが死んだ今となっては、詳しい話を聞く相手も居ない。
「そもそも、なんで恵さんがあの二人を殺すんだ。その理由が分からない」
岩月さんは、いまだ納得がいっていないようだった。杉森さんの時はあんなに犯人扱いして決め付けていたのに、いざ自分の知り合いが疑われるとなると、庇いたくなるようだ。ある意味では、人間らしいと言える。
「それなんですけど、ちょっと、思い出したことがあるんです」
僕は皆が集まっていたラウンジから、受付カウンターへと移動した。カウンターの上には、僕達が記入した宿泊カードが綴られたファイルがある。
「先生、これ見ても良いですか?」
「あ、ああ」
八木先生は、いまだ心ここにあらずと言った様子だ。頷きはしたものの、その意味をちゃんと理解しているのかどうか。
「それがどうかしたのか?」
音羽刑事が僕の隣にやってきて、ファイルを覗き込む。パラパラとカードをめくった先に、やはり思った通りの記述があった。
「あれ?」
音羽刑事も、気付いたのだろう。カードに視線を落とし、不思議そうな顔をしている。
「どうして、田上さんのコテージが一番になっているんだ?」
そう。田上さんの宿泊カードの、コテージ番号記入欄。そこにはボールペンで「一」と書かれていた。
「簡単な話です。最初、田上さんは一番の鍵を受け取って、コテージに向かったんです。でも、コテージの中が煙草臭いと言って、戻って来ましてね」
「え。じゃ、ひょっとして……」
ぱらり、ぱらりとカードをめくり、今度は村井さんのカードを開く。そこには「四」の文字が記入されていた。
「最初は四番のコテージに宿泊する予定だった、村井さん。彼とコテージを交換したんですよ」
「ああ、そう言えば……」
ぼんやりとしたまま、八木先生が頷く。
「先生、カードの番号、直すの忘れていますよ」
それ自体は、ほんの些細なミスだ。慌てて直さずとも、後でカードを整理する時に気付いて、修正しただろう。
ただ、このミスが、大きな事態を引き起こしてしまった。
「ひょっとして……」
音羽刑事の言葉に頷く。
「夕方、恵さんがワインを届ける為に岩月さんのコテージを教えて欲しいって言って来た時に、不思議に思うことがいくつかあったんですよ。その時は考え過ぎかと思って、適当に流していたんですが」
「何かあったっけ」
杉森さんが、首を傾げる。
「寛文さんからお酒を買って持ってくるように言われたんなら、コテージの番号くらい、寛文さんに聞けば良いじゃないですか。夫婦なんだし」
「ああ」
そんなことかと、杉森さんが頷く。
「お酒を買うついでに、聞いたんじゃない?」
「そうかもしれませんけどね。彼女、確かこう言ったんですよ。『宿帳を見せていただけますか』って」
僕の言葉に、皆が考え込む。
「その時、こう思ったんです。それだと、まるで宿帳そのものを見たいように聞こえるなって。実際に恵さんは受付カウンターの中を覗き込んで、先生と一緒にファイルを確認していました」
宿帳カードで確認しただけなら、田上さんのコテージが一番、村井さんのコテージは四番だと思うはずだ。
「ってことは……田上さんを殺したのは間違いで、本当に殺したかったのは、村井さんだけだったと?」
「その可能性は有ると思っています」
再び、ラウンジがしんと静まり返る。沈黙を破ったのは、八木先生の震える声だった。
「私が……私が番号を直すのを忘れていたから、田上さんは殺されてしまった……?」
「それは……」
否定しようとして、僕は言葉に詰まってしまった。もしコテージの番号が正しく記載されていたなら、田上さんは殺されなかったかもしれない。あるいは、それでもやっぱり殺されたかもしれない。そこはもう、恵さんが亡くなった今となっては、確認しようのないことだ。
「事情がどうであれ、殺人は殺人を犯した人物の罪だ」
堤刑事が苦い口調で呟く。その言葉も、八木先生の耳には届いているかどうか。
「……夜中に、コテージの外に、明かりが見えたんだ」
ぽつりぽつりと語り出したのは、腕を縛られたままの寛文さんだ。憔悴しきった様子で、ぼんやりと虚空を見つめている。
「あれ、俺を怖がらせるつもりじゃなかったのか?」
「だから違うって言っただろう」
岩月さんは、自分を怖がらせる為の冗談だと思っていたようだ。ため息交じりに、寛文さんが言葉を続ける。
「朝になって、村井って人が殺されたって聞いて、最初は殺人犯が移動した時の灯りが見えたのかと思ったんだ。でも……三番コテージの一番近くって、俺と恵が泊まっていた六番コテージだろう?」
「ああ」
そうか。岩月さんのコテージから見える明かりと言ったら、六番コテージか、その周辺に居た人物の可能性が高い。
「だから、さっき恵を問い詰めたんだ。お前、夜中にどこかへ出掛けなかったかって」
「どうだったんだ?」
先を促す堤さんの声は鋭い。
「最初は誤魔化していたけど、そのうち観念したさ。あいつ、夜にコテージを出て、それであの村井って男を……」
ぎりりと噛みしめた唇から、血が滲む。
「だから、恵さんを殺したのか?」
「別に殺すつもりは無かったんだ! ただ、どうしてそんなことをしたのかと問い詰めたら、あいつ、あの男との昔の関係を、俺に知られたくなかったからって……っ」
あの男とは田上さんでは無く、村井さんのことだろう。ちらりと堤刑事が音羽刑事に目配せをして、音羽刑事がソファーから立ち上がる。
「また事務室を借りるぞ」
そう言って、寛文さんを伴い事務室に入って行った。堤刑事も僕達に軽く頭を下げ、後に続く。その間、八木先生はずっと呆けたままだった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。昨日の夕方頃迄は、あんなに楽しかったのに。
気付けば八木先生は廃人のような目をしていて、コテージは三人もの人が亡くなった凄惨な事件現場と化してしまった。これから先、この場所で先生と楽しく二人で仕事が出来るだろうか。とても、そんな気はしない。そもそも、これだけの事件が起きたこのコテージが、今後営業して行けるかどうかも怪しいところだ。
一時は可愛いと思った杉森さんは、目を大きく見開いて、岩月さんを睨み付けている。誤解からとはいえ、杉森さんを激しく罵った岩月さんは、ラウンジの隅で小さく身を縮めていた。彼の友人とその妻は、どちらも殺人犯になった上に、恵さんは夫の寛文さんに殺害された。皆が皆、今回の事件で人生を狂わされてしまった気がする。この中で、僕が一番マシなのではないか。
そんな僕でも、目を見開いたまま空を見つめる恵さんの無機質な瞳が、瞼の裏に焼き付いて離れない。田上さんと村井さんの時は、直接遺体を目にすることは無かった。だからどんな死に様だったか話には聞いていても、想像の光景でしか無かった。だが、恵さんは違う。この目で、人の死を目撃してしまった。直接、この目で見てしまった。脳裏に刻み込まれてしまった。まるで、僕の心に不気味な根が張り巡らされたように。
その日の夕方に雨は止み、夜には救助の一団がやってきた。無事に鑑識も到着して現場の検証が行われ、寛文さんは警察署に連行された。
僕達も警察署で何度も話をする羽目になったが、あの時事務室で受けたような疑いを孕んだ事情聴取では無く、あくまで確認作業といった内容だ。
恵さんの殺害は寛文さんによる現行犯逮捕、田上さんと村井さんの殺害については、被疑者死亡のまま書類送検されることになった。
アパートに戻れば、いつもの日常が待っていた。バイトをして、たまに大学に顔を出して、家で寝るだけの生活。繰り返す日々。あの非日常を知ってしまった今となっては、平穏な暮らしの中で起きるトラブルが些末な事に感じてしまう。
何も心が動かない。あれだけ一般企業には就職せず、芸術の道を歩むことを考えていたというのに、今はカンバスに向かっても微塵も制作意欲が湧いてこないのだ。
目を閉じると、今でも恵さんの死に顔が浮かんでくる。焦点の合わない、虚ろな瞳。それを思い出した瞬間、絵筆を放り投げたくなる衝動に駆られてしまう。早く忘れなければ。そう思えば思うほど、記憶に深く刻まれていくようだ。
あの記憶が鮮明に残っている内は、何を描いてもその呪縛から逃れることは出来ないだろう。僕が描きたいのは、死を連想させるようなおどろおどろしい世界では無い。これ以上、悪夢に囚われるのはごめんだ。
自分の心に忌まわしい記憶が強く根付いていることを自覚して以降、僕は絵を描いていない。




