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~ZERO~  作者: サトノア
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エピソード1

~ZERO~


~エピソード1~


カーテンの隙間から差し込む太陽の光で目が覚めた。四月の爽やかな朝だ。ベッドから起き上がり、しばらく座った状態でボーっと部屋のあちらこちらを眺める。まだ見慣れない景色に少し困惑している自分にため息がこぼれた。あまりのんびりもしていられないので取りあえず着替えてコーヒーを淹れた。ベランダに出て片手にはコーヒーを、そしてもう片方の手で煙草を吸う。朝の至福の一時だ。今日から転勤初日、気合を入れ直す。以前、埼玉で働いている時は気の合う仲間と上手く過ごせていたが、経営の悪化で私は群馬の営業所へと異動となったのだ。埼玉から群馬なので通えない距離ではなかったのだが、あえて私は引っ越しをする事に決めた。埼玉に住んでいた頃のアパートは、元カノとの思い出が染み付いて忘れたかったのもしれない。


「おはようございます!」


初出勤の俺は元気よく挨拶をした。そこにいた皆は快く私を迎い入れてくれて、何だか胸に痞えていた不安というか緊張というか、モヤモヤしていた気持ちが少し軽くなった気がした。


小鳥遊蓮(たかなしれん)君だ。みんな、宜しく頼むぞ!」


営業所所長の中山(中山彰なかやまあきら)さんが俺の側に来て挨拶がてらに社内を案内してくれると言う。ここは営業所でもあり、隣に併設された倉庫では自社製品や取引先から預かっている商品を保管管理も行っている。俺に与えられた最初の業務は、この荷物を入出庫管理する事であった。

午前中に一通りの業務説明を受け、午後からは早々に現場での作業に取り掛かる。現場では"鈴木さん"から指示を貰って下さいと言われていたので探し回っていた。

すると、予想外にも鈴木(鈴木麻依すずきまい)さんは女性の社員だった。歳は俺より四~五歳若いといった感じで、現場作業員というイメージとは違い、おっとりとした雰囲気だった。年下の女性から仕事を教わらなくてはならない事に少々抵抗はあったが、彼女はそんな俺の気持ちとは裏腹に、優しく丁寧に、そして俺に気を使っているのか下手に回って会話をしてくるのだ。今日からしばらくは彼女と一緒に行動を共に業務を覚えていく。だから俺も彼女に気を使わないでほしいとお願いをした。鈴木さんは笑いながら俺の頼みを承諾してくれた。

初日の仕事が終わり帰宅すると、まだ片付いていない部屋の真ん中にゴロンと寝転んだ。しばらく白い天井を眺めているとお腹が空いている事に気付いた。何か食べようにも引っ越してきたばかりで冷蔵庫にはたいした物は入っていない。散歩がてらに近所に買い物に行く事にした。少し歩いた所にコンビニがあったので、今日の晩御飯はお弁当で済ませようと店に入った。適当に買い物を済ませ店を出ると、田中(田中蒼真たなかそうま)さんと鉢合わせた。


田中「あれ?この近所に越してきたの?」


小鳥遊「はい。まだ新居に慣れていないのでしばらくはコンビニ弁当です!」


軽く会話をして、今度御飯にでも行こうと誘われ、その場を後にした。田中さんは転勤先で俺と同僚に当たる。分からない事があれば何でも聞いて下さいと言ってくれたのも彼だった。翌日、出勤のため事務所に入るとすでに田中さんが出社していた。


田中 「昨日はどうも!」


気さくに話し掛けてくれた。俺と歳も近く何気ない会話が弾む。仕事の話や恋愛話、勤務時間になるまでの間にどれだけ笑ったのだろう。そして昼御飯を一緒に食べる約束をして俺は現場に向かった。

鈴木さんはすでに作業に取り掛かっていて、俺が来るのを待っていた。


鈴木 「来てくれたんだ?」


第一声が不思議な言葉だった。仕事だから現場に来るのが当たり前だと思っていた俺の表情を見た彼女は軽い笑みを浮かべた。


鈴木 「初日で嫌になって辞めちゃう人もいるから。」


小鳥遊 「確かに一日中立ち仕事で扱う荷物も細かくて大変だけど、辞めはしませんよ!」


鈴木さんは少し安心した様子で微笑んでいるようにも見えた。お昼になり休憩所に向かう途中で田中さんと会った。一緒に食事しながら何気ない会話を楽しむ。すると、田中さんから俺が今一緒に仕事をしている鈴木さんの話題を振ってきた。


田中 「彼女とはうまくやってるの?」


少し意味ありげに聞いてくる。


小鳥遊「優しく丁寧に教えてもらってますよ!」


田中 「なら…いいんだ…」


意味深な言い方に少し動揺してしまった。そうこうしているうちに休憩も終わりまた現場に戻ると、鈴木さんは午後の業務の準備をしていた。真面目にコツコツと仕事をしている彼女の後ろ姿と、先ほど田中さんから言われた意味深な言葉が妙に引っ掛かる。本人に聞こうにも転勤二日目の俺があまり出しゃばるのも気が引ける。今は仕事を覚える事に集中しようと決めた。

一か月ほどが経ち、俺も一人で仕事をこなせるようになってきた頃、取引先から俺宛にクレームが入ってしまった。上司から注意を受けた後、いつものように現場に戻ると後から鈴木さんが駆け寄ってきた。仕事を教えた立場として彼女からも怒られるのだと腹をくくった。


鈴木 「ごめんなさい!」


何故か鈴木さんが謝ってきた。どうやら俺のミスの原因は、彼女が俺に引き継ぎを忘れていた事だと言うのだ。


小鳥遊 「気にしないで下さい。新人の俺がミスをしてしまった事にしておけば丸く収まる話ですから大丈夫です。」


納得のいかない表情の鈴木さんは何度も謝り頭を下げた。休憩時間になり、俺は田中さんに今回のミスの話しをしてしまった。


田中 「よくある話しだよ。俺なんて取引先に謝りに行った事もあるよ。じゃあ、鈴木さんにお詫びとして飯でもおごってもらいなよ!」


笑い話で俺を慰めてくれたのだ。確かに今回の事を期に鈴木さんとはもう少し仲良くなれるかと思い、俺は冗談で言ってみようとも思った。

数日後、会社の駐車場で鈴木さんにばったり会い、俺は例の冗談を言ってみたのだ。すると彼女は真面目に俺の冗談話に乗ってくれたのだ。


小鳥遊 「うそうそ、冗談だよ!」


そう言っても彼女は引こうとしない。


小鳥遊 「分かった!なら皆で飯に行こうよ。」


そう言うと鈴木さんは渋々納得してくれたのだった。それから何日か経って、会社の仲間と食事会に出掛けた。食事会と言っても、酒が苦手な俺以外にとっては"飲み会"でしかない。結局会社の仲間は酒が飲みたくて集まり、俺の車で送迎してもらえると喜んで来たのだ。鈴木さんもレモンサワーを片手に楽しんでくれている。仕事中では見られない彼女の表情に俺はホッと胸を撫で下ろした。

そろそろ帰る時間も近付き、会計を済ませた俺は鈴木さんを含め数人を車に乗せた。店から近い順番で自宅まで送り届ける。酔っ払って寝てしまった奴は玄関まで肩を貸し、後は家族の方に任せる。単なる食事会のはずがかなり面倒くさい結果となってしまった。最後に送り届けるのは鈴木さんだった。彼女も酔ってはいたが意識はしっかりとしている様子だった。


鈴木 「ごめんなさい。私のせいで余計に迷惑掛けちゃったね。」


まるで俺の心を読まれているように二人になった途端に謝ってきた。俺は今日の食事会が楽しかったと告げたが、彼女はまた腑に落ちない表情を浮かべた。しばらく無言の車内で気まずい空気が流れる中、そろそろ彼女の自宅に着こうとした時、その空気は一変した。


鈴木 「今度は二人で食事に行きませんか?」


小鳥遊 「えーっ!本気で言ってる?」


正直、俺は驚いた。俺は独身で彼女もいない。しかし鈴木さんには彼氏、もしくは結婚をしていて旦那さんやお子さんはいないのか。そう言えば、俺は彼女の素性をまったく知らなかった事に気付いたのだった。会社でのちょっとした雑談はあったものの、プライベートの会話はまったくと言っていいほどした事がなかった。


小鳥遊 「俺は構わないけど。鈴木さんが良ければ…」


今度の休日に食事に行く約束と携帯番号を交換して鈴木さんと別れた。それからと言うものの、俺の脳裏には鈴木さんの事でいっぱいになってしまった。あの食事会の帰り道、もっと彼女の事を聞いておけば良かったと後悔している。会社内では話し掛けづらいし、用もなく電話をするのも違う気がする。そんなモヤモヤした気持ちが続く中、俺は田中さんに彼女の事をさりげなく聞いてみる事にした。


小鳥遊 「鈴木さんはどんな人なの?まさか田中さんの元カノだったりして?」


俺が冗談を混じえて聞くと田中さんは少し間を空けて答えた。


田中 「そんな訳ないよ。鈴木さんは・・・いい人だよ。」


田中さんの微妙の間が気になった俺はそれが何なのか問い詰めたが、苦笑いで言葉を濁し教えてはくれなかった。田中さんから情報を得る為にとった行動が仇となり、俺は余計に鈴木さんの事が気になってしまうのであった。

そんな日々が続く中、とうとう鈴木さんとの約束の日を迎えた。待ち合わせ場所に行くと、そこにはとても清楚な雰囲気の彼女が待っていた。会社では作業着であり、食事会の時はパーカーにパンツ姿のボーイッシュな感じだったので、一目見た瞬間に魅了されてしまった。俺は紳士にでもなったかのように彼女をエスコートし、予約していたレストランへと向かった。緊張はしていたものの、意外と会話は盛り上がり、オは彼女のプライベートに触れてみたのだ。


小鳥遊 「そういえば、鈴木さんって彼氏はいるの?」


いきなりストレートな質問に彼女は笑っていた。


鈴木 「いたら二人きりで来ませんよ!」


それもそのはずだ。でも何だかホッとした気分にもなれた。


鈴木 「逆に質問ですけど、彼女はいるの?」


勿論、答えはNOである。俺はだんだん調子に乗ってきて変な事を言ってしまった。


小鳥遊 「でも、この周りにいる人からしてみれば今の俺たちはカップルだと思われているかもね。いっそうの事、本当のカップルになってみようか?」


万が一、断られたとしても「冗談」だと言えば逃れられる、少し卑怯な告白をしてしまった。すると鈴木さんからは先ほどまでの笑顔は消えてしまった。


鈴木 「やめておいたほうがいいよ。」


うつむきながらそう答えるのであった。


小鳥遊 「ごめん。いきなり変な事を言って。気にしないで。」


重い空気になる前に、俺は話題を変えようと必死になった。しかし彼女の表情は暗いまま。このヤバい状況にふざけた告白を後悔した。すると鈴木さんはゆっくりと顔を上げて俺を見つめた。


鈴木 「私は本気で付き合いたいと思っていました。小鳥遊さんって真面目で一生懸命で優しいし。でも…怖いんです。」


小鳥遊 「俺の事が怖いの?」


鈴木 「違います。」


小鳥遊 「以前に辛い恋をしたとか?」


鈴木 「違います・・・」


小鳥遊 「ご両親が許さないとか?」


鈴木 「違います・・・・・」


小鳥遊 「何が怖いの?」


鈴木 「・・・違うんです・・・」


俺の頭の中は「?」マークだらけだった。彼女がいったい何を怖がっているのか、何が何でも知りたくなった。


小鳥遊 「教えてくれないかな?俺に出来る事なら何でもするよ。」


彼女は重い口調で呟くように答えた。


鈴木 「私と付き合うと不幸な事が起こるかもしれないから…」


幸も不幸も、付き合っていく上では何かしらあるのは当然の事。俺は気にしないと彼女に告げた。すると彼女は少し笑顔を取り戻し、二人でどんな事でも乗り切ろうと誓い、付き合い始めたのであった。

会社内で俺と鈴木さん付き合っている事を知っているのは田中さんだけである。田中さんには色々と世話になっているので一番に報告したのだ。しかし田中さんの口からは「頑張れよ」の素っ気ない一言だけであった。


麻依と付き合い始めて数か月、これと言って不幸な事は起きず、むしろ幸せいっぱいの日々に、俺は麻依から言われた事などすっかり忘れていた。最近では仕事を終えると私の部屋に来ては一緒に食事をしてテレビを見たりゲームをしたりと、何不自由のない生活を送っていた。

そんなある日、麻依と夕食の準備をしている時の事、料理が苦手な俺も何か手伝わなきゃとあたふたしていた。すると微かに玄関の方から何か音がしたのに気付いた。何を手伝っていいか分からずにいた俺は、ちょうど良いと思いドアポストを確認してくる事にした。しかしポストの中には何も入ってはいなかった。気のせいだったと思い麻依の元へ戻ると不思議そうに見つめてくる。


麻依 「蓮…どうしたの?」


俺が玄関ポストを確認しに行ったと告げると、どことなく麻依の顔はしかめた様子だった。確かに今の時刻は夜の八時。郵便物ならこんな時間まで配達はしていない。ネットで何か買った覚えもない。さきほど聞こえた音は俺の勘違いだったのだろう。まあ、麻依もこれ以上は聞いてこないのであまり気にしないでいた。


蓮 「明日は仕事が休みでしょ?なら泊まっていきなよ!」


食事が終わり、頃合いをみて俺は麻依を初めて泊まるよう誘ってみた。麻依は嫌な顔もせずにすんなりと受け入れてくれた。シャワーを浴び、麻依はのんびりとくつろいでいる。俺も読み掛けの雑誌を手に取り、くつろごうとソファーに座った。するとまた玄関の方から音が聞こえたのだ。鉄製のポストに郵便物が落ちた時の「コンッ」という乾いた感じの音。今度は間違いないと俺は確認する為に歩きだす。


麻依 「ダメッ!」


荒ぶった声で麻依が叫んだのだ。驚いた俺は何があったのかと聞き返してみたが、麻依は怯えている様子であった。


麻依 「大丈夫だから、もう寝よう。」


麻依は真相を話そうとはしなかった。

翌朝、昨夜の事が気になって眠れなかった俺は、もう一度麻依に何があったのか聞く事にした。すると麻依は初めて二人で食事をした日の事を覚えているかと聞いてきた。細かくは覚えていないけど、勿論だいたいの事は覚えている。


麻依 「私と付き合うと不幸な事が起きるって言ったのを覚えている?」


確かそんな事を言われたけど、俺は今、麻依といる事が幸せだと告げた。


麻依 「違うの。私と一緒にいると不思議な事が起きるの!」


まだ俺には麻依の言っている意味が分からなかった。


蓮 「ポストに郵便物が届くのが不思議な事?」


半信半疑の俺がもう一度麻依に確かめると、疑うならポストを確認するようにと言われた。俺はベッドから起き上がり、言われるがままポストを見に行った。


蓮 「何も…入っていない。」


昨夜、俺は確かにポストに何かが入る音を聞いたのだが、気のせいだったのだろうか。首を傾げた俺に麻依は不安そうに告げた。


麻依 「夜、ポストに何かが届いても絶対に見に行かないで。」


この時点でも俺には麻依の言葉が理解不能だった。きっと夜は泥棒とか強盗とか、危ない事もあるから「気を付けろっ」て、言いたいのだろうと思い込んでいた。しかしその忠告が当たるかのように、翌日も、またその翌日も、夜になるとポストに何かが投函されたような音が聞こえていたのだ。麻依の言う通り、俺は夜その場では確認せずに朝起きてから確認するようにしたのだが、やはりポストには何かが入っている事はなかった。さすがに不安に感じた俺は会社の休憩時間を利用し田中さんに相談してみようと考えていた。休憩時間が近付くにつれ、まったく仕事が手に付かなくなっていた俺は、ふと、田中さんに麻依と付き合い始めた報告をしたあの時の素っ気ない態度を思い出し、相談して良いものか躊躇っていた。だが、毎晩起こる不思議な音に悩まされ、もうそんな事は気にしていられない。今は田中さんに頼るしか道はなかった。


田中 「気のせいじゃないの?鈴木さんに内緒で一度確認してみたら?」


確かに田中さんの言う事も一理ある。このまま気にし過ぎて眠れない夜を過ごすのはうんざり。俺は夜になるのを待ち、玄関ポストに耳を傾け音が鳴るのを待ち続けた。


「コンッ!」


蓮 「あの音だ!」


俺は麻依との約束を破り、恐る恐るポストを開けてみたのだ。すると一通のハガキのような物が入っていたのだ。ゆっくり手に取り覗くように確かめる。しかし宛名も差出人も書かれていない真っ白なハガキだった。少し安心した俺はそのままハガキを裏返すと弱々しい小さな文字で一筋の文章が書かれている事に気付いた。


「迎えに行きます」


意味不明な不気味な文章に鳥肌が立った。


蓮 「きっと前の住人に宛てた何かだろう…」


俺はそのハガキを破り捨てた。しかし、そのハガキは次の日もまた次の日も続いたのである。 「迎えに行きます」 と、書かれているのは同じ文章。さすがに気味が悪くなってきた俺は、とうとう麻依に打ち明ける事に決めた。すると麻依は今夜から俺の部屋に来てくれると言う。その日の夜、例のハガキが届くのではないかと怯えている俺に対して、意外にも麻依は冷静を保っている。それどころか、こんな状況には慣れているようにも見えた。


「コンッ」


蓮 「・・・来た!」


俺と麻依はゆっくりと玄関に向かう。そしてポストに手を伸ばした瞬間、


「ドン!ドン!ドン!ドンッ!」


俺も麻依も恐怖のあまりひっくり返ってしまった。震えが止まらず、身動きも取れない。何も出来ないまま時だけが過ぎて行く。ドアを叩き付ける恐ろしい音が耳から離れない。二人の激しい鼓動だけが聞こえる。そして、俺はゆっくりと動き出した指先をもう一度ポストへと伸ばしたのだ。やはり一通のハガキが入っていた。


「む・か・え・に・き・た・よ」


そのドアの向こうからは何かの気配を感じる。あまりの恐ろしさに俺は麻依の手を引き部屋の奥へと逃げた。震える麻依を抱きしめながら、その気配が消え去るのを待った。しばらくして俺は麻依を残し玄関に向かう。ゆっくり、ゆっくりと。玄関に辿り着き、俺はそっと覗き窓から外を確認した。


蓮 「誰も・・・いない。」


わずかに安心した俺は麻依の側へ戻ろうと振り向いた瞬間、声にならないほどの恐怖で血の気が引いた。ベランダのガラス戸に真っ青な顔をした男が張り付いて麻依を恨めしそうに見つめているのだ。


蓮 「うぁぁぁっ!」


麻依も異変に気付き振り向いた瞬間に悲鳴と共に気を失い倒れてしまった。とっさに俺は麻依を引き寄せ、あの男から守るように抱きしめた。すると次の瞬間にはもうベランダから男は姿を消していたのだ。あれはいったい何だったのか。気が付くと外からは薄らと明かりが差し込み、早朝の通勤車で行き交うエンジン音が聞こえ始めた。


蓮 「もう大丈夫だろう…」


麻依をソファーに運びカーテンを開けた。太陽の光が部屋に広がると、昨夜の悪夢が嘘だったかのように落ち着きを取り戻した。やがて目覚めた麻依を落ち着かせ、温かいコーヒーを差し出した。


麻依 「やっぱり私のせいだ。ごめんなさい。」


麻依は自分に責任があるのだと責めていたが、俺には麻依の周りでこれまでに起きた不運な出来事には何か他に理由があるのではないかと考え始めていた。それともう一つ、昨夜に現れたあの不気味な男。いったいあいつは誰なのか?これから先を考えると、麻依の為にも調べる必要がある。俺は麻依からこれまでにあった不思議な現象をこと細かく聞いた。最初に聞かなくてはならないのは、いつ頃から不思議な現象が出始めたかだ。麻依が言うには五年程前、ちょうど現在勤めている会社に転職して間もなくだそうだ。当時は付き合っていた彼氏がいたのだが、その彼氏の携帯電話に不審な着信が続くようになり、出ても何の応答もしなかった。そんな不審電話が続くようになった一週間後に自宅マンションから飛び降り自殺をしたと言う。当時は麻依も単なるイタズラ電話だとあまり気に留めていなかったが、彼氏が突然の自殺で疑心暗鬼に陥ったそうだ。その後も、仲の良かった同僚の「小嶋君」は無断欠勤が続き、そのまま引き籠りになって最終的には音信不通。しつこく飲みに行こうと誘っていた上司は交通事故に遭い現在も入院中。そして俺の番となった訳だ。夜に届くハガキと謎の男。俺はネットで色々と調べたがイマイチこれといった確証が掴めない。お祓いに行くべきかと悩んでいた時、俺は一つの共通点に気付いた。「男」である。全てのトラブルに巻き込まれたのは男性。俺の部屋に現れたのも男である。俺は麻依の身の回りで「男」にまつわる問題がなかったか、再度確認する。麻依は現在までを振り返り、過去、男性に関わるトラブルなどを思い出してみたが、思い当たる節は見付からなかった。もう時刻は夕方となり、また夜になったら奴がくるかもしれない。もしこれが幽霊や祟りなどの仕業ならお寺や神社に逃げ込むしか方法はない。しかし、逃げた所で果たして助かるのか?いったい原因は何なんだ。気持ちばかりが焦ってしまう。


麻依 「あっ!一つ気になる事が・・・」


麻依が何か思い出してくれたようだ。


麻依 「今回の事に関係があるか分からないけど、私、田中さんからしつこく言い寄られた時期があったの。でもその時は彼氏がいたし、田中さんはタイプじゃなかったから断ったの。」


そんな事かと俺は聞く耳を持たなかった。しかし、話は続きがあったのだ。


麻依 「何度断ってもしつこくて。そしたら毎日手紙が送られてきたの。初めは好きだとか付き合ってほしいとかの内容だったけど、少しずつ内容が気持ち悪くなってきて。俺のものだとか、俺以外の男と仲良くするなとか。だから最後は私に関わらないでほしいと言ったの。その時、一人では怖かったから上司と小嶋君に間に入ってもらって…」


その上司と同僚の小嶋君は、まさに彼女と関わった人間だった。


蓮 「一人は事故で現在も入院中、もう一人は音信不通の末、行方不明。そして当時の彼氏は自殺。だとしたら、この三人の件は田中さんの仕業なのか?そして今回、麻依と付き合う事になった俺まで何かしらの危害を加えようとしているのか?だが、俺の部屋での出来事は普通の人間が出来る事ではない。しかし考えているだけでは先に進めないし、何よりもう夜まで時間がない。」


俺は少しでも可能性があるならと思い、田中さんの家に行く事に決めた。会社に寄り、田中さんの自宅を調べ、麻依と二人で車を走らせた。住宅地を抜け、どんどん辺りは民家も人通りも無くなっていく。そしてナビで記された方向へと進んで行くが、とうとう山林へと入ってしまった。かろうじて道路は舗装されているが、対向車が来たらギリギリの狭さだ。やがてヘッドライトに照らされた先に民家らしき建物が見えてきた。


蓮 「田中さんの車だ!」


到着すると少し古びた家屋と車が一台停まっていた。会社の駐車場で何度も見掛けていたので田中さんの車で間違いない。俺は車から飛び降りて玄関に向かった。インターホンは無く、何度も呼んではみたが応答はなかった。失礼を承知でドアノブを回してみたが、施錠されて中には入れない。しかし、微かに玄関窓の向こうから明かりが漏れているのに気付いた。きっとテレビか携帯に夢中でこちらに気付いていないのだろうと、外から庭の方へ回る事にした。雑草が生い茂る中を掻き分けながら裏手に進んだ。そしてようやく明かりの着いた部屋まで辿り着き、そこからも田中さんを呼んではみたが、やはり返事はなかった。仕方なく俺は明かりの漏れるカーテンの隙間から中を覗いてみたのだ。


蓮 「・・・うそだろ・・・」


俺の目に飛び込んできたのは、部屋一面に貼り付けてある「麻依」の写真だ!これまでに起きた一連の犯人は、やはり田中さんだったのか?しかし写真だけでは証拠にはならない。俺は本人に真相を確かめるしかなかった。


蓮 「田中さん!」


やはり何度呼んでも応答はない。麻依に危険があってはならないと思い、外で待たせたまま唯一鍵の掛かっていない窓を見付け中に入り込んだ。先ほどの明かりの着いた部屋に入ると、そこには無数の麻依の写真が無造作に飾ってある。さらに驚いたことに、その麻依の顔の部分は全て黒く塗りつぶしてあったのだ。


蓮「麻依に何か恨みでもあるのか…?」


写真の数と塗りつぶし方から簡単に想像がついた。と、次の瞬間、俺は背後からおぞましい気配を感じた。ゆっくり振り向くとそこに立っていたのは田中だった。


蓮 「うぁぁぁっ!」


青白い顔をした田中がうつむき、覗き込むように俺を睨み付けている。少しずつ俺に近付き今にも襲われそうだ。倒れ込んだ俺は金縛りにあったように動けず、どうする事も出来なかった。


麻依 「やめてー!」


部屋に飛び込んできたのは麻依だった。すると田中の動きが止まり何やら呟きだした。


田中 「なぜだ・・・なぜだ・・・なぜだーっ!」


田中が叫び、麻依を睨み付ける。田中の顔を見た麻依は恐れる事なく睨み返したのだ。


麻依 「田中さん!全て田中さんの仕業でしょ!もうやめて、お願いだから・・・殺すなら私を殺しなさい!」


麻依は俺をかばいながら田中に訴え掛ける。田中は俺達を睨み付けたまま微動だしない。やがて田中はゆっくりと部屋の奥へと姿を消していった。


蓮 「今の田中は正気じゃない。今のうちに逃げよう。」


俺達は起き上がり車へと戻った。


蓮 「急いでここから離れよう!」


恐怖でしかなかった俺達は車を発車させ、また狭い道を走り出した。すると後方からもう一台の車が来ているのに気が付いた。それは先ほどまで停まっていたはずの田中の車だった。激しいエンジン音と共に俺の車に突っ込んできたのだ。


『ガシャーン!』


田中は俺達を本気で殺そうとしてきたのだ。何とか態勢を取り直し必死でハンドルを握る。しかし田中の追走は殺意に満ちた勢いで追いかけてくる。


『ガシャーン!』


二度目の追突でリヤガラスは完全に吹き飛んでしまった。このままでは山道から弾き飛ばされてしまうか、運よく車を停止したところで、降りた瞬間に田中に殺されてしまう。どうにか逃げ切る方法はないのか?俺は一か八か、次の追突の瞬間にサイドブレーキを力いっぱいに引いた。俺の車は道路を塞ぐように斜めに停まり、田中の車は俺達の横を擦りながら道路から外れ、山林へと突っ込んでいってしまった。そして、数メートルほど落ちた所の樹木にぶつかり車は停まった。エンジンルームからは煙が上がり、まだ田中は出てこない。煙はどんどん増して、またたく間に炎が車内に上がり始めた。


蓮 「田中は気を失っているのか?」


麻依は警察と消防に急いで連絡をする。俺は田中を救出する為走り出した。だが、火の勢いは増しこれ以上は近付けない。


蓮「田中ぁぁぁ!」


炎の向こう側には、薄ら田中がもたれかかっているのが見えた。どうする事も出来ない俺はただただ呆然としている。すると田中がゆっくりと顔を上げたのだ。


蓮 「田中!早く逃げろーっ!」


しかし、田中は俺を見るなり「にやり」と笑ったのだ。そしてその口元は何かを呟いている。


「む・か・え・に・い・く・よ」


俺には、そう読み取れた。その後、消防と警察が到着し、懸命な消火救出を試みたが、最後まで田中が出てくる事はなかった・・・。


田中は死んだのか・・・?


麻依への強い想いが・・・結局、本人からは何も聞けず、警察の調べもストーカー行為によるものと断定され、今回の件は幕が下りたのだった。田中の死から数か月、まだまだ悲痛の記憶が抜ける事はないが、俺も麻依も平穏に暮らしている。俺達は一からやり直すつもりで新居となるマンションへ引っ越し二人で暮らし始めた。これからは二人で頑張ろう、そう決意したのである。またあの音がしている事も気付かずに・・・。


「コンッ」


~エピソード1~

 おわり


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