俺にしか召喚できない魔女
初投稿です。
(※暴力、虐待、動物の殺害描写、猟奇的描写、倫理的でない描写が含まれます。苦手・NGな人は読まないことを推奨します)
午前1時半を少し回ったころ。背の高い校舎に貼っつけられた時計が、遙か上の方で秒針を進めている。
宵闇に深く沈んだ色をした空の下、闇が垂れ下がるように僕の周りを蠢いていた。茶色く煤けた校舎棟の横を悠々と歩く。生温い風が、時折り頬をなぜる。校庭には誰もいない。静けさだけがそこにあった。砂を踏む僕の足音が、ザッザッと空々しく響く。乾いた砂埃が舞うのが見えた。僕の靴はまた汚れていく。靴は元から、足の甲の先に穴があるほどにボロボロで、ドロドロに汚い。
どこに向かうかは決まっている。僕が歩いている音が聞こえる。それに不慣れに感じ入る。日中に僕が発する音なんて、雑踏に紛れて消えてしまうから。
「約束の時まで、まだ時間があるな…」
いつもの独り言だ。わざとらしい。待ち合わせを楽しみにしてるようじゃないか。
僕の独り言は、夜の闇に溶けて消えていった。
そしていつものように校舎の外壁の掛け時計を見ながら考えた。
午前2時までは後少しだ。
ぼんやりと今日のことを思い出す。
……今日も父はゴミだった。僕のことを三発殴って、その後気づいたら父は家からいなくなってた。
多分飲みに行ったんだろうな。それでまた繁華街で遊ぶんだろう。遊ぶ金も無駄だと思うけど、家に寄りつかないだけマシだ。今日特筆することとしては、二発目が一番痛かった、くらいだ。
とりとめのない、身にならない。
考えるのもやめよう。
そんなことを考えてしまうのも、やることがなくただ待つしかないからだ。
だって、もうとっくに魔法陣の用意は終わっていた。完成に至るまでの手順は済んでいた。
魔方陣と言っても簡単だ。
腕を切る、血を流す。指で血を拭う。大きな円を描く。魔導書に沿って、中心にお絵かきする。何の意味が込められているか知らないし、脈絡のないように見える幾何学模様を、間違えないように重ねる。ブレないように、一発書きしか出来ないから気をつけないといけない。だけどもう間違えることなんてない。
たったそれだけ。お手軽。
やることは決まっている。お手本通りの模写以外にも課題はあるけど、それも全部大した仕事量じゃない。
フローチャートがある業務は効率化されていく。かかる時間は三分の二になった。
僕はいつものように手持ち無沙汰になっていたので、鶏の死骸の首をいじって待っていた。
突然、声が聞こえてきた。誰一人いない校庭なのに。
僕が今まで一言も発してなかったところに、新しい音がやって来て空気を震わせた。
「おはよ〜」
──風切り音と、耳を塞ぐような気圧のずれ。
そして、徐々にはっきりと少女の姿が見えるようになる。浮かび上がってくる。無から、色彩を伴って。
"召喚"だ。
彼女は、僕の描いた魔法陣の上から、まさに出現してきている最中だった。
彼女の金色の巻き髪は風によって靡いている。
その風に煽られて、彼女の短いスカートも、下手したら煽られてしまいそうだった。
でも風吹くって分かってるのに短いスカート履いてくるのが悪くないか?
だから、ついそちらに目がいってしまっても仕方ないよね。
"カラッ"
おっと、思考が横にそれていた。耳が現実に戻ってくる音だ。
僕は彼女にいつものように軽口を言った。
「だから僕としては、『この後寝るので、"おやすみなさい♡"とでも言って欲しい』って、いつも言ってるじゃないですか」
魔法陣から現れた彼女は、この世のものとは思えないほど美しかった。
生糸のように滑らかな、輝かんばかりの金髪。
少し霞んだ緑色の瞳に、より深い色の虹彩がはっきりと見える。
黒一色のフリルが沢山あしらわれたドレスは、普通の衣類よりも露出するようなつくりになっており、反対に、艶かしい生肌が真っ白であることを強調するようだった。
薄い唇は、水彩絵の具でじんわりと紅色に染めたような色をしていて、形は端正に揃っていた。
「ふ〜ん。だって別に君に媚びる必要なんてないからね」
彼女が口を開いた。
彼女がありえないほど美しいので、その口が動いているにも関わらず、その声が彼女から発されているのだと信じられないことがある。乾燥を知らないような、瑞々しく艶めかしい唇が、その口を開く度に歪められて形を変える。
「逆に言えば、私は今からも研究に戻らないといけない訳。
"おやすみ"なんて言ってこれから眠りにつく人間のことが憎くて仕方ないんだよね。
呼び出しした側なんだから、私を姫扱いくらいするべきじゃない?
こうやって美少女が招待に応えてるだけでもご褒美なんでしょ?」
美少女に、心底蔑まれた目でこう言われてしまった。
実際、美少女なんだからそう言われてもしょうがない。そして矮小な僕が、美少女に言い返せないのは仕方ない。
きっと、彼女をキャバクラ感覚で呼び出ししているとでも思われているのだろう。
僕を見下しているのを隠そうとしない所が、むしろ僕には愛おしく感じられる。愛してる訳ではない。でも実際、この罵倒によって癒やされている。
あれ。僕も結局キャバクラ感覚なのか? 父が通い詰めているような? そんな訳がないだろう?
「いやあ、これこそ真に気のおけない友達ってやつですね」
思ってもないことを言ってみる。お互いに親愛なんて持ち合わせてないと信じていた。
彼女はその言葉に左眉をぴくりとさせた。
この魔女は、魔女なのに、このように人間らしい表情をよくする。
絶対に友達だなんて思ってないんだろう。
そう、彼女は尊大で偏屈である。人間を見下しているのに、僕みたいな人間に本気になって、人間みたいな悪感情を持って、その美しい顔を醜く歪める。僕は好きだ。だって可愛らしいだろう?
それをこの目で確認した上で、僕は臆せず会話を続ける。
「それで? 今日は何があったんですか?」
「それ、ほんとは私の台詞なんだよねぇ…」
「平凡な僕のこと話してもつまらないですから」
「そうそう、最初は君の話聞くのも面白かったんだけどね? "なんで呼び出したの?"って聞いたり」
と言いながら、彼女は思い出し笑いを始めた。
「それで、何で呼び出したか聞いたら、なんと「偶然」って!ハハッ!」
「"そこに鶏が死んでいたから"、
"そこに黒魔道書を持った僕が通りかかったから"
その二つが合わさってしまったから。偶然です」
この魔女はこのネタがお気に入りのようで、何回も自分からこの話を出してくる。
正直、僕はこの返答をあまり覚えていなかったのだが、彼女がよく話題に出してくるから覚えてしまった。
「それを事故のように捉えてる時点で、あれだね、"こいつはなってない人間だ!"ってワクワクしたもんだったのに。
偶然死体を見つけたにしても。黒魔道書をね、普段から持ち歩いてるやつは、普通はいないって!!
でもそれからは君、ずっと変わり映えない日々送ってるんだもん。つまんないやつ」
つまんない、つまんなーい!と、急にテンションが下がった様子で囃された。
「まあまあ、それじゃあぜひ魔女の非日常な日々を教えてくださいよ」
僕の茶化したような言い方が勘に触ったようで、また左眉がぴくりとした。
しかし、彼女に話を促すと、彼女は立板に水が流れるように姉の罵倒をし始めた。
彼女は基本的におしゃべり好きなのだ。人間らしい。可愛いね。
「───ってな訳でね。
あいつ、上司が来た時だけ仕事してるフリしやがって。こんのメス豚め!って思ったわ!
私が発表見送りにしてたのを良いことに、私の魔法までパクりやがったのよ?!
あ〜早く投獄されてくれないかな〜!!!
……。ねぇ、なんか良い感じに相槌打ちなさいよ」
「魔女が裁判で訴訟するときは何て言うんですか?
これも魔女裁判ですか?」
「ほんとにバカな考えしか出さないよね、君って。
当たり前のことは省略するって法則知ってる?
私たちにとって、絨毯は空を飛ぶためのもので、わざわざ"空飛ぶ絨毯"とは言ったりしないのと一緒。
こっちじゃ魔女が魔女のこと裁くんだから、それはただの裁判よ」
「じゃあ今度来るときは──」
「なにか?」
「……絨毯、持ってきてくださいよ。乗せてください」
僕が折れずに減らず口を続けると、彼女は語り癖を一旦止めてため息をついた。
「はぁ……。バカな人間……。
嫌よ、私の絨毯汚したくないし。
人間って無駄に空飛びたがるよね。空を飛んだら天使にでもなれるの?」
僕はまた彼女の怒涛の愚痴が始まる前に、といち早く口を開いた。
「あのう、もう4時ですよセナさん。そろそろ終わりにしませんか?」
との僕の呼びかけを機に、セルフィーナ、もといセナさんは僕に対して責めるような口調で話を始めた。
「あ〜やだ!時間無駄にしちゃった!
研究してたところ呼び出されたから、もう完全に集中切れちゃった!
また研究に戻るの憂鬱になったじゃなーい」
「……結構長い間、セナさんの方が話をしてましたよね?」
「こっちの世界じゃ一瞬だから関係ないわ」
まったくもって魔女の詭弁だ。
そういえば、前にセナさんが、僕たちの千年前=魔女の十年前みたいなものだと言っていた。
比喩とかではなく実際に時の流れが違うんだろうか。
「じゃあ無駄ってほどにはならないんですね」
「この会話が何か有益なもの生み出せた?
ないでしょ、だから無駄なの」
と言いながらも、彼女の手はすでに身支度を整え終えていた。異様に仕事が早い。
「それじゃあ」
と魔法陣に向かおうとするセナさんを、
「ちょっと待ってください、忘れてますよ」
僕が呼び止めると、セナさんは「あー」と億劫さを隠さずに振り向いた。
「あーそうそう、鶏くんが待ってるんだったね」
「ジョンですよ」
と言いながら、僕は魔法陣の横にある鶏の死骸を指差した。
セナさんの緑の目が虚ろになり、両手の人差し指と親指を空中でちょいちょいと動かした。
すると、バサッと言う音と共に、鶏が身震いをした。
鶏の羽がいっぱいに広げられ、一瞬その図体が一回り大きくなったかのように見える。
いつもの如く、人智を越えた奇跡が何でもないように起こり、鶏が生き返った。
それを見たセナさんが、唇の端を歪め、薄い笑みを浮かべた。
そして、得意げな顔をして口を開く。
「ほーら、やっぱりこれで、今日の時間は全部"無駄"ってことじゃない」
それを聞いて、発言する前の得意げな顔に合点がいった。
生き生きし出した理由は、僕に対する良い当て擦りを思いついたからか。
「私を呼んだ代償で鶏マイナス1」
声が愉しげに跳ねていた。セルフィーナは右手の人差し指を立てた。
「私を呼んだ対価で鶏プラス1」
左手の人差し指を立てた。真っ白い指は骨張っている。
「合計でプラスマイナスゼロ。
毎回アンタは何の意味もない無駄を作りに来てるってこと!!」
両人差し指をぶつけた後、手のひらをパッと広げて見せた。
そのまま、煽るように両手を振っている。別れの挨拶のように。今日もまた、一つの終わりだ。
───魔導書の契約曰く、セナさんを召喚するためには、死後一日未満の死体が必要らしい。
そして、その契約の対価として、魔女セルフィーナは何でも願いを叶えてくれると言う。
そう、僕は毎日鶏を生贄に捧げて、セナさんに対して、鶏を生き返らせることをお願いしている。
セナさんは意気揚々と僕を馬鹿にしているようだ。
しかし、僕は冷静に、ただ事実を言われただけだと認識していた。
だってそう、間違いない事実なんだから。
だけど、意味がないのに、こんなことやるなんてあり得ないはずなんだけど。うん、分かってるんだけど。だけど。
セナさんは、何も言おうとしない僕に対して、熱が冷めてしまったのか、
「ほんとうに意味が分からないわ。
ああ、もう。本当に度し難いのね、人間って」
と嘆かわしげに言った。
彼女は大きく足を踏みしめて、僕の血で描かれた魔法陣をぐしゃぐしゃにしていった。
「ねえ、これ!これ全部!!無駄なの!」
地団駄を踏むように、砂が擦れる音がジャリジャリと耳障りに聞こえる。黒に近い赤が、ぼんやりとした土色に紛れていく。
「建設的な提案をするわね?
私、本当に凄い魔女なの。大魔法使いなの。何だって叶えてあげるわ?文字通り、何でも。
一夜にして人類全員皆殺し!
傀儡国家の大統領!
囚人を先導して革命を起こすのも良いわね!!
全部私には朝飯前ッ!」
魔女は暴力性を滲ませた眼差しで、こちらを睨みつけてきた。
「お前、もしかして、私のこと普通の小娘扱いしてんの?私のことを?人間如きが?
……ありえないねッ!絶対に!
この、偉大な魔法使いを呼び出しておいて?!」
その目は僕への敵意に満ちていた。誤解である。何も出来ないだなんて舐めていた訳ではない。
彼女は魔法陣を踏みつけるだけでは満足しなかったようで、僕の元までやってきた。そして僕のボロボロの靴を、ハイヒールで思い切り踏んだ。靴には穴がまた一つ増えた。
「誤解ですよ……」
思わず、弱々しく言った。
「……ふぅん?誤解?なんのつもり?」
ハイヒールの踵がグリグリとめり込んだ。
「ええと、そうですね……」
誤解というより、僕の本心がすぐそこにないものだから、僕は暫し考えた。
その結果、こう伝えた。
「とにかく、僕は毎日セナさんに会いたいんです。それだけです」
彼女は毒気が抜かれたように唖然とした。
そして、一瞬の後にまた怒りの表情を浮かべた。
「ほんとうに、本当に!
人間って本当に愚か、お前はその中で、一等愚かッ!」
それに続いて、間髪入れずに呪文を唱え出した。ふと攻撃でもされるのかと思ったけど、内容を聞いてみると、おそらくいつもの帰還の呪文だ。
「わけが分からない……。私は魔女だから、いつも人間のことが分からない……」
ノイローゼのように呟く彼女に思わず声をかける。
「いや、多分、僕も人間の中で変わってる方で──」
「だから、分かるようになるまで付き合う」
「え?」
「私に会いたいんでしょ?
私が君を理解するまで、それまでが期限」
呪文はもう作動し始めていて、風がフワリと吹いた。金髪が靡いて、その口元を覆った。
彼女は置き土産のような言葉を残す。
「……今のとこ大分、理解し難いけど」
彼女の透過率が上がって行く中、僕は、頭で一回考える間もなく、口からふと、
「無駄が欲しいときだってあるんだよ」
と言っていた。
先のセナさんへの抗議とも言えるが、彼女がそれが聞いているかは怪しかった。
魔女はもう居なかった。
相変わらず、生温く弱々しい風が吹いていた。
まだ光の刺さない空。星の輝きも鈍かった。
魔法陣はすでに消えていた。
校庭の砂は均一にならされていて、すっかり綺麗になっていた。
───まるで何も起きてなかったかのように。
"コケーッコッコッ"
生き返った鶏───僕がジョンと名付けた鶏が鳴いていた。
鶏が体を捩り、翼をはためかせた瞬間。その身体から羽が数枚抜け落ちた。
その羽は、空気の抵抗を受けて、ふわりふわりとゆっくり落ちていった。
……僕がこいつにジョンと名付けたのは、いつのことだっただろう?
鶏の顔を覚え始めたのはいつ?
鶏の首を切ることが簡単になったのはいつから?どこを刺せばいいか学んだ?やり方に無駄がなくなったから?
さあ、台所から包丁を持ち出す時に、抵抗がなくなったのはいつからだったろう。
繰り返し、繰り返し。僕の夜の過ごし方は決められている。
習慣である。寝る前に必ず飲む、優しい鎮痛剤のように。
動き出した鶏の方を見やる。
抱えて檻に返さないといけないな、とやらなければならない仕事を思い出したと同時に、「鶏を檻の中に入れた状態で魔法を使ってほしい」とお願いし忘れてたことに気づいた。
『次はそうしてほしい』と言おうとしたが、彼女はすでに去っていた。忘れていた。
"コケーッコッコッ"
鶏はトテトテと僕から離れるように歩いている。
まずい。早く追いかけないと。僕はジョンによく逃げられるのだ。
校庭には、白に少し黒の混じった色をした羽が、数枚落ちているだけ。魔方陣も、妖しい魔女も、もう全て闇の中。
切った腕にはもう瘡蓋が出来ていた。
もうすぐ夜が明ける。
朝の光で滲んでいく。これは救いなどでなく、ただの区切りだ。
校舎に備え付けられている時計は、もうすぐ五時を指す。秒針はぐるりと回り続ける。
僕は歩き出せなかった。砂に足をとられていた。
必要な予定なんて無かった。セルフィーナと体良く別れるための方便だ。朝になって動き出さないといけない理由なんて無かった。
ただ、分かってる。校庭は明け渡さないといけない。これから始まる今日を遂行しないといけない。
僕の時間は、もうお終い。
ひどく気怠い足を動かす。引きずった足が、当てつけのように砂埃を立てた。
右手に持った分厚い魔導書が、細腕には重く感じる。身体も重くて、頭もぼんやりとして、魔導書をただ眺めた。「ああ、魔法が欲しいなぁ」とふと思った。おかしな話だ。形式的な儀式も、等価交換の契約も、即物的な条件は腕の中にある。手に余るほどだ。
長い長いため息をついた。なにか口寂しかった。何もない空気を噛んだ。