35ページ目:共依存と共依存
結論から言ってしまえば、全てを滞りなく終わらせることが出来た。
それが魔力の真髄だと言い張ったティオにはさすがにいくつか物申したいこともあるが、まぁそれはそれとして。
ティオは魔術の真髄を見せてやると言って何かを掴むように中空で手を突き出したその場からたったの一歩も動くことなくあらゆる仕事を終わらせて見せた。
箒や雑巾はひとりでに躍動し、机や椅子は自ら整理整頓されてゆく。その様子は確かに圧巻で、少なくとも今の私には決して届き得ない領域の事象であったとは思う。
それを実践するのが掃除というのは如何なものかとも思うがしかし。
全てが終わった私たちは晴れて酒場での業務に勤しむことができた。そこからはいつも通りの風景。
お客さんの騒がしい声に背中を押されながら接客をしていく。南の森におかしなものが落ちていたとか、王都では女性の軍団長が就任したとか、軍団がこの街で起こっている不可思議事件に目をつけているとか、その軍団長に踏まれ蹴られ罵られたいとか。
花咲く噂話や与太話に、遠巻きに耳を傾けながら。
ティオとの訓練を経て、かなり体力膂力が着いたと実感するのは意外とこういう時だったりする。昼間に何があった日だろうと、気合いで踏ん張れば案外夜までもたせることができるから。
そして全てが終わった夜つまり今。私は自室の寝具の上に腰掛けて、今日あった出来事に思いを馳せている。
昼間。
色々あった。
襲われて、傷つけられたし、なんなら殺された。ティオの暴露イベントだってあったし、剣を手に入れることも出来た。
──だと言うのに私の心境に大した影響や変化は感じられなくて、それが逆に私の心の平静を奪っていく。
何を落ち着いているんだ、もっと焦れ怯えろ傷つけ喜べ楽しめ。
シュトロウ。
ティオの父を自称するあの男からも、その後のティオからも色々な言葉をかけられた。浴びせられた。
でもそれらは要約してしまえばたった一文に集約できてしまうことで、
『お前は普通じゃない。』
自分が非凡であることを望んでいた時期もあったと思う。誰にもない才があって、私にしかできない何かがあって、私は他とは一線を画す存在なのかもしれない、なんて。
でもいざ現実で、名指し指さされてそう言われてしまうとまるで足元から何かが瓦解していくような、そう錯覚するほどの衝撃に襲われたのだった。
結局私という存在は、普通とか常識とかそういうものの上に成り立っていたんだと思う。だとすれば案外その感覚は錯覚でもないのかと知れない。文字通り私という存在は足元から崩れ落ちたのかも──
「...いやいや、中等部学生の詩集じゃないんだから。」
「こっちにもそういうのあるんだ?」
「私は無いけどね。同級生の子が──って、勝手に入ってこないでよ。」
独り言に、返ってくるはずのない返事が聞こえてその声の主が立っているであろう扉の方へと顔を向ける。
そこには呆れたように眉尻を下げて笑うティオが後ろ手にノブに手をかけて立っていた。まだ女性の姿だ。さっき仕事終わりにお母さんに呼ばれていたし、もしかしたらそのままなのかもしれない。
「ノックしたよ?返事もあったし。」
「うそ?...あー...ごめん。上の空だったのかも。」
「いや、こっちこそごめん。...なんかあった?」
長い黒髪をなびかせてティオは私の隣に腰かける。スカートを畳んで座る仕草は自然そのもので、きっとティオのことを知らない誰かは今の一連の動作を見てもティオが男性だと気づくことは無いだろう。
──これは余談なのだけれど、私とティオは立った時の身長は少しティオの方が高い程度のだが、座ると頭半分ほど私の方が座高が高くなる。
非常に腹立たしい。
閑話休題。
何かあったのかというティオの問に、思わず口ごもる。これは明確に私の問題で、果たしてそれをティオに話していいものか迷ってしまったから。
俯く私に、ティオの柔らかな声が降り注ぐ。
「話したくない?」
「...話すのが怖い。」
「どうして?」
「面倒だと思われたくない。」
「私がそんなことすると思う?」
「...ちょっと思う。」
「あははっ、それはごめん。」
けど、と前置くように繋げて、ティオは言葉を切る。少しの間が気になってふと体を向けると、その途端にふわりとした衝撃に襲われ、仰向けにベッドの上へと倒れ込んだ。
「な、にして...」
「私は、ノルから離れないよ。」
「.....」
「どんだけ面倒だと思っても、離れられないし離れない。」
それは、呪いのようだった。
出会って1ヶ月足らずの相手にかける言葉では無い。それでも何故だかその言葉には説得力がある。
まるで真冬の温かい湯船が自由意志を持って引きずり込んで来るような、抵抗する意思すら持てない穏やかで暖かな、包み込んでくれるような呪詛。
「相性の良い主従関係のことをね、旧世界ではこう呼んでたんだ。」
「──『共依存』って。」
「『共依存』...」
字面をなぞるように言葉を繰り返す。
その言葉はなぞる指先から、唱える舌先から身体に浸透し、馴染んでいくような、そんな自らの心との親和性を感じた。
「離れられないよ。だってこんなに心地良いんだもの。」
「...そっか。」
傍から見ればこれ以上に気持ちの悪い人間関係もそうないと思う。
方や支配されること望んで、支配してくれる相手に無条件の信頼を寄せ、方や支配することで決して裏切ることも否定することも不可能となった相手に、これまた無条件の信頼を寄せる。
向いている方向は真逆なのに、向ける感情は同じもの。
所謂友情を育むような工程を全て吹き飛ばして、血の契約だけで友情と信頼を構成するだなんてそんなものが正しい人の繋がりであるはずがないのだから。
それでも、
「心地良い」
あぁ、それだ。
心地良い。きっとこんなに甘くて暖かくて楽で緩くて気持ちのいい繋がりは他者とでは築き得ないのだろう。
「はぁ...多分良くない、って言うか悪い関係だよね。これって。」
「だろうねぇ。沼だよ、沼。契約してるからこそ成り立つ繋がりだ。悪い、というよりは不健全だ、と言うべきかもしれないね。」
「お母さんごめんなさい。ノルは悪い子になってしまいました。」
「あはは、そんときゃ一緒に怒られてあげるよ。」
「それは本当にお願い。ティオと一緒ならお母さんも強く怒れなさそう。」
「確かに。」
目を合わせて、笑いあう。
今日、私たちの歪な関係に名前がついた。ついてしまった。時間とか、経験とか、本来共有すべき過去を全て一足飛びにして得た絆。
きっと金輪際、手放すことは出来ないのだろう。
悩みすらも私たちの間に僅かに空いている隙間に溶け込んでいくような錯覚すら覚える。お互いを除く全てがどうでも良くなっていくような感覚。
紛れもなく狂ってる。狂わされてる。
「ほんとに気持ち悪い。」
「最悪?」
「最高だって思っちゃってる。それが最悪。」
「あははっ、私も同じ気持ち。」
「ふぅん...」
「それも最悪?」
「...いや、それはあんまり悪くない。」
「...うん、私も同じ気持ち。」
「そっか。」
「うん。」
交わす会話も虚しく、徐々に意識が微睡みに包まれていく。当たり前だ。とっくに倒れ込んで眠りこけていてもおかしくなかったんだから。それくらい、今日は色々あったんだから。
「そうだ、ニアさんが明日朝起きたら話があるから仕事前に来てくれだって。」
「うん...わかった...」
話。
なんのことだろう?
「眠い?」
「眠い。」
堪えるような笑みを含んだティオの言葉に機械的に頷く。
ティオは、そんな私の上から身体をどけて並ぶようにして寝転んだ。
「何か、して欲しいことはある?」
「ん...一緒に、寝て...?」
「わかった。」
眠気で視界は働かない。
瞼は確かに上がっているはずなのに、視界情報を脳はそれとして認識してくれない。
それでも隣でティオが頷いたのだけはわかった。
「それで...明日、話を聞いて欲しい...」
「うん。いくらでも。」
ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。
それがティオのそれだと、不思議とすぐにわかった。首に回されたティオの腕から香るものだと、視界を覆うほどに近づいた胸元から香るものだと数瞬遅れて気がついて、羞恥とともにそれをはるかに上回る眠気が私を襲う。
「だから、」
耳元で囁かれたティオの声。
甘くて柔くて暖かくて。
お母さんやサリアさんの声よりもずっと落ち着く。落ち着いてしまう。
「今は、おやすみ。」
それが合図になったかのように、私の意識は深く深くへと沈み込んでいった。
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