33ページ目:生還と狂気
いなくなった。
もう彼らの気配は少しも感じられない。
つまり、生き残ったってことだ。
「はぁあぁ〜〜...」
安心を感じ取った途端、全身から力が抜けるような感覚に陥る。思えば息をするのも忘れていたかもしれない。
それほどの緊張感だった。
って言うか実際に息が止まったんだった。どころか心臓も。
穴が空いたはずの胸に手を当てる。
その手には確かな素肌の感触と鼓動の音が響いて──素肌?
...あ、
「...ティオ、聞きたいこととか、確かめたいこととか、まあ色々あるんだけど。」
「うん...うん?」
「その前に、その...着替えとか持ってたりしない?」
「あ〜...」
そういえばそうだ。あの時、殺された時、心臓部に丸々風穴を開けられてしまったわけで、その時に服が被害を受けないなんでとありえないわけで。
要は現在、私はそこそこに扇情的な見姿になってしまっている。
...これはいくらなんでも恥ずかしい。
「ん〜...ひとまずこれ羽織っといて。」
「わぷっ...ん、ありがと。」
ティオが放り投げたコートを顔で受止め、それにいそいそと袖を通す。ややオーバーサイズなそれは、前を閉めればなんとか胸元を覆い隠してくれた。
もしもお母さんみたいなプロポーションだったら隠れていなかったかもしれない。
「この後、どうするの?」
「ひとまず帰ろう。キールが多分待ってる。」
「...あぁ、そういえば。」
すっかり忘れていた。
ここ数時間があまりにも重厚だったものだから。
「聞きたいことのいくつかは道すがら話す。..けどその前にちょっとこっち見て。」
「?わかった。」
言われて、身体をティオに向ける。
するとティオは、さっきのように両の頬にその手を添えて、さっきとは違ってまつ毛が触れてしまいそうなほどの距離までその顔を近づけた。
「ふ、ぇっ?!は?!」
「じっとしてて。」
今までにない距離感、柄にもなく頬が赤くなっているのを感じる。反射的に瞼をきつく閉じてしまい、結果的にはティオに全て委ねてしまうような、そんな構図になってしまった。
すると柔らかく前髪にティオの手が触れ、前髪がかきあげられると同時に、こつりと額に硬いものが触れた。
「目、開けて。」
「ひっ!?ひゃ、はい!」
翻弄され、なされるがままの私は、そんなティオの言葉にも抵抗せずに従わされてしまう。
恐る恐るときつく閉じていた瞼を持ち上げると、正しくまつ毛が触れる距離にティオの顔があった。額をつけ、その右手は頭に、左手は頬に。
人が見れば情事の最中だと勘違いしそうな程に接近したその眼は、そうなってから少しばかり時間が経つと薄朱く火を灯した。
「な、なん...なの.....?」
「...目、色が変わってたの、知ってる?」
「は?」
それは...どういうこと?
「ティオが、じゃなくて?」
「ノルが。」
「...知ら、ない。というか自分の目の色なんてそう見れないでしょ。」
「そりゃそうだ。」
軽く吐き出すように笑ったティオは、それでも距離を開けることなく再び私の瞼を親指で優しく撫でた。
その手遊びは瞼から頬へ、そして耳へと移っていく。柔く優しく、でもそこにいることを確認するように確かに。
撫ぜてつまんで引っ張ってまた撫ぜて。
緊張は止まないのにどこかその手つきは心地よくて、気がつけば時間が過ぎるのを忘れてしまうほどにその感触に没頭してしまっていた。
「気持ちい.....」
「ふはっ、どっちがご主人様かわかったもんじゃないね。」
「...私はティオを下僕にしたつもりなんてないんだけど。」
そっか。
そう呟いてティオは、クシャりと私の髪を一掻きして身を翻す。
「帰ろう。」
「いや、いやいや、今のはなんだったのさ。」
「瞳孔の色と脈拍、体温、あとは魔力の状態の確認。....なに?照れてんの?」
「別に照れてないし!」
突然の事で驚いただけ。別に照れてない。
それでも平然としているその様子がやけに気に食わなくて、目の前にある背中に強めに平手を浴びせ、ティオを追い越して前を走った。
「痛っ!何すんの?!」
「うっさい!」
追いかけてくるティオの声を背中に受け、さらに足を早める。それを見てティオはさらに速度を上げて、そしてさらに──
そんな不毛な争いはセントラルの北門に着くまで行われた。
***
「要はレイヴって『スレイヴ』つまり奴隷の総称なんだよね。
「この世界って奴隷はいる?犯罪奴隷...まあそんなもんか。なら言葉の意味自体は理解できるよね。
「根源ははるか昔、誰かに仕えることで爆発的に力を増す血族がいた。
「その性質が脈々と受け継がれてて、まぁ、僕もその1人だったってわけ。
「主人を選び、服従を誓う代わりにその力を増す。
「服従を誓う。ノルも心当たりあるでしょ。そう、最初のあれ。
「ん?ジュート?...あぁ、聞いたんだ。それ、僕の本名ね。
「ティオはレイヴとしての名前なんだよ。...ムズい?
「レイヴは血と名前で縛られる。TIOという名に奴隷の証のSを刻む。そうして生まれるのがITOS、要は奴隷とし力を行使するための名前。
「そ、レイヴとして力を行使するためにはティオって名乗らないといけないの。逆に言えばティオって名前を相手が知らないと契約はできない。
「大体わかった?微妙?あははっ、まぁ概ね理解してれば十分だよ。なんせどういう原理で増力されるのかは解明されてないんだから。
「他、なんか聞きたいことある?...あいつと僕の関係?んー...長くなるしややこいからなぁ...端的に言えば偽物親子で研究者とモルモット、って感じかな。
「それじゃあ分からないって言われても...話しづらいんだって。かなり気分わるい話にもなるし。
「他ないの?他。
「...あの女性?あぁ、エット...だっけ?今日うちに来たんだよ。そそ...大丈夫、ニアさんには迷惑かけてないから。
「...うん。僕と話してた時、彼女は男性だった。僕とおんなじ両性。
「そう、僕と同じ身体を持ってるんだって。...どういうことって...あれ?言ってなかったっけ?いや、ほんとにごめん。もう何を話して何を話してなかったか覚えてなくて...
「そう思うなら全部話せ?あははっ、ごもっとも。
「でもそうはいかないんだこれが。ノルの精神衛生上のこととか世界の均衡とか、そういうののバランスを考えないと。
「とんでもないものと同じ天秤にかけないで欲しい?それは確かに。
「.....こんなもん、かな?大体明け透かしたと思うけど...どう?なんか聞きたいことある?」
***
北門をくぐって、やっと慣れ親しんだ人混みの中に戻ってくることが出来て。
ティオと一緒にそんな帰り道をゆっくりと歩んでいた。
約束通り道すがらにシュトロウが言っていたことのおおよそを説明してもらいつつも、串焼きと樹液水を片手に。
「聞きたいこと...山ほどあるけど?」
「そりゃそうか。まぁ適当に聞いてよ、適当に答えるから。」
「答えは真面目にしてくれない?」
聞きたいことがあるか問われれば当然ある。でも今知らなければならないことかと言えばそうでは無いし、いつまでもダラダラと雑談に興じている暇もない。
夜は仕事がある。
今日なにがあったのかをお母さんに話せば、あるいは仕事を休ませてくれるのかもしれないけど、あまり迷惑をかけたくは無い。
なんせ私は、お母さん一人を置いてティオと旅に出ようとしているんだから。
「えっ、と...それじゃあ。さっき言ってた『服従』ってどういう意味?こう言ったらあれだけど私、あんまりティオに服従されてる気はしないんだけど。」
ひとまず、とさっきまでのティオの話の中で気になった単語を切り出す。
服従。
言葉の意味は理解できるけど、ティオが私に服従しているのか言われると、正直そうは思わない。
からかってくるし、私で遊ぶし、隠し事ばっかりするし。
ティオはそんな私の疑問に苦笑いを浮かべて答えた。
「あはは...えっと、服従っていうのは...簡単に言うと『命令の強制権』みたいなものなんだけど...」
「命令の強制権...?」
つまり私の命令を、ティオはたとえそれがどんな命令であろうとも聞いてしまう。みたいな...?
そういうことだろうか?
推察を話すと、ティオは俯くように首肯した。
「ノルが隣を歩く男を殺せって命令したら僕はそれを実行するし、世界を滅ぼせって命令したら可不可に関わらず僕はそれを試みる。そのレベルの、強制権。」
「....それは...」
雑談に入り交じるには少し重すぎる話だ。
ティオが今まで話さなかったのも理解できる。さっきの例えじゃないけれど、それこそ私が目的のために倫理を問わない命令を行使する可能性だってあるのだから、ティオからすれば気が気でないだろう。
そうでなくても隠してること全部話せ。みたいな命令を強制することだってできる。
それはつまりティオの言うところの世界の均衡と、私の精神状態を壊してしまうことだってあったのかもしれない。
そう言う意味ではティオが今俯いている理由もよく分かる。
それを話さなかった、ということはつまりは私のことを信用していなかったということに他ならないんだから。
主と奴隷。
そんな関係以前の友人として、同居人として、ティオは私を信用していなかった。
完全には、という枕詞は入るだろうけど。
それを後ろめたく思っている、と。
.....
んー.....
なんかなぁ〜...
思ってたよりショックじゃない。
信用されていなかったとか、また隠し事されてたとか。もっとショックで面倒なものだと思ってたんだけど。
自分ながら怒るんじゃないかと思ってたんだけど。
一向に怒りが湧き上がることはなく、信用されていなかったことに対する焦燥感とか絶望感とか、そういうのに苦しめられることも無い。
思いのほか私の心中は平静を保っていた。
呆れ、とか?
何度も似たようなことを繰り返すティオに、もはや呆れてものも言えない。みたいな。
....少し違う気がする。
「ねぇティオ。」
「っ!な、何?」
私の声に肩を跳ねさせて反応を見せるティオ。それが面白くて少し笑ってしまう。
「さっきティオって名前がレイヴとして力を行使するために必要って言ってたよね。」
「...うん、言った。」
あの男。シュトロウはティオを指して色んな名前をあげ連ねて、ティオと名乗ったと知るや否や大声で笑い出し、そしてすぐに私が主だと確信したようだった。
「そしてあなたは最初に会った時、私にティオと名乗った。」
「.....うん。」
他の名前を名乗ったってよかったはずだ。
あいつが言っていた名前の数々。ほとんど覚えてはいないけどあれはティオがかつて名乗っていた名前なのだろうから、きっと今までもそんな名前を名乗って来たんだろう。それなのに...
「どうして?」
あいつが言っていたようにティオが人に仕えることを嫌っていたのならばなぜそんなことをしたのだろうか。
初対面の私に、重要な名前を教える理由が私には分からなかった。
気まぐれというにはあまりに致命的すぎるように思える。
そう聞くとティオはバツが悪そうに目を逸らした。
「...相性ってのがあるって言ったの、覚えてる?」
「...あぁ、うん。うっすら...」
最初の日の話だ。
確か...そう、相性があるからお母さんとは契約出来ないって話だったような。
それに対してお母さんが珍しく怒っていたのは記憶に新しい。15年間生きてて、あの人が本気で怒ったのを見たことなんて指折り数える程しかなかったから。
「相性がいい相手って一目でわかるんだけど...」
「うん、そんなこと言ってたね。」
「それで、その...レイヴって相性のいい相手の奴隷になりたいって言う、まぁ...いわば被占有欲みたいなのがあってですね...」
「うん.....うん?」
旗色が変わった。
被占有欲?
初めて聞いた。まぁ性癖みたいなもの?であまり言いたいものでも無いのかもしれないけれど。
「僕は初めて味わったんだけど、こう...かなり抗いがたかったと言いますか。自然と名前が口からポロッと...」
「う、ぇ?えっと...?」
どう、いうことになるんだ?
つまり?
つまりつまりつまり?
「なに、あんたもしかして...端から私の奴隷になろうと思ってたの?初めて会った時から?」
私の問いかけに、ティオは顔を赤く染め何かを堪えるようにプルプルと身体を震わせる。私から顔を背け、数秒思案するようにその動きを止めた後、観念したといった感じにこくりと頷いた。
「うっわぁ...」
「引かないでよ...ノルがわざわざ聞いてきたんだからね?」
「まぁ...そうだけど...」
なんて言えばいいんだろう...重い?というか...
「そんな簡単にご主人様なんて決めちゃって良かったの?」
「簡単なわけないじゃん。それなりに覚悟を持って決めたよ。どうせならこの子の奴隷になりたいって。」
「...ふーん。」
それは、ちょっと嬉しい。
ティオがこれまで、どんな人生を歩んできたのかは私には知る由もないけど、その中で私を選んでくれたのなら──
「ねぇ、ティオ。ティオ。」
「...何さ。そんなに名前呼ばなくても...」
この名前がわたしだけのものなら──
「ティオは私を裏切ったりする?」
どれだけいいだろうか。
「しないよ。絶対。...なに?いきなり。」
分かった。自分で自分を理解した。
なんでショックを受けなかったのか。なんで呆れすらも浮かばなかったのか。
「んー?ふふっ、聞いてみたかったの。予想通りの答えだったけど。」
「そもそもレイヴは主を裏切れないよ。命令されたら言うこと聞いちゃうんだから。」
「うわ、そういうこと言うんだ。」
知ってたからだ。
ティオがつく嘘は私のためのものだって。
ティオは私を裏切れないって。
「あ〜...うちでキールが待ってるんだっけ?」
「そう、だからそろそろ帰らないとキールにもニアさんにも怒られる。」
「やばいじゃん。特にお母さん。」
重いなんてどの口が言っていたのか。
笑ってしまう。
ティオはたぶん、初めて私と会った時に狂わされてしまったんだろう。私の魅力に、なんて過剰な自意識を含める訳じゃなく、レイヴとしての本能に。
そして、
「それじゃ、急いで帰ろっか。」
「そうだね。...魔力は使わないように、念の為ね。」
「はーい。」
私はそれ以上に、狂ってる。
ブックマーク等々、よろしくお願いします。




