訓練を終えて
「やーい、負けウサギ」
翌日、食堂。
食堂でいつもの席につき、朝食のパンを千切っているところでアリスにそう言われて、俺はピシリと動きを止める。
「……確かに俺はクレオには勝てなかった訳だが、相棒からの第一声がそれか?」
動きを止めたまま、パンを持ったままそう返すと、アリスはニヤリと笑って言葉を返してくる。
「いやー、だってさだってさ?
ラゴスも頑張ってるんだろうなーって、そう思いながら私も一生懸命に頑張ってたのにさ……まさか一度も勝ててないなんてさ、ビックリだよ。
一度くらいは勝っててほしかったっていうかさー……拳銃の携帯許可貰えたって喜び勇んで帰ってきたら、負けウサギがどんよりしちゃってて、全然喜べない雰囲気でさ。
まぁ、それでも結局私は喜んじゃった訳だけどさ! でもなんか気まずかったしー! 結局昨日は話しかけられなかったしー!
っていうかラゴスもラゴスだよ! 負けたにしても、あのクレオさん相手に僅差まで迫れたんだからさ、そのことを喜んで、もうちょっと明るい雰囲気出してくれても良いじゃない!」
「……え? なんだこの流れ?
俺が悪いのか? 俺が謝る流れなのか?」
「いやー、ま……謝れとまでは言わないけどさー、モテないよ? そんなんじゃぁ」
「……元々モテたいとかどうとか、考えたこと無かった訳だが……今日改めて思うよ。
女って怖ぇなって、モテたくねぇなって」
そう言ってくだらない話を打ち切って、パンを口の中に放り込んでいると、そんな俺達の会話を見守っていたクレオが、スープ皿を物凄い勢いで空にしてから声を上げる。
「まー、自分としてはたったの七日であれだけやれたってだけでも十分だと思いますけどね。
七日ですよ、七日、たったの一週間!
正直半年くらいは後ろ取られないだろうなーって思ってたのに、もうあんなに取られちゃうなんて……機体の性能差があったとはいえ、ちょっとだけショックですね。
……何だろ、獣人だと成長が早いとか飲み込みが早いとか、それか獣人にしかない感覚とかで、こっちの動きが読めちゃったりするんですかねー?」
そう言ってこっちのことを半目というか、どこか恨みがましい目で見やってきたクレオに対し、俺はもぐもぐと口を動かし、口の中に放り込んだパンを食べきってから言葉を返す。
「……そんなことある訳がないだろ。
俺にあるのはせいぜいこの大きな耳だけで……この耳も所詮、人間より少しだけ聞こえが良いってだけのもんだしなぁ……。
その耳すらも飛行帽で抑え込んでいる時は、ほぼほぼ人間のそれと変わらないんだし……そもそもそんな特別な力があったら、飛行艇を手に入れる前にその力でもって大成してるだろうよ……。
こんな耳より俺はそんなことが出来るような特別な力が欲しかったね」
そう言って俺が自分の……ウサギそっくりの耳へと意識をやると、耳がそれを受けて反応を示しピクンと立ち上がる。
そうするといくらか聞こえが良くなってくれるのは事実なのだが……とはいえそれは、人間が耳の近くに手を当てただとか、大きな紙を当てただとか、その程度のものでしか無いはずで……それによって何かが出来るとか、出来ることが増えるとか、そういったことは皆無と言って良い程に無いはずだ。
むしろ整備工場で働いていた頃の経験からすると……『聞こえが良い』ってのは欠点にもなることがあるというか……マイナスになることのほうが多かったりする。
機械音がいちいち頭の芯まで響いてくるだとか、鉄骨の落下音や火薬の炸裂音で必要以上に身が竦んでしまうだとか……酷い時には気絶してしまうだとか。
整備工場での日々が長かったおかげで、どうにこうにか嫌な感じに響く高音とか凄まじいまでの破裂音とか、そういった音に慣れることが出来て、耐性がついてくれたが……普通の人間ならそんな必要はないはずで……慣れるまでもないはずで……普通の人間のことを羨ましいと思ったことは一度や二度のことではない。
全くなんだって神様は俺をこんな風にしたんだろうかなぁ……。
グレアス曰く、ここまで獣に近い獣人ってのは他に存在してないそうだし……俺しか存在しないそうだし……。
そのたった一つの特別、特例が何だって俺だったんだろうなぁ。
と、そんな事を考えながら朝食を進めていると、話を聞いていたらしいルチアが、食器を片付けながら言葉をかけてくる。
「でもアタシはその耳嫌いじゃないですけどね。
……ぬいぐるみみたいで。
叔父さん所のメイちゃん……あ、長女の子なんですけど、あの子もラゴスさんのこと好きだって言ってましたよ。
とってもフカフカしてそうだからって」
その言葉を受けて大きなため息を吐き出した俺は、ルチアに半目を送りながら言葉を返す。
「……ぬいぐるみと同列の扱いで好きって言われてもな。
……それと獣人の毛皮ってのは意外に思うかもしれないが、フカフカしてないもんなんだぞ?
自前の脂とかでベタついているというか、俺の場合はワックスを塗ってる訳だし……きっとこの耳も一度触ったなら、ガッカリするに違いない」
俺のそんな言葉に対しルチアは、ショックを受けた様子もなく「そうですか」とだけ返してきて……じぃっと俺の耳のことを見つめてくる。
それでも触りたい、思う存分に弄り回してみたい。
だけど今は仕事中、我慢しなければ。
おそらくはその心中でそんなことを呟きながら葛藤しているのだろう……ルチアの視線が段々とギラついたものへと変化していく。
……全くこんな毛まみれの耳の何処が良いんだろうかと、そんなことを考えていると、玄関のベルが鳴り響き、誰かがやってきたことを報せてくれる。
それを受けてすぐさまルチアがパタパタと玄関の方へと駆けていって……さっさと食事を終えていたクレオが、誰が来たのか気になると、おそらくはそんな理由でルチアの後をおいかけていく。
その姿を見送りながら、最後のパンを口の中に放り込んだ俺は、その味をじっくりと堪能するように噛み締めて……アリスと同時に食事を終えて、ルチアの負担を軽くしてやろうと、二人で同時に立ち上がり、食堂のテーブルからキッチンへと、食器やら何やらを運んでいく。
そうやって二人で片付けを進めていると、玄関に向かったルチアだけが戻ってきて……なんとも言えない、微妙な顔をしながら俺達へと声をかけてくる。
「あの、アンドレアさんがいらっしゃったんですけど……その、なんだか様子がおかしくて……。
玄関の方まで来て頂けますか?」
その言葉を受けて俺とアリスはお互いのことを見合い……何があったのだろうかと同時に首をくいと傾げるのだった。
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