夏季休暇 29
しかし、どうやらあのバカ娘は俺の想像を超えたバカだったらしい。
女子組3人が眠りにつき、寝顔を観賞しながら「天使の寝顔だね」などとうそぶくディンにデコピンをかましてすぐ、車は停車した。どうやら、フォレッタの過ごすアパートに到着したらしい。
眠るくれえならここじゃなく家で寝てりゃいいのに、と思わないでもなかったが、こいつらは起きているつもりだったのだろうから、そこはあまり考えないようにしとくか。
「ディン。こいつらは起こさなくて構わねえよな」
聞くまでもねえだろうと思ったが、案の定、ディンは頷き。
「そうだね。夜更かしは美容に悪いし、こんな――イクス、外」
言いかけたディンが窓の外を凝視し、俺もその視線の先を追うと、アパートからフォレッタが出てくるところだった。
周りをきょろきょろと見回し、こそこそと物陰に隠れるようにしながら移動している。
俺たちの監視に気が付いているわけじゃねえと思うが、挙動不審なのは間違いがねえ。
「なにか目的があるみたいだね。イクスの言っていた詐欺みたいなことじゃなくて。それも、おそらくはあまり良くないことだよ」
ディンの言っていることは、おそらくは正しい。
具体的にあいつが何を考えているのかまでは分からねえが、フォレッタの主な行き先である病院はまだまだこんな時間には見舞客なんかを通しちゃいねえ。
「行くぞ、ディン。後を追う」
俺たちは毛布を畳み、眠っている3人組を起こさないように、弁当を持って外へと出ようとしたが。
「あれ、イクス――」
ガサゴソとしていたのがまずかったのか、レンシアが寝ぼけ眼をこすりながら身体を起こしてきた。
起こしちまったか、失敗したな。
「何か動きがあったのね」
起きてすぐだというのに、レンシアの意識ははっきりと覚醒しており、ディンに続いて、手を取られながら、さっと車から降りてきた。
「ありがとうございます」
レンシアにディンが微笑みをもって返した後、俺たちは建物の陰に隠れるようにしながら、フォレッタの後を追う。
「一体、こんな時間に何の用があるんだろうね」
ディンの言う通り、こんな時間に他の人間が起きているとは考えにくい。いや、もちろん、いねえことはねえだろうが、どういうつもりなんだ?
もちろん、市バスもまだ走ってねえし、いつもの小さなポシェットしか下げてねえってのに、そんなに遠くに行くとは思えねえ。
「どうする? 行先によっては車に戻った方が良いと思うけど」
ディンが後ろを振り返る。
当然、まだディンのところの車はそこに停まったままだ。
「……いや。あいつがそんなに遠くに――交通費をかけるようなところに行くとは思えねえし、わざわざあいつらを連れて行くこともねえだろ」
ディンのところの運転手が付いている車ん中なら、安全だろうしな。わざわざ、あんな高そうな車の持ち主に喧嘩を吹っ掛けるような奴もいねえだろうし。
「そうね。もし、危ないことに首を突っ込もうとしているんなら止めなくちゃいけないだろうし、あの子たちはいない方が良いわよね。女の子だし」
お前も女だろ、とは言わなかった。
自分からわざわざ話題に出したってことは、言ったところでレンシアが引くとは思えねえし、問答になってこちらの存在に気が付かれても面倒だ。
「じゃあ、リオンと、クレデールさんのこと、よろしくお願いします」
ディンが運転手に頭を下げてきて、俺たちは急いでフォレッタの向かった先へ追いかけた。
初等部相当の女子の足だ。まだそう遠くへは行ってねえはず。
案の定、角をふたつほど曲がったあたりで、フォレッタの後姿を補足した俺たちだが。
「イクス」
「ああ、見えてる」
フォレッタは俺たちのひとつ前方の曲がり角に身を顰め、じっと前を睨んでいた。
その視線の先では色黒の男が、3人組の男と話をしているみたいで、手提げ部分のついてねえ紙袋を受け渡していた。
ついでに札束も見える。
「なんだ、あいつら」
「さあ。男の人とのかかわりは、あんまりないから」
ディンは真面目なのか、ふざけているのか、曖昧な調子でそんな奴らの取引現場をスマホのカメラで撮影している。
「って、おい。大丈夫なのか」
意味はないと思いつつも、つい辺りを見回してしまう。
「大丈夫もなにも、僕たちはただ散歩していて、鳥の生態を観察しているだけだからね」
何だそりゃ。
こんな時間に鳥なんか飛んでるはずねえだろ。もちろん、近くに巣があるわけでもねえ。
「イクス、ちょっと黙って。ただでさえ遠くて声が届きにくいんだから」
やがて色黒の男と、そいつが乗り込んだ車が去り、残った男たちが、受け取った札束を等分していた。
「なあ、あれ、今いっとくか?」
とりあえず証拠の写真もあるし、警察に行く必要があんじゃねえのか?
問題は、俺たちのうちで誰が行くのかってことだが。
「そうだね、通報するにしても早いに越したことはないと思う。それに――」
「ちょっと待ちなさい」
俺たちが相談している間、まだどうするのか考えをまとめてもいないうちに、フォレッタがこっちに残った男たちの前に飛び出していた。
何やってんだ、あのバカ。
「あんた達がやっていることは証拠を残させて貰ったわ」
フォレッタはスマホを持ってねえ方の手で、自分のワンピースの裾をぎゅっと握りしめている。
「だから大人しく――」
「大人しくするのはそっちだよ、お嬢ちゃん」
男たちがスーツのポケットから拳銃を取り出す。
おいおい。あんなもんまで持ってんのかよ。しかも、モデルガンとかじゃねえな。
「痛い思いはしたくないだろう? それをこっちに渡してもらおうか」
「なによ。そんな脅しに今更――」
乾いた発砲音と共に、男の持っている拳銃から煙が上がる。
街路樹の葉っぱがパラパラと落ちてくることから、俺たちは何が起こったのかをようやく悟った。
「あいつ、マジで撃ちやがった」
今のは威嚇だろうが、本気でフォレッタを撃つつもりもあんのか?
「おい、ディン。お前、何か武器になりそうなもん持ってねえか?」
俺たちにどうこうできる問題じゃねえのは十分承知しているし、通報すんのが正解だとも分かってはいるが、今、この状況下では警察を待っていたんじゃ遅すぎる。
なにせ、相手はすでに発砲しているんだからな。
「急に言われても、そんな物……」
「これでいいかしら」
はい、とレンシアが手渡してきたのは、いわゆる十徳ナイフと呼ばれるものだった。
「いつも持ち歩いているわよ。何があるか分からないし」
お前は一体何を想定しているんだ。
これもあの親バカ師匠のいいつけか?
言いたいことは色々あったが、助かることには助かる。
「どうするの、こんなので」
「悪いな、借りは今度必ず返す」
俺はナイフを出すと、隠れていた物陰から飛び出した。
「おい、そこの馬鹿!」
フォレッタと、銃を構えた男がこっちへ身体を向ける。
「さっさと走ってこい!」
「あ? おい、待ちやがれ!」
チャンスは一瞬。
咄嗟に動けたフォレッタのことは、マジで褒めてやりてえ。もちろん、それ以上に怒鳴りつけてやりてえが。
男が構えた拳銃をこっちへ向ける。
俺という目撃者、あるいはフォレッタでも構わねえが、ふたりになったことで、1撃では仕留められねえと、一瞬躊躇が見える。
それを逃すわけにはいかねえ。
俺は預かったナイフを投げる。もちろん、相手に当てることが目的じゃねえ。
ナイフは真っ直ぐな軌道で、銃口に刺さる。
マジでうまくいくとは思ってなかった。
夜中だってのに、全身から汗が滝のように流れてくる。
相手が呆気にとられたように行動を止めているうちに、俺はフォレッタを抱き上げ。
「走れ!」
ディンも、レンシアも、一目散に、車のある所までまっすぐ走る。




