夏季休暇 18
翌日、俺とクレデールは二手に分かれて、病院とスーパーに張り込むことにした。
もちろん、昨日の女子が現れるという確証はなかったが、放っておくことはできなかった。
付き合わせちまったクレデールには悪いと思ったんだが、当のクレデールには「私も気になりますから」と言われてしまい、結局、俺には反対することはできなかった。
いつ現れるのか、その時間を逃すわけにはいかないため、今日は道場を休んでいる。もちろん、事前にその旨は伝えてある。
まあ、こっちはふたりしかいねえわけだし、相手の行動範囲をこの町内と仮定しても、無駄足になる可能性の方が高えんだけどな。
そう思っていると、目の前に目的の人物が姿を見せた。
昨日と同じように、薄紫の髪をツインテールに結び、店の前のベンチにちょこんと腰かける。
間違いねえ。
俺はクレデールに、目的の人物が来たことを即座に伝え、病院からこのスーパーまでの詳細なアクセス方法をメッセージの形で送る。その通りにすれば、迷うことはないだろう……おそらく。
それにしても、この炎天下の中、こうしてじっと見張っているだけってのは、大分大変だな。一応、あんパンとスポーツドリンクのペットボトルは買ってあるが。
必要なのは現場を押さえることだ。
昨日の件を持ち出しても、とぼけられるのが関の山だろう。俺たちは実際に現場を見ているわけだが、物的証拠、例えばその現場を収めた写真や動画はねえわけだしな。
よしんばあったとして、何を言っているのかまでは残すことができねえだろうから、募金活動とかなんとかって誤魔化されたら面倒だが。
一瞬、少女の視線が店内を睨む。
何かを観察しているような、鋭い光を宿していた。
くっそ。ここからじゃあ遠くて何を言っているのか聞こえねえぜ。
俺はもっと近くの、街路樹の陰まで移動する。
その間に、スーパーから出てきたスーツを着た中年男性が、件の女児と一緒にベンチに座り込んで話し始めているようだった。
「そうかい。お祖母ちゃんが病気で入院しているのかい」
「うん。そうなの」
ようやく会話が聞こえる位置までたどり着いた時に聞こえてきたのは、そんな内容だった。
「お母さんは、心配しなくていいのよって、それしか言ってくれなくて、まるで私が行くのを遠ざけるようにしているから、タクシー代もくれないの。近くなら歩いて行くんだけど、遠くの大きな病院らしくて、とても歩いてはいけないの」
まるで今にも泣き出しそうな声で、そんなことを話すそいつの瞳には、涙の粒がひと粒浮かんでいるようだったが「なんでもないの。ごめんなさい」とすぐに拭っていた。
「それなら、私が連れて行ってあげよう」
そのままだと誘拐されるんじゃねえかとも心配になるが、タクシーなら、行き先を自分で告げることができるし、その心配も少ねえんじゃないかとも思われたが。
しかし、そいつは首を振り。
「ありがとう、おじさん。優しいんですね。けれど、そこまで、おじさんの時間を拘束してしまうわけにはゆきません」
子供らしい、しかし、完全には誤魔化しきれていないような、そんな笑顔で微笑む。
「ご好意だけでも、嬉しかったです。話を聞いてくれてありがとうございました」
「待ちなさい」
立ち上がったそいつの背中に、男性の声がかけられる。
「それなら、せめてこれだけでも受け取っては貰えるかな。タクシーの乗り方は知っているのだろう? 私がついて行くと、きみが負担に感じてしまうというのなら、せめて、これくらいはさせてくれないかな」
「で、でも……」
一瞬、目を見開き、しかし、すぐに葛藤するような表情を浮かべてから、そいつはそれ――紙幣を数枚受け取った。
「何かあったらここへ連絡してきなさい。私の連絡先だよ」
それから、男性からメモのようなものを受け取ったそいつは、目の辺りを拭った後に「ありがとうございました」と頭を下げて、スーパーの反対側へとかけてゆく。
男性はそれを見送ってから、ゆっくりと立ち上がり、そのまま、そいつとは反対方向にステッキを持って歩いていった。
いや、それはおかしいだろ。
これは、あるいは俺が第三者だから気が付いたことかもしれねえが、普通、連絡先を渡すのは、金を借りた方なんじゃねえか?
ふたりは納得している、あるいは忘れているようだったし、俺が口を挟むべき問題じゃねえだろうから口を挟みはしなかったが、何か変だな。
つうか、言っちまえば、詐欺だろ。
今の時刻、それから昨日のことを考えて、おそらくこれで終わりにするつもりはねえんだろう。
慣れている感じだったし、少なくとも昨日のことがあるから、初犯ってことはあり得ねえ。
後をつけてゆくと、そいつは、猫のアップリケのついた白いポシェットの中に今しがた受け取った金を仕舞い、連絡先の方はその場でゴミ箱に捨てていた。
「おい。お前、病院に行くんじゃなかったのか?」
このまま見過ごすことはできねえと、声をかける。
びくりと大きく肩を揺らしたそいつは、俺の方へと顔を向け、瞳をすっと細めると。
「ふーん。見てたんだ。もしかして、ストーカーってやつ?」
さっき、カモにしていた男性にかけていたのよりも一段低い声でそう言った。
「ストーカーじゃねえ。俺もいつもここを利用してんだよ。昨日もな」
俺が何を言いたいのか察したらしく、そいつは「やっぱストーカーじゃない」と小声でつぶやいた。
それから小さくため息をつき。
「それで? 何か言いたい事でもあるの? 言っておくけど、あたし、嘘はついてないわよ。お祖母ちゃんが入院しているのは本当」
そのことに嘘はついていないようだったが。
「そうか。まあ、はっきり言って、たまたま見かけただけのお前の事情なんてのは、俺にとっちゃどうでもいい。だがな、目の前の犯罪行為を見過ごすわけにはいかねえんだよ」
「犯罪って何よ」
「詐欺罪は、立派な犯罪だ」
たとえ小学生程度に見えようが、犯罪は犯罪だ。
俺はそいつの細い手首を捕まえ――
「きゃー、痴漢!」
逆に叫ばれて、驚いてそのまま硬直した。
はあ? 痴漢だと? どこをどうしたらそうなる。
「あー、ちょっときみ、いいかな。凄い形相で店先を睨んでいる不審者がいるって通報があったんだが」
おまけに警官らしき男性に肩を掴まれ。
「は? 俺は違えって、あっ、おい、お前、逃げるな!」
捕まえるべきはあいつだ、と言おうとしたが、その時にはすでにそいつは走り去っているところだった。
「はいはい。続きは署で聞くからね」
おまけに警官は俺の話なんか聞きゃあしねえし。
「だから、犯罪者はあいつの方だって――」
「先輩、何をなさっているんですか?」
必死に言い訳をしていた俺と、何やら手帳とペンを取り出し聴取をおこなおうとしていた警官に、クレデールの物凄く冷めた視線が突き刺さった。




