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夏季休暇 17

 ◇ ◇ ◇



「ありがとう、おじさん」


 買い物を終え、容赦のない太陽の下に逆戻りした俺達の目に飛び込んできたのは、先程、俺たちが店に入る前にはベンチに座って足をプラプラとさせていた女の子が、中年の男性にお礼を言っているところだった。

 それだけならば、まだ放っておけることだったんだが。


「先輩」


「ああ、分かってる」


 どうやらクレデールにも見えていたようだ。

 その、おそらくはアレクトリよりも幼い、初等部くらいだろうかとも思えるその女児が、男性から紙幣を受け取っていたところを。

 

「ご家族……という訳ではなさそうですよね」


「そうだな。親戚という可能性もあり得ないわけじゃねえが、父親くらいに見えたあの男性に『おじさん』とは話しかけねえだろうからな」


 幸い、俺たちの様子はその女子児童からは見えていないらしい。

 最初から見ていないため、どんな事情があるのかは分からなかったが、おそらくは見ず知らずの相手から金を受け取るのは、良い行為とは言えねえだろう。

 

「どうしますか、先輩。警察に行きましょうか?」


 自分で言っているにもかかわらず、クレデールの声は自信なさげだった。

 それはそうだろう。

 俺たちが見たというだけで、証拠も何もないんだからな。計画していたのか、位置的にも防犯カメラの死角だったし。


「警察よりも、まずはだな」


 俺はポケットからスマホを取り出すと、厳しい表情で前を見つめている件の女児を写真に収めた。


「先輩! 何やっているんですか? 犯罪ですよ」


「馬鹿、お前、声がでけえよ」


 案の定、こっちに気が付いたらしいその女子児童は、びくりと肩を揺らして、走り去っていってしまった。


「ほら見ろ。逃げられたじゃねえか」


 こっちは食材持ってんだから、走って追いかけるなんてことはできねえんだぞ?


「それ以前の問題です。先輩にそんな性癖があるとは知りませんでした」


 クレデールはあからさまに軽蔑しているような視線を向けてくる。

 どうやら誤解があるらしい。


「いや、ちょっと待て。俺に小学生女児を追いかけるような趣味はねえよ。ディンに確認するためだ」


「ディン先輩ですか?」


 一応、通報は踏みとどまってくれたらしい。クレデールは自分のスマホをポケットの中へとしまい込む。


「ああ。写真がありゃ、ディンならどこの誰かすぐに分かるだろ。この辺りの、おそらくは小学校と、どこの組の誰々ってところまでな」


「……私自身、世話になっておいて今更ですけど、ディン先輩って、やっぱりおかしいんじゃありませんか?」


 クレデールがそんなことを言っている間に、ディンからは返信が来ていた。流石に早え。

 と思ったが、どうやら、ディンも知らないらしい。

 そんなことあるか?

 たしかにこの辺りの学校に通ってんなら、ディンの家とは離れているが、それにしたってアレクトリの中学と似たようなもんだろう。

 転校生で、まだ情報を手に入れられてないとか? いや、そんなはずはねえ。転校生なんて目立つんだし、ディンなら即座に調べるはずだ、それが褒められるべき行為かどうかは別にして。

 だとしたら、あの、ディンですら正体を知らないやつは一体。


「先輩。もしかして、彼女、学校には通っていないのではないでしょうか?」


「は? 何言ってんだ、クレデール。初等部、中等部は義務教育で、この国で学ぶことを保証されてんだぞ」


 いじめかなにかで不登校ってことか?

 いや、それでも、ディンが知らないということの説明にはならねえ。


「先輩。義務教育というのは、税金を払って、だからこそ、受けさせて貰えているのですよ。残念ながら、この国はまだ初等及び中等教育の完全無償化には相成っていません。つまり、全員が学べているということとイコールではないのです」


 それはつまり、あれか。親が保護者として機能していないってことか?

 ネグレクトとか、育児放棄とかって呼ぶんだったか?


「もしくは、いないか、あるいは、その機能を果たすことができる状況にないか、です」


 クレデールの瞳がすっと細められる。

 いない、ってのは、人工子宮とか、そんなフィクションの中でしか見たことのないような問題じゃねえよな。

 亡くなっている、つまり、天涯孤独に近い状況ってことか。


「はい。本当のところはわかりませんが、いずれにせよ、今のままでは情報が少なすぎます。この辺りに住んでいるだろうと考えると……いえ、あえて断定しますと、病院で聞き込み、張り込みをするのが得策かと思います」


 まあ、両親がいないということはあり得ない。クレデールの推測通り、今はいない、あるいはその機能を果たすことができない状況、状態にあるにしろ、アダムやイヴじゃあるまいし、にょきにょき生えてきたってことはあり得ないはずだ。

 この辺りで病院といえば、バスで向かう必要があるな。

 

「……とりあえず、荷物を先に置きに戻るか。冷蔵庫にも入れずに持ち歩くってわけにもいかねえだろ」


 病院は逃げねえしな。


「実はもうひとつ、このままだと、おそらくは明日も彼女はここに現れるはずですから、その後をつけるという方法もなくはないです」


 一歩間違えればストーカーで即通報されてしまいますが、とクレデールは肩を竦める。

 いや、それを言うなら、病院での張り込みも相当だろう。


「でも、先輩は、あの子のことが気になるんですよね?」


「そりゃ、あんな場面に遭遇して、気にならねえほうが嘘だろ」


「それならば、結局、終着点が同じになるのですから、今調べようと同じことだと思います」


 そういう考え方もあるかもしれねえ。

 いずれにしても、あんな詐欺まがいのことをするなんて、年長者として注意しなけりゃあならねえだろうからな。


「それとも、今からでも追いかけてみますか? もしかしたら、追いつけるかもしれませんよ?」


「だから、荷物が無かったらな」


 非常に気にはなったが、炎天下の中、食材を手に尋ね人を探し回り、それでこの食材が痛まないという保証はない。いや、むしろその可能性は高いだろう。


「ディンのこともあるし、また明日以降にしようぜ。お前の予想だと、明日もここに現れるんだろ?」


「……はい」


 クレデールは心残りでもあるかのように、躊躇いがちに頷いた。

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