夏季休暇 9
◇ ◇ ◇
「何っ! プールに遊びに行くから、今日の修行はこれで切り上げて欲しいだと?」
ディンからプールに行こうと誘われた予定日の朝、道場でぼろぼろになるまで修行をつけてもらった後に切り出した俺に、当然のごとくセーヴィス師匠の怒声が飛ばされた。
まあ、仕方ないな。
こっちは願い出て稽古をつけて貰っている身だというのに、途中で切り上げると言っているんだからな。
もちろん、いらないと言われた月謝は、これも毎度のことだが、どうにか無理を言って受け取っては貰えたが、そういう問題ではない。
「ああ。この前連れて来たろ? クレデールと、それからディンと、その婚約者のリオンと一緒にプールに行こうって誘われてんだよ」
ディンに誘われたプールは、結構離れていて、どうやら車で迎えに来てくれるらしいのだが、帰って朝食の時間を考えると、そろそろ間に合わなくなりそうだ。
「……まあいいだろう。ただし」
しばし待て、と師匠は道場を出てゆくと、しばらくしてから半紙を持って戻ってきた。
「これは水中での戦闘を考慮したうえでの鍛練法だ。これをこなすというのであれば、特別に許可してやろう」
「いや、遊びに行くって言ってんだろ。鍛練なんかするわけねえだろうが」
他の客もいるだろうし、どうやったって迷惑になる。
それに、友人とプールに行くなんてのは初めての経験なんだ。意外と楽しみにしているんだぜ、俺は。
「なんだと……ふん、まあいい。ただし、条件がある」
師匠の視線が少し離れているレンシアの方を捉え。
「レンシアも一緒に連れてゆくというのであれば、許可しよう」
「はあ?」
「ちょっと、父上?」
また変なことを言い出した。
大体、レンシアを連れていけって言われてもなあ。
「たまには環境を変えての修行も、慣れを回避するためには良いと思ってな。だが、私は道場でするべき修行がある。門徒の稽古の相手もしなければならん。とはいえ、娘をひとりでそのような人の集まる場所へ向かわせるのは心配だ」
いや、だから修行しにいくんじゃねえっつってんだろ。
それにレンシアだって、俺なんかと行くより、学校の友達とでも一緒に行った方が良いだろう。それに今日は、俺とクレデールだけじゃなく、ディンとリオンも来るんだぞ。
まあ、あのふたりが気にするとも思えねえが。
リオンはともかく、ディンの方はむしろ歓迎しそうですらある。
まあ、別に、俺は反対はしねえが。
「……師匠はあんなことを言っているが、お前はどうなんだよ」
いくら師匠が言ったからとはいえ、最後に決めるのはレンシア自身の意思だ。
本人が行きたいというのならば、まあ俺からディンに確認を取るくらいはやぶさかじゃねが、本人が嫌だというものに無理やり連れてゆくつもりはねえ。
「わ、私は別に……でも、イクスがどうしても来て欲しいって言うのなら、ついて行ってあげてもいいけど」
レンシアはわずかに照れているように頬を赤く染め、顔を逸らしつつも、ちらちらと俺の方を窺ってくる。
これはさすがに俺でもわかったぞ。
「わかったわかった。じゃあ、一応ディンには俺の方から断っておくから」
どうせ、ディンのことだ。レンシアが来ることに、賛成こそすれ、反対することはねえだろう。
レンシアが準備のために部屋へと向かっている間に、俺はディンへと連絡を取る。
「もしもし、イクス? どうしたの、これから迎えに行くのに」
「あー、いや、直前になっちまって悪いんだけどよ、ひとり、人数が増えても構わねえか? 実は、師匠から娘を一緒に連れて行ってくれって頼まれちまって――」
「もちろんいいよ」
即答だった。
相手が女だと分かった途端に、だ。
おそらくだが、男だったなら、もう少し時間を、少なくとも、話は最後まで聞いたことだろう。まあ、あいつも男の友人はほとんどいねえやつだから、どちらにせよ即答だった気もするが。
「それで、その子は?」
「今は通話には出られねえぞ。話をしたのが修行を終えてからだし、急なことだったから、今、準備に行ってるからな」
そっかー、とディンは残念そうな声でつぶやいた後。
「それにしても、イクス。やっぱり、きみも隅には置けないね。個人的に、プールに遊びに行きたいって女の子の友達がいるなんて。どうして今まで話してくれなかったのさ」
「いや、だってあいつは友達って感じじゃあねえしな。クレデールにも話したんだが、どちらかというと、好敵手って感じで」
まあ、大別すれば、友人といっても構わねえのかもしれねえが。
つうか、やっぱりってどういう意味だ。
「ふーん。まあ、話は分かったよ。リオンには僕から伝えておくから」
「助かる」
「うん。じゃあ、イクスはクレデールさんの方の説得をよろしくね」
そう言ってディンは通話を切った。
クレデールの説得ってなんだ?
すでにクレデールとレンシアは顔見知りだし、説得の必要があるとは思えねえが。
「待たせたわね」
ディンと通話をしている間に、レンシアの方の準備も整ったらしい。
ノースリーブのニットのシャツに、細身のスパッツで、普段、制服か、道着かくらいしか滅多に見ることがない俺にとっては、いくらか新鮮に見えた。
「おう。じゃあ、行くか」
いつもなら、鍛練のためにも走って帰るんだが、今日はレンシアも一緒だし、俺たちは並んで歩いて帰る。
「なあ、良かったのか、本当に俺たちと一緒で。クレデールとも一度顔を合わせただけだし、ディンやリオンとは初対面だろ? それより、学校の友達とかと一緒に行った方が良かったんじゃねえか?」
それこそ、同性の友人と一緒に行った方が、気兼ねなく楽しめるんじゃねえのか、と思ったんだが。
「私は別に、そのイクスがいればそれで……」
レンシアが何か言っているが、あまりにも小さく、ごにょごにょとしているせいで聴き取れねえ。
「俺が何だって?」
「何でもないわよ、馬鹿っ」
何故か急に怒り出したレンシアは、少し歩く速度を速める。
「一応、クレデールにも話しておくか」
急にレンシアを連れて帰ったら驚くかもしれねえしな。そういや、朝食もひとり分増えることを母さんにも話しておかなきゃならねえ。
親父は、まあ、昨日も家に帰ってこなかったし、仕事の方が忙しくて泊りだったんだろう。放っておいても大丈夫だ。
「いや、やっぱ必要ねえな」
どうせ、クレデールのことだ。まだ寝てるに決まってる。
あいつに限って「今日は友達とプールに行くから楽しみで早く目が覚めた」なんてことはねえだろう。
「どうかしたの、イクス」
「いいや、何でもねえよ」
足を止め、振り向いたレンシアに答えつつ、俺は取り出したスマホを再びポケットにしまった。




