夏祭り
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夏祭り、とはいうものの、規模はそれほど大きいものではなく、駅前から、先日エリアス先輩に付き合って買い物に来た時のデパートまでの道なりにちょくちょく出店らしきものが並んでいたり、デパート前の広場で踊りを踊っていたりする程度のものだった。
もちろん、活気がないわけでもなく、メインの会場であるらしい広場には明かりが灯され、屋台が建ち並び、赤や青の透き通った飴や、何かのキャラクターが描かれているクッキーや、フランクフルトやアメリカンドッグ、かき氷なんかも売っている。
しかし、寮に入って自分で買い出しに出かけたり、料理をするようになると、どうしてもこういった場所での食事ってのは躊躇するようになるな。
主にコストの面で。
味に関しては、旨くねえとは言わねえが、雰囲気に誤魔化されてんじゃねえかと思わないでもねえ。
ディンたちは物珍しさの方が勝っているようだが、スーパーで食材を仕入れて自分で同じものを作った方が安く済むからな。もちろん、お祭りでそういうことを考えるのは風情がないってことは分かっているし、自分で準備する手間もなく、旨いものを食べられるんだから、その分高めになるのは仕方ないと理解はできるが。
「……とはいえ、ディンに奢ってもらうほど落ちぶれちゃいねえがな」
「ちょっと、イクス? 僕に奢られるのってそんな扱いだったの?」
冗談だ冗談、とディンを軽くあしらいつつ。
「しかし、混んでるな」
祭りなんて来たのはいつぶりだったか、しかし、わざわざこんなに混んでいる場所に出かけてきて、適当にはしゃぐのがそんなに楽しいもんかな。
毎年やっているんだから、毎年それなりに儲かってはいるんだろうが、なんだかなあとは思う。
「きゃっ」
背後から小さく悲鳴が聞こえてきて、振り返れば、クレデールが通行人の波に押されてよろめいているところだった。
「大丈夫か」
俺は手を伸ばし、体勢を崩していたクレデールの手を引っ張り寄せる。
この人混みだ。
電波も多少は混雑するかもしれねえし、はぐれちまった場合に合流するのはかなり難しいだろう。加えて、クレデールは方向音痴だし。
「クレデール。しっかり俺に掴まってろ。はぐれんじゃねえぞ」
もっとも、手を繋いでいると、この人混みの中でふたりとも片手が使えないということになり、不便で仕方ねえから、俺は自分のシャツの裾の辺りを掴ませた。
「わ、分かりました」
クレデールは、祭りの熱気にあてられたらしい、わずかに赤く上気した顔で驚いている様子だったが、自分が迷子になりやすいということをとうとう自覚したのか、子供じゃないなどの文句を言うこともなく、すんなりと掴んだままついてくる。
「イクスー、金魚すくいがあるよ。一緒にやろうよ」
先へと進んでいたディンは、振り向いて、子供みてえにはしゃいだ顔をしていたが、俺たちのことを見つけると、瞳を大きくし、数度の瞬きをした後、楽しそうに微笑んだ。
「随分と仲良くなったんだね」
「何の話だ?」
ディンの、そして隣にいるリオンの視線は、ちょこんと俺の服の裾を摘まんでいるクレデールの手に注がれている。
「あ、いや、その、これは、違うんです!」
クレデールは慌てたように手を離し、顔の前でわちゃわちゃと両手を振る。
「先輩が、そのはぐれないようにって、迷子になったらこの人混みの中から再会するのは面倒だからって、だから、その、リオンさん、にやにやしないでください!」
「分かってる、分かってるわ、クレデール」
リオンは何だか悟りを開いた、あるいは聖母のような微笑みで、クレデールを優しく見つめ、よしよしと頭を撫でている。
クレデールは紅い顔をして唸っているが、俺のことを睨んできて、またすぐに視線を外してしまう。
一体何が起こってんだ。
「クレデールさんも随分と表情が豊かになったね。それとも君の前だけで、かな」
そんなふたりの様子を、ディンもとても楽しそうに微笑みながら見守っている。
「いや、豊かになったっつうか、焦った時にはいつもあんな感じだろ」
いや、まあたしかに、クレデールは焦るってこと自体が無かったんだけどな。
寮を水浸しにしても、あの部屋の惨状を見られても、洗濯したものを落としながら運んでも。事態の方にばかり目がいっていたが、クレデールの精神も相当のもんだったと、今になって思う。
「そう考えたら、いい事じゃねえか」
要するに、あいつにも進歩の兆しが見えるってことだろ?
もしかしたら、いずれは自分の洗濯物も畳めるようになるような日が来るのかもしれねえ。まあ、それは飛躍し過ぎかもしれねえが。
もっとも、言ってしまえば、畳めてねえ現状がおかしいんだがな。
「本当にそうかい、イクス。クレデールさんの世話をするのはきみの生きがいだろう?」
「んなわけねえだろ」
そんな生きがいがあってたまるか。
さっさとひとりでできるようになって欲しいもんだぜ。
そのクレデールとリオンは、綿菓子という名の砂糖を糸状に引き伸ばした菓子を一緒に購入している。
見た目は、まあたしかに重要かもしれねえが、つまるところただの砂糖だろ?
「……イクス、きみはもう少し風情とか、夢とかって言葉を知った方が良いよ」
そう言いながら、ディンはリオンの方に近づいていって、リオンの反対側から、棒に巻かれた大きな綿菓子を齧っている。
あいつもなんだかんだで上手くやってんじゃねえかと思ったら、今度は子供のように瞳を煌めかせながら、クレープ屋の屋台を覗いている。
たしかに、クレープの生地を綺麗に広げて焼き上げる技術は驚くべきことだし、俺も上手くなるためには見習いたいとも思うが、おそらくディンの目的はそういうことじゃねえんだろうな。
人混みと距離、位置の関係で、何を言っているのかまでは聞こえねえが、リオンがディンの肘の辺りをつねっているみてえだから、多分、屋台の女性を口説いているか何かだろう。




