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きみの願いは何だって 2

 ◇ ◇ ◇



 フェルミナ中学からアレクトリが暮らしているアパートまでは徒歩数分の距離だった。

 幽霊でも出そうなほどおんぼろではないが、特別高級というわけでもなさそうな、ごく一般的な簡素な建物だ。

 部活帰りらしい、制服にバッグを背負った生徒とすれ違いながら、手を繋いで歩くディンとアレクトリの後ろからついて行く。

 外回りの階段を上り、2階の奥の部屋に着いたところで、アレクトリはポケットからチェーンのついた鍵を取り出した。


「ただいま、お父さん」


 扉を開くなりアレクトリが発した台詞に、俺は少なからず驚きを覚えた。

 俺だけでなく、クレデールとリオンの顔もディンの方を向く。


「ディン。たしか、アレクトリの父親は……」


「……防犯対策の一環だろうね。アレクトリは天使のようにかわいいから、こんな子に手を出そうなんて不逞の輩はいないと……コホン。つまり、普段、御父上は仕事で帰りが遅いわけだろう? 中学生が、しかも女の子がひとりでいるなんて知られたら、良からぬことを考える輩もいるかもしれない。だから、たとえひとりであっても――今は祖父母夫婦がいらっしゃるみたいだけれど――そういう風に言ってから入るように言われているんだろうね」


 まあ、アレクトリの態度から分かっていたことだが、幽霊の気配が感じられるとか、母親の幻影が見えているとか、そういった事ではなく、至極真っ当といえる理由だった。

 ところで。


「……クレデール、お前は何でそんなにびびってんだよ」


 部屋の手前の廊下の手すり付近まで身体を引いたクレデールは、視線を逸らし、顔もそっと横を向けた。


「先輩が何をおっしゃっているのか分かりませんが、私は別に、幽霊だか、お化けだかに驚いているわけでは、断じてありませんから」


 すげえ早口だ。


「何見てんだよ」


「何も見えていませんよっ」


 はあ。

 もういい。

 こいつの相手をしていても仕方ねえ。

 相変わらずクレデールは、


「私は別にお化けとか平気ですから。ええ、何ともありませんとも。あの、先輩? 聞いてますか?」


 などと騒いでいるが、無視する。こいつは、さっきのディンの説明を聞いてなかったのか?

 大体、ここで暮らしているアレクトリが平気なんだから、問題なんてあるわけねえだろ。失礼な奴だな。


「そんなの分からないじゃないですか」


「知らん。俺は先に行くからな」


 先に入ったアレクトリとディンに倣い、俺も玄関を入ったところで靴を脱ぎ、向きを揃える。

 こんなところでもたもたしてんのは時間の無駄だ。


「リオンさん」


「はいはい」


 後ろをちらりと振り返ると、クレデールとリオンが手を繋ぎながら入ってくるところだった。

 そんなになるほどなら外で待ってりゃいいのに。

 いや、そうするとひとり取り残されることになるから、そっちの方が避けたい状況だったのかもしれねえか。だったら最初から、ディンとアレクトリがいることは分かっているんだし、さっさと入りゃあいいのによ。

 入った時に鳴った床の、ぎしっ、という音に、クレデールが「ひぅっ」と叫びながら、びくりと身体を揺らしたのが伝わってきたが、俺は振り返らず、リビングまで進んだ。

 リビングには机と椅子が並べられていて、アレクトリとディン、その正面に老夫婦が揃って腰を下ろしていた。

 おそらくはあれがアレクトリの祖父母なのだろう。

 困ったような顔を向けられたので、俺は軽く会釈してから、ディンとアレクトリの後ろに直立の姿勢で、少し足を開いた。


「お初にお目にかかります。僕は、ディン・フレーケスと申します」


 ようやく、のろのろとやってきたクレデールと、付き合っていたリオンが俺の横に並んだのを確認してから、ディンが口を開いた。


「僕がアレクトリさんと初めてお会いしたのは、近くの公園での事でした。それから、縁やらなにやらあって、アレクトリさんとはずっと良い関係を続けさせていただいています」


 ディンは口八丁、というばかりじゃあないんだろうが、アレクトリとのエピソードを、思い出すように語った。

 全部が本当にあったことなのか、判断はつかねえが、少なくともディンがアレクトリの事を大切に思っているということは伝わってくるような話だった。

 もちろん、怪しげな話じゃなく、ふたりで一緒に花で指輪を作って交換したとか、猫のたまり場に散歩に行ったとか、まあそんな感じの、あるいはもしかしたら、本当にあったのかと思わせる微笑ましいものだったが。

 というより、おそらく本当にあった事なのだろう。


「アレクトリさんは、よく話してくれます。僕と同じ学院に通いたかったと。せめて、同じ学院に通いたいと。僕はその時残念ながら学院には、同じ校舎にはいられないのですが、それでもと話すアレクトリさんの顔はとても眩しくて。そう言って貰えることを、とても嬉しく思っているんです」


 普通は……少なくとも義務教育期間中は、近いところに通うよな。

 たしかに、うちの学院は学費も安く、初等科から一貫の教育をおこなっているため勉強のレベルも高いが。


「もちろん、その話ばかりではありません。フェルミナ中学での友人とどのように笑い、過ごしているかを、とても楽しそうに話してくれますし、それを聞かせて貰えるのは、僕の楽しみでもあります」


 アレクトリの祖父母はこちらの、そしてアレクトリの事をじっと見ているようだった。

 ディンのプレゼンが終わり、しばらくの沈黙の後。


「……お話は分かりました」


 アレクトリの祖父母は、この会談が始まってから、ずっと膝の上で硬く手を結んでいるアレクトリに、優し気な視線を向けた。


「あなた方の、フレーケスさん達がこの子ととてもよくしてくださっているのは、そして、とてもよく思ってくださっているのは、十分過ぎるほど伝わってきました」


 これはうまくいったのか、と思ったが。


「しかし」


 とアレクトリの祖母が少し目を細めると、アレクトリの肩がびくりと揺れるのが分かった。


「最も重要なのは、この子が、アレクトリがどう思っているのか、ということです」


 アレクトリはゆっくりと視線を自分の祖母と合わせ、祖父と合わせ、それからディンへと顔を向けた。

 頼りなさげな顔をしているアレクトリにディンは、微笑み、頷きながら、そっと背中を支えた。

 ここには自分もいると、自分は味方だと教えるように。

 アレクトリが、肩に置かれたディンの手を握ると、ディンもそれを優しく握り返す。


「私も、ここで、ディンと、皆と一緒にいたいです。お母さんの事も心配です。だから、おじいちゃん、おばあちゃん、お願いします。せめて、私が高等部に進むまででも、こっちに来てはくれませんか。そうしたら、私、これ以上――」


「いいわよ。ねえ、おじいさん」


「ああ」


 そして、アレクトリがおそらくは崖から飛び降りるような覚悟を持って告げようとした言葉を途中で遮って、あっさりと、アレクトリの祖父母は首を縦に振った。


「えっ、でも、だって――」


 むしろ、言った本人である、孫のアレクトリの方が困惑するほどだ。


「だって、ねえ。アレクトリは昔から何かをねだったりすることは少ない子だったから。嬉しくて」


「ああ。もっと甘えてくれてもいいくらいだ」


 そう言って、アレクトリの祖父母は朗らかに笑う。


「えっ、でも、御祖父ちゃんたちのお家はどうするの? それにお金だってかかるでしょう? 今までずうっと暮らしてきた思い出とか、あとあと――」


 早口でまくし立てるアレクトリに、椅子から立ち上がり、近くまで寄ったアレクトリの祖父母は、アレクトリの髪を優しく、嬉しそうな表情で撫でる。


「子供はわがままを言うもんだよ。それに、こんなにアレクトリの事を心配して、思ってくれる方がいるんだ。そのつながりは大切にして欲しいからね」




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