きみの願いは何だって
◇ ◇ ◇
週末。
俺はディンとクレデール、それからリオンとも一緒に、アレクトリと待ち合わせのフェルミナ中学まで足を運んでいた。
リオンが付いて来たのはディンが行くからだろうが、クレデールを連れてきたのには別に理由がある。
クレデールはアレクトリが通うフェルミナ中学の先輩だ。尊敬する先輩の通う学校ともなれば、少しは説得の足しになる……かもしれねえ。加えて、現在ひとり暮らしをしている――とはいえ、今は寮だが――年齢の近い同性ということで、できる事もあるだろう、というのがディンの言い分だ。
しかし、クレデールのひとり暮らしとか、考えただけでむしろ不安になってくるが……今は仕方ねえか。こいつの見た目の優等生度に期待するしかねえ。
前回、帰り際に約束したこととはいえ、今日までの数日をどんな気持ちで過ごしてきたのか。
「待たせてしまってごめんね、アレクトリ」
期待か、不安か、それとも諦めか。
学校の校門前に寄りかかるように立っていたアレクトリは、ディンが声をかけると、そんな表情でディンのことを見上げた。
「アレクトリ。またこうして会うことを許してくれてありがとう。この間はごめんね」
アレクトリは小さく首を横に振り。
「いいの、ディン。私も感情的になっちゃったから」
ディンは、ごめんなさい、とつぶやくアレクトリのさらさらと零れ落ちる黒髪を優しく撫でながら、俺が何かを言う間もなく、手の甲に口づけていた。
いや、男と女の仲直りってのは普通こんなもんなのか?
俺には碌に友達なんかいねえし、喧嘩も、馬鹿みてえなのはよくするが、あんな風に怒らせたことも、そんな相手もいなかったからよく分からねえが。
まあ、時間を置くと冷静になるってのはある話だが……はたして。
「クレデール。俺の勘だが、あれは普通の仲直りじゃねえよな?」
「さあ? 私には、そんな風に仲良くするような異性の友人はいませんでしたから分かりませんが、一般的なものとは呼べないでしょうね」
しかし、ぼっちとぼっちが集まったところで有力な回答を導き出せるはずもなかった。
俺たちはゆっくりと、確認するようにリオンの方へ顔を向ける。
「別にただの挨拶でしょう。あれくらい気にするような事じゃありません」
息をつく間もなく言ってのけたリオンの様子に、多少の不安は感じたが、多分大丈夫だろう。
リオンも、ここに付いて来たからには、今日の目的のある程度の正当性を認めているということだろうしな。
あるいは、ただ正義感に駆られて、なのかもしれねえが。
とにかく、すぐには問題となりそうにはないので、放っておく。問題になるとしても、それはディンの責任だしな。
「それじゃあ、アレクトリ」
「あっ、待って、ディン」
手を引いてバス停の方へ向かおうとするディンを、アレクトリが呼び止め、俺たちは揃って足を止めた。
「あ、あのね、実は、今日、御祖父ちゃんたちのところに行けなくなっちゃったの」
「え?」
ディンが驚いたような声を上げ、俺たちもまた、どうするべきなのかと顔を見合わせる。
ディンの話に乗るとすると、アレクトリの祖父、祖母に会えなけりゃあどうしようもねえ。考えてきたことが、根底から崩される。
俺たちの表情に焦りが浮かんだのを悟ったのか、アレクトリは慌てたように言葉を紡ぐ。
「で、でも、会えなくなったとか、そういうことじゃなくて、実は今、御祖父ちゃんと御祖母ちゃんがこっちに来ていて、だから、行く必要はなくなったの」
そりゃそうか。
言われてみればたしかに、ふたり暮らしの家族で、その母親の方が入院しているとなれば、病院の方から保護者代理とでも言うべき、アレクトリの祖父母に連絡がいくのも道理かもしれねえ。本来連絡するべき相手である父親がいないのだから。
「御祖父さんたちは今どこに? 病院かな? それともアレクトリの家に?」
「……私が待っててって頼んだから、多分今は私の家にいると思う」
「お母さんの方の容態は?」
「……目は覚ましているの」
とりあえず、その言葉を聞けて、俺たちの間にわずかだが弛緩した空気が流れる。
「……お医者さんの話では、過労だって言ってたから、命に別状があるとかということではないの。けれど、退院は少し様子を見てからにしましょうって」
そろそろって話だけれど、と話していたところで、アレクトリの若草色のワンピースのポケットからメロディが流れてきた。
「はい」
驚くべき速さで手に取ったアレクトリと、その会話の様子を、俺たちは固唾をのんで見守った。
「わかったわ……ありがとう、御祖母ちゃん」
こちらから尋ねることはせず、アレクトリが語るのを俺たちはじっと待つ。
「御祖母ちゃんから。お母さん、無事に退院できたって。ちょっと痩せているけれど、元気そうだって」
ディンがアレクトリの頭を撫でて、俺たちは揃って安堵のため息を漏らした。
大丈夫だと聞かされてはいたが、良かった。
「ディン」
良かったね、と声をかけるディンに、アレクトリはワンピースの裾を掴みながら、何かに耐えているような顔で笑いかけた。
「ディン。私、やっぱり、御祖母ちゃんたちのところに行くわ。ディンや、学校のみんなと離れ離れになっちゃうのは寂しいけど、ここまでだって、電車で来られないこともないし、ディンだって私に会いに遠くからよく来てくれるでしょう?」
だから大丈夫、と俺たちに向かって「心配してくれてありがとうございます」と頭を下げるアレクトリに、俺はつい。
「それがお前の本当の気持ちか? あの時、寮でディンと離れたくないと言っていたのが本音だったんじゃねえのか?」
余計なこととは思いつつ、つい口を挟んでしまった。
全員が驚いたような顔を浮かべているが、吐いた言葉は戻らねえし、戻すつもりもねえ。
俺はただ、自分の後悔を重ねているだけかもしれねえ。
初等部、中等部、そして現在と、避けられ続けてきた俺だが、それは俺の方も相手を避けるというか、本音でぶつかろうとしなかったからじゃねえか?
なんでもかんでも、本音でぶつかれるだけが良いものだとは思っていねえ。
しかし、俺の方はもう遅いかもしれねえが、アレクトリの方は今からでも、いや、今こそまさに変えることができるんじゃねえのか?
「……いや、いい。忘れてくれ」
しかし、俺とアレクトリは別の人間だ。
考え方も、関わってきた人も、環境も、何もかもが違え。
俺の考えを押し付けるような、そんな真似はしちゃあならねえ。
「ねえ、アレクトリ」
語り掛けるディンの声は、いつにもまして、甘く、優しいものだった。
「もっと僕にでも、誰にでも、甘えて、頼って、すこしくらい、自分の本当の気持ちを話してくれていいんだよ。もちろん、今は結婚してくれと言われても難しいけれど、きみの願いを何だって聞いてあげたいと思っているのは本当だよ」
こいつ、放っておいたらマジで重婚とか言い出すんじゃねえか?
俺の価値観が固まり過ぎてるだけかもしれねえが、やっぱ、こいつ詐欺師になるんじゃねえかな。
そんな考えが片隅をよぎったが。
「……私、みんなと、ディンといたい」
それは数日前に言った言葉とは違って、結婚したいとか、そんな感じの事ではなかったのだろう。もっと純粋な願いであるように感じられた。
「任せて」
ディンは胸をふくらませ、穏やかな笑顔で言い切った。




