寮の住人達 3
どこか納得していない様子ながらも、クレデールは頷いた。
多分、分かってねえんだろうな。これは、今度はっきり言い聞かせておく必要がある。
あの知識で、よくひとり暮らしの寮に入ろうと思ったもんだ。
本人は特に自覚していなかったようだし、もしかしたら、自分ではできるつもりなのかもしれないが、何をもってそんな自信が身につくのか気になる。
「なあ、クレデール。聞いてもいいか?」
「何ですか?」
クレデールの口調は、まだすこし尖っているようだった。
俺は玉ねぎをみじん切りにして、合いびき肉と混ぜながら思ったことを口にする。
「お前、どうしてひとり暮らしの寮に入ろうと思ったんだ?」
もちろん、ここに案内するあだに聞いた説明のことは覚えている。
決して家族のプライベートなことに首を突っ込みたいわけではないが、よく親御さんが一人暮らしの許可を出したものだと気になった。
まさか、クレデールの料理について、知らないということはないのだろう。
「学院に近いからですよ」
あらかじめ準備していたような答えだった。
淀みなく、タイムラグなく発せられた言葉に、何故か俺はそう感じた。
いや、おそらく、事実である部分もあるのだろう。
なぜならこいつは地図が読めないからだ。加えて、方向音痴でもある。
さっき、駅で会った時、こいつは地図を直前に見ていたのにもかかわらず、この徒歩10分ほどの学院にたどり着くことができていなかった。
しかし、こいつは自分が方向音痴であることを知ってはいても、認めようとはしないだろう。駅での態度からもそう感じられた。
ならば、学院に通うまでに迷いそうだから、という理屈は通用しない。
とはいえ、近いから、というのはこれ以上なくシンプルな回答で、そこに疑問を挟むことのできる余地はない。時間を有効に使うことができるというのは、たしかに大きな利点だからだ。
俺だって同じだ。
「先輩もそうじゃないんですか? 先程、御自身でおっしゃってましたよね」
たしかに、ここへ来るまでに、こっちの方が安上がりだとか、そんな話をした気もする。
他にも、できる限り街、というよりも、人の集まるところには出たくないという理由(買い出しは仕方ないが)もあるが。
クレデールには見られちまってるから今更だが、俺は他人には避けられる。
それは、初等部から通っているこの学院の同じクラスの奴もそうだし、ただ街中や道を歩いているときでさえそうだ。
俺の方にはそんなつもりはないのだが、昔はよく、さっきのように絡まれることも多かった。
そのたびに撃退してきた結果、今ではむしろ、避けられるようになった。もちろん、全くいなくなったわけではないが。
しかし、性格というのはそう簡単に変えられるものではない。
ディン曰く、俺の顔が怖くて避けられるのだとしても、それは俺が他の困っている人に声をかけなくて良いという理由にはならない。
もちろん、大抵は声をかけると怖がられて、大丈夫です、とか、結構です、とか言われるのだが。
だから、クレデールに断られた時は、ある意味新鮮だった。理由とかが。
「そうか」
言いたくないだろうことを、無理やり聞き出す趣味はない。
それが本当に必要なことでない限り。
だから俺はそれしか声をかけることはできなかった。
もしかしたら、クレデールは聞いて欲しいと思っていたのかもしれない。誰かに吐き出してしまう方が楽になることも、たしかにある。
しかし、俺は今日クレデールと会ったばかりで、そんな個人的なことを聞きだそうとするような無神経にはなれなかった。
「さて、行くか」
出来上がったハンバーグと野菜炒めを大きめの皿に盛り付ける。
ひとり分づつ取り分けてしまうと皿が6人分になってしまい、とても持ち歩けないので、大きな皿を取り出して、それに全員分を並べる。
勝手知ったるではないが、基本的にエリアス先輩に料理をさせることはなく、この部屋の片付けも俺がしているため、食器の置き場所は大体把握している。
「そういえば、クレデール。お前、荷物はどうするつもりだ?」
寮に到着したばかりで、俺を追いかけてきたらしいクレデールは、持っていた分の荷物をこのエリアス先輩の部屋に持ち込んでいた。
ここに置いておいても先輩は何も言わないかもしれないが、さすがに、このごみ溜め……片付いていない部屋に他人の、しかも女子の荷物を置いておくわけにはゆかないだろうということくらいは分かる。
「ご心配には及びません。先日、ここを訪れた際、部屋の鍵も一緒に預かっています」
クレデールはポケットから財布を取り出し、そこにチェーンで繋がった、カードキーと部屋番号が貼り付けられた鍵を見せつけるように、俺の目の前に差し出してきた。
「そうか。鍵の使い方が分からないってことはねえよな?」
あり得ないと思うが念のためだ。
クレデールはジトっとした目を向けてきて。
「先輩。もしかして、私のこと、侮っていますか?」
「いや。そこまでお前のこと知らねえし。俺が知ってんのは、お前が地図を読めずに迷っていたことと、料理ができないことだ」
あとは、自意識が高いということも。
まあ、それは本人に言ったりしないが。
「なら、待っててやるから、とりあえず荷物を自分の部屋に置いてこい」
「別に待っていていただく必要はありませんが?」
言っていることが分からないというように、不思議そうに首をかしげるクレデール。
「いや、でもお前、一緒に行かねえと、ホールの場所分かんねえだろ」
下見をしているということだから、知っている可能性もないわけではなかったが、どうにも放っておけない雰囲気を醸し出している。
駅から学院までのほとんど一本道で迷うような奴だ。
この部屋からホールまででも迷う可能性が全くないとは言い切れない。恐ろしいことだが。
「失礼ですね。ホールの場所くらい、知っています」
上がってくるときに通りましたから、とクレデールは俺よりも前に出て、歩きはじめる。
いや、別に構わないんなら、それでもいいんだが。
「クレデール、荷物は置きにいかなくて良いのか?」
階段へ向かい始めていたクレデールの身体が硬直する。
その場でくるりと華麗にターンを決めると、
「もちろん、そのつもりでしたが」
今まで俺たちがいた203号室の真正面、つまり、俺の部屋の隣の206号室の鍵穴にガチャリと鍵を差し込んだ。
しかし、クレデールはそれから動こうとしなかった。
「先輩」
「何だよ」
クレデールは、ガチャガチャとドアノブを捻ろうとしていた。
「大変です。この扉、鍵が壊れていて開きません」
「そんなわけねえだろ」
仮にも、人に貸す部屋の管理を学院側でしていないとは思えない。
「ですが」
「ちょっと、これ持ってろ」
料理の乗った皿をクレデールに渡し、逆に鍵を受け取る。
鍵穴に入れて回すと、すんなり扉は開くことができた。
「もしかして、鍵は最初から開いてたんじゃねえか? 要するに閉めてしまったってことだ」
クレデールはわずかに頬を染めながら「ありがとうございました」と礼を言い、手に持っていた鞄を絨毯の上に置いた。