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小さな来訪者 5

「ディンのばかぁ!」


 泣いているような、怒っているような声が聞こえた後、ホールのドアが勢いよく開かれる。

 

「おっと」


 駆け出てきたのはアレクトリで、思わずぶつかりそうだったので俺は半歩身体を引いた。

 この寮は、入るのにはカードキーが必要だが、出るときにはオートロックで閉まるために必要ない。もちろん、寮生であれば帰ってきた時に使うために持って出ることは必須だが、アレクトリのように客人ならば問題はない。

 俺たちが茫然としている間に、アレクトリは靴箱から靴を取り出して、そのまま外へ出ていってしまった。

 ホールでは、ディンが困ったような顔をして笑っている。


「やあ。みっともないところをみせちゃったかな」


「別にみっともないとは思わねえが……どうしたんだ?」


 ディンが、修羅場以外で女子と喧嘩をしているところなんて見たこともなかった。

 そもそもディンが女と一緒にいるところに出くわすことが少ないということを除けばだが、学院ではディンに泣かされた奴という噂をとんと聞いたことはなかったし、いつも女子に囲まれているディンは笑っているだけで、周りの奴らも今のアレクトリのように思いつめた様子だったところは見たこともなかったので、これはかなり珍しい事なのかもしれねえ。


「やっぱり、僕は子猫を拾ったり、花を摘んだりするのには向いてないってことだよ。分かってはいたんだけどね」


 ディンは、ははは、と疲れたように笑いを漏らした。

  

「ディン、前から言ってんだろ。説明は俺にも分かるようにはっきりしろって」


 俺はお前とは違って、年がら年中頭の中で女の事ばかりを考えてるわけじゃねえんだから、お前の思考形態なんてまったく埒外なんだよ。


「俺は、今更お前がどんな話をしたって、聞き流したりしねえよ。それから、アレクトリの事も途中で放り出すことはしねえ。できる事があるなら協力も惜しまねえ。だがな、話してくれなくちゃ、何もわからねえんだよ」


 あいつから話を聞きだせるのはディンだけだし、力になれることもディンの方が多いはずだ。

 

「困ってんなら手を貸してやる。だから、話せ。そうしねえんなら、無理にでも聞き出すからな」


 例えば、話してくれるまでお前の食事はクレデールに作らせるとかな。

 それとも、女子の手作り料理なんて、お前には何でもないことだったか。


「先輩? その話の流れで私の料理の話が出てくるのはおかしいと思いますけど?」


 クレデールが、私だって料理くらいできますよ、とかなんとか言ってやがるが、そんな戯言は無視だ無視。

 お前ができるのはパスタの麺を茹でる事だけだろうが。実際はそれすら怪しいが。


「ははっ。女の子の手料理をいただけるのは光栄だけど、僕は君の料理も好きだから、食べられなくなるのは困るな」


 アレクトリが残したままだったカップを片付け、改めて俺とクレデール、それからリオンも一緒に椅子に着いた。

 リオンはこの件に特に関係しているという訳ではなかったが、婚約者を想っての行動なのか、親しい女子に対する嫉妬からくる態度なのか、アレクトリの悩み事が気になっているのか、一緒に話を聞くつもりらしかった。

 とはいえ、俺は自分で言いだしたことだというのに、迷っていた。

 アレクトリが相談に来た相手はディンなわけで、それを俺たちが勝手に聞き出してしまうのはどうかと思う。クレデールとは違って、アレクトリはここの寮生という訳でもねえし。


「先輩、本当にそう思っていますか?」


 まるで俺の心の内を読んだかのようにクレデールが覗き込んできて、ぎょっとさせられた。


「何のことだよ」


「先輩。今、アレクトリさんは寮生でもないし、自分が関わる事、いえ、関わっていい事、あるいは関わるべきことなのかどうか逡巡されましたよね」


 エスパーかよ。

 あまりにもクレデールの推測が的確だったもんだから、俺は答えに窮した。


「それは考え込んで出された結論ですよね。けれど、先輩の本音は、最初に出た方なんじゃないんですか? 難しく考える必要はないと思います。知り合い……友人が困っていたから助けたかった、それでいいじゃないですか」


 それはとてもシンプルな答えだった。

 そして、それをクレデールが言ったことに驚いた。

 驚いたのは俺だけじゃなく、ディンも、リオンも、同じように目を丸くしていた。


「どうしたんですか、皆さん。そんなお顔をされて」


 だってなあ。

 この前、自分の事は放っておいてくれと言っていたのと同じ人物の言葉だとは思え無くてなあ。

 リオンもディンも、同意だというように、首を振っている。


「……っ! そ、それは、その、考えを改めたと言いますか、私も感謝を示したかったと言いますか……」


 クレデールは顔を赤く染めて焦ったように、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「随分丸くなったもんだな」


「イクス。それは女の子にかける言葉としては適切じゃないよ」


 そんなことを言って笑みをこぼすことができるくらいには、ディンも落ち着いた、あるいは整理できたらしい。


「それじゃあ、聞いて貰おうかな」


 ディンが改まった口調になったので、俺たちも居住まいを正した。


「さっき、アレクトリが出ていっちゃった件だけど、アレクトリがどうやら引っ越しか何かで、またちょっとここから離れちゃうみたいでね。多分、引き留めて欲しくてここに来たんだってことは分かってたんだ。でも、僕はそれでも会いに行くよって答えちゃってね」


 はあ。

 それの何が問題なんだ?

 会いに行くなら、これからも会えるってんなら、それでも良いんじゃねえのか?

 大体、家族の都合じゃ俺たちに介入できる事なんてねえだろ。

 

「うん。それでも、僕はアレクトリとは約束していたからね。いつだって一緒にいるって。多分、これは僕の願望も多分に含まれているけれど、アレクトリは、僕と一緒にこれからも過ごしたくて、ここにいたいみたいに思ってたんじゃないかな」


 リオンの眉がぴくりと反応するが、ディンは構わず話を続けた。


「その、アレクトリは、誰とでも仲良くなれるタイプとは正反対というか、人見知りというか、まあ、うん」


 ディンは言葉を濁したが、言いたいことは伝わった。

 それにしては俺とは2度目だってのに、結構距離が近かった気がするが……2度目だったからか? 最初の時はディンが一緒にいたし。


「それはいいんだよ。まあ、アレクトリが大変なのは分かった。要は、お前がどうしたいのかってことだ」


「……僕は決めたらいけないと思うんだ。正確には、僕が決めるんじゃなくて、アレクトリの結論を後押ししてあげたいんだよね」


 でも、それじゃあ、さっきの繰り返しになるんじゃねえのか?

 はっきり、ディンがどう考えて、それでいて、その結論に至ったのかの過程を説明するべきだと思うが。

 そうじゃねえと、言いようによっては突き放したようにも聞こえちまうかもしれねえからな。

 人に誤解されることにかけては一日の長のある俺が言うんだから間違いねえ。

 



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