小さな来訪者 4
◇ ◇ ◇
寮に帰り着くと、玄関の扉の前でディンとリオンが待っていた。
「会いに来てくれて嬉しいよ、アレクトリ」
そう微笑みかけたディンが腕を広げると、アレクトリは小走りでその中に納まり、腰に手をまわしてぎゅっとしがみついた。
「今日は随分と甘えてくれるんだね」
ディンはアレクトリを優しく抱きとめて、やわらかそうに、アレクトリのサラサラな黒髪に手を差し入れて、やわやわと撫でている。
「ここまでひとりで来るなんて、大変だったろう。偉かったね。少し中で休もうか」
何か食べたの? なんて会話を続けながら、ディンはアレクトリをホールに誘導してゆく。
ディンは、何があったのか、などと無粋なことは聞いたりしなかった。
アレクトリが自分から話すまで待つつもりなのだろう。
「ディン先輩。凄いですね」
クレデールが感心したようにポツリとつぶやく。
「女性の前ではいつもあんな感じなんですか? あんな、そう、全自動かっこつけ機、みたいな」
なんだそりゃ。
ただのナンパなヒモ野郎だと思うがなあ。
「たしかに、先輩のおしゃることには概ね同意見ですが、なかなかできる事ではないと思います。誰にでも優しくするというのは」
まあ、それはその通りなんだよな。
たしかに、あいつは婚約者がいるにもかかわらず、他の女とも関係を持つような最低のハーレム野郎だが、それなりに人望はあるんだよなあ。
クレデールの事のときだって、ディンがいたからこそ、早く集めることができた情報もあったわけだしな。
いざというときに手を貸してくれる人数だけでいえば、その内全世界の半数を収めてしまうかもしれねえ奴だ。
「クレデール。お前も先にホールに行っていてくれ。俺は茶でも準備してくるから」
アレクトリはさっきのどを潤したばかりだから必要ないかもしれねえが、客人に対する作法だ。
話しに詰まった時にも、沈黙を気まずくさせないために、手慰みというか、あった方が良いだろう。
「それでしたら、私も――」
「何だって?」
何をするって言ったんだ?
「まさか、お前が茶の準備をするってわけじゃねえだろうな?」
まあ、準備といったって、冷蔵庫で冷やしているお茶のボトルからコップに注ぐだけだし、失敗も何もねえんだが。
「で、ですが、私も、アレクトリさんの事は心配ですし」
後輩だからって意識ではないと思うが――なにせ、アレクトリが後輩だったことを知らなかったんだし――クレデールにしても、こいつなりに少しは家事を(まだとてもそう呼べるレベルじゃねえが)を身に付けようとしているのかもしれねえ。
大惨事になるのを恐れていては、いつまでもクレデールの成長はねえ。
何より、パスタと同じように、俺が傍で見ていれば失敗する前に止めることも、アドバイスをしてやることもできる。
しかし、これは断じて、茶を淹れる人間に対してする心配じゃあねえんだよなあ。
「……分かった。普通に茶を淹れるくれえなら、さすがに大丈夫だよな?」
それでも念のため確認をとってしまうのは、やっぱり、こいつの普段の態度にも問題はあると思う。
「もちろんです。任せてください」
不安はあるが……まあ、やらせるしかねえだろうな。
葉っぱから淹れるってんなら、掬う量を失敗したり、注ぎ方が分かっていなかったり、注意すべき点はいくつもあるが、今必要なのは、やかんに水を入れてガスコンロに乗せることと、スイッチを入れて火を出すこと、沸いたらスイッチを止めてカップに注ぐだけだ。なんなら、カップに注ぐのはホールに運んでからでも良い。
そうすれば、運ぶことにだけ注意してればどうにでもできるだろう。
女子の部屋に入るのは気が引けるし、そうでなくても、今の状況でクレデールの部屋の様子を確認したくはねえ。
見たら片付けさせたくなっちまうだろうし、それだとディンたちを放り出すことになってしまう。
「あれ、クレデール。それに、イクス先輩も。どうしたんですか?」
だから俺の部屋で手早くお湯を沸かし、紅茶とカップの準備を終わらせて脇道もせずに戻ろうとしたんだが、タイミング悪く、リオンが部屋から出てくるところと鉢合わせた。
別に言い訳する事なんてないはずだが、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
リオンの視線は俺が手に持っているトレイと、乗せられたポットとカップに注がれている。
「お客様でもいらしてるんですか?」
何て鋭い。
どうして、そう思える。
「だってイクス先輩がクレデールさんとお茶をするだけ、というのは考えにくいですし、それにしても、ここまで降りてくる必要は普通ないはずですよね。おふたりとも、部屋は2階なんですから。それにカップの数から考えても、ふたり分多いですし」
リオンの視線がちらりとクレデールに向けられ。
「まさかクレデールさんから誘ったとは思えませんし、先輩なら、それよりも先にお昼の準備をなさるはずです」
俺がクレデールに茶に誘われるかどうかは別にしても、たしかに、アレクトリの事が無ければ、俺は今頃昼食を準備していたことだろう。
「エリアス先輩と、セリウス先輩は先程、おふたりが出かけている間に外へ出られましたし、残りはディン。つまり、尋ねてきたのは女性で、ディンがその対応をしているんですね」
先輩たちが出かけているとは予想外だったが、まあ、あのふたり、特にセリウス先輩が休日の日中にいねえのはいつもの事だし、エリアス先輩は、自由人だからなあ。
「リオンさん。その」
クレデールはアレクトリの事をどう説明したものかと迷っているらしかった。
以前、ふたりは顔を合わせているし、それほどの事にはならねえとは思うが、今更とはいえ、それをクレデールに言うのは少し躊躇うところだ。
「リオン。あいつ、アレクトリを連れてきたのは俺たちだ。どうにも大変な事情があるみてえで、困ってる様子だったから連れてきちまった。ディンの知り合いってことは、お前も知ってんだろ」
リオンはアレクトリの名前に、ぴくりと整った眉を動かした。
それからクレデールの表情を確認したところを見るに、覚えてはいるらしい。
「アレクトリさん、には前に世話になりましたし、仕方ないですね。もちろん、話は気になりますが」
とリオンが言ったところで、階下からディンが発したと思しき驚いたような声が聞こえたので、俺たちは顔を見合わせてから、俺はゆっくりこぼさないように慎重に、けれど、できる限り急いでホールへ向かう。




