最も簡単なもののひとつ 2
「お待たせいたしました」
クレデールがパスタを皿にとりわけ、生ハムのパッケージを綺麗に剥がして分けて盛り付けているだろう間に、俺は人数分のカップと粉末スープの素を用意してお湯を沸かせた。
クレデールは最初、生ハムも一緒に和えるのではないのですかと言っていたが、さすがに生ハムはそのままの方が良いだろうと説得した。
沸かせたお湯を鍋ごと運び、それぞれ、自分の食器で準備している粉末スープにお湯を注いでゆく。
「よし。じゃあ、いただくとするか」
料理をよそい終え、俺とクレデールが席に着いたところでセリウス先輩が号令をかける。
「ちゃんと料理になっているわね」
「まあ、別に驚くことではないんですけどね」
エリアス先輩とリオンも料理の見た目に特に何か言いたいことはないらしく、ディンに至っては、女子の手料理が食べられるというだけでかなり満足そうにしている。
他の寮生が料理を口へと運ぶところを、クレデールはじっと見つめていた。
「大丈夫だ、クレデール。こんなの失敗する方が難しいし、味見もしただろうが」
ソースを作ったわけじゃねえから、焦げ付いている心配もねえ。
パスタの方はやわらかさを確認するついでに味も一緒にみているし、ほうれん草と一緒に混ぜるところも、俺がこの目で確認している。
おかしな材料を使ったりはしていねえし、砂糖と塩を間違えてもいねえ。はっきり言って、今日の作業量だけならば、失敗のしようがねえはずだ。
「はい。そうですね」
以前、フライパンから火を出して火災報知器を鳴らしたと言っていたが、それから比べればもう、歴史が変わるくらいの大進歩だ。
人間が他の動物と違うところは火を使えるところだ、とする話もあるように、火(コンロの火ではあるが)を使えるようになったというのは、クレデールがようやく人並み……と言えるかは怪しいが、成長している証だろう。
「とっても美味しいよ」
最初に感想を口にしたのは、言うまでもなく、ディンだ。
ところどころで麺がくっついていたり、完全に茹でられていなかったり、場所によりむらがあったと思うが、ディンは全く苦言を呈さず、ただおいしいおいしいと口へ運び続けていた。
「そうですか」
クレデールはほっとひと息つくように胸を撫でおろした。
俺と、自身の味見だけでは不安だったのか、張りつめているような様子だった表情も、わずかに緩んでいる。
実際、まずいわけではなく、普通のパスタの味で、普通に美味いが、やはりあれだけ素直に好意的な感想を言われると嬉しいものだろう。自分の作った料理であるならなおさらだ。
まあ、この一品だけで判断しちまうのはあまりに早計だが、逆に、この皿だけならば実用に耐えうる出来だったということも事実。
クレデールは俺の方へと向き直り、
「どうですか、先輩。私だってやればできるんですよ」
と胸を張った。
「ああ、そうだな。よく頑張ったな、クレデール」
パスタを口に運びながらそう褒めると、何故か警戒されるような瞳を向けられた。
「……何だよ」
「……いえ。その、先輩が私のことを褒めるなんて珍しいこともあるものだと、裏でもあるのではないかと疑いました」
俺が褒めるのがそんなに珍しいか。
「それはお前が普段俺の目につくことばかりをしている結果じゃねえのか?」
制服の袖を何故か片方だけ裏返すという奇妙な脱ぎ方をしたまま洗濯物に出していたり、風呂からぽたぽたと水滴を垂らしながら廊下を歩いていたり。
自分でも覚えがあるのか、クレデールは再びそっと視線を外した。
「イクスの作る普段の料理もうめえが、クレデールみてえな美少女が作ったと思うと味もなんだか普段より良く感じるな」
「それなら、これから毎食、クレデールに作らせるか、セリウス先輩」
そう提案すると、セリウス先輩は肩を竦めた。それを目聡く見つけてクレデールの視線が鋭さを増す。
「その場合、苦労するのはイクス君じゃないかしら」
エリアス先輩は他人ごとのように、しかし楽し気に微笑んでいる。
「だって、クレデールさんが料理をするなら、イクス君も傍について色々教えるのでしょう? 何だかんだと言いながら、放っておけないと思っているのよね」
何故か、エリアス先輩とディンが優しげな瞳を俺へ向け、セリウス先輩は面白そうに観察し、リオンはただ黙って事の成り行きを見守ることにしているらしい。
俺がクレデールの方を見やると、クレデールも俺の方を見てきていた。
まあ、たしかに、俺の見ていないところでやらかされるより、俺の見ているところの方がすぐに対処できるしな。
未然に災害を防ぐという意味では、俺が傍についている方が、結果として効率的だ。あるいは、不安も緩和される。
「まあ、今はそれで良しとしてあげるわ」
エリアス先輩は、他にも何か言いたげな様子ではあったが、微笑みを崩さず、分かるか分からないか程度に身体を引いた。
「こういうのは気が付く、あるいは意識するようになる過程も大事だから」
「何の話だ?」
クレデールも分かっていないらしく、俺たちはふたり、顔を見合わせながら頭をひねった。
前にも似たような事を言われたような気もするが……忘れた。
「いいのよ、意識しなくて。意識すると逆にってこともあるし」
いまいち要領を得ない言い方だが、要は、普段通りで構わねえということだろう。エリアス先輩も、正解を教えてくれるつもりはねえみたいだしな。
「先輩」
食事を終え、俺の部屋まで食器を運んで片づけをしている最中に、クレデールに呼びかけられた。
「何だ」
俺は洗い物をする手を止めずに返事だけをする。
「その、この度は御迷惑をおかけしました。それから、手を貸してくださって本当にありがとうございました」
「大袈裟だな。たかが料理くらいで。別に、俺のためでもあるからそこまで感謝する必要はないぜ」
クレデールに頼まれたからというのも多分にあるが、俺自身の負担を減らすためという理由も含まれている。
今後のためにも、クレデールにまともに料理ができるようになって貰いたいというのは本音だからな。
「いえ、そのことではなく……もちろん、そのこともあるのですが」
クレデールは躊躇するように言葉を濁す。
「何だよ。はっきりしろよ。らしく……」
らしくねえな、と言おうとして、止めた。
たしかに、今回の事件、それからこれまでの寮、あるいは学院での暮らしを通じて、クレデールのことを少しは分かったつもりになっているが、らしさを指摘できるほどにクレデールと親しくなったかと言えば、まだそこまでお互いのことを理解してはいないだろう。
そんなレッテルで、困っているのは俺だって同じはずだ。あ、いや、別に俺は困ってねえが。
とにかく、俺がそんなことを言うわけにはいかねえ。
俺は黙って言葉の続きを待った。
「私の個人的な事情に先輩方を巻き込んでしまい、特に先輩には、危険も」
「待て待て、その話はもう終わったろうが」
クレデールが何の話をしようとしたのか察して、俺は言葉を遮った。
「別に巻き込まれたなんて意識はねえよ。俺にも、ディンにも、おそらくリオンにもな。それを言うなら、俺たちこそ勝手に首を突っ込んだと謝らなきゃならなくなるんだぜ」
いや、それは本当に謝るべきか?
しかし、クレデールは何も言わず、俺の言葉を待っているようにも思える。




