噂の奴ら
俺がクレデールの問題に手を出そうと思ったのは、あくまでも俺が気になったからだ。
恩を売りたかったわけでも、名前を知らしめたかったわけでも、ましてや、人をぶん殴りたかったわけでもねえ。
もちろん、最終的には力で解決したみたいになっちまったが、最初からそうしようと思ってのことじゃねえ。
だというのに。
「聞いた? 2年生の赤い髪のイクス・ヴィグラード先輩の事」
「聞いた聞いた。何でも、昨日、クレデールさんを取り合って他校の人と喧嘩して、病院送りにしたんだって」
「自分も帰ってくるときには制服が相手の返り血で真っ赤に染まっていたらしいよ」
どういうわけか、翌日、学院では俺の噂でもちきりだった。
もちろん、良い噂じゃねえ。
気に入らない相手には問答無用で顔面をぶん殴るとか、たとえ相手が女でも容赦なく、トイレの前ですら待ち伏せして追い詰めるとか、それらの話題に事欠かなかった。
「いつも思うんだが、一体どっから噂ってのは流れてくるんだ?」
昼食を食堂の隅で静かにとっていると、ディンがそれらの噂を、親切にも、教えてきやがった。
「さてねえ。放課後なんだから、結構な数の生徒は下校していたし、僕たちが気にしていなかった、気にかけるだけの余裕を持っていなかっただけで、実は周囲の関わりない人達にとっては、カチコミに急ぐ集団のように映っていたのかもしれない」
「俺はともかく――そのイメージもどうにかして貰いたいところだが――お前や、リオン、クレデールまでいたってのにか?」
不本意ながら、俺のことはおいておくとしても、たとえ甘く見積もったとしても、ディンやクレデールが(もちろんリオンも)他校と殴り合いの喧嘩に出かけるようには見えねえと思っていたんだけどな。
「イクス。君も十分知っている通り――」
「分かってるよ。噂なんて、したいものを、したいようにするものだってな」
今更ディンに言われずとも、そんなことは十分過ぎるほど分かっていた。
そもそも、俺の話がこの学校だけではなく、周辺とは言えねえ学校までに広がっているのは、そういった噂の産物なんだからな。
「いいんじゃないですか、言いたい人には言わせておけば」
食堂がざわつき始めたので、何事かと思って顔を上げれば、俺たちのいる席にクレデールとリオンが一緒に姿を見せていた。
1年生の中では最も、学院全体で見てもかなり上位に目立つ奴らだ。そんな奴らが、俺みてえな奴と一緒に、しかも同じ内容の弁当を摘まんでいれば、噂にもなるだろう。
「いや、俺は良いんだが、お前たちは良く思われといた方が良いんじゃねえのか?」
親切心ってわけでもねえが、忠告してやると。
「先輩と違って、その程度で悪く思われるような噂なんてされていませんから」
クレデールはそう言って、自慢げに小さく微笑んで、俺の隣に腰を下ろし、リオンの方は向かい側の、ディンの隣に腰かけた。
「けどよ」
「とにかく、私は別にどこの誰とも知らない人に勝手に噂されても一向に構いませんし、お昼は一緒に食べたい人と過ごした方が良いに決まっていますから」
言いながら弁当の包みを広げるクレデール。
言うまでもなく、今朝俺が準備したものであり、俺のものとも、ディンのものとも、リオンのものとも、それからここにはいねえが、セリウス先輩、エリアス先輩とも全く内容の同じ弁当だ。
俺たちが全員同じ寮生だと知っていれば、大した問題じゃねえはずだが、そうでなければ、ある種、奇妙な状況に見えているのかもしれねえ。
実際、先程までよりも向けられる視線の中から、好奇のものが増えた気がする。
「そうか。それなら、俺のことも放っておいて、ひとりで食べさせてくれるとありがたいんだがな」
「それはできないよ」
「それはできません」
ディンとクレデールの声がハモる。
声にこそ出さなかったが、リオンも同じ気持ちであるらしく、3人は揃って顔を上げて俺の方を見てきていた。
3人は互いに視線で譲り合うようにし合いながら、やがてクレデールが俺のことを真っ直ぐに、じっと見つめてきながら。
「先輩だって、私のことを放っておいてくれればいいのに、そうはしないじゃないですか。似たようなものです」
そりゃ、お前のは放っておくと、他人様の迷惑になるからな。俺の生活圏にも関係のあることだし。
弁当くらい、今更ひとりふたり詰める分が変わっても大した問題じゃねえ。
「だったら、先輩も、私たちのことはただそこにいるだけの空気みたいなものだと思っておいてください」
まあ、本人が良いって言ってるのなら構わねえか。
なんだかクレデールも楽しそうだし、本人が気にしねえのならそれでいいのかもしれねえ。
「空気っていうのは、僕たちが生きていくうえでは必要不可欠なものだよね。絶対になくちゃあいけない物、つまり、クレデールさんは、イクスにいつでも一緒にいて欲しいと思ているってことかな?」
「ディン先輩っ!」
「ディン、手前……」
ディンは面白そうに、楽しそうに、いい笑顔でそんなことを尋ねる。
余計なことは言わなくていいんだよ。
見ろ。
クレデールなんて、真っ赤になっちまっているじゃねえか。
間髪入れずに反論したクレデールは、小さく唸りながら俺の方を上目遣いに睨んできて。
「先輩。べ、別に私は、そんな風には思っていませんから」
「分かってるよ。いちいち確認しねえでいいから」
反応するから周りも面白おかしく囃し立てたりするんだよ。
黙ってりゃ、そのうち沈静化すんだろ。
それにしても、クレデールも大分表情が柔らかくなった気がする。俺に他人の表情のことをとやかく言えたもんじゃねえってのは十分承知しているが、やっぱり、ここへ来た当初はあの野郎のことがかなり引っ張られていたんだろう。
「ねえ、イクス。君たちふたり、そうしていると、普通にお似合いに見えるよ。いっそそのまま付き合っちゃったら? そうしたら一緒にデートにも出かけられるし」
何て恐ろしいことを言うんだ。
俺がクレデールと何だって? 付き合ったら、だと?
「プライベートまでこいつの世話をしろってのか」
まさかだろ、とクレデールの方を見ると、何故かクレデールは少しばかり怒っているようだった。
「何だよ。俺は別に間違ったことは言ってねえだろうが」
ただ、洗濯の仕方とか、料理に関する初歩以前の知識とか、もちろん、男として、クレデールの外見は好ましく思うし、クレデールと付き合えると言ったら、世の中、少なくとも学院の連中は血眼になってその責を奪い合うだろうといえるほどの人気を博しているのは知っているが、知ってしまったが故のマイナス面が、あまりに強大過ぎる。
もちろん、人には得手不得手があるが、限度ってもんがあんだろ。それも、普通、気を付ければ治せるレベルの範囲すら、できていないとなると。
「じゃあ、先輩が教えてください。料理も洗濯も、何でも」
「お前、この前と言ってたこと違えぞ」
しかし、こちらの方が好ましいのは事実。
面倒くさいが、いや、本当にかなり面倒で投げ出したくなるが、後々、少なくともあと2年弱は付き合わなくてはならないかもしれないと考えると、ここで教えておいた方が、後々楽をできるかもしれねえ。
「分かったよ。じゃあ、とりあえず、今日はその弁当箱の洗い方からな」
「先輩? もしかして私の事、馬鹿にしていますか?」
クレデールがいつも弁当くらいは洗って返してくれることは知っている。というより、受け取っている。
だからこそ、いい。
「いいや、馬鹿にはしてねえよ。そんなことしなくても、ポンコツなのは知ってるから」
「私はポンコツじゃあありませんよ」
見ていてくださいと、クレデールは良い笑顔を浮かべた。




