入学式の日
寮では夕食同様、当然朝食も自分たちで準備することになっている。
入学式の当日、もちろん俺たちは休みだが、クレデールとリオンは、今日が高等部の生活の初日となる。
午前中で終わるため弁当の心配はいらなかったが、その分、朝食は少し気合を入れた。
桜でんぶを花びらの形に揃えて並べた白米を、卵の巾着で包み込む。
ハムとサーモンをくるくると巻いて花に見立て、フリルレタスとブロッコリーで飾り付ける。
ちょいと手間だったが、スープに入れたわかめは全て星の形に切り揃えた。
「おはようございます、イクス先輩」
分かっていたことだが、最初にホールに姿を見せたのはリオンだった。
制服はきっちりと着こなしていて、リボンが曲がっているということはなかった。俺たちの通うシュレール学院では、男子は黒のブレザーと白いワイシャツ、黒のズボンと決められているが、女子に関しては、リボンまたはネクタイを選択可能になっている。ちなみに男子は全員ネクタイだ。
高等科用の青いリボンをきっちり結んだリオンは、テーブルの上に並べた朝食を見て、軽く目を見開いた。
「これ、先輩が準備されたんですか?」
この場を見ればわかることだろう。
何せ、在校生は今日学院が休みなのだから、こんな早い時間に起きてくるはずがないからだ。
「先輩たちも、ディンも、朝は遅いからな」
婚約者なら、ディンが朝遅いのは知っているだろうが。
案の定、苦笑いを浮かべたリオンは「ディンがすみません」と頭を下げてきた。
「私も今からお手伝いを――」
「大丈夫だから座ってろって。今日はお前たちが主役なんだからな」
手伝ってくれようというその気持ちだけでも嬉しい。
てっきり、ディンの婚約者だというくらいだから、あいつと似たようなもんだろうと思って侮っていた。
「イクス先輩は、意外と朝からしっかりとる派なんですね」
意外と、か。
まあ、俺が外見からずぼらそうに見えるのは知っているが。
リオンは特に気にして言ったわけではないだろうし、こんな日に朝からケチをつけたくなかったので「まあな」とだけ答えておいた。
「それで? お前の相方――ディンの方じゃねえぞ――は?」
決まりという訳ではないけれど、この寮では基本的に皆揃って一緒にご飯といったような、暗黙の了解のようなものがある。まあ、俺しかまともに料理をしない、という理由も全く関係していないとは言わないが。
とはいえ、今日の入学式や休日のように、個々人で学院に関わる時間が異なる場合は適用されないんだが。
リオンは辺りを見回して。
「たしかに姿が見えませんね。いくらこの寮が学院の目と鼻の先にあるからとはいえ、入学式のある今日は、色々説明もあったり、忙しいはずなのですが……」
不安そうに扉の方を見つめるリオン。
リオンは今日の主役のひとりだし、今日くらいは俺がひと肌脱いでやるか。
「リオンはそのまま食事を続けていてくれ。俺がクレデールの様子を見てくる」
一体、何をやっているんだあいつは。
先に食べ始めてて構わないぞと言い残して、俺はクレデールの部屋へ向かう。
「おい、クレデール。朝だぞ。起きねえと遅刻するぞ」
扉をノックして声をかけるが、中から返事はない。
どうせ向かいの部屋のエリアス先輩も、学院がないときにはちょっとやそっとでは起きないことは分かっているので、少し強めにノックをし直す。
「リオンはもう起きて朝食を始めてるぞ。食わないで行って、入学式の最中に恥かくことになるのはお前だぞ」
相変わらず部屋の向こうは無反応だ。
初日、しかも入学式から遅刻をされたなどという暁には、寮にまで注意が来るかもしれねえし、いわれのない注意もまっぴらごめんだ。
クレデールだって、今起こされるのと、このまま放置されるのだったら、前者を選ぶはずだ。
とはいえ、鍵自体はこの部屋の住人であるクレデールしか持っておらず、中に強制的に立ち入って、などとはできないので、ここから辛抱強く呼びかけるしかない。
「おい。クレデール、いい加減起きろ」
もしかしたら1階の部屋にも響いているかもしれないくらいの勢いでノックする。
真下がセリウス先輩の部屋だから、多少は遠慮する気持ちもあったんだが、もうひとつ、最後の手段をとるよりはマシだと思っていた。
その方法はあまりとりたくない。
俺は男だからだが、最終的にはそうも言っていられないかもしれねえ。
リオンまであんまり待たせるわけにはいかねえからな。
「どうですか?」
いつの間にやらリオンは食事を終えていたらしく、2階まで上がってきていた。
「ダメだな。仕方ねえ」
俺がクレデールの部屋の前を離れると、リオンも一緒について来た。
「イクス先輩。一体どちらへ?」
「管理人室だ」
今日は入学式だから、すでに先生はいない。
しかし、非常時のためにこの部屋の扉だけは大抵開いている。
俺は、失礼しますと中に入り、近くの壁から下げられている予備の鍵の中から206号のものを手に取ると、急いで階段を上る。
本来は禁止されている行為だが――プライバシーの観点から――今回ばかりは仕方ない。
同性のリオンもいることだし、大目に見て貰おう。
「クレデール。入るぞ」
予備の鍵を使い、クレデールの部屋へと侵入する。
「うわっ」
リオンが思わずといった感じに声を上げる。
エリアス先輩の部屋に、勝るとも劣らない光景が広がっていた。
こんなところで勝って貰っても困るが。
片付けたい、あるいは片付けさせたいところだったが、今はそんなことをしている場合じゃない。
「おい。起きろ、クレデール」
昨夜、セリウス先輩に付き合わされたのが、全く響いていないとは言わない。
しかし、こうしてリオンはしっかりとしている以上、それは言い訳にはならない。
布団を引っぺがし、静かに眠っているクレデールの頬を叩いてみる。暴力と言われるかもしれないが、ここは目を瞑って貰おう。
「ぅうん……?」
寝相は良く、ほとんど衣服が乱れていない点は評価するが、今はどうでも良い。
「イクス……先輩?」
「もうすぐ入学式だろうが。早く起きて、準備しろ」
のそのそとした動きでベッドから起き上がるクレデール。
埒が明かねえ。
「リオン。任せていいか?」
流石に、後輩女子の着替えを手伝うというのは、俺にはハードルが高過ぎる。
頷いたリオンに任せて、俺は部屋の外に出た。
中からガサゴソと音が響いてくる。
しかし、目覚ましの音は聞こえなかったが、こいつ、朝弱いくせにアラームのセットをしなかったのか?
「おはようございます、先輩」
数分で、とりあえずの支度を終えたクレデールが、疲れた表情をしているリオンと一緒に出てくる。
「クレデール、少し――あ、いや、今は、朝食が先か。行くぞ」
「あの、先輩? ちょっと、リオンさんも」
引っ張られ、背中を押されている状況にひと言言いたそうだったが、俺たちだって必至だ。
初日から遅刻などさせられねえ。
「いいから朝食だ」
クレデールを席に座らせ、食事を運んできた後、リオンが貸してくれた櫛でクレデールの髪を梳かす。
顔を洗っている時間はない。
「リオン。悪いんだが、タオルをお湯で濡らして持って来てくれねえか? すぐ隣の風呂場に何枚か常備されてんのがあるから」
「はい、イクス先輩」
髪を梳かし終え、クレデールが食べ終わるのを待ってから、リオンが準備してくれたタオルでクレデールの顔を拭く。
「うわっ、先輩」
少し乱暴になってしまい、クレデールが抗議の声を上げるが、今は気にしない。後でならいくらでも聞いてやるから。
「目ぇ覚めたか?」
「はい。どうも、御迷惑をおかけしました」
それからリオンと連れ立って、ふたりは玄関へ向かう。
「では、行って参ります」
「あ、ちょっと待て」
呼び止められ、不思議そうな顔をするクレデール。
まだ時間はあることを確認して、俺は曲がっているクレデールのタイを直した。
「これでいいだろう。まさか曲がってる状態じゃあ、入学式で恰好つかないからな」
なされるがままになっていたクレデールの身だしなみをざっと確認し……良し、これなら大丈夫だろう。
「あらためて。行って参ります」
「おお。途中で寝るんじゃねえぞ」
春の日差しの中へ、ふたりの新入生を送り出した。
さて。
次は、寝坊が過ぎる3人を起こすか。
このままじゃ、いつまでもキッチンが片付けられないからな。




