寮の住人達 8
「どうしますか、エリアス先輩。イクスはああ見えて細かい作業は得意だし、凝り性って程ではないですけど、決めたことはとことんこだわりますから」
「待っていても仕方ないわね。時間がもったいないし、始めちゃいましょう」
自分で使ったことなどもちろんないが、家で母親が使っているのを見たことならばある。
「はい。でも、しっかりタオルで水分をとってから使うのよ」
エリアス先輩がドライヤーと、髪を保湿するために使うのだというアロマオイルを貸してくれる。
「良いのか、先輩。タオルはともかく、こっちは高いものじゃないのか?」
エリアス先輩は使い方を説明してくれるが、正直、しっかり髪を拭くだけだと思っていた俺は戸惑っていた。
「女の子にとって、髪は大切ですもの。それに、クレデールさんが持っているとは思えないし。私から見てもクレデールさんの髪はとっても素敵よ。まるで細い銀の糸をたくさん集めたみたい。同性として、羨ましくなるほどね」
「そうなのか。でも、先輩の髪も手入れがきちんとされていて綺麗なように見えるぜ」
部屋は汚いけど、とは言わないでおく。
先輩はすぐにドライヤーとアロマオイルを取り出してくれたが、正直、この状態でどうしてすぐに発見できるのか、理解に苦しむ。日常的に使っているものだからかもしれねえが、謎だ。
「あら。ありがとう」
エリアス先輩は薄く微笑みを浮かべると、皆の方へと向き直った。
「いいか、クレデール。今回は初日ということで勘弁してやるが、今度からは廊下や部屋に水滴を落とさないよう、自分で何とか注意しろよ?」
俺だって毎回やってやれるわけじゃねえぞ、と視線に思いを込めてみたが、果たして伝わっているのか、いないのか。
とにかく、こんなことを何度もやらされたらたまらねえ。こいつも、エリアス先輩やリオンと同じ女子なんだから、自分でできて貰わないと、俺が困る。女子の髪の手入れの仕方なんて、将来美容師になるのにでもなければ使わねえだろう。
とはいえ、どうせならしっかりやるかと思って、俺はスマホで女子の髪の手入れの仕方について検索する。
「先輩。良ければ、私が読みましょうか?」
「そうか? 助かる」
俺はスマホをクレデールに手渡し、クレデールが読み上げるままに手を動かした。
ヘアドライヤーは温まるまでスタンドに立てかけておいて、その間にやわらかなタオルをクレデールの頭に乗せる。
自分の髪なら、乱暴にガサガサとできるが、クレデールの――他人の髪だとそうはいかねえ。流石にそれくらいは俺でもわかる。このサイトにもそう書いてあるし。
大きめのタオルをクレデールの頭にかぶせ、よく揉み込むようにしながら、頭皮をマッサージする。ゲームに集中していても、クレデールは姿勢を崩したり、頭を動かしたりはあまりしないようで、助かる。
それからだんだんと毛先に降りてゆくようにしながら、髪を前後からタオルで挟み込むように圧をかけ、タオルに水分をしみこませてゆく。
キューティクルとやらを傷つけないよう、やさしく、軽く押さえながら水分を吸収させるそうだ。
水分の完全に吸収したら、次はアロマオイルとトリートメントをするらしい。
手のひらに少し広げ、髪の毛に馴染ませるように、手櫛でオイルを入れ込む。
毛先まで処理し終えて、ようやくドライヤーを後頭部から順に当ててゆく。
「乾かし過ぎても駄目よ。9割くらいでやめておいてね」
アドバイスらしきものをくれたエリアス先輩は、ディンの手元からカードを抜き取り、手札と合わせてペアを捨て、残りは1枚。次にセリウス先輩に引かせ、めでたく上がりとなった。
「風量の強弱にも気を付けるのよ。向きにもね。上から下に向かうように。そうしないと全体が整いにくくなるのよ」
「先輩。アドバイスはありがたいんだが、手が空いているなら代わってくれねえか? やっぱり、女子の髪は同じ女子の先輩の方が分かってると思うんだが」
慣れないことをしているのは分かっているし、言い出したのは俺だということもその通りなんだが。
「あら、ダメよ。こんな面白そうなこと、どうして見逃すと思うわけ?」
しかしエリアス先輩は、くすくすと、より楽しそうに口元をほころばせ、クレデールと俺とを見比べているだけで、それ以上手伝ってくれるつもりはないらしい。
俺の位置からではクレデールの表情は分からないが、先輩にとってそれは、ドライヤーを貸すのに十分、満足のゆく結果だったようだ。
「イクス君。明日も一緒にクレデールさんの髪を乾かす特訓よ。私だって、卒業はするし、いつも一緒にいられるわけじゃないから、ひとりでもできるようにしておくべきだと思うの」
「ひとりでもできるようにってのは賛成だが、それは俺にではなく、クレデールに言ってやるべきことじゃねえか?」
クレデールが急に上、俺の方を見上げるので、俺は慌ててドライヤーを外した。
「私は先輩にしてもらうの、とても気持ちよくて好きですよ。できる事なら、毎日お願いしたいです」
お前はただ面倒くさいだけじゃねえか? とそんなことを考えていると、向こうでディンが咳き込み、セリウス先輩は、すげえむかつく顔を向けてきやがった。
一体、何だってんだ。
「あらあら」
エリアス先輩は、頬に片手を当てながら楽しそうな顔をしている。
「クレデール。あんまりそういうことを軽々に言うのは良くないと思うわ」
リオンが少し顔を赤らめてこちらを振り返る。
「私は感謝を伝えただけですが……?」
俺にはリオンが何でそんなこと言っているのか分からなかったが、クレデールも同じ様子だった。
むしろ、リオンだけではなく、エリアス先輩の反応も、ディンも、セリウス先輩のものも、よく分からねえ。
つまり、この場においては分かっていない俺たちの方が少数派なんだが、ディンやセリウス先輩の見せた表情のせいで、どうにも納得がいかねえ。
「当事者にはわからねえって、こういうことか。傍から見てんのは面白えな」
「そうですね。面白いので、しばらくは――少なくとも本人たちが気付くまでは――放っておきましょう」
セリウス先輩とディンは、楽しんでいることを隠そうともしねえ。
俺は説明を要求したが、4人とも話すつもりはないらしく、俺とクレデールはその間、首をかしげていた。
「まあ、こんなところだろ。今後はひとりでしろよ」
「ありがとうございます、先輩。善処します」
やっとこさ処理を終え、エリアス先輩にも合格を貰えたので、ひと息つける。
「僕も、イクスは方法を覚えていた方が良いと思うよ」
ようやくゲームに加わろうと腰を下ろすと、ディンがまるで予言でもするかのように、意味深な顔で言ってきた。
「なんでだよ」
どこをどう考えたら、俺がこの先、女の髪を手入れするようになるというのだろうか。
俺はお前のように女遊びをするつもりはねえ。
「女遊びはひどいな。遊びじゃなくて、真剣だよ」
リオンにもね、とディンはリオンに微笑んでウィンクを飛ばしていた。
聞こえていないだろうからって、よくそこまで、と俺は感心するではなく、呆れていた。
「クレデールさんのことじゃなくても、これから先、必要になるかもしれないからね」
「お前は得意そうだよな」
まあ、少なくとも俺の手の届く範囲で、ディンに任せるわけにはいかないんだが。
しかし、俺自身、何故か、この先もクレデールの髪の手入れをする未来が見えるような気がして、溜息をついたのだった。




