シィアーヌ
純金のハーネスを身につけてから、ミムは何かがおかしいと感じていた。
自分では外せないのだ。何か、本能的に束縛されている気分になる。
しかし同時に、もうひとつ、彼女の中に脈打つものが、暴れ出そうとしていた。
琴が勝手に、ぽろんぽろんと鳴る。
ハーネスは徐々に徐々に、緩んでいた。
屋敷へ戻ったギリューレとギィユイは、半人半魔の男にミムを引き渡した。
男は目深にフード付きのマントを被っていて、よく顔は見えなかった。
「ボクタチ、ジユウニ、シテクレル?」
ギリューレの問いに、男は笑って言った。
「お館様次第だな。イイコにしていろよ。また偽物だったら、鞭打ちでは済まされないと思え」
「ダイジョウブ……コンドハ、ウゴケナク、ナッタカラ」
ミムはお館様とやらのところへ引き立てられていった。
見たところ、そこそこに豪奢な建物である。屋敷を取り囲む砦部分は、改築を重ねたのか、石造りで立派だ。見張りの兵士も充分におり、ここが戦場に適した建物であることをまざまざと見せつけてくる。
「嫌な気配……」
眉をひそめ、ミムは呻いた。あちこちから古い血の臭いがする。何度も戦場になった経緯か、砦全体が殺意を帯びて見える。血の穢れが彼女を苛んでいた。琴の音色がミムを守るように響く。
引き合わされたお館様こと、レムリック・イヴァルドモット男爵は、ワインを片手に、優雅に椅子に腰を落ち着けていた。連れて来られたミムを見て、頷く。
「そうか、その姿になったのか。成る程、あのお方の考える、最も醜い生き物には、違いない」
それは「人間」を指していた。
「ヴェサリィ、あのお方に連絡を。そしてお届けする手配を、頼む」
「畏まりました」
フードの男は恭しく頭を下げ、タペストリーを下ろした。
そこに、ゆらゆらと波紋が広がり、やがて女性の悪魔の顔が浮かび上がった。
――何て、醜いの。
ミムは目を背けた。女性の悪魔は、顔立ちこそ美しかったが、禍々しい表情を浮かべており、それがミムの根幹たる何かに障ったのだ。
「シィアーヌ様、今度こそ、かの者と思われる者を、確保いたしました」
臣下の礼を取り、男爵はミムをタペストリーの前に立たせた。
スカーフを剥ぎ取られる。豊かな銀髪が流れ落ちた。
「ほう、人間になっていたか。相応しいわ」
タペストリーからはっきりと言葉が返ってきた。女悪魔は唇を舐め、値踏みするようにミムを眺めた。
……見憶えが、あった。
自分は以前、この女悪魔と対決した気がする。
そして、敗れて、呪いをかけられたのだ。
本来の姿を、奪われたのだ。
ミムの、青い瞳が光った。
男爵とヴェサリィは、まともに光を浴びた。
そこへ、同時に、ふわりと現れる影。琴の弦がぽろんと鳴った。
「みむちゃんを、いぢめちゃ、めっ、なの!」
人間界との関係がまだ深く、干渉可能な狐妖精、アマランスだった。
「この金は、真実の金ぢゃないから、僕にだって、さわれるもんね!」
アマランスはミムのハーネスを、ひょいと外した。誰も、その間、動けなかった。
真実の金……土の中から見つかるという、何ものも手を加えていない純金。
それには、魔物の力が宿り、聖なる生命に害をなすと言われている。
触ることすら、出来ないくらいに。
ばさりとミムの背から翼が生えた。
ギリューレとギィユイが、ミムを、自分たちの仲間と思い込み、守るように囲む。
彼らも、ミムの力を受けて、心が澄み渡っていた。
砦の狂気は、ミムを中心に、浄化されていた。
男爵は途方に暮れてタペストリーを見つめ、臣下ヴェサリィも同様にオロオロしている。
「我がもとへ連れて来いとは、命じなかったか?」
苛立った様子で、シィアーヌは指をトントンと椅子のひじ掛けに叩きつけた。
「それが出来ぬなら、殺しておしまい、とも」
「移送の手配をしようとは致しましたが、殺すなんて、それこそ無理ですよ……」
急に弱気になったように見える、男爵の呟きに、「使えぬな、本当に」と舌打ちをするシィアーヌ。
「汝より、もっと使える人材を探すか。人間など利用する価値も無い……」
シィアーヌは、軽く手を挙げた。タペストリーの画像が歪み、消えていく。
直後、天から火球が幾つも降り迫ってきたと、兵士から報告が入った。
シィアーヌは、自身の部下となった人間を、砦ごと、見限ったのだ。
近づいてくる火球の影に、砦の兵士達の恐怖が広がる。
その頃、街道にて、盾を構えた兵士達に阻まれていた、セピア達だが。
ムアルの友である火精霊バリアーノが、活躍していた。
金属製の鎧は、暑さに弱い。
ムアルは殺生は行なわず、熱によって兵士達の陣形を崩すことに成功していた。
「はい、ごめんよ」
そして混乱に乗じ、放浪者が目を見張る体さばきで、次々と兵士達を無力化していた。
具体的には、素手で兵士に取り付き、関節を極めて脱臼させ、次の兵士に取り掛かるという感じだ。
ものの数秒でゴロゴロと兵士達が転がされていく。
「あんたの背負っているその剣は、何のためにあるのよ?」
ムアルが皮肉気に放浪者につっかかる。「持ち主に返すためさ」と軽くいなされた。
バルドーの助力で何とかウァルディアに乗ったガイは、「先に行きます」と男爵の屋敷へ向かった。
セピアも走って後を追う。
駿馬には敵わないものの、前方に、目標となる砦と屋敷が見えてきた。
その上空に、火球が幾つも迫りつつあった。
砦の上に、白い姿が見えた。
両手を空に掲げ、青い光を放つ。
空の火球が、次々と消滅していった。
「天使様が、降臨めされた……!」
兵士達や男爵は、ミムに傅いた。
青い力をとき放った後、ミムは琴を抱えたまま、意識を失い、不思議な翼は消え去り、……無事にセピア達に保護された。