攫われたミム
「一体どうしてしまったんですか?」
騎士ガイは、愛馬ウァルディアの様子がおかしいことに気づき、困り果てていた。
全身真っ黒な、メラノサイトの艶やかな馬は、ミムに頭を下げたきり、動こうとしない。
そればかりか、ミムの前を歩こうともしない。
まるで、ミムが本来の主人のように、尊敬の念を払っているようだ。
「ガイの言うことを聞いてあげて」
ミムがウァルディアの首を撫でながら言い聞かせて、初めて、ウァルディアは頭をあげた。
「ミムって、どこか人間離れしているわよね」
何となく一行に混ざっているムアルが、半妖精の勘を働かせる。
「ミムは、ミムだよ。俺の姉だ」
「本当に血が繋がっているの?」
「まあ、世の中にはアルビノという方々もいらっしゃいますからね」
ガイが穏やかな声で仲裁した。
「ミムさんが日光に弱くて、日中は足を進められないかと危惧しましたが、大丈夫そうですし、良かったですね」
「そこが怪しいんじゃない」
ムアルは頬を膨らませた。銀髪エルフといい勝負の真っ白さなのに、耳が尖っていないし、エルフの気配もしないのだ。
一行は馬の通れる街道を歩いていた。バルドーが従士らしくウァルディアの手綱を引いている。
しばらくすると、焦げ臭い匂いと、街道端に佇む人物と出会った。
その者は白い衣に身を包み、不思議な清潔感を纏っていた。
「こんにちは」
ガイが丁寧に声をかける。
そして、「セラフィ」と刻まれた墓標に気がついた。
「どなたか、亡くなられたんですか?」
セピアがおずおずと尋ねる。見て分かることだが、聞かずにいられなかった。
「見知らぬ村のお嬢さんだよ。心は名の通り、天使だった……」
白い衣の人物は、振り向いた。
無精髭もなく、中性的なつるつるの顔は、茹で卵の表面を思わせた。
額に一房、海泡色の髪が見えている。瞳は澄んだセレスティアル・ブルーだった。
「あなたは……?」
人でも、妖精でも、魔物でもない。違和感を覚えてミムが尋ねた。
「わからない。俺は記憶が無い。ずっと、この世界を彷徨っている……生きた幽霊を探して」
彼? 彼女? 声も中性的だ。
「俺は放浪者と名乗ることにしている。他に、適当な名が無いんだ」
「ねえ、放浪者。メルロンという人物と会ったことは無い? あたしの父の友人だったらしいんだけど」
ムアルが探しびとの名を口にすると、「ああ」と放浪者は頷いた。
「そう呼ばれたことはあるな。メルロン(我が友)と。あれはエルフの郷だったかな」
遠い目で放浪者は答えた。
ムアルはすがった。
「母さまを助けて! あたしを逃してから、もう何週間も経ってしまったわ。生きているかわからないけど……でも、助けて!」
ムアルから事情を聞き、放浪者は首を振った。
「行っても無駄だ。もう、手遅れだろう……」
「そんな……」
「それより、俺は、生きた幽霊を探さなければいけない。それが、お前さんの母さんの魂を救う意味でも、最短手段の気がするんだ」
「手がかりは、あるんですか?」
「無い」
ガイの問いに、放浪者は再び首を振った。
「あなたはこの、戦乱という狂気の原因に、近づこうとしているのですか?」
「わからない……そんな気もするし、そうで無いかもしれない」
生きた幽霊。
一行は、まず、真っ先に、精霊狐の二人を思い浮かべた。
特にアマランスは、生きた幽霊と呼べるのでは無いか?
「タスケテ」
不意に声がした。警戒してウァルディアがいななく。
そこには、ボサボサの髪の有翼族の少年が、立っていた。細く金色に輝くハーネスで、妹らしき幼女を抱きかかえている。
「ギィユイ、オモタイノ。タスケテ。ギリューレヲ、タスケテ。ダッコ、カワッテ。スコシデ、イイノ」
ミムは、無垢な魂を感じた。困っている少年と妹らしき幼女を、見過ごせずにいた。
「少しの間でいいの?」
「ウン」
皆が放浪者に気を取られている間に、ミムはギリューレに手を差し伸べていた。
ギィユイが眠るハーネスを受け取った瞬間、何か予感めいた嫌な感じがした。
だが、この者達は、困っているだけで、害なす者ではない、と、ミムは信じた。
ハーネスに腕を通した刹那、身体の自由が奪われた。
自由になったギリューレが、事前に渡されていたらしき符丁を眺める。
「イッショニ、キテ」
ミムは逆らえなかった。
身体から力が抜け、人形のようにギリューレの言いなりになっていた。
辛うじて、琴を落とさなかったことだけが、奇跡のようだった。
ギリューレは、ミムを抱えると、飛び立った。
ウァルディアがいななく。誰よりも先にミムの危機を感じ、ガイやバルドーを置いて走り出す。
「えっ、ミム? 何かあったの?」
肝心のセピアも、やっとミムの不在に気がついた。
「お前ら……仲間なら、気を配っておいてやれよ」
放浪者が頭を抱えた。
「とにかくガイの馬を追いましょ! ルルエ!」
風なる友を呼び出し、ムアルがウァルディアを追って飛んだ。
あとの者は走るしかない。
鎧姿のガイは、最後尾に収まるしか無かった。
街道を進むと、軍隊が待ち受けていた。列を組み、盾を構えて、通せんぼをしている。
ウァルディアも流石に、通り抜けられず、先頭集団に突進を繰り返していた。
「イヴァル男爵の紋章……」
盾やサーコートの柄を見て、ガイとバルドーが頷いた。
確かに、この先には、男爵の領と屋敷がある。
「あんた達、大人しく退かないと、燃やし尽くすわよ!」
ムアルが火なる友を呼び出し、構えた。
「ミムをどうしたんだ!?」
怒鳴るセピアに、ムアルは肩を竦めた。
「まんまと攫われたのよ、気づかなかったの?」