死と血と食と
その集落は、晶蛇族という、食人生物の美しい鱗を加工して、方便を得ていた。
晶蛇族とは取り決めにより、定期的に生贄を捧げる代わりに、脱皮後の皮や落ちた鱗を、集落に提供してもらうことになっていた。
勿論、集落の者は、晶蛇族の棲む地区には立ち入ることを禁じられていた。
ある時。晶蛇族の若者、スィツは、半人姿に擬態して、散策していた。
フロレンス川はさらさらと流れ、川べりに花が可憐に咲き誇っている。
そこに……美味しそうな人間の幼女が、無邪気に遊んでいた。
胃袋がぎゅうっと刺激される。
キラキラと全身が輝く鱗に覆われてゆき、擬態が解ける……直前。
「これ、どうぞ」
幼女は、花かんむりをスィツに差し出した。
解けかけた擬態が戻る。
「綺麗でしょ? 春のお花は、とっても気持ちがいいの」
幼女ミィスは、心から楽しそうに微笑んだ。
あどけない笑顔が、スィツの食欲を奪ってゆく。
ミィスとスィツは、時々、フロレンス川のほとりで会うようになった。
スィツは人間の言葉に堪能ではない。
だから、ミィスの話を聞いて、頷いたり、微笑んだりしていた。
集落で、ミィスは、孤児なのだと告げた。
誰も遊んでくれない、構ってくれない。よそ者のように扱われているのだと話した。
だから、遊んでくれるお友達が出来て嬉しい、そうも語った。
ミィスは、彼が晶蛇族とは考えもしていなかった。
半人に擬態したスィツは、頭皮から生えている触手を黒い髪に見せかけ、下半身に引きずる蛇の尾を幻影で隠していた。見せかけの足で歩いているように演技をし、結果、ミィスはスィツを黒髪の妖精族だと思い込んだ。
色を操って体の一部を黒い服に見せかけられるスィツと、正反対に、光を操って白く擬態出来るのは、スィツの姉、シュスハであった。
シュスハは、スィツがミィスと遊ぶようになってから、人を食用として見られなくなっていることに気づいた。少し前から、鳥を襲い、その卵を啜っているスィツを見て、おかしいと感じていた。
それが人間の、食糧である生物の、子供の所為だと分かると、シュスハは晶蛇族の長老に相談した。
「決まりは、守るべきだし、守らせるべきだ」
長老はそう一喝し、人間にあてて、符丁を送った。
内容は、ミィスを次の生贄に差し出すべし、というものだった。
「フロレンス川のお兄ちゃん」
何も知らないミィスは、事あるごとに遊びに来て、スィツに懐いた。
「お名前、フロレンスって呼んでもいい? あ……フロレンスじゃ川と同じね……じゃあ、縮めて、フロイスとか!」
スィツはつけてもらった名前が気に入った。
にっこりして、大きく頷く。
もう、ミィスを食糧とは、感じられなくなっていた。
人間が、よく懐いた動物を可愛がるように、スィツも、ずっとミィスと楽しく過ごしていたかった。
それが被捕食者である種族だとしても。
人間だって、ペットのように、よく懐き、可愛く感じられるならば、豚や、犬、猿などを、食べる気にはなれないだろう。
スィツはまさにそんな心境だった。そういう食文化圏では、異端だと分かっていても、心はミィスを食糧として見ることを拒んでいた。
たっぷり遊んで、日が暮れる前にバイバイして、そして、スィツがミィスと再会するのは、その日の月が、天頂に来る頃だった。
選ばれた生贄たちが、人籠と呼ばれる檻に入れられている。
逃げられないように、足枷で檻に繋がれている。
生贄達は、したたかに酔わされていた。
これから、自分の身に何が起こるのか、考えられないように。
だが、ミィスは、酒漬けにされるには、幼すぎた。一人だけ、素面だった。
しかし幼いため、自分が生贄として晶蛇族に突き出されていることすら、理解出来ていなかった。
檻が開かれる。
生贄に、キラキラと鱗を輝かせながら、触手の先の麻痺毒を打ち込む、晶蛇族の面々。
生贄達は、次々と晶蛇族に運ばれていった。
「スィツ、あなたも来なさい。人間の血肉を食べて、元気を出しなさい」
シュスハはスィツを、檻の側まで引きずっていった。
怯えた表情のミィスと目が合う。
ミィスは、半人に擬態したスィツしか見たことがなかった。
晶蛇族本来の姿のスィツを見て、震え上がる。
「食べられない」
「食べなさい。あなたが飢えて死ぬわ」
ゆっくりと首を振るスィツ。何とか、ミィスを逃がそうと、手を伸ばす。
怯えるミィスは、ジリジリとスィツから距離を置こうとする。
「フロイス、助けて」
幼いミィスは叫んだ。スィツは動揺した。思わず半人に擬態してしまう。ミィスの目の前で。
はっと息を飲むミィス。幼いなりに、事情を理解してしまった。
月明かりに照らされたスィツは、痩せこけて、ヒョロヒョロの、枯れ木のようだった。
シュスハがミィスに、麻痺毒を打ち込む。ミィスは動けない。
「さあ、あなたの食糧よ」
枷を外し、スィツに幼女を放り投げる。
受け止めたスィツは、ミィスを見て、「食べられない」と泣いた。
「姉さん、ごめん。この子は、僕には、食べられないよ……無理だよ……」
言葉が分からないなりに、ミィスは、ぼんやりした顔で、スィツを見ていた。
「フロイスが、飢えて死ぬくらいなら、……わたしを食べて……いいから」
ミィスは呟いた。
「わたしは、フロイスと、お兄ちゃんと一緒になるから。お兄ちゃんの体に、なるんだから」
そこまでミィスに言わせるくらい、スィツには死相が出ていた。
「あなたが食べなくても、この子は死ぬのよ。さあ、食糧を無駄にしないで」
シュスハは尖った爪でミィスの喉を裂いた。
胃袋を刺激する、血の臭いが、満ちた。飢えて苦しい気持ちと、友達を食べたくない気持ちが、スィツを半分ずつ引っ張っている。
「わたしを食べて、生きて……フロイス……」
ミィスは事切れた。
フロイスは、泣きながら、まだ温かいミィスの首筋に、唇を埋めた。
今日も、フロレンス川は変わらずに、さらさらと流れている。
スィツは、晶蛇族の里を抜けることに決めた。
振り返ると、ミィスの亡骸が……骨の一部が、川底に眠っている。
(もう絶対、人間を食べたりしない)
スィツは半人姿で、旅に出た。
己の食人欲を封じる手段を探す旅に。
こうしてスィツ、いや、フロイスは、森の小動物たちを餌食としながら、長くひとり旅を続けることになる。その旅は、フォスファーと呼ばれる樹エルフの少年と出会うまで、続くのであった。




